ポルトガル
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- ポルトガル共和国
- República Portuguesa
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(国旗) 国章 - 国の標語 : なし
- 国歌 : ポルトガルの歌

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公用語 ポルトガル語、ミランダ語 首都 リスボン 最大の都市 リスボン 独立
- 宣言
- 承認レオン王国から
1128年独立
1139年王国になる
1143年レオン王国国王が承認
1179年ローマ教皇が承認通貨 ユーロ(EUR, €)
※ポルトガルのユーロ硬貨(EUR)時間帯 UTC 0(DST: +1) ccTLD PT 国際電話番号 351 - 註1: 1999年以前はエスクードが流通
註2: アソーレス諸島はUTC -1(夏時間はUTC)
ポルトガル共和国(ポルトガルきょうわこく)、通称ポルトガルは、西ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家である。北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアソーレス諸島とマデイラ諸島を領有している。首都はリスボン。
ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家であり、かつてはヨーロッパ主導の大航海時代の先駆者ともなった。そのためヨーロッパで最初に日本や中国など東アジアとの接触を持った国家でもある。
目次 |
[編集] 国名
正式名称はポルトガル語で、República Portuguesa(レプーブリカ・ポルトゥゲザ)。
公式の英語表記は、Portuguese Republic(ポーチャギーズ リパブリク)。通称、Portugal(ポーチャグル)。
日本語の表記は、ポルトガル共和国。通称ポルトガル。漢字では葡萄牙と表記され、 葡と略される。
国名の由来は、ポルトの古い呼び名であるポルトゥス・カレの訛りに由来するとされている。
[編集] 歴史
詳細は「ポルトガルの歴史」を参照
- 1139年/1143年 - ポルトガル王国成立(カスティーリャ王国の宗主下)。
- 1255年 - リスボンに遷都。
- 1290年 - コインブラ大学設立。
- 1385年 - カスティーリャ王国(スペイン)から独立。
- 1415年 - モロッコ北端の要衝セウタを攻略。以後、エンリケ航海王子(1394年-1460年)を中心とした大航海時代演出。
- 1488年 - バルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸南端の喜望峰を回り込む。
- 1490年 - アンゴラの植民地化開始。
- 1494年 - スペインとトルデシリャス条約を結び、ヨーロッパ以外の世界を分割。
- 1498年 - ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達。
- 1500年 - ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルを「発見」し、ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化が進む。1822年まで植民地支配。
- 1516年 - マデイラ諸島からブラジルにサトウキビが持ち込まれ、ブラジルの主産業が奴隷制砂糖プランテーション農業となる。
- 1543年 - ポルトガル人が日本の種子島に漂着、南蛮貿易の開始(年代については諸説あり)。
- 1557年 - 明からマカオの居留権を得る。
- 1575年 - ルアンダを建設。アンゴラの植民地化が始まる。
- 1578年 - アルカセル・キビールの戦い。セバスティアン1世が戦死する。
- 1580年 - アヴィス朝の事実上の断絶により、ハプスブルク朝スペインに併合される(スペイン帝国)。
- 1624年 - ネーデルラント連邦共和国のオランダ西インド会社がサルヴァドール・ダ・バイーアを占領。オランダによるブラジル北東部の植民地化が始まる。
- 1629年 - モザンビークを植民地化。
- 1640年 - ポルトガル王政復古戦争によりスペインから独立。ブラガンサ朝成立。
- 1646年 - ブラジルが公国に昇格し、以降ポルトガル王太子はブラジル公を名乗るようになる。
- 1654年 - オランダ人がブラジルから撤退。
- 1661年 - ハーグの和約を結び、賠償金と引き換えにブラジルとアンゴラの領有権を認められる。
- 1665年 - コンゴ王国を事実上滅ぼす。
- 1680年 - トルデシリャス条約で定められた範囲を越えてバンダ・オリエンタルにコロニア・ド・サクラメントを建設し、以降南アメリカでスペインとの戦争が続く。
- 1696年 - パルマーレスのズンビを破り、ブラジル最大の逃亡奴隷国家キロンボ・ドス・パルマーレスを滅ぼす。
- 1750年 - スペイン帝国とマドリード条約を結び、バンダ・オリエンタル(現在のウルグアイ)と引き換えに、アマゾン川流域の領有権を認められる。
- 1755年 - リスボン大地震。
- 1807年 - ナポレオン戦争により王室がブラジルに逃れる(1808年から1821年までリオ・デ・ジャネイロ市を首都とする)。
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- そのまま、半島戦争に突入。介入したイギリス軍の占領を蒙る。
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- 1815年 - ブラジルが王国に昇格し、ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国が成立。首都はリオ・デ・ジャネイロ。
- 1820年 - ポルトで革命が勃発し、占領していたイギリス軍を1820年革命で放逐。ジョアン6世がポルトガルに復帰、立憲君主制に移行。
- 1822年 - ブラジル独立戦争によりクリオーロ達がポルトガル王太子ドン・ペドロをペドロ1世皇帝に擁立してブラジル帝国が独立、ポルトガルは最大の植民地を喪失。
- 1832年 - 1834年までポルトガル内戦が続く。
- 1887年 - マカオの統治権を清より獲得。
- 1910年 - 革命で共和政に移行。
- 1926年 - クーデターにより軍事独裁政権成立。
- 1933年 - サラザール、新憲法により独裁開始。エスタド・ノヴォが始まる。
- 1961年 - インド軍がゴアのポルトガル植民地に侵攻、同植民地を喪失(併合承認は1974年)。
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- アンゴラ独立戦争が始まる。
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- 1963年 - ギニアビサウ独立戦争が始まる。
- 1964年 - モザンビーク独立戦争が始まる。
- 1974年 - カーネーション革命、ヨーロッパ史上最長の独裁政権が打倒される。
- 1975年 - アフリカ大陸南部の2大植民地、アンゴラとモザンビークをはじめ、ギニア・ビサオ、カーボ・ヴェルデ、サントメ・プリンシペなど5カ国が次々に独立。インドネシアが東ティモールに侵攻・同地を占領。マカオ以外の植民地を全面的に喪失。
- 1986年 - ヨーロッパ共同体に加盟。
- 1999年 - マカオを中華人民共和国に返還、実質上植民地を全て手放す。
- 2002年 - 名目上ポルトガルの植民地だった東ティモールが独立を果たし、名実ともに植民地が完全になくなる。
[編集] 政治
詳細は「ポルトガルの政治」を参照
大統領を元首とする立憲共和制国家であり、20世紀においては戦前からの独裁制が長く続いたが、1974年4月25日のカーネーション革命(無血革命)により、48年間の独裁体制が崩壊。 一時は主要産業の国有化など左傾化したものの、1976年4月2日に新憲法が発布された。同年4月25日に自由な選挙が行われた。社会党、人民民主党(10月、社会民主党に改称)、民主社会中央党が躍進した。1976年のソアレス政権成立から1986年のEC加盟までの10年間は、急進路線による経済のひずみを是正するための期間であった。 憲法の制定により民主主義が定着し、さらに1979年の保守中道政権樹立以降、行き過ぎた社会主義を修正している。さらに、1983年に社会党・社会民主党の連立政権樹立以降、両党を中心とする二大政党制となっている。社会党のソアレスは、1986年2月の大統領選挙でからくも勝利し、1991年1月に大差で再選された。他方、1987年と1991年10月の総選挙ではカヴァーコ・シルヴァ率いる社会民主党が過半数を制して圧勝し、ともに中道ながら左派の大統領と右派の首相が並び立つことになった。1989年6月には憲法が全面的に改正され、社会主義の理念の条項の多くが削除された。1995年10月、10年ぶりに社会党が第1党に返り咲き、翌1996年1月、社会党のジョルジェ・サンパイオが大統領に選出された。
[編集] 統治機構
政府は直接普通選挙で選出される任期5年の大統領(一回に限り再選が認められている)、議会の勢力状況を考慮して大統領が任命する首相が率いる行政府、任期4年の230人の議員で構成された一院制議会からなる立法府、及び国家最高裁判所を頂点とする司法府により構成されている。
大統領は首相の任命・解任、法律・条約への署名・拒否、議会の解散・総選挙の決定、軍最高司令官、非常事態宣言の発出等の権限を有するが、多分に名誉職的な性格が強く、ほとんどの行政権限は議会で多数得た政党から選ばれる首相が掌握している。
[編集] 最近の政治状況
- 2005年2月の総選挙により、社会党が1976年の民主化以降初めて単独過半数を獲得。同年3月社会党党首ジョゼ・ソクラテスが首相に就任。
- 2006年1月22日、大統領選挙が行われる。社会民主党アニバル・カヴァコ・シルヴァ50.6%の得票で当選。無所属で立候補した社会党マヌエル・アレグレ20.7%、社会党マリオ・ソアレス14.3%、共産党デ・ソウザ8.6%。
[編集] 国際関係
NATO、OECD、EFTAの原加盟国であり、1986年にはECに加盟した。現在はEU加盟国である。また、伝統的にイギリスとの関係が深く、現在も1373年に締結された英葡永久同盟条約が効力を保っている。また、EU以外ではブラジルやアンゴラなど旧植民地諸国と関係が深く、1996年にはポルトガル語諸国共同体を加盟国と共同で設立した。東ティモールの独立後は同国にさまざまな援助(特にポルトガル語教師の派遣)を行っている。
2004年時点でポルトガルは国内外で国際武力紛争を抱えていないが、1801年以来隣国であるスペインが実効支配しているオリベンサの領有権を主張している為、同国と対立している。
[編集] 地方行政区分
詳細はポルトガルの地域区分を参照
ポルトガルには、現在308都市4,261地区が存在する。その地域区分は、共和国憲法で定められているものと、欧州連合によるものが採用されている。
[編集] 主要都市
2000年時点の都市人口率は53%と、ヨーロッパ諸国としては例外的に低いため、大都市が少ない。多くのヨーロッパ諸国の都市人口率は70%~90%(例えば、イギリス89%、スペイン76%)である。ヨーロッパにおいて、ポルトガル以外に都市人口率が低いのは、アルバニアやセルビア、スロベニアなどのバルカン諸国である。
| 都市 | 人口 | 都市 | 人口 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | リスボン | 564,657 | 11 | ケルス | 78,040 | |||||
| 2 | ポルト | 263,131 | 12 | アヴェイロ | 55,291 | |||||
| 3 | ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア | 178,255 | 13 | ギマランイス | 52,181 | |||||
| 4 | アマドーラ | 175,872 | 14 | オディヴェラス | 50,846 | |||||
| 5 | ブラガ | 109,460 | 15 | リオ・ティント | 47,695 | |||||
| 6 | アルマーダ | 101,500 | 16 | ヴィゼウ | 47,250 | |||||
| 7 | コインブラ | 101,069 | 17 | ポンタ・デルガダ | 46,102 | |||||
| 8 | フンシャル | 100,526 | 18 | マトジーニョス | 45,703 | |||||
| 9 | セトゥーバル | 89,303 | 19 | アモーラ | 44,515 | |||||
| 10 | アグアルヴァ=カセーン | 81,845 | 20 | レイリア | 42,745 | |||||
| 2004年調査 | ||||||||||
[編集] 地理
詳細は「ポルトガルの地理」を参照
アイスランドに次いで、ヨーロッパ諸国の中で最も西に位置する。イベリア半島西端に位置し、国土は南北に長い長方形をしている。本土以外に、大西洋上のアソーレス諸島、マデイラ諸島も領土に含まれる。いずれも火山島である。アソーレス諸島は7つの主要な島からなり、首都リスボンからほぼ真西に1,500km離れている。マデイラ諸島は4つの主要な島からなり、南西に900km離れている。
ポルトガルの最高峰は、アソーレス諸島のピコ島にそびえるピコ火山 (Montanha do Pico) 。標高は2,351m。富士山などと同じ成層火山である。本土の最高地点は北部に位置するエストレーラ山脈中の標高1,991m。エストレーラとは星を意味する。
東部は山岳であり、西部に海岸平野が広がっている。ほとんどの山脈が北東から南西に向かって走っており、北部ほど海岸平野が少ない。主要河川であるテージョ川が国のほぼ中央部を東西に流れており、テージョ川を境として南北に山脈の景観が変わる。首都リスボンはテージョ川に河口部分で面し、最大の海岸平野の端に位置している。南部に向かうにつれて山脈はなだらかになり、丘陵と見分けがつかなくなっていく。ポルトには同国第二の河川であるドウロ川が流れている。このような地形であるため、規模の大きな湖沼は存在しない。全水面積を合計しても440km2にとどまる。また、沿岸部にはポルトガル海流が南西に流れている。
[編集] 気候
本土は北大西洋に面しているものの、ケッペンの気候区分では、地中海性気候 (Cs) に属する。地域差は大きく、季節の変化も著しい。大西洋岸には寒流のカナリア海流が北から南に流れており、緯度のわりに気温は低く寒暖の差が小さい。夏は涼しく、冬は降雪を含み、雨が多い。年間降水量は1,200から1,500mmである。中部の冬期は北部と似ているが、夏期の気温が上がる。年間降水量は500から700mmである。南部は典型的な地中海性気候である。そのため、夏季の雨量が少なく年間降水量は500mmを下回る。ほとんどの地域で、夏季の気温は20度を超え、冬季は10度まで下がる。
首都リスボン(北緯38度46分)の気候は、年平均気温が21℃、1月の平均気温が11.2℃、7月は22.8℃。年降水量は706mmである。冬季の雨量は100mm程度だが、夏季は数mmにとどまる。
[編集] 経済
詳細は「ポルトガルの経済」を参照
1975年に植民地を一度に失ったため、石油を中心とする原料の安価な調達ができなくなり、大量の入植者が本国に引き上げたことも重なって、経済は大混乱に陥った。
1986年のヨーロッパ共同体 (EC) 加盟以来、ポルトガル政府は金融・情報通信の分野を中心に国営企業の民営化を進め、経済構造はサービス産業型に転換しつつある。1999年1月にユーロ導入。2002年1月1日からEU共通通貨ユーロが流通している。2000年以降、GDP成長率が1%を割り始めた。一人当たり国民所得は加盟国平均の70%程度に止まる。
主要産業は農業、水産業、食品・繊維工業、観光。地中海性気候を生かし、オリーブ、小麦、ワイン、コルクの生産が盛ん。オリーブ油の生産高は世界7位。ワインの生産は第10位。第一次産業人口比率は12.6%。土地利用率は、農地 (31%) と牧場 (10.8%)。森林 (36%) も多い。また、エネルギー分野では代替エネルギーに力を入れている。電力消費の約40%は代替エネルギーでまかなわれており(2007年時点)、政府は2010年までに代替エネルギー比率を45%にする目標を掲げている[3]。また、波力発電のトップランナーを目指し研究を重ねている[3]。
鉱業資源には恵まれていないが、鉄、銅、錫、銀などを産する。特筆すべきは世界第5位のタングステン鉱であり、2002年時点で700トンを産出した。主な鉱山はパナスケイラ鉱山。食品工業、繊維工業などが盛んである。
2002年時点では輸出255億ドルに対し、輸入は383億ドルと貿易赤字が続いており、出稼ぎによる外貨獲得に頼っている。貿易形態は、自動車、機械などの加工貿易。主な輸出品目は、自動車 (16%)、電気機械 (12%)、衣類 (11%)。主な相手国は、スペイン(21%)、ドイツ(18%)、フランス(13%)。主な輸入品目は、自動車 (13%)、機械 (10%)、原油 (5%)。主な相手国は、スペイン(29%)、ドイツ(15%)、フランス(10%)。
2002年時点では、日本への輸出が1.7億ドル。主な品目は衣類(15%)、コンピュータ部品(15%)、コルク(11%)。日本が輸入するコルクの2/3はポルトガル産である。タングステンの輸入元としてはロシアについで2位。輸入が6.5億ドル。主な品目は乗用車 (20%)、トラック (10%)、自動車部品 (8%)である。
[編集] 交通
[編集] 道路
国内交通の中心は道路であり、リスボンとポルトを中心とした高速道路網が整備されている。原則として有料である(一部無料)。
主な高速道路は以下のとおり。
- A1 リスボン - ポルト
- A2 アルマダ - アルガルヴェ地方 リスボン市へはテージョ川を4月25日橋で渡る。
- A3 ポルト - スペイン・ガリシア地方国境方面
- A4 ポルト - アマランテ
- A5 リスボン - カスカイス
- A6 マラテカ - スペイン・バダホス方面国境 国境にてマドリッド方面のA-5に接続。
[編集] 鉄道
[編集] 航空機
リスボン、ポルト、ファロが主な国際空港。またこれらの空港から、マデイラ諸島やアソーレス諸島などの離島への路線も出ている。
[編集] 軍事
詳細は「ポルトガル軍」を参照
ポルトガルの軍隊は、正式にはポルトガル国軍(Forças Armadas Portuguesas、FAP)と呼ばれる。2005年時点で、ポルトガル陸軍22,400人、ポルトガル海軍14,104人、ポルトガル空軍8,900人。他に国家憲兵としてポルトガル共和国国家警備隊(Guarda Nacional Republicana、GNR)6個旅団(儀仗任務、地方警察、交通警察、税関を担当)を擁している。
2004年11月に徴兵制が廃止され、志願兵制度が導入された。
[編集] 国民
詳細は「ポルトガルの国民」を参照
ポルトガルの国民の大部分はポルトガル人である。ポルトガル人は先住民であったイベリア人に、ケルト人、ラテン人、ゲルマン人(西ゴート族、スエビ族、ブーリ族)、ユダヤ人、ムーア人(大多数はベルベル人で一部はアラブ人)が混血した民族である。
かつてポルトガルは移民送出国であり、特にサンパウロ州でのコーヒー栽培のために、奴隷に代わる労働力を欲していたブラジルには1881年から1931年までの期間にかけて実に185万人が移住した。ブラジル以外にもベネスエラ、アルゼンチン、ウルグアイなどのラテンアメリカ諸国に多数のポルトガル人が移住した。また、アンゴラやモサンビークなど、アフリカのポルトガル植民地にも多くのポルトガル人が移住した。1960年代から1970年代にかけてはフランスやスイス、ルクセンブルクなど、西ヨーロッパの先進諸国への移民が増えた。
しかし、1973年のオイル・ショックによる先進国での不況や、カーネーション革命による植民地の放棄により多くのポルトガル人が本国に帰国し、代わりにカナダ、アメリカ合衆国への移住が行われるようになった。
このように移民送出国だったポルトガルも、近年ではブラジルをはじめ、ウクライナ、ルーマニア、カーボ・ヴェルデ、アンゴラ、ロシア、ギニア・ビサウなど、旧植民地や東ヨーロッパからの移民が流入している。
[編集] 言語
言語はインド・ヨーロッパ語族ロマンス語系のポルトガル語(イベリアポルトガル語)[4]が公用語である。
1999年ブラガンサ県のミランダ・ド・ドウロで話されているミランダ語が同地域の公用語として認められた。
また、ポルトガルの北に位置するスペインのガリシア地方の言語ガリシア語はポルトガル語とは非常に近く、特にドウロ川以北のポルトガル語とは音韻的にも共通点が多い。
[編集] 宗教
宗教はローマ・カトリックが国民の97%を占める。ファティマはマリア出現の地として世界的に有名な巡礼地となった。
[編集] 教育
詳細は「ポルトガルの教育」を参照
6歳から15歳までが基礎教育(義務教育)期間であり、6歳から10歳までが初等学校(初等教育。基礎教育第一期)、10歳から11歳まで(基礎教育第二期)、12歳から15歳(基礎教育第三期)までが二期に分けられる準備学校(前期中等教育)となっている。前期中等教育を終えると15歳から18歳までが中等学校(後期中等教育。日本における高等学校に相当)であり、後期中等教育は普通コース、技術・職業教育コース、職業教育コース、芸術教育専門コースなどにコースが分かれ、中等学校を終えると高等教育への道が開ける。ポルトガルの初等教育から中等教育にかけての問題としては、留年率の高さなどが挙げられる。
主な高等教育機関としてはコインブラ大学(1290年)、ポルト大学(1911年)、リスボン大学(1911年)、リスボン工科大学(1930年)、ポルトガル・カトリカ大学(1966年)などが挙げられる。大学は1974年のカーネーション革命以降急速に新設が進み、それに伴い学生数も増加した。
2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は93.3%(男性95.5%、女性91.3%)であり[5]、ヨーロッパ諸国の中ではマルタに次いでセルビア・モンテネグロと並ぶ低さだった。なお、第一次世界大戦直前の識字率は約25%だった。
[編集] 文化
詳細は「ポルトガルの文化」を参照
ポルトガルの文化は、イベリア半島にかつて居住していたケルト人、ローマ人、イスラム教徒等の影響を受けながら、カトリックを基盤にポルトガル人によって育まれてきた。政治や経済においてポルトガルはイギリスの強い影響を受けて来たが、文化面ではイギリスの文化の影響よりもフランスの文化の影響が強い。隣国スペインと同様に闘牛の文化もある。なお、ポルトガルの文化とブラジルの文化を象徴する言葉に郷愁を表す「サウダーデ」(Saudade)という言葉がある。
[編集] 食文化
詳細は「ポルトガル料理」を参照
ポルトガル料理は魚介類を使うことが多く、鰯、鯖、鮟鱇などの多様な魚の中でも、特に干鱈(バカリャウ)がよく用いられる。穀物としては小麦、トウモロコシ、ライ麦、米が用いられ、米はヨーロッパで最多の消費量である。他には豚肉が使われる。主な料理として、フェジョアーダ(ブラジルのものとは異なる)、石のスープ、ガスパチョ、パステル・デ・ナタ、アルフェニンなどが挙げられる。
ポルトガルワイン(ポルトワイン、マデイラワイン、ヴィーニョ・ヴェルデ、ダンワイン)は古くから高い品質を保っている。
[編集] 音楽
詳細は「ポルトガル音楽」を参照
ポルトガルの音楽は、宮廷吟遊詩人や、カトリック教会の音楽の影響を受けて育まれて来た。 民族音楽としては、特にファド(Fado)が挙げられ、このファドを世界中で有名にしたアマリア・ロドリゲス(1920~1999)は今でも国内外で広く愛されているが、近年ではドゥルス・ポンテスやマリーザなど、若手の台頭も著しい。ファドにはリスボン・ファドとコインブラ・ファドがある。カーネーション革命の際には1960年代に活躍したポルトガル・フォーク歌手ジョゼ・アフォンソの反戦歌『グランドラ・ビラ・モレーナ』が用いられた。なお、日本でもCM曲として使われたことで有名になったマドレデウスの音楽はファドとは呼び難いが(アコーディオンは通常ファドでは使われない)、彼らの音楽も非常にポルトガル的であることは間違いない。
[編集] 文学
詳細は「ポルトガル文学」を参照
ポルトガル文学は12世紀末のガリシア・ポルトガル語で吟遊詩人によって詠われた中世叙事詩にはじまる。
16世紀に活躍し、『ウズ・ルジアダス』などの作品を残したルイス・デ・カモンイスは、特に国民的な詩人であるとされている。その他のこの時期の作家としては『東洋遍歴記』(1614)のフェルナン・メンデス・ピントが挙げられる。
17世紀、18世紀のポルトガル文学は不調だったが、19世紀初頭にポルトガルに導入されたロマン主義は、『破滅の恋』(1862)などで泥沼の恋愛関係を描いたカミーロ・カステロ・ブランコによって完成された。19世紀半ばからは写実主義のジュリオ・ディニス、エッサ・デ・ケイロス、テオフィロ・ブラガなどの小説家が活躍する。20世紀には大詩人フェルナンド・ペソアらが活躍した。この時期の日本との関わりにおいては、ヴェンセスラウ・デ・モラエスが特に言及される。
現代の著名な作家としては、『修道院回想録』(1982)や『白の闇』(1995)で知られ、1997年にノーベル文学賞を受賞した作家のジョゼ・サラマーゴや、ポルトガル近現代史を主なテーマにするロボ・アントゥーネスなどの名が挙げられる。
カモンイスに因み、1988年にポルトガル、ブラジル両政府共同でポルトガル語圏の優れた作家に対して贈られるカモンイス賞が創設された。
[編集] 映画
詳細は「ポルトガル映画」を参照
ポルトガルに映画が伝えられたのは1896年6月で、リスボンでヨーロッパから持ち込まれた映写機の実演にはじまる。その5ヶ月後にはポルトでアウレリオ・ダ・バス・ドス・レイスが自作映画を上映した。ポルトはポルトガル映画の中心地となり、1931年にはマノエル・デ・オリヴェイラによって「ドウロ川」が制作された。オリヴェイラはネオレアリズモの先駆的作品となった「アニキ・ボボ」(1942)などを撮影したのち西ドイツに渡り、1950年代にポルトガルに帰ってから「画家と町」(1956)などを撮影した。1960年代に入ると、フランスのヌーヴェルヴァーグとイタリアのネオレアリズモに影響を受けてノヴォ・シネマ運動がはじまり、「青い年」のパウロ・ローシャや、ジョアン・セーザル・モンテイロらが活躍した。
現代の映像作家としては「ヴァンダの部屋」のペドロ・コスタの名が挙げられる。
[編集] 世界遺産
ポルトガル国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が12件、自然遺産が1件ある。詳細は、ポルトガルの世界遺産を参照。
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アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモ中心地区 - (1983年) |
バターリャ修道院 - (1983年) |
トマールのキリスト教修道院 - (1983年) |
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エヴォラ歴史地区 - (1986年) |
アルコバッサ修道院 - (1989年) |
シントラの文化的景観 - (1995年) |
ポルト歴史地区 - (1996年) |
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コア渓谷の先史時代の岩絵遺跡群 - (1998年) |
マデイラ島の照葉樹林 - (1999年) |
アルト・ドウロ・ワイン生産地域 - (2001年) |
ギマランイス歴史地区 - (2001年) |
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ピコ島のブドウ畑の景観 - (2004年) |
[編集] 祝祭日
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元旦 | Ano Novo | |
| 2月 | カルナヴァル | Carnaval | 移動祝日 |
| 3月~4月 | 聖金曜日 | Sexta-Feira Santa | 復活祭前の金曜日 |
| 3月~4月 | 復活祭 | Páscoa | 移動祝日 |
| 4月25日 | 解放記念日 | Dia da Liberdade | カーネーション革命(1974年)記念日 |
| 5月1日 | メーデー | Dia do Trabalhador | |
| 6月10日 | ポルトガルの日 | Dia de Portugal | カモンイスの命日 |
| 6月 | 聖体の祝日 | Corpo de Deus | 移動祝日 復活祭60日後 |
| 6月13日 | 聖アントニオの日 | Dia de Santo António | リスボンのみ |
| 6月24日 | 聖ジョアンの日 | Dia de São João | ポルト、ブラガのみ |
| 8月15日 | 聖母被昇天祭 | Assunção de Nossa Senhora | |
| 10月5日 | 共和国樹立記念日 | Implantação da República | |
| 11月1日 | 諸聖人の日 | Todos os Santos | |
| 12月1日 | 独立回復記念日 | Restauração da Independência | 1640年にスペインとの同君連合を廃絶 |
| 12月8日 | 無原罪の聖母 | Imaculada Conceição | |
| 12月25日 | クリスマス | Natal |
[編集] スポーツ
詳細は「ポルトガルのスポーツ」を参照
サッカーが盛んであり、ポルトガル代表は1966年、1986年、2002年、2006年と4度のワールドカップに出場した。1934年に国内の1部リーグスーペル・リーガが創設され、主なプロクラブとしてベンフィカ、FCポルト、スポルティング・リスボンの名が挙げられる。
[編集] 著名な出身者
詳細は「ポルトガル人の一覧」を参照
王族以外のポルトガル出身者・関係者を挙げる。
[編集] 政治家
- アントニオ・サラザール - 元大学教授、元首相、大統領。独裁者。
- マリア・デ・ルルデス・ピンタシルゴ - 同国初の女性首相。その後欧州議会議長。
[編集] 聖職者
- ジョアン・ロドリゲス-イエズス会士、ならびに通訳士。
[編集] スポーツ関係者
- ジョゼ・モウリーニョ - イタリア・セリエA・インテル監督
- ルイス・フィーゴ - サッカー選手
- マヌエル・ルイ・コスタ - サッカー選手
- クリスティアーノ・ロナウド - サッカー選手
- デコ - サッカー選手。ブラジル生まれでポルトガル国籍を取得
- エウゼビオ - サッカー選手。モザンビーク出身
- ティアゴ・モンテイロ - F1ドライバー
- ペドロ・ラミー - 元・F1ドライバー
- ロザ・モタ - 女子マラソン選手
- フェルナンド・マメーデ - 元陸上選手
[編集] その他
- アマリア・ロドリゲス - ファドの歌手
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス
- ジョゼ・サラマーゴ - ノーベル賞作家
- ルイス・フロイス
- マリア・ジョアン・ピリス - ピアニスト
- アルヴァロ・シザ - 建築家
- フランシスコ・ザビエル - 宣教師
- マノエル・デ・オリヴェイラ - 映画監督
- ネリー・ファータド - ポルトガル系カナダ人歌手、両親がポルトガル・アソーレス諸島出身
- ファティマ・ロペス - ファッションデザイナー
[編集] 脚註
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ エドゥアルド・ガレアーノ『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』大久保光夫訳 新評論 1986
- ^ a b 「ポルトガル:「共産主義だった遠い国」からの脱皮」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月17日付配信
- ^ ポルトガル語はアラビア語につぎ、世界第7位の話者人口を擁する。これはブラジルの存在による。同じポルトガル語でもブラジルポルトガル語とイベリアポルトガル語では発音や語彙にかなりの差がある。
- ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/po.html 2009年3月30日閲覧
[編集] 参考文献
- 村上義和、池俊介(編著) 『ポルトガルを知るための50章』明石書店 2001(ISBN 4-7503-1387-4)
- エドゥアルド・ガレアーノ『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』大久保光夫訳 新評論 1986
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 政府
- ポルトガル共和国政府 (ポルトガル語)(英語)
- ポルトガル大統領府 (ポルトガル語)(英語)
- ポルトガル首相府 (ポルトガル語)(英語)
- 在日ポルトガル大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - ポルトガル (日本語)
- 在ポルトガル日本国大使館 (日本語)
- 観光
- ポルトガル - ウィキトラベル
- ポルトガル政府観光局 (日本語)
- ポルトガル観光貿易振興庁 (日本語)
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最終更新 2009年8月23日 (日) 10:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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