ベラルーシ語

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ベラルーシ語
беларуская мова
belaruskaja mova
話される国 ベラルーシほか
地域 ヨーロッパ
話者数 7~800万
話者数の順位 100位以下
言語系統 インド・ヨーロッパ語族
 スラヴ語派
  東スラヴ語群
   ベラルーシ語
公的地位
公用語 ベラルーシポーランドポドラシェ県の一部
統制機関 なし
言語コード
ISO 639-1 be
ISO 639-2 bwl
ISO 639-3 -
SIL BEL

ベラルーシ語Беларуская мова)は、ベラルーシ共和国公用語白ロシア語(はくろしあご)と呼ばれていたこともある。話者は700万人から800万人で、ベラルーシやポーランド東部に分布している。系統的には、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属し、ロシア語ウクライナ語とともに東スラヴグループを形成する。

ロシア語やウクライナ語に非常に近いが、本来は現在に比べよりポーランド語寄りの特徴を持っていた[1]。首都ミンスクを含む中央部から東西に広がる中部方言、北東方言、南東方言および西部のポレシエ方言の4つの方言が区別される。

目次

[編集] 文字

ベラルーシ語は現在キリル文字で表記される。歴史的に、ラテン文字アラビア文字によって表記されていたこともある。

[編集] ベラルーシ語のアルファベット

ベラルーシ語のキリル文字
А Б В Г Д (ДЖ) (ДЗ) Е Ё Ж З І Й К Л М Н О П Р С Т У Ў Ф Х Ц Ч Ш Ы Ь Э Ю Я
а б в г д (дж) (дз) е ё ж з і й к л м н о п р с т у ў ф х ц ч ш ы ь э ю я

[編集] 歴史

1696年まで続いたリトアニア大公国の公用語とされていた言語(ルテニア語と呼ばれることもある)を、古ベラルーシ語と見なすことができる。また、ベラルーシ語はスラヴ語派の諸言語のなかで、最初に聖書が印刷された言語でもある。しかし、リトアニア大公国がポーランドと連合を形成した後、17世紀後半には、ポーランド文化が流入。上流階級の人々はポーランド語を話すようになり、ベラルーシ語は平民の言葉となった。

ポーランド分割1772年1796年)によって、ベラルーシの地域はロシア帝国に併合された。ウクライナと異なり、ベラルーシの人々に一体性のある民族的な意識はなかった。ポーランド・リトアニア共和国では、上流階級は自分たちのことをポーランド人[要出典]と考えていたためである。近年でも、ベラルーシの人々はロシアとの区別を強くは意識しない。

これは、ベラルーシ語がもっぱら農村部で話され、文化的中心であった都市で話されることが比較的まれであったことによる。たとえば、1897年のロシア帝国の国勢調査では、人口が5万人を越えるベラルーシの諸都市の住民のわずか7.3%が、ベラルーシ語が母語であると答えていた[要出典]。このような状況のもとで、ベラルーシ語には田舎の教養のない人々の言葉というイメージが定着していった[2]

19世紀から20世紀初めにかけては、ベラルーシ語の主な話者であった農民は文字を知らず、また、都市ではロシア語やポーランド語、イディッシュ語など用いられていたので、ベラルーシ語が書かれることはきわめて稀であった。しかし、細々とながら、ベラルーシ語を普及させようとする運動もあった。

1918年3月25日、ベラルーシ共和国の独立が宣言されベラルーシ語はその公用語とされた。それからまもなく、1918年から1919年にかけて、ソヴィエト政府がベラルーシの地域を制圧しベラルーシ・ソヴィエト社会主義共和国を建設。1920年代には、全ソヴィエト連邦での「民族化」政策により、ベラルーシ化、民族文化の復興が進められた。行政・司法がベラルーシ語で機能するようになり、多くのベラルーシ語の本が出版された。また、標準語の制定について活発な議論が行われ、正字法や文法面で体系化しようとする試みが行われた(このときのベラルーシ語の体系は「タラシケヴィツァ」と呼ばれる)[3]

しかし、1930年代に入るとスターリンの言語政策により情勢は一変する。1933年の正書法改革では、ベラルーシ語の表記法が、明らかにロシア語を真似たものに換えられた。この新しい体系を、当時のベラルーシ共和国政府の呼称にちなんで「ナルコモフカ」と呼ぶ[4]。現在に至るまで一般に用いられるベラルーシ語はこのナルコモフカをもとにしており、ゆえに本来のベラルーシ語に比べロシア語化されたものとなっている。

1938年、全ソヴィエト連邦の学校で、ロシア語が必須科目となる。1958年の教育制度改革では、親が子供の何語で教育を受けるのかを選ぶことができるようになった。それによって、多くの人々が子供をロシア語学校に入学させるようになり、ベラルーシ語学校の数は減少した。

1980年代後半のペレストロイカを機に、ベラルーシ語に対する関心が高まった。1990年には、ベラルーシ語がベラルーシ・ソヴィエト社会主義共和国の唯一の公用語とされ、再びベラルーシ化が進められた。1990年1月26日に承認された「言語法」では、2000年までにすべての行政文書・公的文書がベラルーシ語で書かれるようになることが義務づけられた。

しかし1994年ルカシェンコ大統領に選出されると、ベラルーシ化の動きは完全に停止した。そして1995年には国民投票が行われ、ロシア語にベラルーシ語と同じ地位が与えられることが決定された。2005年現在、これまでにない規模でロシア語化が推し進められており、ベラルーシ語に対する政府の支援はまったくない。

こうした強力なロシア語化政策は、ベラルーシ語の完全な消滅さえもたらしかねない[要出典]。また、ロシア語化政策の影響から、「トラシャンカ」と呼ばれるロシア語とベラルーシ語が混ざった言葉が蔓延している[5]

[編集] 方言

ベラルーシ語の方言[6]

方言

██ 北東部の方言

██ 中部の方言

██ 南西部の方言

██ ポリーシャの訛(ウクライナ語の訛の一つ)。ポリーシャ語。ポリーシャ方言ともよばれる。

██ 1903年におけるベラルーシ語の話者の居住地域

██ 1967年におけるベラルーシ語・ロシア語の境界線

██ 1980年におけるベラルーシ語・ウクライナ語の境界線

[編集] あいさつなど

  • вітаю (vitaju) - こんにちは
  • як (jak) - どう、どのように
  • як маесься? (jak majessija?) - 元気?
  • добрай раніцы (dobraj ranicy) - おはよう
  • дабранач (dabranach) - おやすみ
  • дзякуй (dzjakuj) - ありがとう
  • калі ласка (kali laska) - どういたしまして
  • спадар / спадарыня (spadar / spadarynja) - …さん(男性/女性)
  • добра (dobra) - 良い
  • кепска / дрэнна (kjepska / drenna) - 悪い
  • выдатна (vydatna) - 素晴らしい
  • цудоўна (cudowna) - 素晴らしい
  • дзе (dzje) - どこ?
  • адкуль (adkul') - どこから?
  • чаму (chamu) - どうして?
  • я разумею (ja razumjeju) - 私は分かる。
  • нічога не разумею (nichoha nie razumjeju) - 私は何も分からない。

[編集] 脚注

  1. ^ 服部倫卓『不思議の国ベラルーシ ナショナリズムから遠く離れて』岩波書店、2004年。p.136。
  2. ^ ソヴィエト連邦時代にも、ロシア語に較べてベラルーシ語は田舎の農民の言葉というイメージが持たれていた。しかしベラルーシの独立後そのようなイメージには変化が見られる。
  3. ^ 服部倫卓、上掲書。p.136。
  4. ^ 服部倫卓、上掲書。p.136。
  5. ^ 服部倫卓、上掲書。p.137。
  6. ^ Беларуская мова. Энцыклапедыя. Пад рэд. д.ф.н., праф. А.Я.Міхневіча. Мн., "Беларуская энцыклапедыя" імя Петруся Броўкі, 1994. c. 55

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月7日 (土) 06:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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