ホンダ・TL

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ホンダ・TL(ティーエル)は本田技研工業が製造・販売していた、トライアル用のオフロードバイクである。

トライアル車は車重が性能に直結するためすべて軽量の単気筒エンジンが搭載されている。本稿では関連して後継車種のTLR、TLM及び競技用のRS-T、RTLについても述べる。

目次

[編集] バイアルス

[編集] TL125

1973年に発売された国産初のトライアル用に設計された市販車。これは「トライアルの神様」と呼ばれたイギリスのサミー・ミラーが開発に携わっており、搭載した4ストロークOHCエンジンはCB/SL系に採用されていたもので、その特性から初心者でも扱いやすく、入門用マシンとして愛され、国内に一気にトライアル熱が高まる。1979年まで発売された。

なお、このシリーズには「バイアルス」という愛称が付けられていた。当時はまだトライアルという競技が一般的でなかったため、バイクを強調した「バイク・トライアルス」を略した造語であった。

[編集] TL250

1973年12月、ヤマハイギリスの天才ライダー、ミック・アンドリュース(ニックネームは「トライアルの魔術師」)の協力を得てトライアル用の市販車TY250Jを発売する。ホンダはこれに対抗するため125ccより高い戦闘力を持つTL250を1975年に発売する。4ストロークエンジンは扱いやすく、2ストロークのTYよりも車重的に不利にもかかわらず高い評価を得た。

なお、国内4大メーカーの他2社におけるトライアル車の開発については、スズキはイギリスのビーミッシュと共同でRL250を開発したが他排気量への展開は見られず、カワサキはワークスレーサーのKTとその技術による市販車(競技専用車)250TXのみを発表している。

[編集] TL50

1976年に発売。非力のため競技用ではないが、クラス内でも軽量の車体はTY50とともに入門用として評価された。

[編集] イーハトーヴ

1977年、万澤安央、成田省造らが中心となって岩手県イーハトーブ・トライアルの開催が始まったが、TL125は1979年に生産終了してしまう。しかし年々の競技熱の高まりを受けてTL125が1981年から再生産されることとなった。

愛称は競技の名を冠して「イーハトーブ」に改められている。スペックは基本的には変わらないが、点火系がCDIに変更され、サスペンションもフロントにセミエアサスが、リアには倒立サスが採用されるなど熟成が進んでいる。

またこの頃、バイクブームによりニーズが拡がりを見せる中、トレッキングバイクというカテゴリーが生まれ、「デュアルパーパスほど激しい性能を求めない」オフロードバイクが求められ、トライアルをやらないユーザーも増えている。

[編集] RS-T

TLシリーズの生産中止後もホンダのトライアルへの挑戦は続けられ、ワークスレーサーのRS-Tが世界大会への参加を続けた。外国車やヤマハが採用している2ストロークエンジンと互角のパワー・トルクを得るため、他社より大きい排気量のモデルも製作された。

1980年には服部聖輝のRS250Tが初得点している。また山本昌也の乗るRTL250は1984年には世界初挑戦で6位(年間総合は21位)の成績を残している。

さらに、1982年~1984年には「天才少年」の異名をとったエディ・ルジャーン(当時20歳)がRS360Tで総合優勝し(しかも4ストロークによる初の総合優勝)、ホンダのトライアル第1期黄金時代を築く。

[編集] TLR

[編集] TLR200

RSの優勝を受け、技術のフィードバックを行った新型市販車の開発がおこなわれることになった。バイアルス時代から一新された本格的なフレームに、当時発売されていたXL200Rをベースとしたエンジンが搭載され、1983年に発表された。

渇望されていた新型の登場に人気が爆発、「国内の競技会がワンメークレース化した」と揶揄されるほどであった。

[編集] TL125

1983年、200と同時開発された125は、歴代TLで唯一リアキャリアとタンデムステップが標準装備されたモデルであった。(但し、他のトレール車などと比べると現実的にはシートが小さいため、2人乗りはかなり厳しい)

リアキャリアに取り付け可能なピリオンシートがパーツリストに掲載されているが、現在でも入手可能かは不明。仮に入手可能でリアキャリアに取り付けても、キャリアの積載可能重量と位置(リアアスクルの略真上)の為実用性は乏しいと思われる。

なお、200ccと共通フレームをもつため「TLR125」と紹介されることがあるが、正式名称はあくまで「TL125」である。 TLR200が2ストロークのTLM200に変更された85年以後も4ストロークのままで生産されていた。

[編集] TLM50

200/125と共通デザインで開発された原付モデル。MT50/MB50/MC50に搭載されていた2ストロークエンジンを搭載し、軽量ゆえの入門機として扱われた。

[編集] TLR250R

TLR200が2ストロークのTLMに切り替えられた(後述)後も4ストロークのトライアル車の開発は続けられ、1986年、ダイヤモンドフレームに250ccのエンジンを搭載し、リアサスペンションにプロリンクを採用したTLR250Rが発表された。出力は高くなったものの、既に発売されていたTLM200Rに比べ7kgも重く、販売数は伸びなかった。

[編集] TLR260

1994年発売 HRC初の2サイクル水冷エンジン搭載 倒立式フロントサスペンション、アルミツインチューブフレーム採用

[編集] TLM

[編集] TLM200R

性能のさらなる追究から軽量化を目指した結果、ついにホンダも2ストローク(ピストンリードバルブ)単気筒エンジンを搭載することとなる。1985年に発表されたTLM200RはTLR200のスリムなフォルムにプロリンクサスを搭載したモデルであった。

[編集] TLM220R

1988年、排気量を変更し220ccとなった。クラッチ容量の増大や前輪ディスクブレーキの採用などより現実的に戦闘能力が向上された。3回のグラフィック変更ののち1994年の生産終了により、ホンダの公道走行可能なトライアル車はすべて生産終了となる。

[編集] TLM240

TLMが競技専用に使用されることが多かったことから、1989年に排気量を240ccにアップするとともに、保安部品を廃した競技専用モデルがHRCから発売された。

[編集] TLM260

1990年にはさらに排気量が拡大され、260ccとなった。 1990年1991年には成田匠が世界選手権で成績を残している。

[編集] RTL

[編集] RTL250S

1985年発売 コンペマシンとしてホンダ初のモノショックマシン

[編集] RTL250R

90年代後半になると、ホンダとヤマハはフレームの開発から撤退し、ヨーロッパのフレームメーカーにエンジンを供給するようになる。

ホンダはスペインのモンテッサが開発したフレームに、自社の水冷2ストロークエンジンを搭載したモンテッサ・ホンダRTL250Rを1996年に発表する。

この車両の戦闘力は高く、マルク・コロメが1996年に、またドギー・ランプキン2000年から2003年まで世界選手権を制するとともに、2004年には藤波貴久が日本人初の総合優勝を果たし、ホンダのトライアルにおける第2期黄金時代を築く。

余談であるが、2004年にはホンダの社内コンテストで、朝霞研究所の社員によってRTLのフレームにバッテリーとモーターを積んだ電動トライアル車が製作されている。

[編集] RTL250F

オートバイレースにおいても環境負荷の高い2ストロークエンジンが4ストロークに切り替えられることになり、2005年の途中に水冷4ストロークDOHCエンジンを搭載したRTL250Fが発表される。

[編集] モンテッサCOTA-4T

RTLはホンダの競技用車販売部門であるHRCから供給されている、保安部品のない競技専用モデルである。

ただし、モンテッサから同じ車体にライトやスピードメーターなどの保安部品を装着したCOTA-4Tが発売されており、公道を走行するツーリングトライアルなどに使用されている。

[編集] RTL260F

2008年からは排気量が拡大され、RTL260Fとなった。なお、公道モデルのCOTA-4Tは引き続き250cc。


[編集] 外部リンク

ホンダ広報資料

最終更新 2009年9月28日 (月) 02:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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