ベトミン

ベトミンの最新ニュースをまとめて検索!

ベトミンvi: Việt Minh漢字: 越盟)、正式名称ベトナム独立同盟会viViệt Nam Ðộc Lập Ðồng Minh Hội漢字越南獨立同盟會)は、フランス植民地からの独立を求めるために、1941年5月19日に結成されたベトナムの独立運動組織である。ホー・チ・ミンによって率いられ、ヴォー・グエン・ザップおよびファン・バン・ドンは、ベトミンをともに指導した。

目次

[編集] 歴史

[編集] 第二次世界大戦

ベトミンは、当初ベトナムを支配するフランス軍を敵としたが、1940年に日本軍がフランスとの合意の下に仏印に進駐した後は、フランスと同じく日本も敵と見なし、ゲリラ戦を展開した。ベトミンは、日本と交戦中であったアメリカ合衆国および中華民国から資金を調達している。

第二次世界大戦末期の1945年3月11日、日本軍はフランス軍に勝利し、フランス領インドシナの植民地支配を打倒した(明号作戦)。これを機に保大帝がベトナム独立を宣言、ベトナム帝国が樹立されたが、ベトミンはこのベトナム帝国を「日本の傀儡政権」と批判し、対日ゲリラ活動を継続した。

1945年8月15日に日本軍が終戦を布告すると、8月17日にベトミンはその間隙を突いて蜂起、保大帝を退位に追い込み、ベトナム帝国から権力を奪取した(ベトナム八月革命)。そして、日本が終戦の文書に調印した9月2日に、ベトナム民主共和国の樹立を宣言した。

[編集] 第二次世界大戦後

フランス軍連合国軍)が日本軍(枢軸国軍)に勝利すると、フランス軍はインドシナに復帰し、これを迎撃すべく第一次インドシナ戦争が勃発した。フランス軍の圧倒的軍事力とアメリカ合衆国のフランスへの援助によってベトミンは壊滅的打撃を受けるが、すぐにゲリラ戦術に切り替え抵抗を継続。当初ベトミンを一年半で全滅させることを宣言したフランスは、抵抗が激化したため次第に防戦に回るようになった。

この間、ベトミンは1951年3月3日、インドシナ共産党の別の統一戦線組織であったリエンベト(ベトナム国民連合会)と合同して「リエンベト戦線」となったが、その後も一般には「ベトミン」と呼ばれ続けている。

1954年、ベトミンはフランス軍のディエンビエンフー要塞を完全包囲し、昼夜を問わぬ砲撃と勇敢な擲弾兵による攻撃によってフランス軍を降伏させた(ディエンビエンフーの戦い)。このフランスの敗戦がきっかけとなり、ジュネーヴ和平協定が締結され、第一次インドシナ戦争は終結した。

ジュネーブ協定によって、ベトナムは1956年の選挙で統一されるまでの臨時措置として北ベトナムと南ベトナムに分割された。ベトミン軍は1954年10月10日ハノイを解放し、フランス軍はベトナムから撤退した。1955年、ベトミン(リエンベト戦線)は植民地からの解放という任務は達成されたとしてみずからの解散を宣言し、同年9月10日、これを継承する統一戦線組織として現在まで続く「ベトナム祖国戦線」が結成された。

その後、南ベトナムとアメリカは、ホー・チ・ミンが国民的な英雄と見なされて選挙に勝つことを恐れ、1954年の協定を破り選挙での統一を拒絶した。その結果、多くの元ベトミンを含む南ベトナム国内のゲリラはアメリカと南ベトナムによってベトコンと呼ばれる、南ベトナム解放民族戦線を形成し反共傀儡政権と敵対した。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月15日 (日) 18:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ベトミン】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!