ポズナン

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ポズナン
Poznań
ポズナン中心部
ポズナン中心部
ポズナンの旗
ポズナンの紋章
紋章
ポズナン (ポーランド)
ポズナン
ポズナン
座標: 北緯52度24分24秒 東経16度55分25秒 / 北緯52.40667度 東経16.92361度 / 52.40667; 16.92361
ポーランド ポーランド
ヴィエルコポルスカ県
行政
 - 市長 リシャルド・グロベルヌィ (Ryszard Grobelny)
面積
 - 計 261.85 km² (101.1 sq mi)
最高標高 154 m (505 ft)
最低標高 60 m (197 ft)
人口 (2008年)
 - 計 557,264人
 - 人口密度 2,182人/km² (5,651.4人/mi²)
郵便番号 60-001 - 61-890
市外局番 (+48) 61
ナンバープレート PO
ウェブサイト: www.poznan.pl

ポズナンまたはポズナニ(Poznań)は、ポーランド西部に位置する、ポーランド最古の都市の一つである。ラテン語:Posnania、ドイツ語:ポーゼンPosenイディッシュ語:פּױז Poyzn 。ヴィエルコポルスカ県の県都。人口は約58万人で、これはポーランド5番目の規模である。(2002年)世界都市に適合。

目次

[編集] 地勢・産業

ヴァルタ川に臨む河港市で、歴史的重要な中心地でもある。古くから商業都市として栄えてきており、文化、学術、商工業の中心地としても知られる。毎年6月上旬に行われる国際見本市の開催地でもある。約150キロ南にヴロツワフ、200キロ東にウッチ、250キロ西にドイツのベルリンが位置している。

[編集] 歴史

9世紀から10世紀ころに形成されたスラヴ人の集落がその起源とされる。10世紀後半、ポーランドで最初のカトリック司教座がおかれた。ドイツ騎士団の東方進出にともなってドイツ人も多く入植した。昔からの交通の要所であり、ハンザ同盟の加盟都市として繁栄した。17世紀の三十年戦争、18世紀の北方戦争に巻き込まれ、一時街は荒廃した。18世紀後半、第二次ポーランド分割によってプロイセン王国に併合された。19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトによってワルシャワ公国が建てられるとその領土に含まれるが、ウィーン体制下でポズナン大公国として再びプロイセンの支配下におかれた。第一次世界大戦後、ポーランドの独立にともなってポーランド領となった。第二次世界大戦ではドイツ軍ソ連軍の激しい戦闘によりポズナン市街地全体の55%が破壊された。特に旧市街はその90%以上が破壊されたが、戦後、残された資料を元にポーランド人の手によって完全に復元された。

[編集] 教育

市内にある高等教育機関

  • アダム・ミツキェヴィチ大学
  • ポズナン・カロル・マルツィンスキ医学大学
  • ポズナン経済大学
  • ポズナン美術学校
  • ポズナン・イグナツィ・ヤン・パデレフスキ音楽学校
  • ポズナン工科大学

[編集] 著名な出身者

ポズナン
イエズス会の教会

ゆかりのある人物

旧ポーゼン管区の出身者

[編集] 姉妹都市

[編集] 外部リンク、関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] インターネット・ディレクトリー

[編集] ガイド

[編集] 経済

[編集] 科学と教育活動

[編集] 地理

[編集] 文化・歴史

[編集] スポーツ

[編集] 写真

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最終更新 2009年11月4日 (水) 02:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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