マデシ
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マデシ(英: Madhesh)[1]はネパール南部に東西に広がる細長い平原地帯、「マデス」「テライ」または「タライ」ともいわれる地域に住む人々。[2]。
国土面積の17%、人口の48%を占め、1100万人が住む。土地は肥沃である。南はインドに接する。
文化的には北インドのそれに近い。言語的にはマイティリー語、ボージュプリー語、アワディー語など北インドの言葉が話され、共通語としてヒンディー語が話される。
また、カースト制度も丘陵部のそれと違って、インドの制度に近い。バラトプル、ビラートナガル、ダーラン、ビルガンジなど、人口の大きな都市が多い。ネパールで最長の国道、マヘンドラ・ハイウェイが東西に通じている。
[編集] マデシ運動
近年、「マデシ運動」が活発化している。マデス地方の人々への差別の撤廃、ネパール国内での自治権の拡大、議会における議席の拡大などを要求している。さまざまな団体が活動しており、中には武装集団"Janatantrik Terai Mukti Morcha"(民主テライ解放戦線)のようなものも含まれている。
穏健派は連邦制の導入を求めており、一方、急進派は分離独立を求めている。マデシ人権フォーラム(MJF)は有力な団体の一つで、この運動では大量の群衆が権利を求めて街頭活動を行い、それにより、約40名の死者を出している。 2008年、2月9日、マデシ人権フォーラム、友愛党、タライ・マデシ民主党は「統一民主マデシ戦線」を結成した。戦線は6つの要求を提示した。その中にはマデシ自治国の設立、自決権、比例代表制、国軍へのマデシ人の採用が含まれていた。戦線は2月11日から12日にかけて抗議行動を表明し、2月13日から無期限のストに入った。ストは16日間続き、カトマンズ盆地を物資不足に陥れた。政府は譲歩し、ストは収まった。
マデシ人権フォーラムは2008年4月10日の制憲議会選挙に政党として参加し、52議席を獲得して第4党に進出している。また、同じくマデシの地域政党であるタライ・マデシ民主党は20議席、友愛党は9議席を獲得し、議会のなかで有力な勢力となっている。
2008年5月28日の制憲議会では連邦制の採用が議決された。現在、マデシ系諸政党は制憲議会で一つのマデシとしてインド国境地帯全体に細長い一つの自治区をつくることを強く主張しているが、これには、同じタライ地方の先住民族であるタルー族が反対しており、毛派や統一共産党もこの主張には反対している。 2008年7月19日選出された副大統領パラマーナンダ・ジャーはマデシ人権フォーラムの出身であり、また7月21日選出されたネパール会議派出身のラムバラン・ヤーダブ大統領もまたマデシ出身である。
ジャー副大統領は就任の宣誓式をヒンディー語で行い、非マデシ系のネパール人から激しい抗議を受けた。ついには自宅に爆弾が投げ込まれ警備に当たっていた警察官が負傷する事態になった。
2008年8月31日に実質的に発足したプラチャンダ内閣にはマデシ人権フォーラムが外務大臣(ウペンドラ・ヤーダブ)を含む4閣僚を入閣させ、友愛党からも党首のラジェンドラ・マハトが入閣している。
もはや、マデシはネパール政治の中で無視できない勢力となっている。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- マデシ人権フォーラム マデシ運動の詳細が記述されている。
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