ボストン・レッドソックス
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| ボストン・レッドソックス Boston Red Sox |
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| 創設: 1901年 | |
| 所属リーグ | |
| 歴代チーム名 | |
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| 歴代本拠地 | |
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| 収容人員: 38,805人 | |
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| 永久欠番 | |
| 1, 4, 6, 8, 9, 14, 27, 42 | |
| 獲得タイトル(獲得年) | |
| ワールドシリーズ優勝 (7回) | 1903 • 1912 • 1915 • 1916 1918 • 2004 • 2007 |
| リーグ優勝 (12回) | 1903 • 1904 • 1912 • 1915 1916 • 1918 • 1946 • 1967 1975 • 1986 • 2004 • 2007 |
| 地区優勝 (6回) | 1975 • 1986 • 1988 • 1990 1995 • 2007 |
| ワイルドカード (6回) | 1998 • 1999 • 2003 • 2004 2005 • 2008 • 2009 |
| 球団組織 | |
| オーナー: ジョン・ヘンリー | |
| GM: セオ・エプスタイン | |
| 監督: テリー・フランコーナ | |
ボストン・レッドソックス(Boston Red Sox、略称:BOS)は、アメリカメジャーリーグ、アメリカンリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地はマサチューセッツ州ボストン市にあるフェンウェイ・パーク。
目次 |
[編集] 概要
シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照
ユニフォームカラーは紺、赤、グレーで、ロゴデザインは2つの赤い靴下である。ワールドシリーズで7回の優勝、アメリカンリーグで12回の優勝を誇る。典型的なビッグボール派のチームで、伝統的に長打力を前面に押し出した野球を志向する。
ア・リーグ屈指の名門チームだが、ベーブ・ルースに呪いをかけられたようだとして、いつしかベーブ・ルースの愛称「バンビーノ」から「バンビーノの呪い」(w:Curse of the Bambino)と呼ばれるようになった。86年もの長きに及んだこの「呪い」も2004年のワールドシリーズ制覇により解かれることとなった。2005年シーズン開幕戦、ヤンキースタジアムで「バンビーノの呪いは解けたのではなく、86年に一度しか優勝できなくなるものだ」と皮肉り、ヤンキースファンによって“2004+86=2090”(次の優勝は2090年以後だ)と書かれたプラカードが見受けられた。しかし、3年後の2007年にナ・リーグ優勝チームのコロラド・ロッキーズと対戦し、4連勝でワールドシリーズを制覇したことから、「バンビーノの呪い」が完全にとかれた事を証明する形となった。対するボストンはヤンキースが球界最高年俸のアレックス・ロドリゲスを擁してワールドシリーズを全く制覇できないことから「Aロッドの呪い」として揶揄する。
全米一熱狂的なファンをもつといわれ、同地区のニューヨーク・ヤンキースとは深い因縁がある。ベーブ・ルースの移籍以来、ア・リーグの盟主として君臨するヤンキースに対して、レッドソックスファンは強い敵愾心を持っている。2003年にラリー・ルキーノ球団社長がヤンキースを「悪の帝国」と呼んだことは有名であり、それ以来ファンの間ではその呼称が使われるようになった。
本拠地のフェンウェイパークは現在メジャーで使用されている球場では最も古い歴史をもつ。市街地の中心に建設されたため、球場自体はそれほど広くなく観客席も少ない。そのためレッドソックスの人気とあいまってチケットは入手困難な状況が続いており、特にヤンキース戦といった人気カードではプラチナチケットと化す。
[編集] 球団の歴史
[編集] 球団発足
1893年、ウエスタンリーグ(Western League)の球団としてオハイオ州トレド市に誕生。1900年にアメリカンリーグが発足すると、当初の予定では本拠地をバッファローに置く予定だったが、結局ボストンに本拠地を置くこととなった。
愛称は1901年の球団創立当初はアメリカンズ、1902年からの2年がソマーセッツ、1904年からの3年間がピルグリムスと変わったとされ、他にもピューリタンズやプリモスロックスなどの愛称があったとされるが、これらの議論には意味が無い。実際には1901年からの7シーズンは単にホームタウンのボストン、もしくはナショナルリーグの「ボストン・ビーンイーターズ」(現アトランタ・ブレーブス)に対し、「アメリカンリーグのボストン」を示すボストン・アメリカンズで通っており、その他の愛称はその時々で書き手が自由につけたものだからである。1908年のシーズンから現在のレッドソックスが正式な愛称となった。
1901年、リーグ加盟と同時にセントルイス・カージナルスからサイ・ヤングを獲得。サイ・ヤングや選手兼監督のジミー・コリンズを中心に1903年には91勝47敗という成績でリーグ初優勝を遂げた。この年には第1回となるワールドシリーズが開催され、ピッツバーグ・パイレーツと対戦、5勝3敗で初代ワールドチャンピオンに輝く。翌1904年もリーグ優勝を果たすが、対戦相手であるはずだったニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)が対戦を拒否し、ワールドシリーズは開催されなかった。
1912年にはフェンウェイ・パークが開場。[1]この頃のレッドソックスでは、スライディング・キャッチを得意としたハリー・フーパー、抜群の打球の読みで極端な前進守備をひき、いくつもの「センターゴロ」を捌いたというトリス・スピーカー、当時レフト後方にあった10フィート(約3メートル)の高さの土手を自由に上り下りしたというダフィー・ルイスの3人からなる、『100万ドルの外野陣』が知られていた。ニューヨーク・ジャイアンツとの対戦となったワールドシリーズでは、4勝3敗1分という僅差でこれを下し、2度目のワールドチャンピオンに輝く。
1914年にはベーブ・ルースを獲得。ルースは1915年に投手として18勝、打っては打率.314、4本塁打という活躍でチームのワールドシリーズ制覇に貢献。翌年も変わらぬ活躍で23勝、防御率1.75で最優秀防御率を獲得し、チームも2年連続でワールドシリーズ制覇を成し遂げる。1917年はシカゴ・ホワイトソックスにリーグ優勝を奪われるが、1918年に5度目のワールドシリーズ制覇を果たす。ベーブ・ルースもこの頃から打者にも専念するようになり、この年には11本塁打、翌1919年にはそれまでの本塁打記録を大幅に塗り替える29本塁打を放ち、本塁打王に輝いている。
[編集] バンビーノの呪い
1920年1月3日、当時経営難にあえいでいたレッドソックスは、12万5千ドルの金銭と30万ドル以上の負債の肩代わりをすることを条件に、ベーブ・ルースをニューヨーク・ヤンキースにトレードした。当時のヤンキースは最下位が定位置の弱小球団だったが、彼のヤンキース移籍を期にヤンキースの成績が伸び始め、ベーブ・ルースが在籍した1920年代から1930年代にかけて8回のワールドシリーズ優勝、11回のリーグ優勝を成し遂げた。そしてそれに反比例するかのようにレッドソックスの成績は伸び悩み、1925年から6年連続最下位を記録するなど、優勝から大きく遠のいたシーズンが続いた。
1933年、トム・ヨーキーが球団を買収しオーナーとなると、ヨーキーは球団の建て直しに着手し、かつての名内野手だったエディ・コリンズをゼネラルマネージャーとして招聘する。ヨーキーがオーナーとなって以降、レッドソックスはリック・フェレル、レフティ・グローブ、ジミー・フォックスらの有力選手を獲得、一方のコリンズはボビー・ドーアやテッド・ウィリアムズを発掘するなど、チームは徐々に力をつけていく。そしてついに1946年、チームは約30年ぶりのリーグ優勝を飾るまでに再建される。
それ以降、1940年代から1950年代には「打撃の神様」、「最後の4割打者」・テッド・ウィリアムズ、1960年代から1980年代には「最後の三冠王」・カール・ヤストレムスキーといった球史に名を残す大選手が在籍し、ワールドシリーズにも4回(1946年、1967年、1975年、1986年)進出する強豪となった。しかしレッドソックスは、何故かあと一歩のところで優勝に手が届かないという悲劇を繰り返すこととなる。1946年のワールドシリーズは第7戦で敗退、1948年には最終戦でクリーブランド・インディアンズとワンゲーム・プレーオフを行うが、敗れてしまい優勝はならなかった。
1959年に球団初の黒人選手パンプシー・グリーンがメジャーデビューを果たした。しかし、メジャーの球団の中で最も遅かった。黒人選手の獲得には及び腰で、1945年4月16日にニグロリーガー(ジャッキー・ロビンソン、マービン・ウィリアムズ、サム・ジェスロー)入団テストを受けたが、契約の意思はなかった。1949年にウィリー・メイズの獲得の機会があったが、これを逃している[2]。
1967年、1975年のワールドシリーズも7回戦で敗退、1978年は一時2位ヤンキースに14ゲームもの大差をつけたが、故障者続出等で9月の直接対決4連戦に全敗したことも響いて、シーズン最終日に追いつかれ、ワンゲーム・プレーオフに敗れて地区優勝を逃してしまった。
1984年に「ロケット」・ロジャー・クレメンスがメジャーデビューを果たし、1986年4月29日にメジャー新記録となる1試合20奪三振を達成した。この年クレメンスはサイヤング賞とMVPを同時受賞し、11年ぶりにリーグ優勝となり、ニューヨーク・メッツとのシリーズでは、3勝2敗で迎えた第6戦を延長10回に2点リードのままランナーなしであと1アウトで優勝という場面まで来たものの、3連打と暴投で同点に追いつかれ、さらにビル・バックナー一塁手の「史上最悪のトンネル」とも呼ばれるエラーでまさかのサヨナラ負けを喫してしまう。第7戦も逆転負けで、手に届くところまで来ていたワールドチャンピオンを逃してしまった。
その後1988年、1990年、1995年に地区優勝を果たしたが、ワールドシリーズに進出できなかった。
[編集] 2004年:呪いが解けた年
2002年にセオ・エプスタインが史上最年少となる28歳でGMに就任し、2003年のアメリカンリーグチャンピオンシップ敗退後、積極的な戦力補強を進めた。ヤンキースとのチャンピオンシップ第7戦における継投ミスを問われ、グレイディ・リトル監督が解雇され、元フィラデルフィア・フィリーズ監督のテリー・フランコーナ監督が就任する。アリゾナ・ダイヤモンドバックスからトレードでカート・シリング投手を獲得し、フリーエージェントでオークランド・アスレチックスのクローザーだったキース・フォーク投手を獲得する。また、マニー・ラミレス外野手を放出し、テキサス・レンジャースのアレックス・ロドリゲス遊撃手を獲得する計画も進んでいたが、このトレードは選手会の反発を受け、不成立に終わる。(その後ヤンキースがロドリゲスをアルフォンソ・ソリアーノ二塁手らとの交換で獲得した。)
ペナントレースは4月はヤンキースとの直接対決を6勝1敗で乗り切り、アリーグ東地区を4ゲーム差をつけて首位に立つ。しかしその後チーム全体が低調となり、7月末の時点でヤンキースに10ゲーム差をつけられていた。7月末に長年チームの顔であったが、シーズン後にFAによってチームを去ることを確実視されていたノマー・ガルシアパーラ遊撃手をシカゴ・カブスに放出し、モントリオール・エクスポズからオーランド・カブレラ遊撃手、ミネソタ・ツインズからダグ・ミントケイビッチ一塁手、ロサンゼルス・ドジャースからデーブ・ロバーツ外野手らを獲得する。人気者のガルシアパーラを放出したことに非難が集中したが、のちにこれらの選手が重要な役割を果たすことになる。 8月に入るとチームは投打がかみ合い好調を維持する。結果8月は21勝7敗の好成績をあげ首位ヤンキースとのゲーム差を縮めることとなった。9月に入ってもヤンキースに追いつくことはなかったが、アメリカンリーグのワイルドカードを獲得する。
ディビジョンシリーズではアナハイム・エンジェルスを3連勝でくだし、チャンピオンシップは前年と同じヤンキースとレッドソックスの組み合わせとなる。カート・シリングが先発した第1戦を落とし、その上にシリングは足首の腱を断裂する怪我のため降板し、もはやシリングの再登板が絶望的となる。第2戦はペドロ・マルティネスが先発するが、1-3で2連敗を喫する。第3戦も落とし、0勝3敗と追い詰められる。しかし第4戦、9回裏に3-4と負けていながら、代走のデーブ・ロバーツの盗塁をきっかけとしてヤンキースの守護神であるマリアノ・リベラからビル・ミラーが同点打を放ち、延長戦の末にデビッド・オルティーズのサヨナラHRでヤンキースを降す。第5戦も8回裏にリベラからジェイソン・バリテックの犠牲フライで同点に追いつくと、延長14回にまたもデビッド・オルティーズがサヨナラ安打。第6戦では負傷したかかとを応急手術で縫い合わせたカート・シリングが復帰し、「レッドソックス」の名前通り靴下を血で赤く染めながらのピッチングでヤンキース打線を封じ、最終的にレッドソックスは、(100年以上歴史ある)メジャーリーグで史上初となる3連敗4連勝の大逆転を達成する。なお、北米のプロスポーツ史上で3連敗4連勝は1942年のトロント・メープルリーフスと1975年のニューヨーク・アイランダーズの2回のみである。プレーオフ後、ヤンキースの監督であるジョー・トーリは、「第5戦の6回2死満塁の場面で守備がそれほど評価されていない選手(トロット・ニクソン)に好捕されたのがシリーズ(敗退)のポイントだった」と振り返った。
この年のワールドシリーズではセントルイス・カージナルスと対戦。緻密な野球を標榜するカージナルスと、細かい野球が苦手な自分たちを『イディオッツ(idiots)』と呼んでいたレッドソックスとの好対照の顔合わせだったが、結果は4勝0敗でレッドソックスが1918年以来のシリーズ制覇を達成した。なおポストシーズン8連勝はメジャー史上初、4勝0敗でのシリーズ制覇は球団史上初であった。
[編集] そして、黄金時代へ
その後ヤンキースタジアムで開幕を迎えた2005年はヤンキースやオリオールズと優勝争いを繰り広げた。オリオールズはオールスター明け後脱落(最終的には負け越しの4位に終わった。)、ヤンキースとの争いに絞られたが、終盤に追いつかれてしまい、勝率は同じだったが、前年2位だったためにワイルドカード扱いとなる。プレーオフはシカゴ・ホワイトソックスの前に敗退した。2006年も前半は貯金20で折り返したが、その後は失速、8月上旬にヤンキースに首位を奪われると、同月18日からの本拠地での直接対決5連戦に全敗して脱落し、終盤にはトロント・ブルージェイズにも抜かれて11ゲーム差の3位だった。オフにはポスティングシステムを利用して、松坂大輔投手に対して5,111万1,111ドル11セントを提示(かつてレッドソックスにも在籍した大投手サイ・ヤングの通算勝利数511にちなむ)。独占交渉権を獲得し、松坂の入団が決まった。
2007年は、シーズン当初から独走し、一時は同地区との差を10ゲーム以上引き離していた。その背景には、 ジョナサン・パペルボンやこの年の新人王を受賞するダスティン・ペドロイアなどの生え抜きが台頭してきたことや長年の懸念材料であったブルペンが岡島秀樹の獲得やマニー・デルカーメンなどの活躍によってメジャー屈指のブルペンになったこと、マイク・ローウェルやケビン・ユーキリスなど守備も強化されたことが挙げられる。また、クレイ・バックホルツがデビュー2戦目でノーヒットノーランを達成したという明るい話題もあった。その結果、ニューヨーク・ヤンキースの地区10連覇を阻止し、チームとしても12年ぶりの地区優勝を成し遂げ、メジャー最高勝率も記録した。ポストシーズンも勝負強さを発揮し、3年ぶりのワールドシリーズ制覇を成し遂げた。
[編集] ヤンキースとレッドソックス
日本の巨人と阪神のように、レッドソックスとヤンキースは長年のライバル関係にあり、数々の名勝負が繰り広げられてきた。
- 1904年、アメリカンズ(当時のレッドソックスの名称)とハイランダーズ(当時のヤンキースの名称)によるシーズン最終戦で、ハイランダーズのジャック・チェスブロ投手がサヨナラ暴投し、アメリカンズがリーグ連覇を成し遂げた。
- 1949年のシーズン最終戦でヤンキースと同率首位決戦を行った末、ヤンキースに敗退、リーグ優勝を奪われた。ヤンキースはその後ドジャースを下し、見事ワールドチャンピオンに輝いている。
- 1978年、レッドソックスが首位を独走していたが、2位ヤンキースが終盤に猛追。最終的に同率首位となり、1ゲームプレーオフを実施。試合はバッキー・デントの本塁打によってヤンキースが逆転勝利し、ヤンキースが優勝。最大14ゲーム差をひっくり返されることとなった。
- 2003年のシーズンは地区優勝争いでヤンキースに敗れたが、ワイルドカードで見事プレーオフに進出した。しかし、アメリカンリーグ優勝決定戦で、またしてもヤンキースに激戦の末敗退した。
- 2004年も、前年同様に地区優勝争いでヤンキースに敗れ、ワイルドカードでプレーオフに進出した。リーグ優勝決定戦で、ヤンキースに3連敗しながら4連勝する大激戦を演じてリーグ優勝を決めた。その後、ワールドシリーズでもセントルイス・カージナルスに圧倒的な勢いで4連勝し、1918年以来86年ぶりのワールドシリーズ優勝を果たした。
どちらのチームもメジャー屈指の人気を誇り、贅潤な資金で数々のスター選手を揃える。2007年シーズンのヤンキースとレッドソックスの年俸総額はそれぞれ2億770万ドルと1億6,310万ドルで、メジャー1位と2位である。コミッショナーに収めるぜいたく税(課徴金)はヤンキースが2,388万ドル、レッドソックスが606万ドルにのぼる[3]。
日本ではヤンキースが最も人気のあるチームと報道されることが多い。確かに観客動員数ではヤンキースが上回っているが、それはヤンキースの本拠地ヤンキー・スタジアムの収容人数57,545人に対して、レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークは38,805人しか収容できないためである(客席を増やすための改築が現在進行中)。フェンウェイ・パークは入場券の平均価格が2006年春現在、46.46ドル(約5,500円)と9年連続30球団最高であるにもかかわらず456試合連続満員札止め状態(2008年9月8日時点、2003年5月15日から完売が続いている)[4][5]が続き、またビジターゲームでの観客動員はレッドソックスが1位である。そのため、アメリカではメジャーで最も人気のある球団はレッドソックスだといわれている。ファンは全米一熱狂的といわれ、2004年のワールドシリーズでは、女子学生が死亡するという事態にまで発展した。
ベーブ・ルースの移籍以来、両チーム間の選手の移籍も禁忌とされ、特にレッドソックスからヤンキースへの移籍はファンから激しい非難を受ける。近年ではジョニー・デイモンがヤンキースに移籍した際には、フェンウェイパークで激しいブーイングを浴びた(他にはウェイド・ボッグス、ブルージェイズを経由したロジャー・クレメンスなど)。また両チームとも資金豊富なことから、選手の争奪戦も激しいものがある。「悪の帝国」発言の発端となったホセ・コントレラスや松坂大輔のように、毎年選手の争奪戦が繰り広げられる。
[編集] 主な選手
[編集] 現役選手
[編集] 殿堂表彰者
[編集] 選手
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[編集] 球団経営者他
- トム・ヨーキー (Tom Yawkey)
[編集] 永久欠番
レッドソックスには永久欠番に関する規定が存在する。
- レッドソックスに10年以上在籍
以前は、「レッドソックスでキャリアを終える」という条件も存在していたが、2000年、シカゴ・ホワイトソックスでキャリアを終えたカールトン・フィスクの背番号27番が永久欠番に制定され、なくなった。[6]
また、「アメリカ野球殿堂入り」という条件も存在していたが、2008年、殿堂入りしていないジョニー・ペスキーの背番号6番が永久欠番に制定され、なくなった。
- 1 ボビー・ドーア (Bobby Doerr)
- 4 ジョー・クローニン (Joe Cronin)
- 6 ジョニー・ペスキー (Johnny Pesky)
- 8 カール・ヤストレムスキー (Carl Yastrzemski)
- 9 テッド・ウィリアムズ (Ted Williams)
- 14 ジム・ライス (Jim Rice)
- 27 カールトン・フィスク (Carlton Fisk)
- 42 ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson)
[編集] キャプテン
- ジミー・コリンズ(1901-1905)
- チック・スタール(1906)
- ボブ・アングローブ(1907)
- ディーコン・マグワイア(1908)
- ドク・ゲスラー(1909)
- ロード・ハリー(1910)
- ヘイニー・ワグナー(1911,1913-1914)
- ジェイク・スタール(1912)
- ジャック・バリー(1915-1917)
- ディック・ホビットゼル(1918)
- ハリー・フーパー(1919-1920)
- エベレット・スコット(1921)
- デル・プラット(1922)
- ジョージ・バーンズ(1923)
- マイク・メノスキー(1923)
- ジミー・フォックス(1940-42)
- カール・ヤストレムスキー(1966,1969-1983)
- ジム・ライス(1985-1989)
- ジェイソン・バリテック(2005-2008)
[編集] 傘下マイナーチーム
| クラス | チーム | 参加リーグ |
|---|---|---|
| AAA | ポータケット・レッドソックス(Pawtucket Red Sox) | インターナショナルリーグ(International League) |
| AA | ポートランド・シードッグス(Portland Sea Dogs) | イースタンリーグ(Eastern League) |
| A+ | セイラム・レッドソックス(Salem Red Sox) | カロライナリーグ(Carolina League) |
| A | グリーンビル・ドライブ(Greenville Drive) | サウス・アトランティックリーグ(South Atlantic League) |
| A- | ローウェル・スピナーズ(Lowell Spinners) | ニューヨーク・ペンリーグ(New York-Penn League) |
| Rookie | ガルフ・コーストリーグ・レッドソックス(Gulf Coast League Red Sox) | ガルフ・コーストリーグ(Gulf Coast League) |
| ドミニカン・サマーリーグ・レッドソックス(Dominican Summer League Red Sox) | ドミニカン・サマーリーグ(Dominican Summer League) |
- ポートランド・シードッグス のホーム球場であるハドロック・フィールドは、レッドソックスのホーム球場であるフェンウェイ・パークと造りが似ている。レフトには、フェンウェイ・パークの「グリーンモンスター」と全く同じ高さの約11.3メートルの「メーンモンスター」がある。
[編集] 公式応援歌
- ドロップキック・マーフィーズがチームの公式応援歌「Tessie」を歌っている。ホームでレッドソックスが勝つと試合後に曲が流れる。
[編集] 脚注
- ^ 当時は名物であるグリーンモンスターは存在しなかった。1936年に設置され、1947年に緑色に塗られようになった
- ^ 「歴史が動いた日-1947年7月5日 ア・リーグ初の黒人選手、ドビーがメジャーデビュー」『月刊スラッガー』2008年1月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-1、92-94頁。
- ^ スポーツビジネス from NY 『ヤンキースとレッドソックスに“ぜいたく税”』 鈴木友也
- ^ レッドソックス本拠地、455試合連続完売 メジャー記録に並ぶ 米大リーグ
- ^ レッドソックス主催試合が連続完売 足掛け6年、メジャー記録を更新
- ^ レッドソックス公式ページ
[編集] 外部リンク
- en:Wikipedia:WikiProject Boston Red Sox (英語版)
- Boston Red Sox(英語版)
- 歴代チームキャプテン(英語版)
- チームの通算成績と情報 MLB, or ESPN, or Baseball-Reference , or The Baseball Cube
- モナヴィー(MONA・VIE)レッドソックス公式サプリメント・ドリンク[要出典]
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最終更新 2009年10月26日 (月) 11:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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