ホンダ・RA271

ホンダ・RA271の最新ニュースをまとめて検索!

ホンダ RA271
RA271(2006年撮影)
RA271(2006年撮影)
コンストラクター ホンダF1
チーム ホンダF1
エンジン ホンダRA271E
デザイナー 中村良夫
佐野修一
ドライバー ロニー・バックナム
出走時期 1964年
出走回数 3
優勝回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
通算獲得ポイント 0
初戦 1964年ドイツGP
最終戦 1964年アメリカGP
  

ホンダ RA271は、ホンダF1に参戦するために開発した日本初のF1マシン。1964年第6戦ドイツGPでデビューし、このシーズンのみ3戦に使用された。

目次

[編集] 概要

[編集] 開発の経緯

2輪レースの世界で成功を収めたホンダは、4輪メーカーとして市場参入を果たした1963年に、F1世界選手権への参戦を目途にエンジンの開発を開始。横置きV型12気筒を前提とし、同年中頃から最初のエンジンRA270Eのベンチテストを始めた。当初はエンジン供給のみを予定し、同年秋にロータスの打診を受け、改良を加えたRA271Eを翌1964年シーズン初戦のモナコGPからの供給に向け準備を進めた。1月にはエンジン評価用のシャーシRA270によって鈴鹿サーキットでの実走行テストが繰り返されたが、開幕直前になってロータスとの提携が一方的にキャンセルされたため、ホンダは新チーム体制の構築とともに急遽シャーシを開発した。8月2日決勝のドイツGPに目標を定め、6月中旬に完成したRA271は荒川テストコースでの簡単なチェックを経て、7月にザンドフールトでロニー・バックナムによりシェイクダウンされた。

[編集] ナショナルカラー

1960年代当時、F1マシンの塗装は厳然とナショナルカラーを用いることが守られていた。最初に鈴鹿を走ったRA270は、本田宗一郎の意向で金箔をイメージしたゴールドに塗装されており、RA271もゴールド色での出走を希望したが、ゴールドは当時すでに南アフリカ共和国のナショナルカラーと決められていたため、チーム監督の中村がFIAと折衝した結果、第2希望のアイボリーホワイトに、ドイツのシルバー色と判別を容易にするため赤い日の丸を描き入れることになった。

[編集] ホンダミュージック

RA271Eには、初戦こそ12連キャブレターが用いられたものの、シリンダー毎の性能のばらつきが目に余るため、次戦となったイタリアGPでは早々に自社製の低圧燃料噴射装置に置き換えられた。安定を得た1.5ℓV12エンジンは、高回転と高い全開率が要求されるモンツァでホンダ独特のエキゾーストノートを高らかに奏でながらストレートを駆け抜け、ジャーナリスト達はこれをホンダミュージックと名付けて伝えた。

[編集] スペック

[編集] シャーシ

[編集] エンジン

  • エンジン名 RA271E
  • 気筒数・角度 V型12気筒・60度
  • ボア × ストローク 58.1 mm × 47 mm
  • 排気量 1,495 cc
  • 冷却方式 水冷
  • バルブ形式 DOHC 4バルブ
  • 燃料供給装置 12連京浜気化器/ホンダ製吸入管連続噴射式
  • 燃料・潤滑油 BP
  • 最高回転数 11,500 rpm
  • 最大馬力 220 PS

[編集] 特徴

RA271の特徴としては、モノコックボディと、エンジンをシャシーの構造部材の一つとして使うストレスマウントという、当時のレーシングカーとしては最先端の技術を採用していることが挙げられる。

ストレスマウントに関しては、エンジンレイアウトがV12エンジンを横置きで使用するという独特のものとなった関係で、リアサスペンションをマウントするためのフレームを置くスペースが取れなくなってしまったため、シャシーデザイナーの佐野彰一が苦肉の策で採用したものだった[1]。当時はまだF1でもパイプフレームもしくはモノコックの中にエンジンを収めるのが一般的であったため、ストレスマウントを採用したRA271は驚きをもって迎えられた。

またモノコックボディを採用したのは主にシャシーの軽量化が目的であったが、当時の日本ではまだ薄板の加工技術が未発達で、佐野が入手できたのは最薄で1.6ミリ厚の鉄板がやっとだった[2]。エンジンもかなり大型のものとなったため、緒戦のドイツGPの時点で車重は約525kgと、当時のレギュレーション上の最低重量である450kgを大幅にオーバーしていた[3]。エンジンのRA271Eは約220馬力と、他のチームのエンジンより20~30馬力ほど多い馬力を発揮していたが、せっかくのエンジンパワーも車重と相殺され、ほとんどその効果を発揮できなかった。

エンジンに関しても、RA271Eは当時のオートバイのエンジン同様にエンジン本体とギアボックスが一体化した構造を採用していた。これはエンジンが横置きとなった関係で、一体型でないと左右の重量バランスが取れず運転性に問題が生じると考えられたためだったが[4]、実戦ではギアレシオを変更するたびにいちいちエンジンを下ろさねばならず、しかも前述の通りエンジンにはリアサスペンションがマウントされていたためその度にサスペンションも再調整が必要となり、整備性は著しく悪いものとなった[5]

イタリアGP以降は、前述したように低圧燃料噴射装置を搭載し一応は安定したエンジン性能を発揮できるようになったが[6]、それに伴いエンジンからの発熱量が増加したため、今度はシャシー側の冷却性能不足が表面化した。監督の中村らは現地でオイルクーラーの増設などによりこれを乗り切ろうとしたが、本田宗一郎の意向で冷却系を含む配管は全て金属製となっていたため、現地でこれを加工し配管を変更するのは非常に難しく、結局中村らは増設を断念。このためイタリアGP・アメリカGPの残り2戦で、バックナムはいずれもオーバーヒートによりリタイアした。根本的な冷却系の性能改善は翌年のRA272まで待つこととなる。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 「F1地上の夢」(海老沢泰久著、朝日新聞社1992年)p.69
  2. ^ 「F1地上の夢」p.78
  3. ^ 「F1地上の夢」p.93。ちなみに他チームの車は概ね460~470kg前後が多かったという。
  4. ^ 「F1地上の夢」p.50
  5. ^ 「F1地上の夢」pp.104 - 105
  6. ^ しかし「F1地上の夢」pp.112 - 113によれば、低回転時にエンジンのもたつきが出るなど、性能面では他社の同種の装置に比べると劣っていたという。

[編集] 参考

  • 「HONDA F1 '64-68グランプリレース出場の記録」別冊auto technic 1978

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月13日 (月) 08:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ホンダ・RA271】変更履歴

ご利用上の注意