ポーランド回廊

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ポーランド回廊と周辺の状況 1920年の国境線を示した地図。ドイツ帝国領は桃色で、ポーランド領は黄色で示されている。ポーランド領のうち西北端のバルト海に面した細長い部分をポーランド回廊と呼ぶ

ポーランド回廊(ポーランドかいろう)或いはダンツィヒ回廊は、第一次世界大戦ポーランド国家復興の際、ドイツ帝国から割譲された領土。

第一次世界大戦以前、ポーランド国土は北東側のバルト三国、北西側の東プロイセン自由都市ダンツィヒ(現グダニスク)によって、バルト海への出口が塞がれていた。ポーランド回廊は、内陸国だったポーランドのバルト海への出口として設定された。これは、ポーランド回廊に当たる地域、すなわちプロイセン地方と神聖ローマ帝国領であったポンメルンブランデンブルク間は、元々ポーランド王国領であったからだ。しかし文化的にドイツ人の影響の濃い地域でもあり、1772年~1795年に起こったポーランド分割の際はプロイセン王国領となっている。

一帯の住民はドイツ人主体であり、領土を東西に分割されたドイツ人の怒りは大きく、ポーランドはナチス・ドイツの絶好の攻撃対象となった。ポンメルンから、バルト地方にかけて住むドイツ系住民は、バルト・ドイツ人(あるいはチュートン人)と呼ばれ、またプロイセンに住むドイツ人はプロイセン人と呼ばれた。東方植民地運動以来、数百年にも及ぶドイツ系の影響下にあったが、第二次世界大戦ドイツが敗れると、ソ連軍によってこの地域のドイツ人は追放された。

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最終更新 2009年10月13日 (火) 01:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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