マイケル・エッシェン

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マイケル・エッシェン
名前
本名 マイケル・コジョ・エッシェン
愛称 バイソン
ラテン文字 Michael ESSIEN
基本情報
国籍 ガーナ
生年月日 1982年12月8日(27歳)
出身地 アクラ
身長 178cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 チェルシー
ポジション MF
背番号 5
利き足 右足
代表歴2
2002- ガーナ 46 (10)
2. 2009年9月6日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

マイケル・エッシェンMichael Kojo Essien1982年12月8日 - )は、ガーナ出身の同国代表プレミアリーグチェルシー所属のサッカー選手。ポジションはMF。愛称はバイソン(野牛)。スペルの関係上ファーストネーム、ファミリーネーム共に様々な呼び方があるが、イングリッシュコメンタリーはこの選手を呼ぶ時に「エシエン」(エシアンとも)と呼んでいる。

目次

[編集] 経歴

2006年ドイツW杯アフリカ予選でも大活躍し、ガーナの本大会初出場および本大会ベスト16進出に大きく貢献した。

17歳の時にマンチェスター・ユナイテッドのトライアルを受けたが、A代表出場試合数が規定に足りず、断念。

その後バスティアに入団し、当初は両サイドバックや、センターバックとして活躍。

03-04シーズンに、パリ・サンジェルマンFCとの争奪戦の末にオリンピック・リヨンへ移籍。 その運動量を活かすためにボランチへコンバートされたこともあり一気にブレイク。オリンピック・リヨンの快進撃の中心を担い、04-05シーズンには、リーグ・アン最優秀選手に選出された。

その活躍に目を付けたチェルシーFCにより、3800万ユーロ(約51億円)という破格で移籍。その際、両クラブが衝突し移籍交渉が1ヵ月にも及ぶ事になり、また、エッシェン自身がオリンピック・リヨンでの出場や練習参加を拒んだり、チェルシーFC移籍願望などの発言により物議を醸すが、最終的には念願の移籍を果たした。当時、3800万ユーロはフランスのクラブに支払われた額としては史上最高。(オリンピック・リヨンの年間支出額の1/3とも言われている)その後、チェルシーではレギュラーとして活躍。モウリーニョ前監督からは「ジョン・テリードログバと並び、代えの利かない選手」と賞賛されている。08-09シーズンにはCL準決勝での活躍によりチェルシー・ゴールオブザイヤーを受賞した。

睡眠時間は1日14時間。

[編集] プレースタイル

特筆すべきは、その驚異的なスタミナで、リヨン在籍時は『4つの肺を持つ男』、『(スペルが似ているため)エイリアン』などの異名を取り、本人も「1試合終えた後で、ヘトヘトに疲れたと感じたことはない」とコメントしている。そのスタミナと高い身体能力を武器に中盤を走り回り、ピッチのいたるところに顔を出す。チェルシーでは、彼がいるといないとでは中盤の安定度が格段に違う。中盤での潰し屋というイメージを持たれがちだが、奪ったボールを展開する能力にも長けており、チーム戦術上非常に重要な選手になっている。

積極的に前線に上がって放つ威力抜群のミドルシュートも大きな武器。また、場合によってはセンターバックや右サイドバックといった本職ではないポジションもこなすが、パフォーマンスは落ちる事なくハイレベルにこなしている。

ケガなどによる欠場の少ない選手として知られていたが、2008年9月5日に行われた、ワールドカップアフリカ予選のリビア戦にてヒザ前十字靭帯を断裂する大ケガを負った。ガーナ代表でキャプテンをつとめるアッピアは、この時の様子を、「エッシェンは子供のように泣いており、それを見た僕らは皆動揺した。」と語っている。

上記の離脱は、チェルシーFCにも悪影響を与え、同僚のジョー・コールはインタビューで、「エッシェンが違いを生んでいる。シーズン前半のチェルシーに欠けていたのは、中盤に彼がいることで生まれるペースだ。エッシェンはチームのエンジンさ」とコメントしている。(デイリー・メール紙)

[編集] ガーナ代表

代表チームの同僚であるムンタリとは親交が厚いようで、ムンタリはインタビューの中で、「エッシェンは兄のような存在で、インテルからのオファーが届いた時、『モウリーニョがいるからきっと成長できる。悩まずインテルに行くべきだ。』と移籍を後押ししてくれた。」と語っている。(2008年12月4日ガゼッタ・デッロ・スポルト

[編集] 所属クラブ

ウィキメディア・コモンズ


最終更新 2009年9月30日 (水) 19:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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