マリアナ諸島

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マリアナ諸島の位置

マリアナ諸島(Mariana Islands)はミクロネシア北西部の列島。東の北西太平洋と西のフィリピン海の境界に位置し、北には小笠原諸島、南にはカロリン諸島がある。南北約800キロメートルに連なる約15の島から構成され、北緯13度から21度、東経144度から146度の間に弧状に広がっている。

南端のグアム島を除く島々を北マリアナ諸島サイパン島より北の島々を北部諸島(Northern Islands)と呼ぶ。

全域がアメリカ合衆国領である。ただし、グアムと北マリアナ諸島は別の行政区画である。地位も違い、グアムは準州、北マリアナ諸島はコモンウェルスである。

人口は2000年の調査では22万426人。うちグアム島が15万4805人、北マリアナ諸島が6万9,221人。北マリアナ諸島のうちロタ島が3283人、テニアン島が3540人、サイパン島が6万2392人、北部諸島が6人。

目次

[編集] 地名の由来

この島を訪れたカトリック司祭イエズス会宣教師ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス(Diego Luis de Sanvitores)が、スペインフェリペ4世の王妃マリアナ(Mariana de Austria, 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘)にちなんで、17世紀初頭に「マリアナの島」(Islas de las Marianas)と名づけたことによる。

[編集] 地勢

総面積は1026平方キロメートル最高峰アグリハン島の965メートルで、これはミクロネシアの最高峰でもある。

全ての島が火山起源であるが、南部のグアム島からファラリョン・デ・メディニラ島までは古い火山で、長い間活動しておらず周辺の珊瑚礁が良く発達している。北部諸島の9つの島は地質学的に新しく、現在も活動している火山が多い。

[編集] 歴史

もともとの住民は、チャモロ人である。1521年フェルディナンド・マゼランがこの島々を「発見」。マゼラン隊はこの島に立ち寄った直後にチャモロ人といざこざを起こし、彼らを虐殺している。

1667年に、スペインはこの島々を彼らの植民地、スペイン領「マリアナ島」とした。以後、入植人口が10万人に増えた一方、チャモロ人はスペイン人が持ち込んだ疫病で数を減らされていった。

米西戦争によってグアム島が1898年アメリカ合衆国に割譲され、これ以降現在に至るまで、グアムは他の島と政治的に異なる立場となる。残る島嶼も2500万ペセタドイツへ売却された(正式な領土化は翌年)。

1914年第一次世界大戦が勃発し、連合国側についた日本軍はドイツ領マリアナ諸島に侵攻し、実効支配下に置いた。戦後発足した国際連盟によって、マリアナ諸島は日本の委任統治領と認められ、サイパン島を中心に日本人による殖産興業が進められた。

その結果、サイパン島グアム島テニアン島太平洋戦争中、戦略上の要衝として、多くの民間人を巻き込んだ地上戦の舞台となった(マリアナ・パラオ諸島の戦いを参照)。またアメリカによる占領後のサイパン島グアム島テニアン島は日本本土に対する戦略爆撃の基地として利用された。

戦後、グアム島は戦前の地位を回復し、1950年には自治権を得た。北マリアナ諸島は1947年国連信託統治領ミクロネシア(グアムは含まない)の一部としてアメリカの統治を受け、1986年、アメリカに併合された。

現在、チャモロ人はアメリカ本土やグアムにも散らばり、約1万9千人がマリアナ諸島全体で暮らしている。

[編集] 各島

マリアナ諸島の島々(地図タイトルは北マリアナ諸島だが諸島全体が描かれている)

北から。

[編集] マリアナ諸島から名づけられたもの

最終更新 2009年9月9日 (水) 14:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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