マッターホルン

マッターホルンの最新ニュースをまとめて検索!

マッターホルン

ツェルマットより臨むマッターホルン (2007年7月撮影)
標高 4,478m
位置 北緯45度58分40.58秒
東経07度39分35.86秒
所在地 スイスイタリア国境
山系 アルプス山脈
初登頂 エドワード・ウィンパー
(1865年)
マッターホルン (アルプス山脈)
マッターホルン
マッターホルン (アルプス山脈)
  
この写真はマッターホルンの北東側から眺めたものである。北壁が右に東壁が左に見えているわけである。他の方角から見たマッターホルンは北東方面から見たときほど秀麗でなく、南側から見た場合は山頂が平らにもみえる。
チェルヴィーノ(イタリア側から望む)

マッターホルン: Matterhorn: Cervino チェルヴィーノ、: Mont Cervin モン・セルヴァン または Le Cervin ル・セルヴァン)は、ヨーロッパアルプスの山。標高4478m。 スイスイタリアの国境に位置する。山のスイス側はツェルマットの街があり、イタリア側にはit:Breuil-Cervinia の街がある。マッターホルンという名称は、ドイツ語で牧草地を表すmattと、山頂を表すhornに由来している。アイガーグランド・ジョラスとマッターホルンを三大北壁と呼ぶ。

マッターホルンは東西南北それぞれを向いた4つの斜面をもっている。北斜面と南斜面は、頂上へ向かう短い東西の尾根を形成している。これらの斜面は険しく切り立っており、氷雪はわずかに残るのみである。雪は雪崩を起こして滑り落ち、斜面の下側の氷河に堆積する。山の北東側にあるヘルンリ尾根が一般的な登山路である。

目次

[編集] 登山

マッターホルンが制覇されたのは、アルプスの他の山々と比べれば最近のことである。これは技術的な困難によるものではなく、この山が霊峰であるということを初期の登山家達が恐れたからであった。マッターホルン制覇の試みが始まったのは1857年ごろで、多くの登山家はイタリア側から挑戦した。しかし、イタリア側の登山路は険しく、多くの登山隊は岩壁を攻略できずに退散した。

数回の失敗と民族主義的な中傷を受けつつも、1865年7月14日、エドワード・ウィンパー、チャールズ・ハドソン、フランシス・ダグラス卿、ダグラス・ハドウのイギリス人パーティはミシェル・クロッツとタウクヴァルター父子をガイドにして登頂に挑戦し、初めてこれに成功した。このとき選んだヘルンリ尾根を通る登山路は、意外にも他のルートより平易であった。下山中、ハドウの滑落にクロッツとハドソン、ダグラスが巻き込まれ、これによりザイルが切断され、4人は1400m下に落下して死亡した。発見されなかったダグラス卿を除く3人の遺体はツェルマットの墓地埋葬された。なおウィンパー著『アルプス登攀記』が岩波文庫上下と講談社学術文庫で刊行されている。

3日後の7月17日、ジャン・アントン・カレル率いる登山隊がイタリア側からの登頂に成功。1868年にはジュリアス・エリオットが自身二度目の登頂を果たし、同年ジョン・ティンデールは二人のガイドとともにマッターホルン縦走に成功した。1871年、ルーシー・ウォーカーがライバルのw:Meta Brevoortに数週間先だって、女性初の登頂を成し遂げた。1923年には日本人として麻生武治が初登頂を果たした。

今日、マッターホルンの全ての斜面と尾根は全ての季節に於いて制覇されている。現在の水準からいえば、マッターホルンは確かに技術は必要であるものの、熟練の登山家にとってそれほど難しいわけではない。部分的に補助用ロープが張られている部分さえある。しかし今日でも、未熟な登山者による登頂や岩場からの滑落、遭難などで年間何人かの登山者が命を落としている。また、三大北壁の一つに数えられる北壁ルートは、熟練者であっても困難なルートである。

現在最も一般的な登山経路は、以下の通りである。

  • まず、ツェルマットからロープウェイに乗車
  • シュバルツゼーでロープウェイを下車し、ヘルンリ・ヒュッテを目指す
  • ヒュッテで一泊し、翌日午前4時頃から登頂(午後発生する吹雪をさけるため)

他にも、カレルによって開かれたイタリア側の登山路や、北壁に挑むルートなどがある。

[編集] その他の主な登頂歴

リッフェルゼーに映るマッターホルン。この光景は「逆さマッターホルン」とも呼ばれる。
リッフェルゼーに映るマッターホルン。この光景は「逆さマッターホルン」とも呼ばれる。  
スネガ展望台下のライゼーに映るマッターホルン。(2009年8月撮影)
スネガ展望台下のライゼーに映るマッターホルン。(2009年8月撮影)  
朝日に染まるマッターホルン。
朝日に染まるマッターホルン。  
ツェルマットから望む朝のマッターホルン。(2009年8月撮影)
ツェルマットから望む朝のマッターホルン。(2009年8月撮影)  

[編集] 地質

山体はピラミッド型で4面あり、東面と北面がツェルマットから見える。東面の高さは1000m、北・南・北面はそれぞれ1200m・1350m・1400mである。基部は堆積岩であるが山体は片麻岩で出来ている。2億年前にパンゲア超大陸が分裂し始めた時にゴンドワナ大陸のアフリカ部分として残ったアプーリア・プレートが、1億年前に同大陸から分離し、ヨーロッパ大陸方向へ移動して、アルプス山脈を形成したアルプス造山運動によりヨーロッパ大陸に乗り上げたナッペと言われる地質構造を示す。山容はその後の氷河作用で出来たもの。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
執筆の途中です この「マッターホルン」は、イタリアの地理関連の書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(PJイタリア/P:イタリア

最終更新 2009年12月5日 (土) 04:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【マッターホルン】変更履歴

ご利用上の注意