マセラティ・3500GT

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マセラティ・3500GT
乗車定員 4名
ボディタイプ 2ドア・クーペ
エンジン 3485.3cc DOHC 直列6気筒 220馬力(1961年以降:235馬力/5,500rpm)
変速機 ZF製4速MT (1961年以降:ZF製5速MT)
駆動方式 FR
サスペンション フロント:独立懸架 リア:車軸懸架
ホイールベース 2600mm
車両重量 1300kg
最高速度 230km/h
先代 マセラティ・A6
後継 マセラティ・セブリング
-このスペック表は試行運用中です-
マセラティ・3500・スパイダー・ヴィニャーレ
乗車定員 4名
ボディタイプ 2ドア・オープン
エンジン 3485.3cc DOHC 直列6気筒 220馬力(1961年以降:235馬力/5,500rpm)
変速機 ZF製4速MT (1961年以降:ZF製5速MT)
駆動方式 FR
サスペンション フロント:独立懸架 リア:車軸懸架
全長 4450mm
全幅 1635mm
全高 1310mm
ホイールベース 2500mm
車両重量 1466kg
最高速度 230km/h
-このスペック表は試行運用中です-

マセラティ・3500GTMaserati 3500GT )はイタリアマセラティ社で開発、1957年から1964年まで生産された高級スポーツカー。マセラティ初の量産車である。

目次

[編集] 解説

[編集] 歴史

[編集] 開発構想

1950年代半ば、これまでマセラティはフェラーリの最大のライバルとしてレース活動を主体としてきた。当時のマセラティ社のトップ、オメル・オルシ氏とチーフエンジニアのジュリオ・アルフィエーリは、ある構想を立てる。『速く、そして安心して乗れるグラントゥーリズモ』を、しかも量産車で実現するというものだった(当時のスポーツカーは信頼性が低く、フェラーリなどはスピードは出せるが、高い値段の割にロードカーとしては劣悪な居住性、信頼性も著しく欠けていた)。それまでマセラティはマセラティ・A6などロードカーの市販も手掛けてはいたが、それはごく少量生産で、依頼主のオーダーを受けてから造るワンオフカー的な要素が強いものだった。2人の構想はそのような状況を打開するため、マセラティ社の命運を掛けた計画であった。開発コードネームはティーポ101(Tipo101 )。

[編集] 転換

ティーポ101は『可能な限り生産コストを押さえながらも高い品質と信頼性の確保』が要求された。エンジニアリングとしては相反するこの難題を突きつけられたアルフィエーリは妙案を思い付く。それは独自設計、自社生産を極力省き、まず成功を納めていたレースカーティーポ・350Sから直列6気筒エンジンを流用し、その他の主要構成部品は欧州の各有名ブランド品を採用する、というものだった。そしてアルフィエーリはレース用エンジンを市販車用に設計変更し、キャブレターウェーバーから、トランスミッションはドイツZF、クラッチアセンブリーはイギリスのBorg & Beck、リアディファレンシャルはSalisbury、前後サスペンションAlford & Alderをそれぞれ採用する。こうしてティーポ101は、エンジンは名門マセラティのレース用、キャブ、ギアボックス、デフ、サスに至る主要コンポーネントは全て(信頼と品質のある)“ブランドもの”で揃えられ、結果、生産コストの削減と高い品質・信頼性の確保という、相反する要求を見事に両立し、さらには『ブランド価値』まで得る事に成功する。(これ以来、ZF製トランスミッションはマセラティの以降のモデルに採用されていく。)

このティーポ101計画は後のマセラティにとってより大きなより意味を持つことになる。1957年にマセラティはF1チャンピオンシップ獲得するも、いくつか不運が重なりワールドスポーツカーレーシングチャンピオンシップを惜しくも逃してしまい、1958年以降マセラティ社は財政難に陥ってしまうためである。

[編集] デビュー

そして1957年3月、ジュネーヴ・モーターショー3500GTとして初披露。“3500”はエンジンの排気量、“GT”は当初のコンセプト、グラントゥーリズモからとった。マセラティブースには2台のプロトタイプが用意され、1台はカロッツェリア・アレマーノ [1] の作によるもの、もう1台は当時マセラティのロゴ等のデザインを担当していたカロッツェリア・トゥーリング [2] の作。ツーリングは当初のコンセプト通り極めて優美な2+2クーペをデザインし、初の量産車にして後にマセラティ伝統となるラグジュアリーGTカーを体現してみせた。そしてオメル・オルシはこのカロッツェリア・トゥーリングのデザインを採用し、生産を開始する。

1957年暮れから1958年明けにかけて3500GTは生産を開始する。生産モデルはプロトタイプからヘッドランプインパネ類、ダッシュボードの変更、フロントグリルのデザインなど、細部に少々のデザイン変更を受けた。フロントディスクブレーキLSDがオプションで随時追加されていく。

1960年ヴィニャーレ [3] のデザイン・設計により、ホイールベースの縮められた3500スパイダーを発表(後述)。1961年にはキャブ仕様からインジェクションに変更された3500GTIを発表。1962年、古く見え始めていたデザインが見直され、ボンネットとサイドのエアインテークフロントグリルに多少のデザイン変更を受ける。

1964年、生産終了。総生産台数1,983台(クーペモデルのみ)。3500GTは販売としてもデザインとしても大成功を納め、この成功を見たマセラティ社は先述の財政事情もあり1960年をもってF1参戦中止、以降は量産車の開発、生産にシフトしていく。同様に3500GTの成功を見て制作されたプロトタイプは10台以上、制作したカロッツェリアは8社にもなる。名実共にマセラティの命運を変え、また以後のマセラティ車の礎ともなっている3500GTは、以後のマセラティ量産車の中でも群を抜いた生産台数を誇っている。

[編集] 機構

3500GT:直列6気筒エンジンはDOHCヘッドの2バルブ、3チョーク x2のウェーバー・キャブレター搭載し、排気量3,485ccに圧縮比8.5:1とし、最高出力220馬力を5,500回転で発生した(プロトタイプは226馬力/5,500rpm)。シャシーは高強度鋼管によるマルチチューブラーフレーム、乾燥重量は1,300kgの車重を実現。足回りは油圧制御ドラムブレーキ、フロントがダブルウィッシュボーン+トーションバー、リアはリーフスプリングリジッドアクスルとした。

3500GTI:ZF製5速MTを標準搭載し、キャブからルーカス製ダイレクトインジェクションに改められ、これにより最高出力は235馬力まで高められた。最高速度は230km/h。

[編集] 3500スパイダー・ヴィニャーレ

3500スパイダー・ヴィニャーレ3500 Spyder Vignale )は3500GTのロードスターモデル。3500GTの成功はすぐにオープントップモデルの需要を呼んだ。1957年以前、ピエトロ・フルーア [4] は開発段階の3500GT(Tipo101 )のシャシーにスパイダープロトタイプをデザイン、作成する。1958年、カロッツェリア・ツーリングが2つのオープントッププロトタイプを制作。1959年、ジョバンニ・ミケロッティのデザイン、カロッツェリア・ヴィニャーレが制作したスパイダーモデルにマセラティが目を付け、それが採用された。

ミケロッティの描いたヘッドライトからテールランプまで緩やかに漂う曲線は、3500GTのデザインをより優雅に引き立たせ、極めて美しい物となっている。

3500GTと共に機構面でのアップグレードを受け、1960年、スパイダー・ヴィニャーレの本格生産が始まる。ホイールベースがクーペモデルより10cm短狭められ2500mmとなり、小さな後席はより小さくなった。初期モデルからフロントにディスクブレーキが標準採用され、リアはドラムブレーキ、トランスミッションは4MTだった。クーペモデルの3500GTと違いボディにアルミが多用されている。それ故に『超軽量ボディ』という言葉が使われた。スパイダー・ヴィニャーレのボディやドアは強度を得るためスチール製だが、ボンネットやトランクリッドにはアルミが用いられ、重量増しを押さえている。

1961年、クーペモデルの3500GTIと共に5MT化、キャブをインジェクションに変更し、最大出力を235馬力まで上げている。

1964年、3500GTと共に生産終了。総生産台数242台。

[編集] GT

3500GTが1957年3月のジュネーヴショーにて初披露されてから丁度50年後の2007年3月。同じくジュネーヴ・モーターショーで新型車マセラティ・グラントゥーリズモが発表される。この“グラントゥーリズモ”という名称は、3500GTの初期コンセプト『速く、そして安心して乗れるグラントゥーリズモ』から来ている。

[編集] 注釈

  1. ^ Carrozzeria Allemanoアストンマーチン・DB2/4 (1953)、ジャガー・XK140 (1954)、フィアット・600 (1955)、スカイラインスポーツ (1862)などを手掛ける。優雅で伝統を踏まえたスタイリングを得意とした。
  2. ^ Carrozzeria Touringブリストル・401 (1950)、アストンマーチン・DB4 (1958)、ランボルギーニ・350GT (1963)、アルファロメオ・2000 (1960)などを手掛ける。優美だが力強いスタイリングを得意としていた。
  3. ^ Carrozzeria Vignale:マセラティ・セブリング(1962)、ダイハツコンパーノベルリーナ1000 (1964)、マセラティ・メキシコ (1966)、マセラティ・インディ (1969)等を手掛ける。ミケロッティのデザイン、ヴィニャーレ制作のボディは非常に伸びやかで上品な仕上がりとなり、3500スパイダーのようにコンセプトカーから生産が決まった車も少なくない。この当時は頻繁にミケロッティと手を組みマセラティをはじめ様々な車を手掛ける。
  4. ^ Pietro Fruaフィアット・1100 (1946)、ルノー・キャラベル,フローライド (1958)、ボルボ・P1800 (1961)、マセラティ・ミストラル (1963)等を手掛ける。ミケロッティの優美さやピニンファリーナの整い切ったバランスはないが、意匠として特徴のある、しかし決して媚びない骨太のデザインが特徴。この時代のイタリア人デザイナーとしては珍しい。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ


マセラティ S.p.A. ロードカータイムライン 1940-
タイプ 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
エントリー ビトゥルボシリーズ
4ドアGT ロイヤル
クアトロポルテ I II III IV V
GT A6 3500GT セブリング 228 ギブリII
ミストラル カリフ GT
5000GT ギブリ カムシン シャマル 3200GT クーペ
2+2 メキシコ キャラミ
インディ
ミッドシップ メラク
ボーラ
オーナー オルシ・ファミリー シトロエン P デ・トマソ FIAT フェラーリ FIAT
レーシングカー: 26M ・ 8C ・ V8RI ・ 6CM ・ 4CL/4CLT ・ 150S ・ ティーポ63 ・ ティーポ65 ・ 250F ・ 200S ・ 300S ・ 350S ・ 450S ・ ティーポ61(バードケージ) ・ ティーポ151 ・ ティーポ154 ・ MC12 GT1 ・ トロフェオ
ホモロゲーションモデル: バルケッタ ・ MC12
コンセプトカー: マセラティ・ブーメランバードケージ 75th
公式WEBサイト: MASERATI

最終更新 2009年11月4日 (水) 10:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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