ボプタツワナ

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ボプタツワナ共和国
Republic of Bophuthatswana
1972 - 1994
ボプタツワナの国旗
国旗
ボプタツワナの位置
ボプタツワナの位置
公用語 ツワナ語
首都 ムマバソ
大統領
1977年 - 1994年 ルーカス・マンゴーペ
面積
約40,000km²
変遷
自治政府設置 1972年6月1日
独立 1976年12月6日
南アフリカへの併合 1994年4月27日
通貨 ランド
時間帯 UTC +2 (DST: なし)
南部アフリカにおけるボプタツワナの位置

ボプタツワナ英語: Bophuthatswana)は、南アフリカ共和国北西部にかつて存在したバントゥースタン

目次

[編集] 概要

首都はボツワナとの国境地帯に面した地区のムマバトとされた。(ムマバトは現在、マフェキングの郊外となっている)。ツワナ人を収容するバントゥースタンで、国土は分断されていたが、プラチナなどの鉱山があり、またサンシティが建設され、南アフリカの白人たちが「不道徳」なギャンブルストリップなどを楽しむレジャーランドともなっていたため、バントゥースタン中最も経済基盤はしっかりしていたが、領内から上がる税収は南アフリカ政府からの補助金の減額で相殺され、利益が住民に還元されることはなかった。

[編集] 歴史

ボプタツワナは1972年から自治区となり、1977年12月5日に「独立」した。「独立」によって人々は南アフリカ共和国国籍を剥奪された。ルーカス・マンゴーペが国家元首に指名された。1988年には内部の警護部隊によってクーデターが起こされたが、ボプタツワナと南アフリカの防衛隊によって鎮圧された。鎮圧が成功してマンゴーペは権力を回復。1990年にもクーデターが起きたが、2回目のクーデターもまた阻止された。

1993年、南アフリカ政府がホームランドの廃止と南ア国籍の回復、全人種参加の総選挙実施を表明した。マンゴーペは南アフリカ政府の方針に反発し、総選挙に向けた有権者登録作業への協力を拒否した。それに対して公務員はゼネストを展開するが、ボプタツワナ防衛軍が公務員への射撃を開始した。ルーカス・マンゴーペは徐々に強硬姿勢に転じ、独立選挙委員会委員長ジャッジ・ヨハン・クリーグラーによる「ホームランド」における自由な政治活動を求める嘆願を拒否した。混乱のなか、ボプタツワナ放送会社が放火され、2つのテレビ局と3つのラジオ局の放送が停止した。

白人至上主義団体アフリカーナー抵抗運動(AWB)はこれをアパルトヘイトを回復する機会と考えたが、3月の早い時期に屈辱を与えられることとなった。フォトジャーナリストとTV取材班のいるところで、3人のAWB制服構成員がボプタツワナ防衛軍のOntlametse Bernstein Menyatsoeによって至近距離から射殺された。民主的な改革に反対する右翼の白人至上主義団体は事実上の終わりとなった。マンゴーペは暫定政府の後任となり、同じ年の4月27日にボプタツワナは南アフリカに再統合され、これで9つのホームランドは統合された。

[編集] 地理

約40,000km²の広さであり、7つの飛び地から構成される。「国土」はかつてのケープ州、トランスヴァール州、オレンジ自由州にまたがって点在していた。

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月25日 (水) 03:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ボプタツワナ】変更履歴

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