マイク・ソーシア
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| ロサンゼルス・エンゼルス #14 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | ペンシルベニア州モートン |
| 生年月日 | 1958年11月27日(50歳) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188cm 220 lb =約99.8kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| 守備位置 | 捕手 |
| プロ入り | 1976年 1巡目(全米19位) |
| 初出場 | 1980年4月20日 |
| 最終出場 | 1992年10月2日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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マイク・ソーシア(Michael Lorri "Mike" Scioscia , 1958年11月27日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した野球選手。捕手。右投左打。ロサンゼルス・ドジャースでは選手として、アナハイム・エンゼルスでは監督としてワールドシリーズ優勝を果たす。アメリカ合衆国ペンシルベニア州モートン出身。選手時代の身長6フィート2インチ(約188cm)、体重220ポンド(約99kg)。
目次 |
[編集] 人物・来歴
1976年のドラフト会議でロサンゼルス・ドジャースから1巡目(全米19位)で指名され、入団。1980年4月20日にメジャーデビューを果たし、1992年までドジャース一筋にプレイ。ストライキでシーズンが短縮された1981年には93試合に出場。この年ワールドシリーズ制覇を経験するが、シリーズではベテランのスティーブ・イェーガーに正捕手の座を譲った。翌1982年にも129試合に出場し、おおむね正捕手の座を射止めたが、1983年は故障(回旋筋断裂)のため、わずか12試合の出場に終わる。1984年には114試合出場。1985年には141試合に出場して自己最高の打率.296を記録し、チームの地区優勝に貢献。恵まれた体格でブロック力に優れ、リードも優秀であった。
キャリアのハイライトと言えるシーンは1988年のナ・リーグチャンピオンシップシリーズ第4戦であった。地区優勝し、ワールドシリーズ出場をかけてニューヨーク・メッツと対戦。シリーズは戦前からメッツ有利の予想で、第3戦を終わってドジャースは1勝2敗とリードを許していた。第4戦はメッツのエース、ドワイト・グッデンが初回2点を許したものも、2回から8回まで追加点を許さず、メッツは4回に3点を奪い逆転。さらに6回にも1点を追加し、8回を終わって2-4となった。しかし、最終回ドジャースの攻撃で、一塁に四球の走者ジョン・シェルビーを置いて、打席に入ったソーシアがグッデンから起死回生の同点2ラン本塁打をライトスタンドに放つ。ソーシアのこのシーズンの本塁打はわずか3本で、対するグッデンはそのシーズン248回1/3を投げて被本塁打8、9イニング平均0.29本と正味3試合完投で1本弱しか打たれていなかった。この試合は延長12回、ドジャースが制し、その勢いで第5戦も勝って3勝2敗とする。第6戦に敗れるが最終第7戦でオーレル・ハーシハイザーの力投で勝ち、ワールドシリーズ出場を果たした。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズも4勝1敗で勝ち、自身2度目だが、正捕手としては初とも言えるワールドシリーズ制覇を成し遂げた。
1989年は初の2桁となる10本塁打、1990年には自己最多の12本塁打を記録し、2年連続オールスター出場を果たす。しかし、1991年に回旋筋断裂の致命傷を負う。
引退後、ドジャースでコーチやマイナー監督を務め、1997年・1998年にはベンチコーチ[1]を務める。2000年よりアナハイム・エンゼルス(2005年よりロサンゼルス・エンゼルス)の監督を務める。2002年にはワイルドカードでプレイオフ進出を果たすと、球団史上初のリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでもサンフランシスコ・ジャイアンツを下し、ワールドチャンピオンとなった。ドジャース時代のチームメイト、ミッキー・ハッチャー(打撃コーチ)、アルフレッド・グリフィン(一塁ベースコーチ)がコーチを務める。監督としては送りバントや盗塁も多用するいわゆるスモールボールを好む。
[編集] 受賞歴・記録
[編集] 通算成績(選手)
- 実動13シーズン 出場1,441試合 打数4,373 得点398 安打1,131 二塁打198 三塁打12 本塁打68 打点446 塁打1,557 四球567(うち敬遠101) 死球22 三振307 盗塁29 盗塁死24 出塁率.344 長打率.356 打率.259 犠飛37 犠打59 併殺打106
[編集] 年度別成績(監督、2008年まで)
| 年度 | チーム | 地区 | 年齢 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位/チーム数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000年 | ANA | AL West | 41 | 162 | 82 | 80 | .506 | 3 / 4 | |
| 2001年 | ANA | AL West | 42 | 162 | 75 | 87 | .463 | 3 / 4 | |
| 2002年 | ANA | AL West | 43 | 162 | 99 | 63 | .611 | 2 / 4 | ワールドシリーズ優勝 |
| 2003年 | ANA | AL West | 44 | 162 | 77 | 85 | .475 | 3 / 4 | |
| 2004年 | ANA | AL West | 45 | 162 | 92 | 70 | .568 | 1 / 4 | ALDS敗退 |
| 2005年 | LAA | AL West | 46 | 162 | 95 | 67 | .586 | 1 / 4 | ALCS敗退 |
| 2006年 | LAA | AL West | 47 | 162 | 89 | 73 | .549 | 2 / 4 | |
| 2007年 | LAA | AL West | 48 | 162 | 94 | 68 | .590 | 1 / 4 | ALDS敗退 |
| 2008年 | LAA | AL West | 49 | 162 | 100 | 62 | .617 | 1 / 4 | ALDS敗退 |
| 通算 | 9年 | 1,458 | 803 | 655 | .551 |
太字はプレイオフ進出(ワイルドカードを含む)。
[編集] エピソード
- 選手・監督の両方でワールドシリーズ優勝を経験したのは、メジャー史上17人目。(他に12人が選手兼任監督として両方を同時に経験している。)
- ノーヒット・ノーランの捕手を2度務めた。1回目は1990年6月29日のフェルナンド・バレンズエラ(カージナルス戦)。2回目は1992年8月17日のケビン・グロス(ジャイアンツ戦)。
- 1990年のオールスターでは、ドジャースの捕手としてはロイ・キャンパネラ以来となる先発出場を果たす。
- 2004年5月4日のシカゴ・ホワイトソックス戦で監督通算626勝目をあげ、エンゼルスの歴代最多勝監督となった。
- 監督としては少ないバイリンガルで、英語の他にスペイン語を話し、ラテンアメリカ出身選手とのコミュニケーションに苦労しない。
- 2002年のワールドシリーズで対戦したジャイアンツの監督ダスティ・ベイカーはドジャース時代のチームメイト。
- 現役時代は主に背番号「14」を着けていたが、監督としてもこの番号を着けている。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com
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最終更新 2009年9月5日 (土) 11:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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