マイクロコンピュータ

マイクロコンピュータの最新ニュースをまとめて検索!

現代の小さなコンピュータについては、省スペースパソコンネットブックなどを参照してください。
コモドール64はその時代最も人気のあったマイクロコンピュータのひとつであり、歴史上最も売れたホビーパソコンである。

マイクロコンピュータ英語:microcomputer)はCPUとしてマイクロプロセッサを使用したコンピュータである。それらのコンピュータの一般的なほかの特徴は、メインフレームミニコンピュータと比較して物理的に占有する空間が少ないことである。多くの、入出力のためのキーボードとスクリーンを装備したマイクロコンピュータはまた、一般的な感覚におけるパーソナルコンピュータである。

短縮形microは1970年代から1980年代にかけて一般的であったが、現在では一般的ではない。

目次

[編集] 起源

1956年7月に出版されたファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション誌にあるアイザック・アシモフの短編小説"The Dying Night"(訳:死ぬ夜)の中でマイクロコンピュータという用語が見られるが、この用語はミニコンピュータの世間への移入の後に実用化された。特に、マイクロコンピュータはひとつの統合したマイクロプロセッサ集積回路によって、ミニコンピュータのCPUを構成する多くの別の構造を代替した。

最初期のモデルはしばしばユーザによって組み立てられるキットとして販売され、たった256バイトRandom Access Memoryしか持たず、入出力装置はインジケータライトとスイッチのみであった。しかし、マイクロコンピュータと半導体メモリが1970年代前~中期に安くなっていくにつれて、マイクロコンピュータはどんどんより速く、より安く成長した。結果、1970年代末期と1980年代初め、爆発的な人気となった。

多くのコンピュータメーカーは中小企業での使用のためのマイクロコンピュータを作った。1979年には、クロメンコ、プロセッサテクノロジー、IMSAI、ノーススター、SWTPC、オハイオ・サイエンティフィック、アルト、モローデザインなどの多くの企業が、工夫に富むユーザー、または中小企業にアカウンティング、データベースマネジメント、ワードプロセッシングなどのビジネスシステムを提供するコンサルティングファームのためにデザインされたシステムを生産していた。これは、(通常)コンピュータを操作するフルタイムのスタッフを雇わずに、ビジネスの機能を自動化する機会としてミニコンピュータのリースの負担、もしくはタイムシェアリングサービスが不可能なビジネスを許した。この時代の代表的なシステムはS100バス、Intel 8080Z80などの8ビットプロセッサ、CP/MとMP/Mのどちからのオペレーティングシステムであった。

個人使用のためのデスクトップコンピュータの入手可能と能力の上昇は、より多くのソフトウェア開発者の注意をひきつけた。時間がたち、産業が成熟し、パーソナルコンピュータの市場は、大方MS-DOS(後にはMicrosoft Windows)が動作するPC/AT互換機として規格化された。

現代のデスクトップ・コンピュータ、ゲーム機ノートパソコンタブレットPC携帯電話電卓などのハンドヘルド機器、組み込みシステムは、上記の定義によりすべてマイクロコンピュータの例と考えられるかもしれない。」

[編集] この用語の使用

「マイクロコンピュータ」(特に「マイクロ、マイコン」という短縮形)という言葉の使用は1980年代中ごろから顕著に減少し、現在ではもう普通ではない。この用語は最も一般的にはオールインワンの8ビットホビーパソコンと中小企業用マイクロコンピュータの第一波(Apple IIコモドール64BBC MicroTRS-80など)と関連付けられる。現代のマイクロプロセッサベースの多様な製品は「マイクロコンピュータ」の定義に合うが(もしかするとそれゆえに)、そのような製品は日常的にはマイクロコンピュータと称されない。

共通用語「マイクロコンピュータ」は、主として1回につき1人が使用するようにデザインされたことを説明するパーソナルコンピュータまたはPCという用語に置き換えられた。IBMは最初、他のホームコンピュータと呼ばれていたマイクロコンピュータや、IBM自身のメインフレームやミニコンピュータと区別するために、「パーソナルコンピュータ」という用語の使用を促進した。不幸にも、そのマイクロコンピュータは用語とともに広く模倣された。構成部品は一般的に他メーカーも使用可能であり、Basic Input/Output Systemクリーンルーム設計を通じてリバースエンジニアリングされた。PC/AT互換機は普通になり、用語「パーソナルコンピュータ」、特に「PC」は大衆にくっついた。

マイクロコントローラ(オンボードでRAM、ROM、CPUを含んでいるモノリシックの集積回路)の出現以来、用語「マイクロ」は、より一般的にそちらの意味で使用される。

[編集] 説明

モニタ、キーボード、および入出力のための他の機器を統合したり分割したりできる。Random Access Memoryおよび少なくとも1つのより揮発性がないものによって構成されるメモリ装置の機器は通常、単一ユニットのフロントサイドバス上でCPUと結合される。完全なマイクロコンピュータシステムを作る機器はバッテリー、電源回路ユニット、キーボード、および人間の操作者と情報のやり取りをするさまざまな入出力機器(プリンターディスプレイヒューマン・インタフェース・デバイス)を含む。マイクロコンピュータは1度に1人のユーザが使用するようにデザインされるが、しばしば複数のユーザに奉仕するためにハードウェアまたはソフトウェアによって修正することができる。マイクロコンピュータはユーザが容易にアクセスできるように、机やテーブルの上または下によくはまった。ミニコンピュータメインフレームスーパーコンピュータなどのより大きなコンピュータは大きなラックや専用の部屋が必要であった。

マイクロコンピュータは、少なくとも1つのタイプのデータストレージ(通常はRandom Access Memory)を装備している。いくつかのマイクロコンピュータ(特に早期の8ビットホームマイクロコンピュータ)はRAMのみを用いて仕事を行うが、通常は何らかの補助記憶装置の使用が望ましい。家庭用マイクロコンピュータの初期にはこれはしばしば(外部ユニットとしての)カセットデッキであった。のちに、二次記憶装置(特にフロッピーディスクドライブとハードディスクドライブ)はマイクロコンピュータ自身に組み込まれた。

[編集] 歴史

マイクロコンピュータのコレクション。プロセッサテクノロジーSOL-20(上段左)、MITSのAltair 8800(二段目左)、TVタイプライタ(三段目中央)、Apple I(棚から外れた右)

1968年ごろに発売されたヒューレット・パッカードの計算機は、マイクロプロセッサを全く含んでいなかったが、Transistor-transistor logicを用いて設計され、マイクロコンピュータと呼べるほどのさまざまなプログラム能力の水準を含んでいた。HP9100B(1968年)は基本的な条件ステートメント(IF)、ステートメントの行番号、ジャンプステートメント(goto文)、変数として使用することの出来るレジスタ、および原始的なサブルーチン機能を持っていた。プログラム言語はさまざまな面でアセンブリ言語と類似していた。後のモデルはよりBASIC言語(1971年のHP9830A)を含む多くの機能を追加した。いくつかのモデルはテープストレージと小さなプリンタを持っていた。しかしディスプレイは1回につき1行に制限されていた。HP9100Aは1968年にサイエンス誌内での広告で「パーソナル・コンピュータ」と称されたが、すぐに落ちた。政府の調達と輸出の手続きが複雑になることから、HPがそれらを「コンピュータ」と呼ぶことを渋っていたことが疑われている。

1970年にCTCが開発したDatapoint 2200は、おそらく「最初のマイクロコンピュータ」の最もよい候補である。これはマイクロプロセッサを含まないものの、Intel 4004のプログラム命令セットと、Intel 8008を基にしたカスタムTTLロジックを使用し、実用的な目的のためにシステムはおおよそ8008を含んでいるかのように動作する。これはインテルがデータポイントのCPUを開発することを担当していたが、20個のサポートチップが必要であったので、CTCが8008によるデザインを拒否したためである。

別の初期のシステムKenbak-1は1971年にリリースされた。Datapoint 2200のように、マイクロプロセッサの代わりに離散的なTransistor-transistor logicを用いたが、ほとんどの場合マイクロコンピュータのように機能した。教育用、趣味用のツールとしてマーケティングされたが、商業的には成功せず、発表後すぐに生産が中止された。注目に値する別のシステムは、Micralである。これは1973年にフランスの会社から発表され、8008で動作していた。これはキットではなく、完成品として販売された最初のマイクロコンピュータであった。

ほぼすべての初期のマイクロコンピュータは基本的にライトとスイッチを持つ箱であった。使用者は、それらのプログラムを作ったり使用したりするために2進数と機械語を理解する必要があった(Datapoint 2200はモニタ、キーボード、テープ・ディスクドライブに基づいた近代的なデザインを持つ著しい例外であった)。これらの「スイッチの箱」形式のマイクロコンピュータの中で、MITSのAltair 8800(1975年)は間違いなく最も有名であった。それらのシンプルな初期のマイクロコンピュータのほとんどは電子キット(システムが使えるようになるまではんだ付けする必要があるコンポーネントで詰められたバッグ)として販売された。

およそ1971年から1976年までの期間を、時々マイクロコンピュータの第一世代と呼ぶ。これらのマシーンは技術開発と趣味人の個人使用のためであった。1975年、プロセッサテクノロジーのSOL-20がデザインされた。これはコンピュータシステムの全ての部品を含んだひとつのパーツから構成された。SOL-20はスイッチとライトの列をエミュレートした内蔵のEPROMソフトウェアを持っていた。Altair 8800は重要な趣味人の興味を引き起こすことについて、Altair 8800は重要な役割を果たしたと言及される。このことは最終的にマイクロソフトアップル インコーポレイテッドのような多くのよく知られたパーソナルコンピュータのハードウェアとソフトウェアの会社の設立と成功に至った。Altair自身はただの穏やかな商業的成功であったが、巨大な産業の引き金となった。

1977年にはホームコンピュータとして知られている第二世代の紹介を見た。これらは前任者(しばしば実用的なエレクトロニクスに対する徹底的な知識を必要とした)よりはるかに使いやすかった。モニタ(スクリーン)もしくはテレビと接続する能力はテキストと数のビジュアルな操作を許した。加工していない機械語より学習と使用が容易であったBASICプログラム言語は標準機能になった。これらの機能は、多くの趣味人とメーカーが精通していたミニコンピュータではすでに一般的だった。

1979年、最初にマイクロコンピュータをコンピュータ愛好家のための趣味からビジネスのツールに変えた表計算ソフトであるVisiCalc(最初はApple II用だった)のスタートを見た。IBM PCが1981年にリリースされた後、パーソナルコンピュータという用語は一般的にIBM PCのアーキテクチャと互換のマイクロコンピュータ(PC/AT互換機)のために使用された。

最終更新 2009年11月23日 (月) 09:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【マイクロコンピュータ】変更履歴

ご利用上の注意