ホンジュラス

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ホンジュラス共和国
República de Honduras
ホンジュラスの国旗 ホンジュラスの国章
国旗 国章
国の標語 : Libre, Soberana, Independiente
(スペイン語: 自由、主権、独立)
国歌 : ホンジュラスの国歌(旗は天国の光のように)
ホンジュラスの位置
公用語 スペイン語
首都 テグシガルパ
最大の都市 テグシガルパ
政府
大統領代行 ロベルト・ミチェレッティ
首相 なし
面積
総計 112,090km²100位
水面積率 0.2%
人口
総計(2008年 7,466,000人(96位
人口密度 61人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 2,678億[1]レンピラ(A$)
GDPMER
合計(2008年 141億[1]ドル(111位
GDPPPP
合計(2008年 327億[1]ドル(109位
1人当り 4,268[1]ドル
独立
 - 日付
スペインより
1821年9月15日
通貨 レンピラ(A$)(HNL
時間帯 UTC -6(DST: -5)
ccTLD HN
国際電話番号 504
祭壇Q。左から2番目に初代キニチ・ヤシュ・クック・モー、それに向かい合っているのが16代のヤシュ・パサフである

ホンジュラス共和国(ホンジュラスきょうわこく)、通称ホンジュラス中央アメリカ中部に位置する共和制国家。西にグアテマラ、南西にエル・サルバドル、南東にニカラグアと国境を接しており、北と東はカリブ海、南はフォンセカ湾を経て太平洋に面している。大陸部のほかに、カリブ海岸にスワン諸島バイーア諸島を領有している。首都テグシガルパ

目次

[編集] 国名

正式名称はスペイン語でRepública de Honduras。通称、Honduras

公式の英語表記はRepublic of Honduras。通称、Honduras

日本語の表記はホンジュラス共和国。通称、ホンジュラス

「ホンジュラス」は英語の発音であり、スペイン語では「オンドゥラス」と発音する。この名の由来は、クリストバル・コロン (「クリストファー・コロンブス」のスペイン語名)が1502年にこの地に上陸しようとして、船の碇を降ろしたが、海底まで届かなかったため、この地を "hondura" (スペイン語で「深さ」、「深み」を意味する名詞)と名付けたことによるという説が最も有名で、一般的であるが、その他にもホンジュラス北西部の海岸に多くのヒカロの木が沈んでいたためなどの説がある。

[編集] 歴史

詳細は「ホンジュラスの歴史」を参照

[編集] 先コロンブス期

先古典期段階ではオルメカ文明の影響力が強く、例えば、北東部コロン県にあるクヤメル洞窟がオルメカ文明に並行する紀元前1200年から同400年ごろに埋葬がなされ、オルメカ様式の長頸壺や「炎の眉」をもつ蛇を刻んだ鉢などが確認されている。やや時代が下って、前800年頃に国土の西端にあるモタグァ川流域のコパンでもグループ9N-8などでやはり同様な遺物が確認されている。先古典期中期から終末にかけて、コパンより東方のヨホア湖北岸にあるロス・ナランホス、ホンジュラス中央部ラパス県に位置するヤルメラが建設された。後者は30haもの規模を持つ大センターで、現在のところ、15基の建造物が確認されている。そのうち、建造物101号は、南北70m,東西110m、高さ20mに達する壮大なピラミッドであった。一方、ロス・ナランホスでは高さ19mに達するピラミッドが築かれ、周囲には、幅20m、深さ7mで、全長2kmを超える堀や防壁がめぐらされた。

古典期にはいると、モタグァ川流域のコパンで、426年テオティワカンの影響を強く受けた人物[2]キニチ・ヤシュ・クック・モーが新王朝を興した。コパンの全盛は第12代の「煙イミシュ」(位628年-695年)と13代の「18ウサギ」ないしワシャクラフン・ウバフ・カウィール(位695年-738年)のときで、神殿20、 21、22と新しい球戯場を築くとともに、モタグア川上流、現グアテマラ領東端のキリグアに「カウアク空」ないしカック・ティリウを擁立し、その勢威を誇った。しかし、738年に当のカック・ティリウのために殺害され、以後、コパンは衰退することになる。

しかし、15代の「煙貝」もしくはカック・イピヤフ・チャン・カウィール(位749年-761年?)の築いた「神聖文字の階段」と呼ばれる神殿26号が753年に完成し、16代のヤシュ・パサフ(位763年-810年?)が776年に16代にわたる王の肖像を刻んだ祭壇Qを刻んだことが特記される。コパンが没落すると、衛星都市が紋章文字をもつようになって一時的に繁栄するが、古典期の終末までには放棄されていく。

[編集] スペイン植民地時代

スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照

海賊からの防衛のためにスペイン人によって建設された要塞

1502年にはヨーロッパ人としてはじめてコロンブスが4度目の航海で到来した。1519年スペインエルナン・コルテスアメリカ大陸に上陸。1521年アステカ帝国征服の余勢を駆ってこの地も征服した。

スペイン人がインディヘナを武力で服従させると、グアテマラ総督領として支配を行った。この地から豊富な金や銀などが産出するとスペイン人の植民が進んだ。インディヘナの中で最も大きな反スペイン運動となったのは、レンピーラというカシーケ(酋長)が1537年に起こしたものだったが、この反乱が鎮圧されると以降植民地化が進み、ホンジュラスもグアテマラ総督領の一部に組み入れられた。1570年代にテグシガルパ周辺で銀山が発見されたが、このブームはすぐに終焉した。

[編集] 解放と独立

近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照

中米連邦の擁護者 フランシスコ・モラサン将軍

19世紀前半にはインディアス植民地各地のクリオージョ達の間で独立の気運が高まった。1789年のフランス革命以来のヨーロッパの政治的混乱の中、ナポレオン戦争により1808年からスペイン本国で半島戦争が勃発した。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトボルボン朝フェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。1811年から独立闘争が本格化し、1820年のスペイン本国で自由主義者によるリエゴ革命が起きた翌1821年9月15日にグアテマラ総督領が独立すると、同年独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国と合併したが、1823年には中米連合に加盟した。

ホンジュラス出身のフランシスコ・モラサン将軍は自由主義のエル・サルバドル派として、連邦維持を目的に、ラファエル・カレーラ将軍の率いる保守主義のグアテマラ派との戦いを続けたが、1838年に中米連邦が瓦解すると「ホンジュラス共和国」として独立した。現在もモラサン将軍はホンジュラスで特別の地位を占めている。

[編集] 国民戦争以降

20世紀に入るまで、周辺諸国と国境紛争が頻発した。

1855年、ニカラグアでアメリカ合衆国南部人の海賊ウィリアム・ウォーカーが大統領になる事件があり、中米諸国は団結してウォーカーを排除することに決めた。この国民戦争でウォーカーは敗北したが、その後ウォーカーは再び中米の主人となるためにこの国に上陸し、イギリス海軍に捕らえられ、トルヒージョで処刑された。

1870年代からコスタリカを筆頭に中米各国でコーヒープランテーションが発達するが、ニカラグアとホンジュラスでは人口が少なく、労働力が足りなかったためにコーヒーは根付かなかった。そのためホンジュラスでは代わりにマイナー・キースによってバナナ・プランテーションが形成され、最初に「バナナ共和国」と呼ばれる国になった。キースは1899年にアンドリュー・プレストンのボストン・フルーツ社と自分の事業を合同してユナイテッド・フルーツ社を立ち上げ、中米全体に君臨することになる。

独立後のラテンアメリカ諸国はどこも自由党と保守党の争いが続いたが、マルコ・アウレリオ・ソト大統領は1880年に自由主義憲法を制定し、直接選挙の実施が保証された。また、ポリカルボ・ポニージャ大統領が1894年に制定した憲法では中米諸国との連合の可能性が条文内に規定された。1893年にニカラグア大統領となったホセ・サントス・セラヤの中米大共和国構想により、ホンジュラスはエルサルバドルと共にニカラグアと連合するが、グアテマラの干渉によってこの構想は水泡に帰した。

1907年にニカラグアのセラヤ大統領はホンジュラスに侵攻し、全土を支配するが、セラヤのニカラグア拡大を恐れたアメリカ合衆国の仲介により、ホンジュラス大統領にミゲル・ダビラが就任することで妥協がなされ、その後この事件を処理するために中米司法裁判所が設置された。1911年にマヌエル・ボニージャが反乱を起こすとダビラは失脚し、翌1912年にボニージャが大統領に返り咲いた。翌1913年にボニージャが死去すると、フランシスコ・ベルトランドが大統領に就任し、1919年まで安定する。しかし、1919年に内戦が勃発し、ホンジュラスの内政は混乱に陥ったため、アメリカ合衆国がバナナ権益を保護するために内政干渉に乗り出すことになる。また、1920年代にホンジュラスは世界のバナナ市場の約1/3を供給していたが、1929年の世界恐慌でバナナ産業が大打撃を受けると、ユナイテッド・フルーツ社で働くバナナ労働者による労働争議が次第に活発になっていった。

この混乱を沈めるために1933年にティブルシオ・カリアス・アンディーノ将軍がクーデターを起こして軍事独裁が始まり、アメリカ合衆国のバナナ会社との強い関係を背景に強権統治を行ったため、この独裁政権は17年間続いた。

第二次世界大戦後の政情は不安定で、軍事政権が相次いで成立した。また、アメリカ合衆国の石油会社がニカラグア国境付近で油田を発見したことがきっかけとなって、1957年5月、ソモサ王朝体制のニカラグアと国境紛争を行っている。ホンジュラス東部が戦場となったこの紛争は、7月21日に問題を国際司法裁判所に提訴することにより、解決が図られた。

1960年に中米共同市場が結成されたが、ホンジュラスは工業国エルサルバドルの製品の市場としてしか扱われず、このことはホンジュラス人の不満を高めた。更に1960年代末の時点で30万人ものサルバドル人がホンジュラスで不法移民として農業を行っていたが、ホンジュラス政府が農地改革を行うと、この不法農業移民の問題が両国の軋轢をより大きなものにし、1969年にはエル・サルバドルと、いわゆる「サッカー戦争」が起きることになった。

[編集] サッカー戦争以降

サッカー戦争後、1971年にホンジュラスはエルサルバドル製品ボイコットのために中米共同市場を脱退した。

1979年のニカラグア革命後、ホンジュラスはニカラグアのサンディニスタ政権に対するコントラの最も有力な基地となり、アメリカ陸軍アメリカ空軍イスラエル国防軍アルゼンチン陸軍など多くの反共国家の軍隊がホンジュラスに駐留した。

1981年には民政移管に成功し、選挙の結果自由党政権が成立したが、その後もコントラの基地としての立場に変わりはなかった。続いて1985年にアスコナ政権が成立するとアメリカに接近し、軍事経済関係が強化された。

1993年にはレイナ政権が成立した。

[編集] 政治

詳細は「ホンジュラスの政治」を参照

大統領元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属する。大統領の任期は4年で、再選は禁止されている。立法権一院制の議会に属し、議員定数は128人である。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1982年憲法である。

保守的な国民性で、コスタリカ程ではないものの中米では比較的安定した国家であり、1970年代から1980年代中米紛争の最中にも、エル・サルバドル内戦、グアテマラ内戦、ニカラグア内戦のように悲惨な内戦を起こす事はなかった。

自由党と国民党の二大政党制が二十世紀初頭から続いており、長い軍事政権の歴史もあるものの、基本的に現在もこの構図は変わっていない。

[編集] 2009年軍事クーデター

中道左派のマヌエル・セラヤ大統領は政権延長・終身大統領を狙って、憲法改正のための国民投票を6月28日に実施する予定だった。これに対して国会と最高裁判所は国民投票を違憲だとして大統領と対立した。6月24日には、ロメオ・バスケス統合参謀本部議長を更迭し、エドガルド・メヒア将軍を後任とした大統領令を出すが、翌25日にこれに抗議してアンヘル・エドムンド・オレジャナ国防大臣も辞表を提出。数時間後に更迭は無効と最高裁判所からの宣告がなされ、対立が高まった。そして、国民投票が実施される当日、投票が始まる1時間前になって、最高裁判所が出した大統領逮捕令にしたがって、軍部がクーデターを起こし、セラヤは大統領官邸で拘束の上コスタリカへ移送され、ニカラグアに事実上亡命した。尚大統領夫人は、移送されず国内に留まっている。 28日午後、セラヤと同じ自由党に所属するロベルト・ミチェレッティ国会議長が暫定大統領に就任した。任期は2010年1月27日まで。 7月5日、セラヤはミゲル・デスコト国連総会議長(元ニカラグア外務大臣)を伴い、ベネズエラより飛行機による帰国を試みるも、テグシガルパ国際空港は軍により閉鎖されており帰国は阻止された。しかし9月21日にセラヤは強行帰国に成功し[3]、首都テグシガルパのブラジル大使館内に留まっている。

国会、裁判所を含むクーデター派は、セラヤが左傾化を進めていることに反対してきた富裕層などの支持を得ているとされる。

[編集] 地方行政区分

詳細は「ホンジュラスの行政区画」を参照

ホンジュラスの県

ホンジュラスの地方行政は、18の県(departamentos)と、その下の298の市町村からなる。右側の数字はアルファベット順に並べている。

  1. アトランティダ(Atlántida)
  2. チョルテカ(Choluteca)
  3. コロン(Colón)
  4. コマヤグア(Comayagua)
  5. コパン(Copán)
  6. コルテス(Cortés)
  7. エル・パライソ(El Paraíso)
  8. フランシスコ・モラサン(Francisco Morazán)
  9. グラシアス・ア・ディオス(Gracias a Dios)
  10. インティブカ(Intibucá)
  11. イスラス・デ・ラ・バイア(Islas de la Bahía)
  12. ラ・パス(La Paz)
  13. レンピーラ(Lempira)
  14. オコテペケ(Ocotepeque)
  15. オランチョ(Olancho)
  16. サンタ・バルバラ(Santa Bárbara)
  17. バジェ(Valle)
  18. ヨロ(Yoro)

[編集] 地理

詳細は「ホンジュラスの地理」を参照

ホンジュラスの地図

基本的に熱帯であり、カリブ海岸低地は高温多湿の気候であるものの、国土の80%弱を占める山岳地帯、特に国土主要部の標高1,000mから1,500mの高原地域では常春に近い気候になる。

最も高い山はセラケ山であり、標高は2,850mになっている。地震による被害は少ないが、ハリケーンによる被害は他の中米・カリブ海諸国と共通である。

南西部カリブ海岸のニカラグアにまで続くモスキート海岸の一部であるモスキータ地方には未開の熱帯雨林が広がり、プラタノ川流域は世界遺産となっている。

[編集] 軍事

詳細は「ホンジュラス軍」を参照

ホンジュラス軍は兵員12,000人程。徴兵制は廃止され、1995年から志願兵制が導入された。1999年、ホンジュラス軍は治安回復のために投入された。

1980年代以降、軍の政治的影響力はかつてに比べれば小さくなった。

[編集] 経済

詳細は「ホンジュラスの経済」を参照

ホンジュラスの経済的な首都、サン・ペドロ・スーラの下町

ホンジュラスは歴史的にニカラグアと並んで中央アメリカで最も貧しい国であり、西半球で十番以内に貧しい国であると同時に世界最貧国の一つでもある。GDP成長は非常に緩やかであり、国民の半数以上が貧困線以下の生活を強いられていると推測され、失業者数は実に120万人近いと見積もられている。それ故JICA等による経済支援が行われている。

この国の経済は、アメリカ合衆国資本(具体的にはユナイテッド・フルーツとスタンダード・フルーツ)がカリブ海岸熱帯低地で始めたバナナプランテーション産業に依存してきた。そのため、バナナ共和国と世界で最初に呼ばれた国家であり、現在もそう呼ばれる。

また、バナナは多くの労働力を必要としたためサルバドル人の農業移民を引き寄せ、これがサッカー戦争の一因ともなった。ホンジュラス最大の産業都市、サン・ペドロ・スーラの発展はバナナの発展によるといっても過言ではない。

[編集] 国民

詳細は「ホンジュラスの国民」を参照

主な住民は、メスティーソが90%、 インディヘナ が7%、黒人が2%、白人が1%となっており、圧倒的にメスティーソの多い国である。

先住民としては、かつてはコパン遺跡を築いたマヤ系の民族が多かったはずだが、現在は7つの公認された民族集団に分化し、特にカリブ海岸にミスキート族、レンカ族、ガリフナ族など黒人の影響のある先住民がおり、ホンジュラスのミスキート族は隣国ニカラグアのミスキート族と連続した社会を形成している。

アフリカ系ホンジュラス人は主にカリブ海岸の低地に居住しており、多くは西インド諸島から植民地時代に移入された奴隷の子孫である。19世紀には鉄道建設やプランテーションでの労働力としてジャマイカからの黒人労働者の移住も進んだ。

パレスチナ人アラブ人中国人韓国人ベトナム人日本人などの移住もあった。

1970年代の半ばから、多くのホンジュラス人が職を求めて海外に出て行ったので、ホンジュラス人の多くはメキシコ、ニカラグア、スペインカナダ、そして特にアメリカ合衆国に住む親戚を持っている。

[編集] 言語

公用語はスペイン語であり、大多数の国民の母語である。その他にもカリブ海側の黒人や先住民によって英語やミスキート語、ガリフナ語などが話される。

[編集] 宗教

宗教構成は、カトリック(94%)、プロテスタント・その他(各6%)である。

[編集] 教育

2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は80%である[4]

主な高等教育機関としては、ホンジュラス国立自治大学(1847年)などが挙げられる。

[編集] 文化

詳細は「ホンジュラスの文化」を参照

コマヤグア大聖堂

[編集] 音楽

カリブ海側にはガリフナ族のコミュニティもあり、彼等の音楽はタンボール(スペイン語で太鼓)やマリンバを多用する。著名な音楽家としてはギジェルモ・アンダーソンが挙げられる。

[編集] 世界遺産

ホンジュラス国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件ある。詳細は、ホンジュラスの世界遺産を参照。

[編集] 祝祭日

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Año nuevo
3月19日 父の日 Día del Padre
5月1日 メーデー Día de los trabajadores
5月第二日曜日 母の日 Día de la Madre
9月10日 子供の日 Dia del Niño
9月15日 独立記念日 Día de la Independencia 中央アメリカ独立の日
9月17日 師の日 Día del Maestro
10月3日 フランシスコ・モラサン将軍生誕記念日 Nacimiento del General Francisco Morazán 兵士の祝日でもある
10月12日 民族の日 Día de las Américas
12月24日 クリスマス Día de la familia

[編集] スポーツ

詳細は「ホンジュラスのスポーツ」を参照

サッカーは最もホンジュラスで人気のあるスポーツとなっている。

[編集] 脚注

  1. ^ IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ テオティワカン人かもしくはその同盟者のマヤ人とも目される。
  3. ^ ホンジュラス、国外追放の大統領が帰国 クーデター後初めてNIKKEI.NET 2009年9月21日
  4. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ho.html 2009年3月30日閲覧

[編集] 参考文献

  • 青山和夫他『岩波 アメリカ大陸古代文明事典』、岩波書店、2005年 ISBN 4-00-080304-2
  • 後藤政子『新現代のラテンアメリカ』 時事通信社、1993年(ISBN 4788793083
  • サイモン・マーティン、ニコライ・グルーベ/中村 誠一(監修)、長谷川 悦夫、徳江 佐和子(他訳)
    『古代マヤ王歴代誌』創元社、2002年 ISBN 4-422-21517-5
  • 田中高(編著)『エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアを知るための45章』明石書店、2004年(ISBN 4-7503-1962-7
  • 二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩『世界現代史35 ラテンアメリカ現代史Ⅲ』山川出版社、2006年

[編集] 関連項目

  • ホンジュラス関係記事の一覧

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
政府
日本政府
観光

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最終更新 2009年11月7日 (土) 07:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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