マクラーレン・F1
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マクラーレンF1(McLaren F1)は、F1コンストラクターであるマクラーレン社が1991年に発表したスポーツカー。
目次 |
[編集] 概要
| マクラーレン・F1 | |
|---|---|
| 乗車定員 | 3名 |
| ボディタイプ | 2ドア クーペ |
| エンジン | 6.1L V型12気筒 DOHC 48バルブ |
| 変速機 | 6速MT |
| 駆動方式 | MR |
| サスペンション | 前/後 ダブルウィッシュボーン |
| 全長 | 4,287mm(169 in) |
| 全幅 | 1,820mm(72 in) |
| 全高 | 1,140mm(45 in) |
| 車両重量 | 1,140kg(2,513 lb) |
| 最高速度 | 391km/h |
| 最高出力 | 627bhp |
| -このスペック表は試行運用中です- | |
創始者であるブルース・マクラーレンの果たせなかった、「マクラーレンの名を冠したロードゴーイングカー」を具現化した車である。 設計はブラバムやマクラーレンのF1マシンの設計者である、自動車デザイナーゴードン・マレーの手によるもの。エクステリアデザインはピーター・スティーヴンスである。勿論、ゴードンの嗜好や思想を充分に反映させたデザインとなっている。 新車価格は当時日本円にして約1億円であったが、それでも売れば売るだけ赤字になるというほどにコストが惜しみなく注ぎ込まれた車である。F1登場以前の超高性能スポーツカーにはフェラーリ・F40、ポルシェ・959等があったがいずれもターボ過給されたエンジンであり、エンジンレスポンスが悪く、なおかつ快適性が劣っており日常的に乗れるような車ではなかった。そこへホンダがNSXを市販し、その快適性は「スポーツカーとしては運転し易すぎ快適すぎる」という批判があったものの、従来のスポーツカーとは一線を画しており、ゴードンは求める絶対性能の違いこそすれNSXをベンチマークとし、F1の開発中もNSXを所有し快適性とスポーツカーとしての性能の指標としていた。ゴードンはNSXを評して「F1が10点満点ならば、NSXは7点、そのほかのスポーツカー(F40や959、ブガッティ・EB110)は2点か3点」とした。さらにゴードンは「20世紀最後の工業製品として、10年、20年後にも見劣りする事の無い究極の自動車」をテーマに掲げ、これを具現化させた。
Mr.ビーンで知られるローワン・アトキンソンが所有していたが、カーボンモノコックボディのため軽微な事故の修理に、新車のF1に匹敵する金額が必要となった事でも有名。また、F1好きで知られたジョージ・ハリスンも生前所有していた。
音速の貴公子こと故アイルトン・セナも発売が決まると同時に第1号車の予約をしたのは有名な話。しかし、マクラーレンF1が発売される前に1994年サンマリノGPで彼が他界してしまった為、彼がその第1号車に乗ることはなかった。
「世界で最も出力の高いクルマ」として「ギネス・ワールド・レコーズ」に認定された事がある。しかし、後にブガッティ・ヴェイロンに記録を破られている(ヴェイロンは1000馬力を超えている)。
[編集] 機構・スタイル
バタフライドア、グループCカーを連想させるような戦闘的且つ空力を有効活用するスタイリングなど特徴は多岐に渡るが、この車の最大の特徴は、非凡な運動性を実現するべく、重量配分に関わるレイアウトを徹底的に煮詰めているところにある。
まず、ドライバーシートがセンターに置かれ、その左右に若干後退して助手席が配置される、市販車としては類を見ない独創的な3人乗りになっている。これは、運転手1人だけが乗車していることと仮定して、運転席を中央に配置することにより、左右どちらかに重量が偏るのを防ぐことが挙げられる。さらに左右のホイールハウスによるスペース上の干渉が避けられる為、ペダルの配列の自由度が向上するメリットもある。そういった配慮はシート配置だけではなく、エンジンなどの重量物は勿論のこと、トランクルームでさえも、運動性能向上のためには望ましい、ホイールベースの内側に入れてしまう徹底振りである。ただし、スペアタイヤはスペースの都合上搭載出来なかったようで、省略されている(その為に応急補修キットが搭載される)。またフロントバルクヘッドにステアリングギアボックスのケーシングを一体成形で設けているという点も特筆される。
ボディはF1マシン譲りのカーボンファイバーコンポジット材で成型された軽量モノコックボディで、40以上のピースを接着剤で貼りつける構造を持ち、フロアにはアルミハニカムをカーボンファイバー材で挟み込んだ高剛性素材が使用されている。徹底的に金属素材の使用を排除していった結果、モノコックボディ単体で(開発時の目標が達成されているとするならば)180kg、エンジンなどを含めた総重量で1,140kgと、驚異的な軽さに仕上がっている。 ちなみに、このカーボンファイバーの焼成に使用されたオートクレーブは、マクラーレンカーズの本社から少し離れたウォーキングにある施設で製作されるが、元々この施設はジョン・バーナードが機材ごと売却したフェラーリF1のコンポジットファクトリーである。
エンジンルーム内側は遮熱のために金箔(24金)が貼り付けられ、エギゾーストパイプ及びマフラーはインコネル製、その上ウィンドウウォシャー液タンクの蓋までもチタン合金の削り出しと、高価な素材が本当に惜しげもなく使用されている所もこれまでのクルマ造りの観点から見ると異彩を放っている。しかし金箔による遮熱という手法はレーシングカーでは割とよく行われており、エギゾーストパイプも追突事故の際は衝撃吸収材として機能する配置にされるなど、実績のあるものを適材適所で妥協なく使用する手法を取りつつ、それらをロードユースにも適合させるという極めて困難と思われる課題も非常に高いレベルで実現している。
ミッドシップにマウントされているエンジンはBMWモータースポーツGmbh社製。もともとはBMW・8シリーズに同社が手を加えた「M8」に搭載されるはずであったが、結局生産されずにお蔵入りとなってしまったもの。S70/2型というコードがつけられたこのエンジンは、6.1L V型12気筒 DOHC 48バルブで、出力はリッター100bhpを超える627bhpを達成している。ロードカーとはいえども、エンジンの特性そのものはレーシングカーに近く、エンジン本体の鋭いレスポンスもさることながら、カーボン製小径クラッチプレートを使用した多板式クラッチの慣性重量の低さがそれを助長している。当初はホンダからV8もしくはV10エンジンの供給を望んでいたが、マレーの再三の要請にもホンダは応えず、やむを得ずBMWから供給してもらうこととなった。 エンジン本体にはトラス状の構造物が頑丈に溶接されており、これを車体側の上下計四箇所のジョイントで剛結する構造となっている。これによってエンジンの脱着を楽にする事で整備時のサービス性向上を図っている他、エンジンそのものを車体のストレスメンバーとして、シャシーと一体化する事を実現している。この辺りにもマレーの革新性が伺える。
ラジエターは車体前方に二分割して搭載され、ドアサイドに大きく刻まれた斜めのラインに沿って、フロントタイヤのホイールハウスの気流と共に排気、放熱される。また車体下部に車体の下に流れ込んだ気流を吸い上げるジェットファンを採用している。かつてブラバム時代に製作したF1マシン”ファンカー”と同様の手法が採用されている。さらにリアエンドのリップスポイラーが速度に感応してリフトアップする等の空力デバイスを装備している。しかし、後述するGTRにおいてはダウンフォースの不足が指摘される事となる。
6速ギアボックスはHパターンのシンクロメッシュ式トランスミッションを採用、縦置きではなく横置きとなっており、エンジンに組みつけられた状態でも非常にコンパクトであり、またリアサスペンションのアームもギアボックスに取り付けられ、サスペンションからの負荷を負う構造となっていて、この辺りもレーシングカーの常套手段を取り入れた設計となっている。車輌自体のコンパクト化を実現する為、シフトレバーとミッションをロッドでリンクすることが難しいため、ワイヤーリンケージによって連結され、作動する方式を採用している。
ブレーキシステムは前後ともブレンボ製4ポッド。ディスクは冷却性向上のために穴の穿たれたドリルド・ベンチレーテッドディスクで、キャリパーは剛性の高いモノブロック式となっている。当初、F1マシンにも採用されているカーボンディスクブレーキも検討されていたようだが、結局ロードカーの実用面での問題を解決することが出来ずに見送られている(後のGTRでは実現している)。
サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン式で、フロント側はインボードにマウントされたコイルスプリングとダンパーをアルミ鋳造製のロッカーアームを介しロッドを押す、プッシュロッド式が採用されている(リア側は一般的なアウトボード式)。
車輌の重量バランスと、規定されていた重量を実現する為、車載工具がチタン合金である他、標準装備されているKENWOOD製オーディオシステムが細かく重量が指定された特注品である等、重量に対するこだわりも特筆に価する。また「30秒で車内の空気が入れ替わる」といわれた高性能の空調機器を搭載する等、日常での使用にも応える快適性を持たせている。これは後述するGTRでもドライバーから「車内が暑くない」といわれた事からも判る通り、性能一辺倒になって忘れ去られがちになり、本末転倒となりそうな「快適性」という自動車にとって大切なポイントをしっかり押さえていたゴードン・マレーの視点の鋭さを垣間見る点でもある。
マクラーレンF1の車両特性を語る種として、マクラーレン・レーシングのチーム監督であるロン・デニスが、鈴鹿サーキットでのデモンストレーション走行で自らこの車のチェックをするためにステアリングを駆ったが、スピンさせてクラッシュさせてしまった(ちなみに、横にはF1ドライバーであるゲルハルト・ベルガーも乗っていた。なお、この件についてはベルガーがサイドブレーキを引く悪戯をしたためだという説もある。)という過去があるが、これは要するに、1億円という金額を提示して購入する車であるのに、ABSやトラクションコントロールなど、ドライバーに安楽な運転を提供する電子デバイスがほぼなにもなく、また操縦特性も極めてレーシングカー的(安定性が強く曲がりにくいがスピンもしにくい。しかし一旦スピンモードに入るとそれを止めるのは非常に困難)で、相応の運転技術を身につけたドライバーでなければ容易には操れないことを意味する。
そして、ノーマルの状態で最高速テストを行い、371km/hのギネス世界記録を達成したものの、これはあくまで参考記録であり、公式な記録ではないために非公認上の数値となっている。無論、『ギネス世界記録』にも掲載されていない。
その後となる1998年3月、ドイツのヴォルフスブルクにある、9kmの直線区間を有するフォルクスワーゲンのテストコース、エーラ・レッシェンにおいて、アンディ・ウォレスのドライブによって殆どノーマルの状態で最高速テストを行い、391.0km/hを公式に記録した(参考 McLaren F1 - World Record 391 km-h on board camera)。 この記録は最大出力発生回転より上で得られていたので、もし7速ミッションを搭載していたとしたら推定瞬間最高速度は400km/hを超えていたと思われる(AUTO CAR JAPAN 2007/2 67頁 より)。
価格は当時としては超高額の「1億円のスーパースポーツカー」と言われた。この価格の中には、車載工具等の他、マクラーレンカーズ本社における購入者の体格、嗜好に合わせたシート合わせの代金等が含まれていた。
中古車を取引する場合、直接マクラーレンカーズと交渉して、購入希望者との交渉によって売買が成立するといわれる。また売却後はマクラーレンカーズによって、大掛かりなオーバーホールを経て新車同様にリビルトされ、「アプルーブドカー」として新たなオーナーの元に届けられる。
[編集] レース活動
採算を度外視し妥協することなく作られたこの車は、レースにおいても幾つもの好成績を残している。
レース活動を行うにあたっては、BPRシリーズ(現FIA-GT選手権の母体)に参戦していたジェントルマンドライバーと呼ばれるアマチュアドライバーたちの要望に応えるかたちで始まり、マクラーレンF1-GTRを供給した。外観は最低限の空力部品を追加しただけでのように見えるが、中身の主要部品はレース用に再設計(レギュレーションに合わせ、エンジンの排気量も変更)された。ブレーキディスクもカーボンに変更されたが、温度管理等が難しく、カテゴリーによってはレギュレーションで禁止されたため、鋳鉄製ブレーキも準備された。
1995年のル・マン24時間レースでは、設計者のゴードン・マレーがクラッチやトランスミッションの耐久力が24時間保つとは保証できないと懸念を隠さない中、決勝で雨が降り大荒れの展開となる中、J.J.レート/ヤニック・ダルマス/関谷正徳組が運転する国際開発UK(実質的マクラーレンのワークスチーム。車輌はマクラーレンカーズが所有していたGTRの開発車輌であった)が総合優勝を果たした。しかし、前年度より指摘されていたダウンフォースの不足が露呈して来ていた(マウリツィオ・サンドロ・サーラに至っては「ダウンフォースが殆ど無いに等しい」と言い切っていた程である)。この総合優勝を記念して、エンジンのパワーアップ他大幅なチューニングを施し、空力パーツをGTRと同一とした限定車「マクラーレンF1-LM」が五台のみ製造、販売された。ル・マンで優勝を果たした車輌は、ル・マン・サルト・サーキットに隣接するル・マン・ミュージアムにドライバー三人のヘルメットと共に展示されており、今でもその姿を見ることが出来る。
翌年にはエンジンの搭載位置を20mm下げて重心を下げる等の改良を施した1996年バージョンが登場したが、ル・マン24時間レース以前に登場したポルシェ・911 GT1に苦戦を強いられるようになる。
その後、後進のポルシェ・911 GT1やAMGメルセデス・CLK-GTRに対抗すべく1997年に車両前後を伸ばし空力特性を向上させた(共通する部品は殆ど無く、実質上の新型車輌)マクラーレンF1-GTR 1997で1997年以降のFIA-GT選手権やル・マン24時間レースに参戦。ホモロゲーション車輌として、「マクラーレンF1-GT」が三台製作されている(写真参照)。その後、エンジンがBMWだったこともあり、BMWのル・マンにおけるワークス活動においても使用されていた。(その後、BMWはウィリアムズF1との提携により、LMPクラスへ鞍替えすることとなる)
1996年の全日本GT選手権(現SUPER GT、GT500クラス)にもチーム・ラーク・マクラーレン(現チーム郷)が参戦し、総合優勝(ドライバーズタイトル、チームタイトルの二冠)を果たしている。しかし、あまりの強さ故に車輌規定の在り方をめぐって国産GTカーとの軋轢を起こすことになり、突然「日本車重視のマクラーレン潰し」とも取られかねないシーズン中の性能調整(1997年より採用する予定であった車輌規定の前倒しを強行した)が起こる等物議を醸す事となった。結果としてチーム・ラーク・マクラーレンはGTアソシエイションから抗議脱会してしまい、チャンピオンになったにも関わらず、GTオールスター戦にも呼ばれず年間表彰にも招待されない事態を招き、最後まで遺恨を残す事態となり(脱会後はピットの位置も端の方に追いやられていた)、各方面で波紋を呼ぶ事となった。しかし流麗かつスタイリッシュなマシンは各地で高い人気を集めた。
その後はイギリスGT選手権等に細々と出場していた他は売却、保管され、事実上レースの第一線から退く事になるが、全日本GT選手権では1999年までその命脈を保ち続けたほか、スポット参戦も含めれば2005年まで断続的に参戦が行われている。
「生産車ベースのGTレースカー」として不動の位置を保ち、その一方でゴードン・マレーが頑なに守った「まずロードカーありきのGTレースカー」というジレンマの中で、結果としてGT1カテゴリーの開発の激化を招くなど、GTレーシングの意義を問う過渡期に活躍したマシンであるが、その戦歴や流麗なスタイルの印象など、レースファンにとって忘れる事の出来ないマシンとなっている。
[編集] 車輌バリエーション
XP
- 試作車輌である。車名の"XP"とは"eXperimental Prototype(エクスペリメンタル・プロトタイプ)"を意味する。先行試作車という意味合いである。全部で五台が製造され、各種のテストやパーツの比較検討に供された。一号車はサイドミラーがAピラーに取り付けられる等、後に登場する市販車とは若干外観が異なっている。一台がナミビアでのテスト(高温地での耐熱等テスト)の最中にクラッシュして大破してしまう。
F1
- 1993年12月25日に一号車がロールアウト、市販された。
GTR(1994~1996)
- マクラーレンF1のレース仕様として1994年に登場。当初競技車輌として使用することに否定的な反応を示していたゴードン・マレーに対し、ロン・デニスと個人的な交友があったGTCモータースポーツのオーナー兼ドライバーであるレイモンド・ベルム等がこのマシンのレース車両としての資質を見抜き、交渉の末GTレース専用車として登場した。外観上の差異は市販車と比べ、リアウイングの装着、専用のフロントスポイラー及びバンパー、サイドスカート等のエアロパーツの装着等、比較的軽微な物となっている。フロントスポイラー部分はチームによって2~3種類の形態のバリエーションが存在する。エンジンは市販車の628psからリストリクター(吸気制限)の規定に従って600ps程度に絞られている。
- 1996年にはウィークポイントであった重心の高い大排気量エンジンから来るハンドリングの悪さを緩和する為に、エンジンの取り付け位置を20mm下げる改良を施し、重心を相対的にハンドリング性の向上を図っている。またル・マン24時間レース等における夜間走行時の輝度向上と視界確保の向上を狙って、ヘッドライトが二つの盛り上がった透明なバルジの中に収められた大型のライトに変更された(通常のライトも継続して使用されている)。ライトポッド自体もノーマルと比べ前進している為、左右及び前方の照射角度が広がり、夜間走行時のドライバーの心理的負担の軽減にも寄与している。ライトの交換はフロントカウルごと交換を行う。このライトを採用した為、前年のル・マン24時間レースで使用していた補助ライトは廃されている。この他、ワイパーのアームを細い物に交換する等、様々な部位の軽量化が図られている。こうした細かい改良によってハンドリング向上に寄与している。
- 退役後に公道走行用に改造の上ナンバーを取得して、ロードカーに生まれ変わった車輌が存在している。前述したレイモンド・ベルムは1996年に鈴鹿1000kmで自らが乗ったガルフ・オイルカラーのGTRをロードカーにして、1997年のル・マン24時間に自らのドライブでサーキットに駆けつけている。この車輌のロードカーへのリビルトと転用改造はマクラーレンカーズで行われた。運転時には本人曰く「運転は快適で楽しいんだけど、ちょっとうるさいんだよ」と語るとおり、インカムを着用する必要がある。
McLaren F1-LM
- 1995年のル・マン24時間レースの総合優勝を記念して、五台のみ限定で生産されたロードカー。空力パーツはGTRそのままの形態となっており、更にスライド式の小窓を設けた固定式窓等、通常のロードカーと比べてもかなりスパルタンな仕様に仕立てられている。エンジンにも更なるチューニングが施され、通常の628psから648psに強化され、トルクも更に強大な物となっている。車体のカラーリングはブルース・マクラーレンに敬意を表してオレンジ色のみとなっている。
GTR(1997)
- ポルシェ・911 GT1の登場に危機感を募らせたマクラーレンカーズは翌1997年に、殆ど共通部品を使用しない新設計と言っていいほどの「エポリューションモデル」として1997年モデルを投入することになる。マシン全長と全幅を拡大し、ボディ全体の空力を見直してダウンフォースを強化し、トランスミッションもノンシンクロ式の6速シーケンシャルシフトに改められている。またボディの大型化によって機器類の配置に余裕が出たため、ミッションの接続はワイヤーリンケージからロッドリンケージに改められている。屋根上のエンジン吸気用エアスクープは、屋根の流れに沿って気流を送るそれまでの物から、高いラム圧と吸気効率を得る為にシュノーケル形の物に変更された。後にフードをかぶせてより高い吸気効率を得る改良が各車輌に加えられている。エンジンの排気量はそれまでの6064ccから、リストリクターの規制が従来より緩和される5999ccに下げられているが、全体のパワー低下は見られない。リアウイングはコースによって翼端板が大きい物と小さい物等のバリエーションが存在する。前年度型のマシンに採用された大型ライトはこの1997年型にも採用されている。
- しかし、あくまでもマクラーレンF1GTRを競技用車輌とはいえ「ロードカー」という枠組みに当てはめた上でのレーシングカーにしたい(GTカーのみならずツーリングカーのレースに於いて、これは至極当然の事である)ゴードン・マレーの意向に反するように、ロードカーが規定を満たす上での「言い訳」として作られたAMGメルセデス・CLK-GTRやポルシェ・911 GT1等の台頭が著しく、徐々に苦戦を強いられる場面が多くなり、結局同年秋にBMWからのエンジン供給契約が満了したことを受けてロードカーの生産が打ち切られたこともあり、この年を持って表舞台から遠ざかる事となる。マクラーレンF1GTRが去ったその翌年からはGT1カテゴリーが手の付けられない「恐竜」のような存在と成り果て、瓦解の道を辿っていったことは言うまでも無い。なお1999年のル・マン24時間レースには、プライベーターチームからLM-GTPクラスに「プロトタイプレーシングカー」としてエントリーし、総合3位を獲得してル・マンから去っている。そしてその後も全日本GT選手権に於いて生き永らえて行く事になる。
GT
- 1997年の「エボリューションモデル」の登場に際し、EUでの公認を受けるレギュレーションを満たす為に製造されたロードカー。合計三台のみ製造されたが、市販はされていない。外観は1997年型のGTRからリアウイングを省いた程度である。
[編集] 日本におけるマクラーレンF1
1990年代にタグ・ホイヤーの販売イベントで各地の時計店を巡回した。地方在住の者にはこのイベントで始めて実物を目にした者も多い。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月19日 (月) 11:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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