ホルヘ・カントゥ

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ホルヘ・カントゥ
Jorge Cantú
フロリダ・マーリンズ #3
基本情報
国籍 メキシコ
アメリカ合衆国
二重国籍
出身地 アメリカ合衆国 テキサス州マッカレン
生年月日 1982年1月30日(27歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5cm
200 lb =約90.7kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 内野手
プロ入り 1998年 アマチュア・フリーエージェントとしてタンパベイ・デビルレイズと契約
初出場 2004年7月17日 オリオールズ
年俸 $500,000(2008年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム メキシコ メキシコ
WBC 2006年2009年

ホルヘ・ルイス・カントゥ(Jorge Luis Cantú, 1982年1月30日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州マッカレン出身の野球選手内野手、右投右打。MLBフロリダ・マーリンズに所属している。

両親ともにメキシコ人で、幼少時代はリオ・グランデ川を挟んでマッカレンの対岸にある双子都市のメキシコ合衆国タマウリパス州レイノサで過ごした。2006 ワールド・ベースボール・クラシックアテネ五輪アメリカ大陸予選(2003年)などの国際大会にメキシコ代表として出場している。

目次

[編集] 経歴

メキシコで1番人気のスポーツであるサッカーには興味がなく「見るのも、やるのも退屈なんだ」と語り、カル・リプケンに憧れ野球にのめり込む[2]。高校生のときにメキシコシティで開催された大会に出場し、そこでの活躍に目をつけたタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)と16歳のときに契約する。

マイナーリーグ時代は主に遊撃手として出場していた。カントゥに対する評価は「打撃力がない」「パワーがない」というのが多く、2002年には引退も考えたが、父から自身の苦労話を聞かされて翻意する[2]2003年にはシーズン途中でAAA級ダーラム・ブルズに昇格、60試合に出場し打率.295・30打点という成績を残した。シーズン終了後にはアテネ五輪アメリカ大陸予選にメキシコ代表として出場。メキシコが米国に勝利したことで、前回大会金メダルの米国が予選敗退という波乱が起こったが、メキシコも予選通過できず五輪出場権を逃した。

2004年にAAA級ダーラムで95試合に出場したカントゥは、打率.302・22本塁打・80打点を記録。シーズン途中にメジャー昇格を果たし、7月17日に初出場、その後二塁手三塁手としてシーズン終了まで50試合に出場する。2005年1月にデビルレイズはベテラン二塁手のロベルト・アロマーと契約したが、3月にアロマーが引退したため、カントゥが二塁のレギュラーポジションをつかむ。この年150試合に出場したカントゥは、打率.286・28本塁打・117打点(リーグ7位・当時の球団記録[3])・40二塁打(同8位)の好成績を残し、新人王投票で5位に入った。

2006年3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にも、カントゥはメキシコ代表として出場。2次リーグPOOL 1 最終戦の米国戦では、2番・二塁として先発出場したカントゥが2打点を挙げ、2-1 でメキシコが米国に勝利。この結果、日本が準決勝に進出し、その後優勝した。日本は一時は準決勝進出が絶望視されていたため、カントゥの活躍は日本のWBC優勝を手助けしたかたちとなった。しかしその後のMLBレギュラーシーズンでは、開幕4試合目に足に自打球を当て、その後も無理に試合に出続けた結果として状態が悪化し、約5週間の故障者リスト入りを余儀なくされた。復帰後も不振に陥り、本塁打・打点ともに前年のほぼ半分に落ち込んだ。

2007年には、日本プロ野球東京ヤクルトスワローズから岩村明憲が加入。カントゥは岩村とWBCで知り合い、チームメイトになってからはとても仲良くしていた[4]。しかし岩村の加入によりデビルレイズの内野陣が飽和状態となり、レギュラーポジションをなくしたカントゥを、チーム首脳陣はマイナーに降格させた。これにカントゥは激怒。「俺はマイナーリーガーじゃない」と、一時はマイナーでの試合出場ボイコットを示唆し他球団へのトレードを要求した[5]。その後これを撤回してAAA級ダーラムで試合に出場し、4月下旬には右脇腹を痛めて故障者リスト入りした岩村に代わってメジャー昇格も果たしたが、25試合で打率.207と低迷。7月28日にシンシナティ・レッズへトレードされた。レッズでは27試合に出場したものの、シーズン終了後に放出されている。

2008年1月にフロリダ・マーリンズとマイナー契約を結ぶ。その後開幕メジャー入りを果たすと、三塁のレギュラーとして155試合に出場し、自己最高の29本塁打を記録。また、一塁手のマイク・ジェイコブス、二塁手のダン・アグラ、遊撃手のハンリー・ラミレスと共に、同一チームの内野手4人がそれぞれシーズン25本塁打以上というメジャー史上初の記録を達成した。[6]

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
2004 TB 50 185 173 25 52 20 1 2 80 17 0 0 0 1 9 0 2 44 5 .301 .341 .462 .803
2005 150 630 598 73 171 40 1 28 297 117 1 0 0 7 19 1 6 83 24 .286 .311 .497 .808
2006 107 448 413 40 103 18 2 14 167 62 1 1 0 6 26 2 3 91 16 .249 .295 .404 .699
2007 25 65 58 4 12 1 0 0 13 4 0 0 0 1 5 0 1 16 3 .207 .277 .224 .501
CIN 27 68 57 8 17 8 0 1 28 9 0 0 0 2 7 0 2 10 3 .298 .382 .491 .873
'07計 52 133 115 12 29 9 0 1 41 13 0 0 0 3 12 0 3 26 6 .252 .331 .357 .688
2008 FLA 155 685 628 92 174 41 0 29 302 95 6 2 0 7 40 6 10 111 15 .277 .327 .481 .808
通算:5年 514 2081 1927 242 529 128 4 74 887 304 8 3 0 24 106 9 24 355 66 .275 .317 .460 .777
  • 2008年度シーズン終了時

[編集] 参考資料

  1. ^ "Florida Marlins Salaries - 2008," ESPN.com. 2008年4月20日閲覧。
  2. ^ 谷口輝世子 「ホルヘ・カントゥ[デビルレイズ]メキシコの赤い太陽」 『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-6、26-27頁。
  3. ^ "Tampa Bay Rays Batting Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年4月6日閲覧。
  4. ^ 阿部寛子 「MLB30球団最新レポート&全選手個人成績 タンパベイ・デビルレイズ/TB 大親友の岩村といつか一緒にプレーを」 『月刊スラッガー』2007年7月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-7、75頁。
  5. ^ Marc Topkin, "Angry Cantu sent down, wants out / Former Rays MVP says he has nothing to prove at Triple A, and he may not report to Durham.," St. Petersburg Times, April 1, 2007. 2008年4月6日閲覧。
  6. ^ "Strength and honor: Marlins surprise MLB.com. 2008年11月23日閲覧。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月29日 (土) 19:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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