マダブ・クマル・ネパール

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ネパールの旗 ネパールの政治家
マダブ・クマル・ネパール
माधव कुमार नेपाल
マダブ・クマル・ネパール
マダブ・クマル・ネパール
生年月日 1953年3月12日(56歳)
出生地 ラウタハット郡、ガウル
出身校 トリブバン大学
所属政党 ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派
世襲の有無 なし
配偶者 ガヤトリ・アチャリヤ

ネパールの旗 第57代首相
内閣 ネパール内閣
選挙区  内閣指名
任期 2009年5月25日 -
大統領 ラムバラン・ヤーダブ

選挙区 内閣指名

  

マダブ・クマル・ネパール(Madhav Kumar Nepal ネパール語: माधव कुमार नेपाल 1953年3月12日 - )はネパール政治家。現在、第57代ネパール首相

副首相ネパール統一共産党(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派)元書記長1993年 - 2008年)。制憲議会議員(内閣指名)。略称「マクネ」の名で親しまれている。

目次

[編集] 経歴

ネパール南部、ラウタハット郡ガウルのバラモン階級の家に生まれる。祖先は200年以上前にインドビハール州から移住してきた。ネパール語が母語であるが、英語ヒンディー語マイティリ語ボージュプリー語にも通じている。[1]本来の姓は「ウパディア」であったが、バラモン階級であることが分かる姓なので、カースト制度に反対する意味で改名した。インドビハール州に留学するが病気のため帰国。

1973年トリブバン大学商学部卒。銀行員、公務員などを務める。

1969年以来、共産主義運動に参加、「スボード」「スニル」「ラジャン」「ビベク」などの偽名地下活動を行う。1971年、ネパール革命機構(マルクス・レーニン主義派)の地区委員会のメンバーとなる。1975年6月7日から翌日にかけてビラートナガルで開かれた全ネパール共産主義革命調整委員会(マルクス・レーニン主義派)の大会で書記局員に選出される。 1976年政治犯として2年間投獄される。 1978年ネパール共産党マルクス・レーニン主義派(通称マレ)の設立に参画し、政治局員となる。

1990年民主化運動ジャナ・アンドラン)では指導的役割を果たした一人である。[2]

1991年ネパール共産党マルクス主義派ネパール共産党マルクス・レーニン主義派の合同による、いわゆる統一共産党ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派、略称UML 通称エマレ)の結成に参加。

1993年に、初代書記長だったマダン・クマール・バンダリが謎の自動車衝突で死亡して以後、15年にわたり、統一共産党の書記長を務めてきた(マン・モハン・アディカリはその上の議長だった)。[3]

統一共産党の少数与党によるアディカリ内閣1994年11月30日-1995年9月11日)では副首相外相国防相を務めた。[4][5]1999年にアディカリが死去した後は書記長の身分で統一共産党党首を務めた。

彼は毛派による内戦は軍による弾圧によるのではなく、話し合いで解決するべきであると主張した。[6]

2001年、反政府抗議活動に対する弾圧の中で逮捕される。ネパール王族殺害事件の後、ギリジャ・プラサド・コイララ首相の辞任を要求。[7]

2006年の民主化運動(ロクタントラ・アンドラン)では7党連合の一員として活動し、ギャネンドラ国王独裁政権を倒した。

2008年4月12日ネパール制憲議会選挙ではカトマンズ第2選挙区およびラウタハット第6選挙区に重複立候補し両選挙区で落選した。ネパールは統一共産党の敗北の責任をとって書記長を辞任し、党国際局長を務めた。後任の書記長にはジャラ・ナト・カナルが就任した。[8]統一共産党はネパールを一時初代大統領候補に挙げたが、毛派の協力が得られず取りやめた。

2009年1月13日プラチャンダ内閣の指名により、制憲議会議員となり、憲法制定委員会議長に就任した。[9]

2009年2月の統一共産党第8回党大会では一旦、議長に立候補を表明したが、後にK.P.シャルマ・オリの支持に回った。結果的にオリはジャラ・ナト・カナルに敗れた。[10]

[編集] 首相就任

2009年5月4日、国軍参謀総長解任をめぐる紛争で毛派プラチャンダ首相が辞任したあと、5月23日、統一共産党とネパール会議派に推され、さらに態度を保留してきたマデシ人権フォーラムも支持に回り、22党の推薦を受け無投票で首相に選出された。毛派など3党は投票をボイコットした。[11][12]

[編集] 日本との交流

首相就任前の2008年8月中旬、来日。18日に国際協力機構(JICA)で上田善久理事と意見交換した。同日日本共産党本部で党国際部長と会談、同日夕方外務省を訪問し、御法川信英大臣政務官を表敬し、意見交換を行っている。[13] 夜は日本ネパール協会主催で都内のレストランで講演した。また19日は日本ネパール友好議員連盟のメンバーと意見交換した。[14] ネパールのポカラ市と姉妹都市関係にある長野県駒ヶ根市も親善訪問している。[15]

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ http://www.dnaindia.com/world/report_madhav-kumar-nepal-prudent-politician-dons-pm-s-role_1258301
  2. ^ 小倉清子「王国を揺るがした60日」亜紀書房
  3. ^ ネパール統一共産党の項
  4. ^ en:Madhav Kumar Nepal
  5. ^ http://www.silobreaker.com/biography-for-madhav-kumar-nepal-5_2256912548441882624_4
  6. ^ en:Madhav Kumar Nepal
  7. ^ en:Madhav Kumar Nepal
  8. ^ 統一共産党ホームページ
  9. ^ 新華社英語版
  10. ^ http://blogs.yahoo.co.jp/nepal_journal/58509569.html
  11. ^ Nepalnews.com2009.5.23
  12. ^ 朝日新聞2009年5月23日
  13. ^ http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/seimu/minorikawa/nepal_08/gaiyo.html
  14. ^ http://east.tegelog.jp/index.php?blogid=24&archive=2008-8-19
  15. ^ http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=11665
先代:
プラチャンダ
ネパールの旗 首相
第57代: 2009-
次代:
現職

最終更新 2009年10月29日 (木) 15:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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