ポール・サイモン
ポール・サイモンの最新ニュースをまとめて検索!
| ポール・サイモン (Paul Simon) |
|
|---|---|
Paul Simon performing March 8, 2007
|
|
| 基本情報 | |
| 出生名 | ポール・フレデリク・サイモン Paul Frederic Simon |
| 出生 | 1941年10月13日(68歳) |
| 出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州 ニューアーク |
| ジャンル | ロック フォーク ワールドミュージック |
| 職業 | シンガーソングライター ギタリスト 音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | 歌 ギター エレクトリックベース |
| 活動期間 | 1957年 - 現在 |
| 共同作業者 | アート・ガーファンクルほか |
ポール・フレデリク・サイモン(Paul Frederic Simon, 1941年10月13日 - )は、ユダヤ系アメリカ人のシンガーソングライター。アメリカ合衆国・ニュージャージー州ニューアーク出身。ひとつのスタイルに甘んじず、フォーク、ロック、ラテン、レゲエ、アフリカン、ボサノヴァ、ジャズ、クラシック、エレクトロといった多様な音楽を吸収し常に新たなものを求め続けている。2006年、米タイム誌(Time magazine)は「世界で最も影響力のある100人」の一人に、さまざまな政治家、哲学者、科学者らとともにミュージシャンのポール・サイモンを選んだ。
1968年の「ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)」(最優秀レコード賞等、計2部門)、1970年の『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』(最優秀アルバム賞等、計5部門)、1975年の『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』(最優秀アルバム賞等、計2部門)、1987年の『グレイスランド(Graceland)』(最優秀アルバム賞等、計2部門)など、史上最多となる13のグラミー賞を受賞。
また、1990年にサイモン&ガーファンクルとして、2003年にはソロでロックの殿堂入りしている。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] サイモン&ガーファンクル
サイモンは1955年、小学校時代からの友人アート・ガーファンクルと共にデュオグループ「トム&ジェリー」を結成し、1958年に「ヘイ・スクールガール(Hey Schoolgirl)」(最高位54位)をヒットさせる。高校卒業後、クイーンズカレッジでは英文学を専攻する。1964年にはサイモン&ガーファンクルとして「水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M)」をリリース。しかし、このアルバムはフォーク・ブームの沈静期の影響もあり注目を集めることはなくポール・サイモンは失意の内にひとりロンドンでの音楽活動を始める。1965年には初のソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック(The Paul Simon Song Book)』を録音するが、ここには、後にサイモン&ガーファンクルのレパートリーとなった曲も、多数含まれている。
ヒットは意外なところからやってきた。『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M)』のA面最後の曲「The Sound Of Silence」をアメリカのFM局が流したところリスナーの反応がよかったのだ。これに注目したレコード会社のトム・ウイルソンというプロデューサーがポール・サイモンに無断でエレクトリックギターとドラムスをオーヴァーダビングしてシングルとして発売。ちなみにこれを演奏したのはボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」のレコーティングに参加していたスタジオ・ミュージシャン達であった。これが一挙にヒット・チャートを駆け上るヒットとなった。ポール・サイモンがこの成功を知ったのは街角で手に取ったビルボード紙だったという。それが1966年の「サウンド・オブ・サイレンス(The Sound Of Silence)」のビルボードNo.1。1967年カリフォルニアで開かれた第一回モンタレー・ポップ・フェスティバルに参加、実行委員を務める。その後も映画『卒業』のテーマ、「ミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)」(最高位1位)、「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」(最高位1位)などのヒットを作り出す。「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」は当初ポール・サイモンがギターで作詞作曲したが、アルバムではガーファンクルの(ほぼ)独唱、そしてピアノのアレンジメントとなり収録された。「コンサートでこの曲に贈られた拍手と賞賛はガーファンクルのものだ」と受け取ったポール・サイモンは、そのたびに「これは僕がつくった曲なんです」と心で思ったという。(ポール・サイモンがギター一本で歌った「明日に架ける橋」のデモ・テープは彼のアルバムに以後収められている)
ガーファンクルはアルバム『明日に架ける橋』の制作中、マイク・ニコルス監督の『キャッチ22』の撮影も重なったため、アルバムの中には収録をポール・サイモンひとりでおこなった曲もある。「ニューヨークの少年」(The Only Living Boy In New York)もその中の曲で、9.11のニューヨーク・テロ以後には新しい意味もこめられた受け取り方をされているようだ。ちなみに1970年は「サイモン&ガーファンクル」としてビルボードでシングル「明日に架ける橋」、アルバム『明日に架ける橋』が両方の年間チャートでNo.1を獲得した。シングルとアルバム、両方の年間チャートで同じアーティストがNo.1を獲得するのはビルボード始まって以来、初の快挙である。ちなみに18年後の1988年にジョージ・マイケルがシングル「Faith」、アルバム「Faith」で達成、さらに6年後の1994年にエイス・オブ・ベイスがシングル「ザ・サイン」、アルバム「ザ・サイン」で達成している。(奇遇な事にサイモン&ガーファンクルと同じく、シングルもアルバムも全く同じタイトルでNo.1を獲得している)。
[編集] ソロ活動
1970年、志向する音楽の違いなどからサイモン&ガーファンクルは解散、ポール・サイモンはソロ活動に入った。私生活では最初の妻、ペギーと結婚。ハーパーという男の子をもうけている(のちに彼は「ケープマン(The Capeman)」にギタリストとして参加している)。デビューアルバム『ポール・サイモン(Paul Simon)』は米ビルボードチャートの4位まで上昇。このアルバムの1曲目、「母と子の絆」は、有名白人ミュージシャンとして初めてのレゲエ曲で、優美でフォーク調のシンプルな楽曲に慣れていた大多数のサイモン&ガーファンクルのファンの度肝を抜いた。このアルバムでは、サイモン&ガーファンクルで築き上げたスタイルを敢えて崩し、レゲエ、スカなど全く新しいジャンルの曲目で占められたが、大衆に迎合せずに、新たな創造性を求めるという、他のポップ・ミュージシャンとは一線を画す真のアーティストとしてのアプローチは、その後発表されるアルバムでも繰り返されることとなる。1973年には、アルバム『ひとりごと(There Goes Rhymin' Simon)』、1975年には『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』を発表。後者はアルバムチャート、シングルチャート(「恋人と別れる50の方法」)ともに1位を獲得した。1980年には、映画『ワン・トリック・ポニー(One Trick Pony)』の脚本、サウンドトラックを手がけ、俳優としても主演した。しかし、映画の興行は振るわずアルバムもそれまでのヒットには及ばなかった。1981年にアート・ガーファンクルと解散から11年ぶりにサイモン&ガーファンクルを再結成し、セントラル・パークに53万人を集めたフリー・コンサートは大きな話題となった。
このコンサートの成功を受けてサイモン&ガーファンクルとしてのアルバム制作が始められたが、二人の音楽観の溝は埋まってはおらず、逆にそれを再認識することになる。こうして1983年に発表した5枚目のソロアルバム『ハーツ・アンド・ボーンズ』は、商業的には失敗と見られたが、タイトルソングはポール自身がキャリア中のベストソングのひとつというほどの名曲であった。アルバムの中の「Train in the Distance」は離婚した最初の妻ペギーを、そして「ハーツ・アンド・ボーン(Hearts and Bones)は二番目の妻キャリー・フィッシャーとのことを歌ったものだ。最後の曲「Late Great Johnny Ace」はポールの少年時代のヒーローJohnny Ace、ジョン・F・ケネディ、そしてジョン・レノンの死を歌っている。フィリップ・グラスの編曲も見事な印象深い曲だ。先のセントラル・パーク・コンサートでこの曲を歌い始めたポールに「話があるんだ」といって一人の男がステージに上がってきた。男はすぐに取り押さえられ幸い事件には至らなかったが、これにはポールも心底驚いた表情をしていた。
『ハーツ・アンド・ボーンズ』の商業的な失敗(アルバムの売り上げはキャリア最低の50万枚未満)を受け、ソロ・アーティストとしての人気に陰りが出てきたが、1986年、全くの新境地ともいえるアフリカの民族音楽を取り入れた『グレイスランド(Graceland)』を発表。このアルバムは、世界各地のチャートで旋風を起こす大ヒットとなり、マイケル・ジャクソンの『スリラー(Thriller)』などとともに、80年代の世界のミュージック・シーンを代表するアルバムのひとつとなった。
一方で、このアルバムは南アフリカのミュージシャンのサポートが大きく、当時アパルトヘイト政策をとり世界的な非難と経済・スポーツなどさまざまな制裁を受けていた南アフリカ政府を利するものだと、大きな非難を浴びた。また、音楽そのものを南アフリカから”盗んだ”とも非難され大きな論争をもたらした。しかし、そもそもポールには純粋な音楽的な動機以外にアルバム制作の目的はない上、アルバムの内容はむしろ南アの黒人ミュージシャンの才能を全面に押し出すものだったため、最終的に当時のANC(アフリカ民族会議)はポール・サイモンを支持し、また南アフリカ出身や他の多くのミュージシャンの支持をも得、『グレイスランド(Graceland)』は、1枚のアルバムで2年連続してグラミー賞を受賞するという栄誉をポール・サイモンにもたらした。
1990年に発表した『リズム・オブ・ザ・セインツ(The Rhythm of the Saints)』は前作のワールドミュージック路線を継承したもので、ブラジル音楽を取り入れ、再びヒット作となった。同年末には日本の第41回NHK紅白歌合戦に衛星中継で出演し、『明日に架ける橋』を歌っている。1991年には再びセントラル・パークでフリー・コンサートを開き、75万人を動員するという驚異的な記録を自ら更新。しばらくの沈黙の後、1997年にはブロードウェイ・ミュージカルに進出。「ケープマン(The Capeman)」は短期間の上演となったものの、そのキャストアルバムは批評家の間では高い評価を受ける。2000年に発表した『ユー・アー・ザ・ワン(You're the One)』は、グラミー賞の最優秀アルバムにノミネートされた。
2006年には『サプライズ(Surprise)』を発表。U2などのプロデューサーとして知られるイギリス人コンポーザー、ブライアン・イーノ(Brian Eno)をコラボレーターとして迎え、65歳にして、新境地ともいえるエレクトロミュージックに取り組み、話題となった。「エブリシング・アバウト・イット・イズ・ア・ラブソング」はドラムンベース、「ワンス・アポン・ア・タイム・ゼア・ワズ・アン・オーシャン」はブレイクビーツをベースとした楽曲だ。米オール・ミュージック・ガイド(All Music Guide)は、ボブ・ディランのLove and Theft,、ポール・マッカートニーのChaos and Creation in the Backyard、ローリング・ストーンズのA Bigger Bangという同世代のスターたちが最近出した傑作アルバムを並べ、「サイモンが彼のピークの時とまったく変わらないチャレンジと野心をもって、これを作りあげただけにより注目に値する」として、高く評価している。
2007年、Library of Congress(アメリカ議会図書館)による新設のガーシュウィン・アワードの第1回の受賞者となる。この授賞式には、アート・ガーファンクル、スティービー・ワンダーなども参加し、米PBSにより全米に生中継された。また、ヒップポップ・ミュージシャン、ワイクリフ・ジョンの新曲「ファスト・カー」にゲスト・ボーカリストとして参加。このアルバムは2007年12月発売予定の「カーニバル2(Carnival2)に収録される。
[編集] 特徴
その美しいメロディに注目されることが多いが、繊細かつ大胆な比喩、韻を多用した歌詞は、詩人としても評価を受けている。ノーベル文学賞受賞者のデレック・ウォルコット(Derek Walcott)は、『グレイスランド』の歌詞"The Mississippi delta was shining like a national guitar(ミシシッピー・デルタはナショナル・ギターのように輝いている)"を例として取り上げながら、独特なスタイルをもったサイモンの詩をSimonesque(サイモン風の)と呼び、現代最高の詩人の一人として評価している。
さらに、ギタリストとしてのテクニックについてもその評価は高く、「アンジー(ANJI)」や「ミセス・ロビンソン」などの楽曲でその実力がいかんなく発揮されている。単身渡英中の1965年に録音されたソロアルバム『ポール・サイモン・ソングブック』はギターを主体にしたものであり、ライブではギターのみで通常の楽曲を演奏することも多い。そのときイギリスで知己を得た現地のフォーク・ミュージシャンから教わった奏法や楽曲は、その後のS&Gでの作品に大きく影響を与えた(「アンジー」「スカボロー・フェア」など)。ただし、このアルバムはポール本人の意向で早々に市場から回収され長らく絶盤状態であった。ところが何故か日本のみでは発売されており1974年に来日公演した際にその事を知り驚いたポールは直ぐさま、回収・絶盤を命じた。それからはずっと幻と化していたが今世紀に入ってようやくCD復刻された。なお、「グレイテスト・ヒッツ,etc.」に収録されて以来、CD復刻されなかった"Stranded In A Limougine"と"American Tune (Live Version)"は2002に"The Paul Simon Collection: On My Way, Don't Know Where I'm Goin'"にようやく収録された。
[編集] 家族、交友関係など
女優のキャリー・フィッシャー(『スターウォーズ』シリーズ旧三部作のレイア姫役が有名)と結婚したがすぐに離婚。1992年に「What I Am」のヒットで知られる25歳年下のシンガーソングライター、エディ・ブリッケル(en:Edie Brickell)と再婚している。
映画とポール・サイモンとの関係もさまざまだ。ダスティン・ホフマンの出世作となったマイク・ニコルス監督の『卒業』ではサウンドトラックを担当。「ミセス・ロビンソン」はこの時代を象徴する大ヒットとなり、トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ』にも使用された。また思春期の少女を描きアンジェリーナ・ジョリーがアカデミー助演女優賞を獲得した『17才のカルテ』では「ブックエンド」が、1960年代後半のロックシーンを背景にした『あの頃ペニー・レインと』では「アメリカ」がサウンドトラックとして使われている。(『あの頃ペニー・レインと』では、アルバム『ブックエンド』のカヴァー写真を見た主人公の母親〜フランシス・マクドーマンドが演じる〜に“このトロ〜ンとした目は絶対麻薬をやっている目よ”と言われており、当時の保守層には必ずしも受け入れていなかったことがわかり興味深い)。最近ではジェニファー・ロペスの『メイド・イン・マンハッタン』で「僕とフリオと校庭で」がオープニングに流れ、小学生が“どうしてサイモンとガーファンクルは解散(ブレーク・アップ)しちゃったの?”と母親役のジェニファー・ロペスに聞いている。
ジョージ・クルーニーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズの『デボース・ショー』ではコメディ・タッチに軽く「明日に架ける橋」などが数曲登場する。ポール・サイモン自身は『ワン・トリック・ポニー』以前に同じニューヨーカーのウディ・アレンが主演・制作した『アニー・ホール』にミュージシャン役で数カット出演している。
[編集] ガーファンクルとの関係
旧友アート・ガーファンクルとは、時折の再結成を除き、デュオ解散後、特に『ハーツ・アンド・ボーンズ』製作中に決裂した後は絶縁に近い状態が続いた。1993年の一時的な再結成コンサート以来、10年間は完全な絶縁状態だったといわれる。2003年、グラミー賞の功労賞を『サイモン&ガーファンクル』が受賞したのをきっかけに約10年ぶりに再会(2003年のソロでの「ロックの殿堂」入りの際には、「ガーファンクルと仲直りをしたい」とスピーチしている)。そのまま2004年まで再結成し、世界ツアーを行っている。
ガーファンクルとの“犬猿の仲”は有名な事実で、過去にもTVやコンサートでもジョークまじりでよく話題にされている。が、ポール・サイモンは2003年のコンサートツアーのインタビューにこう答えている。
「アート(ガーファンクル)を友人とは思っていない。彼は家族だと思っている」
[編集] ソロアルバム
詳細は「ポール・サイモンの作品」を参照
- 1965年 ポール・サイモン・ソングブック The Paul Simon Song Book
- 1972年 ポール・サイモン Paul Simon
- 1973年 ひとりごと There Goes Rhymin' Simon
- 1974年 ライヴ・ライミン Live Rhymin'
- 1975年 時の流れに Still Crazy After All These Years
- 1980年 ワン・トリック・ポニー One Trick Pony
- 1983年 ハーツ・アンド・ボーンズ Hearts And Bones
- 1986年 グレイスランド Graceland
- 1990年 リズム・オブ・ザ・セインツ The Rhythm Of The Saints
- 1991年 ライヴ・イン・セントラル・パーク Paul Simon's Concert In The Park
- 1997年 ザ・ケープマン Songs From The Capeman
- 2000年 ユー・アー・ザ・ワン You're The One
- 2006年 サプライズ Surprise
[編集] シングル
- 1965年 I Am a Rock / Leaves That Are Green
- 1972年 Mother and Child Reunion / Paranoia Blues (US HOT 100 # 4)
- 1972年 Me and Julio Down by the Schoolyard / Congratulations (US HOT100 # 22)
- 1972年 Duncan / Run That Body Down (US HOT100 # 58)
- 1973年 Kodachrome / Tenderness (US HOT100 # 2)
- 1973年 Loves Me Like a Rock with the Dixie Hummingbirds / Learn How to Fall (US HOT100 # 2)
- 1973年 American Tune / One Man's Ceiling is Another Man's Floor (US HOT100 # 35)
- 1973年 Take Me to the Mardi Gras / Something So Right
- 1974年 The Sound of Silence (Live) / Mother and Child Reunion (Live)
- 1975年 Gone at Last with Phoebe Snow & The Jessy Dixon Singers / Tenderness (US HOT100 # 28)
- 1975年 50 Ways to Leave Your Lover / Some Folks' Lives Roll Easy (US HOT100 # 1)
- 1976年 Still Crazy After All These Years / I Do It for Your Love (US HOT100 #40)
- 1977年 Slip Slidin' Away / Something So Right (US HOT100 # 5)
- 1977年 Stranded in a Limousine / Have a Good Time
- 1980年 Late in the Evening / How the Heart Approaches What It Yearns (US HOT100 # 6)
- 1980年 One Trick Pony / Long, Long Day (US HOT100 # 40)
- 1981年 Oh, Marion / God Bless the Absentee
- 1983年 Allergies / Think Too Much (US HOT00 #44)
- 1984年 Think Too Much / Song About the Moon
- 1986年 You Can Call Me Al / Gumboots (US HOT100 #23)
- 1986年 Graceland / Hearts and Bones (US HOT100 #81)
- 1987年 The Boy in the Bubble / Crazy Love, Vol.2 (US HOT100 #86)
- 1987年 Diamonds on the Soles of Her Shoes / All Around the World, or the Myth of Fingerprints
- 1990年 The Obvious Child / The Rhythm of the Saints (US HOT100 # 92)
- 1990年 Proof
- 1990年 Born at the Right Time (Cassette)
- 1991年 Still Crazy After All These Years (Live)
- 2000年 Old
- 2000年 You're the One
- 2003年 Father and Daughter / Another Galaxy
- 2006年 That's Me / You Can Call Me Al
- 2006年 Outrageous / 50 Ways to Leave Your Lover
[編集] ベストアルバム
- 1977年 グレイテスト・ヒッツ・エトセトラ Greatest Hits, etc.
- 1987年 ネゴシエイションとラブ・ソングス 1971〜1986 Negotiations and Love Songs, 1971 - 1986
- 1991年 ボーン・アット・ザ・ライト・タイム - ベスト・オブ・ポール・サイモン Born at the Right Time - The Best of Paul Simon
- 1991年 ザ・コレクション The Collection
- 1993年 グレイト・ソングブック1964/1993 1964/1993
- 2000年 グレイテスト・ヒッツ - シャイニング・ライク・ア・ナショナル・ギター Greatest Hits Shining Like a National Guitar
- 2002年 ポール・サイモン・コレクション The Paul Simon Collection: On My Way, Don't Know Where I'm Goin'
- 2007年 ジ・エッセンシャル The Essential Paul Simon
[編集] 日本公演
- 4月1日,3日 大阪フェスティバルホール、5日 愛知県体育館、9日,10日 日本武道館
- 1991年 Born at The Right Time Tour
- 10月7日 名古屋レインボーホール、9日,10日 大阪城ホール、12日 東京ドーム
- 1982年、1993年、2009年は、サイモン&ガーファンクルとして日本公演
[編集] エピソード
- 阪神タイガースのファンである。当時は南海ホークスの本拠地であった大阪球場でのコンサートで阪神のユニフォームを着用した(玉木正之『プロ野球大事典』新潮社, 1990年)。またジンバブエのハラレで行ったコンサートを収めたビデオ「グレイスランド〜ジ・アフリカン・コンサート」でも、ステージ脇に阪神の帽子が置いてあるのを見ることができる。
- 91年大阪城ホールのコンサートではタイガースの帽子がステージに投げ入れられ、「阪神タイガースピープル」と笑いを取り、帽子をかぶり、「僕とフリオと校庭で」を歌った。(NHK FMで放送)
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月10日 (火) 17:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ポール・サイモン】変更履歴



