ペルティナクス

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ペルティナクス(Pertinax, 126年8月1日 - 193年3月28日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:193年1月1日 - 193年3月28日)。本名はプブリウス・ヘルヴィウス・ペルティナクス(Publius Helvius Pertinax)。

[編集] 生涯

126年に北イタリアリグリアで生まれる。父親は解放奴隷であった。最初は教師であったが、軍隊に入り出世して、マルクス・アウレリウス帝のもと元老院入りし、 171年にラエティア総督、174年か175年にはコンスルになる。その後シリア、上下モエシアダキアの総督を歴任する。コンモドゥス帝の治世の初期の182年に公職を離れるが、185年に復帰。ブリタンニアでの反乱を鎮圧、192年には首都長官と2度目のコンスルに就任する。

192年12月31日にコンモドゥス帝暗殺の首謀者である侍従長ラエトゥス、親衛隊長エレクトゥスはペルティナクスの家へ向かい、帝位に就くように願い出た。ペルティナクスは驚きながらも、2人の説得により帝位に就くことになる。そのために親衛隊に12,000セステルティウスを支払い、元老院の承認を受け、帝位へと就いた。

高潔な性格であったためコンモドゥスの行った悪徳や暴政の跡を修復しようと心がけたが、その改革は性急で厳格なものであった。財政再建、悪税の廃止、国家経費の削減、さらに親衛隊の軍規を正そうとした。その結果、不満を持った親衛隊により1月と3月に陰謀が企てられる。これは失敗に終わったが、さらにその後3月28日に陰謀が成功し、ペルティナクスは暗殺された。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
先代:
コンモドゥス
ローマ皇帝
18代
193年
次代:
ディディウス・ユリアヌス

最終更新 2009年10月28日 (水) 00:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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