ポタラ宮
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座標: 北緯29度39分28秒 東経91度07分01秒 / 北緯29.65778度 東経91.11694度
ポタラ宮 (チベット文字:པོ་ཏ་ལ; ワイリー方式:Po ta la) は1642年、チベット政府「ガンデンポタン」の成立後、その本拠地としてチベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に十数年をかけて建設された宮殿。標高3,700mに位置し、7世紀半ばにチベットを統一した吐蕃王朝第33代のソンツェン・ガンポがマルポリの丘に築いた宮殿の遺跡を増補、拡充するかたちで建設され、ポタン・マルボ(紅宮⇒宗教的なことを行う)、ポタン・カルボ(白宮⇒政治的なことを行う)をはじめとする様々な建物から形成されている。ポタラの名は観音菩薩の住むとされる補陀落のサンスクリット語名「ポタラカ」に由来する。
ダライ・ラマを主としていただくチベット政府「ガンデンポタン」は、1642年、グシ・ハンよりラサをはじめとするチベットの中枢地帯の寄進を受けて発足したが、その当初はダライ・ラマが座主をつとめるデプン寺の兜卒宮(ガンデンポタン)に拠点を置いていた。1660年を期してポタラ宮殿に移転、20世紀にいたるまで、この宮殿を本拠とした。ダライ・ラマ13世は、清国滅亡の後、独立宣言を発したのを機にラサの西郊に新たにノルブリンカ宮を立て、夏はノルブリンカ、冬はポタラ宮を政府の所在地として併用した。
ポタラ宮の地下には「サソリ牢」があり、罪人(そのほとんどは反抗した農奴や奴隷)が毒サソリによって殺されていた。
1950年代に勃発したチベット動乱が1959年中央チベットに波及し、同年3月、ガンデンポタンはダライ・ラマとともにインドへ脱出、ポタラ宮は主を失った。同年、「西蔵地方政府」(ガンデンポタンに対する中国政府の呼称)の廃止を宣言した中国政府はポタラ宮を接収し、現在は博物館として使用されている。 現在はポタラ宮内部は白宮はごく一部の部屋以外は原則的に非公開、紅宮は歴代ダライ・ラマの玉座や霊塔などが公開されている。屋上にも登ることができる。冬季閑散期を除き入場は見学希望日の前日に予約券を入手する必要があるが、夏季最盛期は中国人観光客が激増していることもあり、個人観光客が予約券を手に入れるためには、深夜のうちから予約券発行所に並ぶ必要があるなど、入手は困難になっている。また、外国人の場合パスポートを提示する必要がある。団体入場者は見学時間が1時間以内に制限されている。2008年1月現在入場料はチベット族が1元。漢民族などチベット族以外の民族や外国人は100元となっている。
1994年、周辺の遺跡と合わせてラサのポタラ宮の歴史的遺跡群として、ユネスコ世界遺産(文化遺産)として登録。2000年にジョカン(トゥルナン寺・大昭寺)が拡大登録。2001年にノルブリンカが拡大登録された。
[編集] 関連項目
- ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群
- 世界遺産の一覧
- トゥルナン寺(ジョカン・大昭寺)
- チベット仏教
- 観世音菩薩
最終更新 2009年11月18日 (水) 06:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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