マライア・キャリー
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| マライア・キャリー Mariah Carey |
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マライア・キャリー(2008年)
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| 基本情報 | |
| 出生名 | Mariah Carey |
| 出生 | 1970年3月27日(39歳) |
| 出身地 | ニューヨーク州ハンチントン |
| ジャンル | POP、R&B |
| 職業 | 歌手、作曲家 音楽プロデューサー |
| 活動期間 | 1990 – 現在 |
| レーベル | Columbia (1990-1999) Virgin (1999-2002) MonarC/Island (2002-) |
| 公式サイト | Official site |
マライア・キャリー(Mariah Carey、1970年3月27日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライターであり俳優(女優)としても活躍している。実際の発音はケアリーに近いが、日本ではキャリーとの表記が定着している。もっとも米黒人英語ではキャリーと発音することも少なくはない。
1990年代最も売れたアーティスト、これまでに全世界で最も売れた女性アーティストとして米国では正式に認定されており、18曲の全米No.1ヒット(Billboard Hot 100)はビートルズに次いで歴代2位で、女性アーティストとしては1位。
2000年にはWorld Music AwardsにてMillennium Awardsをこれまでに最も売り上げた、成功した女性アーティストとして音楽史に残る名誉を受賞。(同じく受賞した男性アーティストはマイケル・ジャクソン)。 これまでにWorld Music Awardsにて17回受賞(アーティストとして最多)。
その他にもGrammy Award、American Music Awards、Billboard Music Awards、などを含む音楽4大音楽賞で数々の受賞をされている。
彼女はこれまでに全世界でシングルセールス6500万枚以上。アルバムセールス1億7500万枚以上。トータルセールス2億4000万枚以上のセールスを記録している。
なお、本国アメリカでの人気は相変わらずで2008年度に実施されたEW.com の読者が選ぶ過去25年間の中で最も好きなアーティストで堂々の1位に選ばれている。
目次 |
[編集] 略歴・概要
ベネズエラ系移民の父(アフリカ系ベネズエラ人とアフリカ系アメリカ人のハーフ)とアイルランド系アメリカ人の母(白人)の間に3人兄弟の末っ子として、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ人種差別に耐えながら幼少期を過ごした。音楽はブラックミュージックを基盤としている。
ハイスクール卒業後、マンハッタンへ移り、ウェイトレスなどをしながらチャンスを待っていた。その後、ブレンダ・K・スターのバックコーラスとなり、ブレンダに連れられて訪れたパーティー会場でCBSレコード(コロンビアレーベル、現:ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント)のトミー・モトーラ社長へブレンダがデモテープを渡したことがきっかけとなり、1990年に"Vision Of Love"でデビュー。このシンデレラストーリーとデビュー直前にNBAFinalで「America the Beautiful」を熱唱し話題になったことから大ブレイクした。
デビュー当時のキャッチコピーは「7オクターブの声域を持つ歌姫」(ただしこれにはいくらか誇張があり、実際には5オクターブ程度だと言われている。楽器で一番音域の広いピアノは7オクターブ半)。声域をいっぱいにまで使った曲はデビューから数年によく見られる。最も高い声を出す人としてギネス・ブックに認定されていた。アルバム『Music Box』(1993年)、『Daydream』(1995年)は全世界で各2500万枚を超える大ヒットとなった。Boyz II Menとのデュエット曲「ワン・スウィート・デイ」は1995年から1996年にかけてビルボードのHOT 100で16週連続No.1を獲得。この最長記録は2009年現在も破られておらず、ギネス記録に認定されている。また、2005年のMIMIからのセカンド・シングル「ウィ・ビロング・トゥゲザー」は「One Sweet Day」に次いで歴代2位の14週間1位である。
1997年のアルバム『Butterfly』では、張りのあるヴォーカルよりもささやくようなコーラスやフェイクが目立つようになる。音楽的にはそれまでのアダルト・コンテンポラリーから、多くのラッパーを起用したR&B、ヒップホップ系に大きくシフトした。後に彼女がバタフライをトレードマークとしているように、一時の商業的ポップ志向から離れ、マライア独自の芸術性・音楽性を開放していくきっかけとなった。ヒップホップビートのサンプリングや、ラップとヴォーカルの融合によるクロスオーバーは、マライアが93年頃から試みている事であるが、現在メインストリームとなっており、彼女の先見の明を評価する声もある。またミュージック・ビデオやステージ・パフォーマンスで、胸を強調したセクシーな衣装・表現が増え、これらが一部のファン離れを招く原因となった。この傾向は後の作品でますます強くなっていく。
1999年のアルバム『Rainbow』を最後にソニー・ミュージックを離れEMI傘下のヴァージン・レコードに移籍。史上最高クラスの8000万ドルもの契約金が話題となった。しかし精神的・肉体的にトラブルを抱え、2001年にはテレビの生放送番組でストリップまがいのパフォーマンスをして顰蹙を買う。
同年、半自伝的な初主演映画『グリッター きらめきの向こうに』(en:Glitter (film))が公開されるが、興業的には失敗に終わる。そのサウンドトラックアルバムは発売前の評判は良かったものの映画の失敗、多すぎるゴシップや発売日(9月11日)がアメリカ同時多発テロ事件と重なったなどの不運もあり、低調なセールスに終わった。結局EMIからはこの1作だけで契約を打ち切られ、「リストラの一環」という不名誉な話題となった。しかし、契約打ち切り金として2800万ドル(30億8000万円)が支払われ、一瞬で得られた最多報酬としてギネスブックに掲載されている(日本では契約の関係上『Glitter』もソニーから発売され、東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)からは1枚もリリースされていない)。同曲のサウンドトラックからシングルカットされた「Loverboy」はビルボードのシングルセールスチャートで年間No.1を獲得している。
ほどなくしてアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループ(Island/Def Jam Music Group、ユニバーサルミュージック傘下)とレコード契約を結び、2002年にアルバム『Charmbracelet』をリリースした。同年12月にプロモーション来日している。
そして2005年、アルバム『The Emancipation Of Mimi』を発表。1997年頃からの囁くような歌い方に全盛期並みの高音が復活し、彼女の新境地を開いた。ファーストシングルの「イッツ・ライク・ザット」がヒットし、同年4月12日はアメリカ・ABCテレビの朝の情報番組『グッド・モーニング・アメリカ』への出演を果たした。セカンドシングル「ウィ・ビロング・トゥゲザー」が通算14週1位を獲得、年間売り上げNo.1シングルとなり、サードシングル「Shake It Off」も最高2位(10月1日付)と大ヒット。アルバムはシングルの「ウィ・ビロング・トゥゲザー」と共に2005年の全米年間セールス1位、全世界で約1000万枚の特大ヒットとなり、「The Return Of The Voice」と形容されるほどの劇的な大復活を遂げた。アメリカン・ミュージック・アワード1部門、グラミー賞3部門など数多くの賞に輝いた。この復活を受け、マライアの第二期黄金時代に突入したとも言われている。
11月には同アルバムに新曲やDVDを加えた『Ultra Platinum Edition』を発売した(日本では2006年1月に国内盤を発売)。ビルボード誌12月31日付で4thシングル「Don't Forget About Us」が1位(2005年、2枚のシングルを全米No.1にした唯一のアーティストとなった)となり、2006年1月7日付けで2週連続1位獲得した。
2008年4月、最新作『E=MC²』をリリース。ちなみに、E=mc2(イー・イコールズ・エム・シー・スクエアードと読む。)とは、アインシュタインが提唱した著名な定理である。正式発表前のタイトルは「That Chick」などと噂されていたが、正式発表では全く異なるタイトルであった。タイトルの意味は「E equals Mariah Carey to the second power」であり、マライアのイニシャルであるMCをもじった遊び心あるネーミング。「E」の部分は「Emancipation」「Energy」など色々な意味でとってくれていいとマライアがインタビューで話している。また、2007年10月に発売予定が、半年遅れでの発売になったり、2007年年末のカウントダウンパーティーでは、新曲の「Migrate」を初公開するなど、マライア側が、今回のアルバムを慎重に扱っていることがわかる。アルバムからの先行シングル「タッチ・マイ・ボディ」はBillboard Hot 100で1位を獲得した。これで彼女のビルボードでのシングル1位獲得は18曲目となり、エルヴィス・プレスリーを抜きビートルズの20曲に継ぐ歴代2位についた。同時期に、アイランド・デフ・ジャムとの再契約を発表した。
さらに、『グリッター』以来、大作映画から離れていたマライアの本格的映画出演が再び始まっている。2008年のトライベッカ・フィルム・フェスティバル(Tribecca Film Festival)では、ハル・ベリーのオスカー受賞作となった邦題『チョコレート』のプロデューサーによるプロデュース作品『Tennessee』が招待作品となっている。その作品でマライアは初めてカントリーソングを披露しており、撮影時はスタッフが涙を流したをいう逸話が入ってきている。
また、『E=MC2』からセカンドシングルとして「バイ・バイ」がリリースされた。同アルバム収録の「ラヴィン・ユー・ロング・タイム」は日本テレビ系列野球巨人戦のテーマソングになっていた。
2009年8月には『Memoirs of An Imprfect Angel』を発表する。リードシングル『Obsessed』は7月7日発売。また『Obsessed』では、数年エミネムから受けていた一方的なバッシングをあざ笑うかのように、「なぜ私につきまとうの?」と歌っている。またミュージックビデオでは、エミネム風の青年に男装し、話題になった。
[編集] 私生活
1993年6月5日にトミー・モトーラ(Tommy Mottola)と結婚したが、音楽的主観の違いや、ファッション(スカートやパンツの丈を指示する等)や私生活に極度に制限を言いつけたり、監視したりすることが原因となり、1997年に別居し、翌年離婚。その後は歌手のルイス・ミゲルや野球選手のデレク・ジーターと交際。
2008年4月30日に俳優兼ラッパーのニック・キャノンとシングル「バイ・バイ」のビデオ撮影をきっかけにして交際し、結婚[1]。
[編集] 日本国内での評価・活動
日本では特に人気が高く、『ミュージック・ボックス』は220万枚[2]、『メリー・クリスマス』は250万枚[2]、『デイドリーム』は240万枚[2]を出荷。ベストアルバム『#1's』は約360万枚[3]を売り上げ、洋楽アルバム史上最高セールスを記録した。計8作のアルバムが日本レコード協会からミリオンセラーに認定され、女性ソロ歌手では松任谷由実・浜崎あゆみ(共に10作のアルバムがミリオンセラーに認定)に次ぐ多さである(2005年9月現在)。日本でのトータルセールスは約1600万枚[3]。
1994年に「All I Want For Christmas Is You」(邦題:恋人たちのクリスマス)がフジテレビ系連続ドラマ『29才のクリスマス』の主題歌に起用され130万枚の大ヒット。
2000年には缶コーヒー「ネスカフェ・サンタマルタ」のCMに出演し明石家さんまと共演した(だがさんま曰く、別撮りである)。マライアはCMソング『Thank God I Found You』(ソロバージョン)も歌っている。
2004年には日本の唱歌『朧月夜』(「Misty Moon」)を歌い、『爽健美茶』・『爽健美茶 緑茶ブレンド』(日本コカ・コーラ)のCMに起用された(CD発売はされていない)[3]。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- Mariah Carey (1990) 全世界1800万枚
- Emotions (1991) 全世界1000万枚
- MTV Unplugged EP (1992) 全世界900万枚
- Music Box (1993) 全世界3200万枚
- Merry Christmas (1994) 全世界1700万枚
- Daydream (1995) 全世界2500万枚、
- Butterfly (1997) 全世界1500万枚
- #1's (コンピレーション・アルバム、1998) 全世界1800万枚
- Rainbow (1999) 全世界1000万枚
- Glitter (2001) 全世界300万枚
- Greatest Hits (グレイテスト・ヒッツ、2001) 全世界500万枚
- Charmbracelet (2002) 全世界400万枚
- The Remixes (リミックスアルバム、2003) 全世界100万枚
- The Emancipation Of Mimi (2005) 全世界1000万枚(ビルボード年間セールス1位)
- E=MC²(2008)
- Memoirs of An Imperfect Angel (2009)
[編集] 全米No.1ヒット
- Vision Of Love (1990) - デビューシングル(4週連続)
- Love Takes Time (1990) (3週連続)
- Someday (1991) (2週連続)
- I Don't Wanna Cry (1991) (2週連続)
- Emotions (1991) - デビューから5曲連続初登場1位、史上最多記録 (3週連続)
- I'll Be There (1992) - ライブバージョン、ジャクソン・ファイブのカバー (2週連続)
- Dreamlover (1993) (8週連続)
- Hero (1993) 94年にかけて1位を記録。(4週連続)
- Fantasy (1995) (8週連続)女性アーティストとして最初の初登場1位達成曲
- One Sweet Day (1995) - 全米16週連続1位(史上最長記録)、史上初の2曲連続で初登場1位
- Always Be My Baby (1996) (2週連続)
- Honey (1997) - アルバム「Butterfly」中最大のヒット、3曲目の初登場1位は歴代1位 (3週連続)
- My All (1998)
- Heartbreaker (1999) (2週連続)
- Thank God I Found You (2000)
- We Belong Together (2005) - 2005年間1位シングル・全米14週1位(16週のOSDに次ぎ歴代2位)
- Don't Forget About Us (2005) 2006年にかけて1位を記録 (2週連続)
- Touch My Body (2008) (2週連続)
(Billboard Hot 100 全米シングルチャート)
[編集] 全米No.1に関するデータ
- 全米首位18曲は、歴代2位である(ソロアーティストしても、女性アーティストとしても歴代1位)。また歴代首位はビートルズで、20曲である。この記録を塗り替えるアーティストに最も近いのが、マライアである。
- 1990年〜2000年の11年間毎年1位獲得。ギネス記録となっている(毎年最低1回はシングルが全米No.1になっている。1994年は「ヒーロー」が年越しで獲得している)。
- シングル2曲連続(Fantasy&One Sweet Day)の全米チャート初登場1位獲得は史上初。
- 全米チャート初登場1位を3曲記録した唯一のアーティスト。
- デビュー以来リリースしたシングル5曲連続でNo.1を獲得(1〜5)。(歴代1位)
- シングルNo.1の獲得期間は18曲で79週(歴代1位)。
- Boyz II Menとのデュエット曲「One Sweet Day」は1995年から1996年にかけてビルボードのHOT 100で16週連続No.1を獲得。この最長記録は現在も破られていない。
- 1枚のアルバムからのシングルのみで25週以上全米チャート1位を記録した唯一の女性アーティスト。
- 歌手として18曲の1位を持ち、女性歌手として最多。元ビートルズのメンバーのソロ時代を含めると、ポール・マッカートニー(29曲・ビートルズ時代を含む。以下同様)、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター(各23曲)に次ぐ歴代5位。
[編集] コンサートツアー
- 1993年 Music Box Tour
- 1996年 Daydream Tour
- 1998年 Butterfly Tour
- 2000年 Rainbow Tour
- 2003年-2004年 Charmbracelet Tour
- 2006年 The Adventures of Mimi Tour
- チュニジア、アメリカ、カナダ、日本
[編集] 日本公演
- 1996年 Daydream Tour
- 3月7日,10日,14日・東京ドーム
- 3月7日は、ワールドツアー初日
- 1998年 Butterfly Tour
- 1月11日,14日,17日,20日・東京ドーム
- 1月11日は、ワールドツアー初日
- 2000年 Rainbow Tour
- 3月4日・大阪ドーム、3月7日,9日・東京ドーム
- 2003年 Charmbracelet Tour
- 6月24日,26日・大阪城ホール、6月29日,7月1日・マリンメッセ福岡、7月3日・広島サンプラザ、7月6日,8日,10日・日本武道館、7月13日,15日・名古屋レインボーホール
- 2006年 THE ADVENTURES OF MIMI "THE VOICE, THE HITS, THE TOUR"
- 10月16日・日本武道館(追加公演)、10月18日・名古屋レインボーホール、10月20日,21日・さいたまスーパーアリーナ、10月24日,25日・大阪城ホール
- 10月25日は、ワールドツアー最終日
日本でのコンサートツアーは今までに5回行われており、最初のアメリカツアーである「Music Box Tour」以外は、必ず日本公演を行っている。
また来日公演の際には、必ずアンコールの最後で「恋人たちのクリスマス」が歌われている。 これは、同曲が日本で大ヒットしたことを受け、マライア自身が日本のファンに向けていつもアンコールの最後に歌っているものであり、12月に行われる他国の公演を除いては、日本公演独自の演出となっている。
[編集] 雑記
- デビューのきっかけを作ったブレンダ・K・スターとは、1998年に彼女の楽曲「I Still Believe」をカバーし共演もするなど良好な仲だったが、現在「マライアが成功できたのは私のおかげなのに、恩知らず」などと発言している。しかしマライア自身は資金援助などもしており「あの頃すでにワーナーとも契約を結びそうだったのよ」と反発している[要出典]。
- 「世界一高い声を出すシンガーソングライター」としてギネス・ブックに登録されている。
- ハローキティのファンである。
- 代表的なバラード「Hero」は、中山美穂が訳詞をつけてカバーした。
- 1998年に発売されたライブ&ドキュメンタリー映像作品「Around The World」には、来日時に「めざましテレビ」のインタビューを受けた様子が収録されている。
- 2002年・2005年でキャンペーン来日し、いくつかのテレビ番組に出演したが、音楽番組で実際に歌わなかったこと(口パク)が、一部の視聴者に違和感を与えたようである。
- 2002年11月の来日時、東京・渋谷の繁華街でアルバム「Charmbracelet」からのシングルカット「Boy (I Need You)」のPVのゲリラ撮影を行った。スタッフが交通を遮断し、マライアが横断歩道を信号無視で歩くなどの強引な撮影をして周囲はパニック状態になった。
- 2005年のCDアルバムのタイトル、「The Emancipation Of Mimi」のミミ(Mimi)とは、彼女の愛称である。
- ライヴ前の睡眠時間は15時間
- 彼女独特のあの驚異的な高音の声域は少女時代にミニー・リパートンの名曲『Lovin' You』を聴きながら練習していて身に付いたという。
- 2006年に全米美脚コンテストというイベントで美脚セレブリティ賞を受賞しその足に10億ドル(約1000億円)もの保険をかけ話題になった。
- マライアの飼い犬であるジャックラッセルテリアのジャックは有名だが、2007年に同犬種のJJ(ジャックジュニア)を飼い始めた。
- 「E=MC2」からのセカンドシングルである「Bye Bye」は2002年に亡くなったマライアの父親のことを歌っている。
- 2008年5月30日のテレビ朝日系音楽番組「ミュージックステーション」に出演した。
[編集] 脚注
- ^ マライア・キャリー、若手ラッパーとの結婚を公表
- ^ い ろ は マライア新記録300万枚突破!、SANSPO.COM、1998年12月16日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
- ^ い ろ は 「爽健美茶」 2004 広告キャンペーン CM 音楽にはマライア・キャリーが日本の歌に初挑戦!、日本コカ・コーラ、2004年2月12日。PDF
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年12月3日 (木) 07:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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