ペーター・ザウバー
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ペーター・ザウバー(Peter Sauber, 1943年10月13日 - )は、かつてのF1チーム、ザウバーチームの創設者・オーナーであり、モータースポーツの世界では有名な人物の一人である。
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[編集] 経歴
[編集] 初期の経歴
電気技師としての経験を積んだ後に、スイスのヒンウィルで自動車のセールスマンとして働き始めた。
1955年のルマンの事故以後、スイス国内ではモータースポーツ関係の国際レースの開催が禁止されていたため、ザウバーがモータースポーツと関わるようになるまでの過程はやや困難が伴った。当初、古いフォルクスワーゲン・タイプ1を用いて、友人とヒルクライムレースに参戦した。これが後のザウバーチームの基礎となる。
[編集] ザウバーチームの誕生
ザウバーの実家は信号機の設置工事などを手がける仕事をしていたが、その仕事を継がないことを決めると、ザウバーは実家の地下で最初の車ザウバーC1を製作した。この車は排気量1,000ccのコスワースエンジンを搭載した、チューブフレーム製の車体だった。このザウバーC1は1970年のスイス・ヒルクライム選手権で用いられ、ザウバー自身の手により操られた。ザウバーC1は、その後、他のドライバーによって操縦されるようになり、10年間に渡って活躍し、1974年にはフリードリヒ・ヒュルツェラー(Friedrich Hürzeler)の手により優勝を手にした。
1971年、ザウバー自身は新型のザウバーC2を駆って同選手権に挑んだ。
1973年、パトロンから融資を得られるようになると、ザウバーは販売用にザウバーC3を3台製作し、ガイ・ボワッソン(Guy Boisson)によって設計されたこの車はスイスのスポーツカー選手権を支配した。
1975年、初のアルミニウム製シャシーを用いたザウバーC4が、ボワッソンとエディ・ヴィス(Edy Wiss)によって設計され、1台だけ製作された。
1976年に製作されたザウバーC5は歴代の車体の中でも最も優れた成績を収め、ハーバート・ミュラー(Herbert Muller)によって設計されたこの車は、BMWの2,000ccエンジンとの組み合わせで、同年のインターセリエ(Interserie)を制した。
ザウバーC5は1977年と1978年のル・マン24時間レースに参戦し、両年とも、リタイアするまでの間、一時、同一クラスの車両の中でトップを走る健闘を見せた。
1979年、ザウバーは一時スポーツカー製作から離れて、ローラのF2シャシーの製作を手がけ、このシャシーはシーズンで1位、2位、4位を占めるという輝かしい成果を収めた。
1980年から1981年にかけ、BMW M1の開発に関与し、ニュルブルクリンク1000Kmレースに参戦した。
BASFの支援を受け、1982年に自身のザウバーC6でスポーツカーレースに復帰した。このC6はザウバーチームとしては初めて風洞を用いて設計された車で、この設計に際して後にF1参戦に際して重要な役割を担うこととなるレオ・レスとの強い関係を築いた。
1985年にメルセデス・ベンツとの関係が始まった。
[編集] F1参戦
1990年代になると、ザウバーはF1への参戦を真剣に検討するようになり、1991年の夏にはF1用車両の設計のためハーベイ・ポスルスウェイトが加入し、ヒンウィルにファクトリーを建設するにあたり、メルセデスが資金の一部を援助した。
1991年11月にメルセデスが自身の名義でのF1参戦を見合わせる決断をしたことで、ザウバーは1993年にザウバーチームとしてF1への参戦を開始した。この際、ドライバーにはJ・J・レートと、子飼いのカール・ヴェンドリンガーを擁し、イルモアによるエンジンを搭載した。この際、エンジンカバーには“Concept by Mercedes-Benz”の文字が付いたことから、メルセデス・ベンツのF1復帰として話題になった。
しかし、1994年限りでメルセデスが去りマクラーレンに移ると、1995年からザウバーはフォードのワークスチームとなり、同時にマレーシアの国営石油会社ペトロナス、オーストリアの栄養ドリンク販売会社レッドブルがスポンサーとなったことで、チームは潤沢な資金をも得るようになった。
[編集] 売却
ザウバーチームは、ニック・ハイドフェルドとキミ・ライコネンを擁した2001年にやや浮上しランキング4位を記録した以外は、常にランキングの中団を維持し、F1で特に代わり映えのしない年を送り続けた。とはいえ、資金的に不利なプライベートチームで一定以上の成績を残し続けたことについては、大いに賞賛に値する事実でもある。
また、ミナルディ、ジョーダンと並んで新人ドライバーの発掘にも長けていた。最大のトピックは、後のF1ワールドチャンピオンで4輪レースキャリア僅か20数戦でF3の経験すら無かったライコネンを、周囲の批判をものともせずに起用したことと言えるだろう。また、このチームからデビューし才能を開花させたドライバーとして挙げられるのは、キミ・ライコネンの他にフェリペ・マッサやハインツ=ハラルド・フレンツェンなどがいる。
2005年半ばにBMWへチームを売却したことにより、チーム代表の座を退き、以後、BMWザウバーチームの相談役(チームコンサルタント)という形でレース界に留まっている。F1に参戦して僅か3戦目で表彰台を獲得し、BMWザウバーの初優勝をもたらしたロバート・クビサも、ペーターに才能を見出された一人である。
[編集] 人物
当初、英語を話す努力はしたものの、通訳を介したほうが確実との決断をし、F1においても基本的にドイツ語で話をする珍しいチーム代表だった。ただマスコミとのインタビューでは、電子英語辞書を持ちながら英語でしゃべることがあった。
葉巻を愛飲する。
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最終更新 2009年7月28日 (火) 13:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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