マリリン・マンソン

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マリリン・マンソン
2007年6月29日のライブパフォーマンス
2007年6月29日のライブパフォーマンス
基本情報
出生名 ブライアン・ヒュー・ワーナー
別名 Marilyn Manson & the Spooky Kids
出生 1969年1月5日(40歳)
出身地 アメリカ合衆国オハイオ州カントン(Canton
ジャンル オルタナティブ・メタル[1][2][3][4][5]
Industrial metal[1][6][7][8][9][10][11]
Shock rock[12][13][14]
ハードロック[15][16][17][18]
Industrial rock[19][6]
グラムロック[6][20]
職業 音楽家
活動期間 1989年 – 現在
レーベル ナッシング・レコード
インタースコープ・レコード
公式サイト www.marilynmanson.com
メンバー
マリリン・マンソン
トゥイーギ・ラミレズ
クリス・バンナ
ジンジャー・フィッシュ
アンディ・ジェロルド
旧メンバー
旧メンバーの節を参照
  

マリリン・マンソン (Marilyn Manson) は、アメリカロックバンド、および同バンドのリードヴォーカリストであるブライアン・ヒュー・ワーナーBrian Hugh Warner1969年1月5日 - )の芸名である。メンバー全員が、実際の顔が分からないほどの非常に濃いメイクや派手な衣装を身に纏い、ライブパフォーマンスが奇抜で大規模であることからPTAからも監視され、「世界最大の問題児」と呼ばれることもある。音楽の分野を超えて日本にも多大な影響を及ぼしている。マンソンをモデルに、一見常軌を逸した流儀とともに「子供に悪影響を及ぼす」とメディアで言われてきた彼の徹底したやり方と歌の歌詞を巡る論争は、よりはっきりした公へのアピールにつながった[21]

目次

[編集] 生い立ち

1969年1月5日オハイオ州カントン(Canton)にて、バーブ・ワーナーの息子として生まれる。父親はカトリック教徒であり、母親は米国聖公会の教会員である。彼の自伝The Long Hard Road Out of Hell』(日本語訳『マリリン・マンソン自伝 地獄からの帰還 』によると、ブライアンの父方はドイツ人とポーランド人を先祖に持つという。ブライアンは母親の信仰でカントンの教区学校en:Heritage Christian School (Canton, Ohio)に通い[22]、のちに転校するが、1987年en:Cardinal Gibbons High Schoolを卒業する。

ブライアンは、両親によってカトリックの私立中学校に入学させられ、ハルマゲドンイエス・キリストについて嫌というほど教え込まれた。当時の彼が使用していたノートに、「こんな生活やだ」との一文を何度も繰り返し書き続けたらしく、そのノートを見た親や、教師に何度も殴られたという。その反発から麻薬や煙草に手を出し、さらにタトゥーを入れるなどして素行不良になった結果、退学処分となる。それが現在の反キリスト的な歌詞などを書くようになった原因の1つと言われている。彼の周囲には「変態ポルノを見せつけてくる年上の親戚」や、「彼の服を脱がせて囚人ゲームに興じる隣人」、「ベトナム戦争中に秘密部隊に属し、無辜の一般市民を多数殺害した父親」、「地下に自身のアブノーマルマスターベーション専用の部屋を設けていた祖父」など、常軌を逸した人間が多かった。これがボンテージファッションを嫌いになった原因である。それによって受けた形而上的な虐待、迫害から彼は孤独になるも、そこからの現実逃避としてロックに出会ったという。

1990年、ブライアンは二年制大学en:Broward College(専攻はジャーナリズムと劇文学)に通っていた。この学校でバンドを結成することになる仲間と出会い、バンド活動を始めていく。彼はジャーナリストの地位を目指して努力し、南フロリダen:South Florida metropolitan areaの『ライフスタイル』や『25thパラレル』などの雑誌で音楽記事を書いて野外で経験を積んだ。このころに、en:My Life with the Thrill Kill Kultナイン・インチ・ネイルズトレント・レズナーと出会う。

[編集] 音楽

1989年、ブライアンはフロリダ州にて「マリリン・マンソン&ザ・スプーキー・キッズ」(このバンド名は1992年に「マリリン・マンソン」に短くされた)を結成する。ブライアンは、この間に、2つのチームプロジェクトについてジョージア・ホワイト(トウィーギ・ラミレズの名で知られる)やスティーブン・グレゴリー・ジュニア(マドンナ・ウェイン・ゲイシーの名で知られる)と関わっている。

1993年の夏、バンドはトレント・レズナーから注目された。1994年、マリリン・マンソンのデビューアルバムとしてナッシング・レコードより「ポートレイト・オブ・アン・アメリカン・ファミリー」(en:Portrait of an American Family)を発売する。1995年に「スメルズ・ライク・チルドレン」(en:Smells Like Children)を発売したことで、バンドは大きくカルト的な人気を獲得し始めた。1983年ユーリズミックスのヒット曲「スウィート・ドリームズ」(en:Sweet Dreams (Are Made of This) (song))をコンパクト盤でカバーした。トレント・レズナーと共同製作し、1996年に「アンチクライスト・スーパースター」(en:Antichrist Superstar)を発売したことでより大きな成功を得た[23]。アメリカ単独でプラチナレコード(ゴールドディスク)に認定され、3枚のアルバムのうちの2枚がトップテンに入っている。

マンソンは初め、ジャック・オフ・ジル(Jack Off Jill)の設立者として働いた。バンド名を付けた彼はバンドの初期の記録作成を手伝い、『マイ・キャット』をギターで演奏した。バンドは南フロリダ(en:South Florida metropolitan area)の大部分でショーを開いている[24]。マンソンはのちに、ジャック・オフ・ジルの初期のレコーディングコレクションとして、バンドアルバム『en:Humid Teenage Mediocrity 1992–1995』のライナーノーツを書いている。

マンソンは、MCDMX (rapper)のアルバム「en:Flesh of My Flesh, Blood of My Blood[25]と、マンソンが立ち上げたレーベル「ポストヒューマン」で唯一活動していたゴッドヘッド(en:Godhead)のアルバム「en:2000 Years of Human Error」のゲストパフォーマーとして出演している[26]。また、1993年に公開され、2007年に3D化された『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の音楽に使われているダニー・エルフマンの『en::This is Halloween』をカバーしており、それは2008年発売のカバーアルバムen:Nightmare Revisitedに収録されている[27]

『mOBSCENE』では、プロモーションビデオ映像の製作を自ら手掛けている。

ヒップホップ界で有名な「Eminem (エミネム)」と"The Way I Am"にてゲストとして出演を果たす。

[編集] 映画とテレビ出演

マンソンはデヴィッド・リンチの映画『ロスト・ハイウェイ』にて、俳優としてデビューしている。以来、彼は『パーティ★モンスター』、当時の婚約者であったローズ・マッゴーワン主演の『ハード・キャンディ』、アーシア・アルジェントの『サラ、いつわりの祈り』、『ブラッド』、そして『en:The Hire: Beat the Devil』を含む作品にて、様々な脇役での出演および特別出演でその姿を見せる。マンソンはマイケル・ムーアの政治ドキュメンタリー『ボウリング・フォー・コロンバイン』にて扱っているコロンバイン高校銃乱射事件について、マンソンの曲が原因ではないかという申し立てがなされたことについて、ムーアのインタビューに答えていた。マンソンは『クローン・ハイ(en:Clone High)』というアニメに出演し、MTVの『セレブリティ・デスマッチ(en:Celebrity Deathmatch)』にて、ショーの非公式の優勝者とマスコットに扮して参加している。クレイアニメによる操り人形を用いて声を演じ、サウンドトラックアルバムに「アストニッシング・パノラマ・オブ・ジ・エンドタイムズ(en:Astonishing Panorama of the Endtimes)」を寄贈している。

2005年7月、マンソンはローリング・ストーンに「僕は音楽から映画製作に焦点を移してきた。現在、世界が音楽に価値があるとみなしているとは思わない。もはやほかの人間による芸術—とくにレコード会社—を反映したものは作りたくない。自分の芸術を作りたい」と述べた。俳優のジョニー・デップは、映画『チャーリーとチョコレート工場』にてウィリー・ウォンカ役として出演した際に、マンソンのパフォーマンスにひらめきを得て演技に利用した。マンソンは映画のウィリーウォンカ役のデップの演技に興味を示した[28]。マンソンは「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルの映画『Phantasmagoria: The Visions of Lewis Carroll』の監督としても活動している。この映画では監督・主演・音楽をマンソン自ら手掛けるもので、アリス役はファション・モデルのリリー・コールである。ウェブのみの公開よりも、約420万ドルの予算を出すことに決め、公開は当初2007年中期を予定していた。映画には、以前発表しなかった曲と、映画オリジナルの音楽が使用される[29]。映画製作は、『イート・ミー、ドリンク・ミー』ツアー後の期間まで延期された[30]

[編集] 芸術活動

2004年、マンソンはen:i-Dという雑誌のインタビューにて、1999年より水彩活動を始めたことを語った。2002年9月13日から14日にかけて、ロサンジェルスの現代画展センターにて、マンソン初の水彩画の展示会「ゴールデン・エイジ・オブ・グロテスク」が開かれた。「アート・イン・アメリカ」(Art in America)のマックス・ヘンリーは、マンソンの作品を「精神病患者が芸術療法(en:Art therapy)として物質援助を受けた」作品にたとえて、著名人として描いたその絵の価値を「彼の作品は美術作品として真剣に受け止められることはないだろう」と述べた[31]

2004年9月14日から翌15日にかけて、フランスパリおよびドイツベルリンにて、2回目の展示会が開かれた。展示品の中心の題名でもある『Trsismegistus』と名付けられた展示会では、大きな3つの頭のキリストが、持ち運び可能な死体防腐処理者のテーブルからアンティークの木の羽目板の上に塗られている。マンソンは自身の芸術運動(en:art movement)を「Celebritarian Corporation」と自称した。彼は運動のために「俺たちはそこにいる奴らに(俺たちの)恐れを売る」という標語を作った。2005年、マンソンは「Celebritarian Corporation」が正確には1998年に何らかの形で始まっており、7年間培養させていたことを示している、と述べた[32]

「Celebritarian Corporation」は、3度目の展示会が開催されたロサンゼルスにあるマンソンの美術館と同名であり、「Celebritarian Corporation Gallery of Fine Art」と呼んだ。2007年4月2日から17日にかけて、彼の最近の作品がフロリダ州の「Space 39 Modern & Contemporary」に展示されている。この展示会での40作品はドイツのケルンにある美術館Brigitte Schenkに移され、2007年6月28日から2007年7月28日にかけて公的に展示された。マンソンは展示会の初日の夜に出席するために同地にいたが、ケルン大聖堂への入場を拒絶された。マンソンによると、理由は彼の化粧が原因であったが、別の情報源では複数の理由が挙げられた[33]

[編集] ビデオゲーム

マンソンは、ビデオゲームen:Area 51 (2005 video game)』にて、グレイ「エドガー」役として出演している。『クルシ・フィクション・イン・スペース』(『Cruci-Fiction In Space』…アルバム『en:Holy Wood (In the Shadow of the Valley of Death)』の収録曲の1つ)は、同じくゲーム『ザ・ダークネス (ゲーム)|ダークネス』のコマーシャルで使われている。テレビゲーム『セレブリティ・デスマッチ』(『en:Celebrity Deathmatch (video game)』)には、マンソンの似顔絵が使われており[34]2003年に彼がサウンドトラックにレコーディングした歌が使われている。『ユーズ・ユア・フィスト・アンド・ノット・ユア・マウス』(『Use your fist and not your mouth』…アルバム『en:The Golden Age of Grotesque』の収録曲の1つ)は、ゲーム『en:Cold Fear』ならびに『en:Spawn: Armageddon』にクレジット名で入っている。

[編集] アブサン

スイスで作られているリキュールアブサンを、マンソンの自社ブランド『Mansinthe』として作ることにも着手している。匂いを汚水と比較したり、味を「小便なみに酷い」と酷評した批評家など賛否両論を受け[35]、アブサンの「Versinthe」が、上位5つのうち2位となり[36]、2008年のサンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティションで金メダルを勝ち取った[37]

[編集] 私生活

マンソンは、のちに結婚することになるディタ・フォン・ティースと関係ができる前に、ミッシェル・グリーンバーグと関係があった[38]。マンソンは女優のローズ・マッゴーワンと婚約していた。2007年エヴァン・レイチェル・ウッドとの関係が公表されると、マンソンの性生活に注目が集まった[39]。自身のサイン入りの黒革のパンツを掃くというマンソンのコメントをメディアが発表[40]したのち、動物の権利の愛護団体・動物の倫理的扱いを求める人々の会en:People for the Ethical Treatment of Animals)が、『ワースト・ドレス・セレブリティズ’2008』にマンソンを加えた[41]

[編集] ディタ・フォン・ティースとの結婚

マンソンは長いあいだ、バーレスクダンサーでモデルのディタ・フォン・ティースならびに彼女のウェブサイトのファンであった。2人が初めて出会ったのは、マンソンが自身のミュージックビデオの1つに彼女に出演して踊るよう頼んだときである。それは叶わなかったが、これを契機に2人は連絡を取り合った。マンソンの32歳の誕生日に、ディタはアブサンのボトルを1本届け、両者はカップルとなった。2004年3月22日、マンソンはディタにプロポーズし、1930年代のヨーロッパのダイヤモンドで7カラットのダイヤモンドカット(en:Diamond cut)の指輪を贈った。2005年11月28日、マンソンとディタは、自分たちの自宅で無宗派(en:Non-denominational Christianity)による式を挙げ、非公式に結婚した。同年12月3日アイルランドティペラリー州に住む彼らの友人ゴットフリート・ヘルンヴァインの自宅でより大きな式典が開かれた。結婚式では、映画監督で漫画原作者のアレハンドロ・ホドロフスキーが司会を務めた。伝えられるところでは、2人はリサ・マリー・プレスリーエリック・スマンダ、ジェシカ(en:Jessicka)、en:Christian Hejnal、バーレスクパフォーマーのen:Catherine D'lishを含むおよそ60人の前で結婚の誓いを交わしたという。花嫁は、スティーブン・ジョーンズとパール・コルセットによるデザインの三角帽子と、ヴィヴィアン・ウエストウッドが作った青みがかった紫の絹のen:taffetaのガウンを着ていた。モスキーノ(en:Moschino)はディタのためだけに、週末の残りのあいだにずっとワードローブをデザインしていた。披露宴での音楽は、レトロなドイツのバンドマックス・ラーベ(en:Max Raabe)が提供した。客たちは、その日の結婚式のあとにスキート射撃(en:skeet shooting)、アーチェリー、そして鷹狩への招待を受けた。結婚式の写真は、2006年3月号のファッション雑誌ヴォーグの見出し「The Bride Wore Purple」に掲載された[42]

[編集] 離婚

2006年12月30日、ディタ・フォン・ティースは「和解しがたい不和」のために離婚を申請した[43]。ET.comと雑誌ピープルは、マンソンが、映画『Phantasmagoria: The Visions of Lewis Carroll』で共演し、2007年のマンソンのシングル「ハート・シェイプド・グラスィズ」(Heart-Shaped Glasses)に登場している女優のエヴァン・レイチェル・ウッドと「不倫した」と報じている[44][45]。ディタ・フォン・ティースはサンデー・テレグラフ(en:The Sunday Telegraph)のインタビューで、「彼は私が協力的ではないという印象を受けたようだけれど、真実は、私が彼の生き方の支えにはならなかった。誰かほかの人と一緒だった」[46]と述べた。マンソンのアルコール依存症とよそよそしい振る舞いが、破局の原因として挙げられもした[47]。伝えられるところでは、マンソンは双方の3匹の猫の養育権を巡って争っているという[48]。離婚の審判は、2007年12月27日ロサンゼルス上級裁判所に託された[49]

[編集] 訴訟

1997年、バンドの元ギタリストであるデイジー・バーコウィッツことen:Scott Puteskyは、「アンチクライスト・スーパースター」を含む期間までの自身のバンドへの貢献に対して未払いである著作権使用料を求めて、マンソンを告訴した。この案件は1998年に決着したが、どうなったのかは明らかにされていない。

2000年11月27日ミネソタ州ミネアポリスでのコンサートの警備員デイビッド・ディアスは、マンソンに暴行されたとして、ミネアポリス連邦裁判所にて75000ドルの損害賠償を要求する民事訴訟を起こした[50][51]。連邦裁判所の陪審員は、マンソンを「勝訴」とした[52]

2001年7月30日、マンソンはミシガン州オークランド郡のクラークストン(en:Clarkston, Michigan)でのコンサートにて、警備員のヨシュア・キースラーに性的不品行(en:sexual misconduct)を働いたとして告発された。オークランド郡は、当初は暴行罪と性的不品行の罪でマンソンを告訴した[53]が、裁判官は後者を軽犯罪である「風紊乱行為」に引き下げた[54]。マンソンは引き下げられた告訴に対して不抗争の答弁(en:no contendere)を嘆願して4000ドルの罰金を払い[55]、後日、明らかにされていない条件のもとで訴訟を解決した[56]

2002年4月3日、マリア・セント・ジョンは、マンソンが彼女の娘ジェニファー・サイム(en:Jnnifer Syme)にコカインを与えて窃取させ、娘はその状態で車を運転して死んだとして、マンソンをロサンゼルスの上級裁判所に告訴した[57]

2007年8月2日、バンドの元メンバーのステファン・グレゴリー・ビール・ジュニア(マドンナ・ウェイン・ゲイシー)は、未払いの給料2000万ドルを求めてマンソンに訴訟を起こしている。訴訟の一部の詳細は、報道機関に漏洩した[58][59]。同年11月、ある新聞社が「マンソンが子供の骨格と人間の皮膚でできたマスクを購入した」と伝えたことで、マンソンに訴訟を起こされた。伝えられえるところでは、ハイイログマ、2体のヒヒといった動物のぬいぐるみ、そしてナチスの記念品(en:Nazi memorabilia)を買ったという[60]。同年12月、マンソンは、曲の演奏やバンドの宣伝といった、バンドのメンバーとしての責任を果たすことを怠ったとして、ビーアを控訴している[61]

[編集] 音楽性

スロベニアの首都リュブリャナでのライブにて(2007年
フランスで開催されたロック音楽祭(en:Eurockeenes)にて(2007年)
フローレンスでのライブにて(2007年)

キッスデヴィッド・ボウイビートルズデペッシュ・モード、ゲイリー・ニューマン、キュアーアイアン・メイデンウルトラヴォックス(主にミッジ・ユーロ在籍時代)といった様々なジャンルの音楽から影響を受けている。その中でもボウイは別格の存在であり、『Ashes To Ashes』のPVを「何度見ても色あせることはない」と絶賛している。また「ポートレート・オブ・アン・アメリカン・ファミリー」に、収録されている"Dope Hat"のプロモーション・ビデオは、夢のチョコレート工場から影響を受けているとされている。

彼の音楽は専らハードロックやインダストリアルメタル、オルタナティブロックに分類されるがポップな要素を多く含んでいる。アルバムごとに、全くといっていいほど音楽性を変える。マンソン独自の世界観と哲学を反映させた歌詞も特徴。彼の音楽性や哲学、カリスマ性はジャンルを問わず、国内外のアーティストに影響を与えている。

コンサート活動には非常に精力的で、大規模な仕掛けや趣向を凝らした演出を欠かさない。紋章入りの真っ赤なたれ幕と黒焦げの星条旗の前で、ナチスさながらに壇上で歌い叫ぶ。ファンには喜ばれるが、聖書を破り捨てるなどの演出から、ライブ会場の前にてキリスト教の団体による抗議デモが見られることが珍しくない。また、ヨーロッパでのツアーでは豚の血を会場に撒くなどの過激な演出でマスコミからもバッシングされた。

[編集] カバー・楽曲提供

ユーリズミックスの"Sweet Dreams (Are Made of This)"に代表されるように、マンソンはほかのアーティストの曲のカバーをリリースしている。

また、「Rock Is Dead」を映画『マトリックス』に、「This Is The New Shit」を映画『マトリックス・リローデッド』に、「Redeemer」を映画『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』に、「Disposable Teens」を映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』に、「The Fight Song」「Resident Evil Main Title Theme 」「Seizure Of Power」「Reunion」「Cleansing」を映画『バイオハザード』に、「Long Hard Road Out of Hell」を映画『スポーン (映画)』に、「The La La Song」を映画『パーティ★モンスター』に、「Irresponsible Hate Anthem」を映画「ソウ2」に、「You and Me and the Devil Makes 3」を映画『バイオハザードIII』に提供するなど、映画への楽曲提供も行っている。

[編集] マリリン・マンソンとキリスト教

マンソンには常に反キリスト教のイメージが付きまとう。マンソン出現以前より反キリスト教イメージを持つアーティストは少なからず存在するが、ここまでそのイメージが定着しているアーティストは少ない。それを決定付けたのが、セカンドアルバム『Antichrist Superstar』の発表である。その後マンソンはまさに「アンチクライスト・スーパースター」という別名で呼ばれることとなる。しかしマンソン自身は、単なるキリスト教批判ではないと主張している。「Disposable Teens」という曲の中で「I never really hated the one true god. But the god of the people I hated(俺は本当の神を憎んだことは一度もないが、人々が信じる神は大嫌いだ)」と歌っているのはその一例である。また、『Holy Wood : In the Shadow of the Valley of Death』の発表や、その後の「Guns, God, Government Tour」では政府、銃問題に加え、アメリカに蔓延する狂信的なキリスト教原理主義に対する反抗をテーマとした。マンソン自身、高校生のころにダーウィンニーチェフロイトを読んでいたことも影響している。とりわけニーチェの著作「反キリスト者」(1889年)から受けた影響は大きい。

彼の主張、行動は常に(とりわけ保守派層に対して)賛否両論を巻き起こすが、問題を提起し、議論を促していることは確かである。

[編集] 嗜好

ステーキコーンフレーク砂糖が入ったものを好んで食べる。酒はワイン、特にアブサン酒を愛飲している。コーヒーは飲まない(コーヒー豆の缶の中に堕胎児が捨てられているのを見て以来飲めなくなった)。

若い頃は頻繁に喫煙していたが、その影響で兄が肺癌を患って他界したため、以来吸わなくなった。

コカインを常用しているとされる(PVにもそうした描写がある)。

[編集] メンバー

メンバーの名前は、「マリリン・マンソン」を始め、有名人の名前を融合させたもので、それも実在の殺人者の名前を必ず用いるという特徴がある。

Marilyn Manson(マリリン・マンソン)(Vocal)
マリリン・モンローチャールズ・マンソンを合わせた。マリリン・モンローは「美の象徴」として[62]、チャールズ・マンソンは「悪の象徴」として使用しているとされる[63][64]
Twiggy Ramirezトゥイーギ・ラミレズ) (Live Bass and Guitar)
ツイッギーと、14人を殺害し、獄中結婚をしたリチャード・ラミレスより。
Ginger Fishジンジャー・フィッシュ) (Live Drum)
女優ジンジャー・ロジャースと、多数の子供を殺してその肉を食べたアルバート・フィッシュより。
Chris Vrenna(クリス・バンナ)(Live Keyboard)
ナイン・インチ・ネイルズでドラムを務めていた。その他色々なバンドの制作に参加している。
Andy Gerold(アンディ・ジェロルド)(Live Bass)
en:Ashes DivideやMy Darling Murderなどにギタリストとして参加していた。

[編集] 旧メンバー

Wes Borland(ウェス・ボーランド)(Guitar)
2009年5月、リンプ・ビズキットに復帰したために脱退。
Tim Skoldティム・スコルド)(Live Bass and Guitar)
2002年、脱退したトゥイーギ・ラミレズの後を引き継ぐが、ラミレズが復帰したことで2008年1月に脱退。
Madonna Wayne Gacy(マドンナ・ウェイン・ゲイシー)(Live Keyboard)
マドンナと、ピエロに扮して複数の男児を殺害したジョン・ゲイシーより。
マリリン・マンソン結成時から加入していたが、2007年8月に金銭的問題でマンソンを告訴。正式な脱退発表はなし。
Mark Chaussee(マーク・チュウシー)(Guitar)
2005年、ジョン5の後を引き継ぎ、ツアーでのサポートギタリストとして一時的に参加。
John5(ジョン5)(Guitar)
1998年、ジム・ザムの後を引き継ぐが、バンドに内緒でアヴリル・ラヴィーンに曲を提供したためなどを理由に、2003年に離脱の通告を受けて脱退。
Rob Holliday(ロブ・ホリディ)(Live Bass and Guitar)
Tim Skoldのポジションチェンジや脱退などの引継ぎで、ツアーでのサポートベーシスト、ギタリストとして一時的に参加。プロディジーなどのサポートベーシストを務めている。
Zim Zum(ジム・ザム)(Guitar)
神が不潔な仕事をすること「ジザム」から由来。1995年、脱退したデイジーの後を引き継ぐが、1997年、音楽性の違いやドラック問題があるとされ、脱退。
Daisy Berkowitz(デイジー・バーコウィッツ)(Guitar)
テレビドラマ「爆発!デューク」の登場人物であるデイジー・デュークと、ニューヨークにて人々を次々と射殺し、「サムの息子」という別名を用いたデビッド・バーコウィッツより。マリリン・マンソン&ザ・スプーギー・キッズ結成時から加入していたが、1995年に体調不良のため脱退。
Sara Lee Lucas(サラ・リー・ルーカス)(Live Drum)
アメリカの大手企業Sara Lee Corporationと、360人を殺したとされる連続殺人者ヘンリー・リー・ルーカスより。
マリリン・マンソン結成時から加入していたが、結成時前からエイズに感染しており、生活に不意が現れ続けていたため、脱退。
Gidget Gein(ギジェット・ゲイン)(Live Bass)
テレビドラマ「ギジェットは15才」の主人公ギジェットと、サイコ悪魔のいけにえのモデルにもなったエド・ゲインより。
1990年にバンディの後を引き継ぐが、1992年、金銭的問題で脱退。2008年、薬物の過剰摂取により死去。
Olivia Newton Bundy(オリビア・ニュートン・バンディ)(Live Bass)
オリビア・ニュートン・ジョンと、高い知能を持ちながら強姦殺人を繰り返し、警察から2度も逃亡したテッド・バンディより。
マリリン・マンソン&ザ・スプーキー・キッズ結成時から加入しているが、1990年に脱退。
Zsa Zsa Speck(ザザ・スペック)(Live Keyboard)
ザ・ザ・ガボールと、看護婦を好んで強姦殺人を繰り返したリチャード・スペックより。
マリリン・マンソン&ザ・スプーキー・キッズ結成時から加入していたが、1992年、体調不良のため脱退。

[編集] 年譜

  • 1989年フロリダ州フォートローダーデールMarilyn Manson & the Spooky Kids(マリリン・マンソン&ザ・スプーキー・キッズ)として結成される。
  • 1994年、バンド名をMarilyn Manson(マリリン・マンソン)と変更、ナイン・インチ・ネイルズトレント・レズナーのレーベルであるナッシング・レコードと契約し、1stアルバム 『Portrait of an American Family』をリリース。その後、ユーリズミックスのカバーである"Sweet Dreams"のヒットにより名が知られた。
  • 1995年、EP『Smells Like Children』をリリース。
  • 1996年、2ndアルバム『Antichrist Superstar』をリリース。全米初登場3位を記録する。
  • 1997年、マンソンの書く歌詞がしばしば不快で猥褻であると言われる中、カルガリーのマックスベルセンターのオーナーは、彼らの不道徳さや動物をショーに使うことなどを理由に、7月25日のコンサートを中止させた。
  • 1998年、3rdアルバム『Mechanical Animals』(メカニカル・アニマルズ)リリース。全米初登場1位を記録する。
  • 1999年4月20日コロンバイン高校銃乱射事件が発生。加害者2人が、マンソンの影響を受けていたとされた。加害者自身の「マンソンのファンではない」との証言にもかかわらず、多くの保守派メディアは、彼の社会的影響を追及した。抗議集会が開かれたり、「マリリン・マンソンは、「恐怖」や「憎悪」、「自殺」や「死」を広めに来る」といった不条理な讒謗を受けた。とりわけキリスト教信者からの誹謗は強かった。この事件を扱ったドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』では、マイケル・ムーア監督のインタビューを受けている。そのインタビューの中で彼は、現在のアメリカにおける病理、社会的な問題と銃との関係について的確な意見を述べ、そのショッキングなイメージに隠れていた彼の知的な部分が垣間見られ、話題を呼んだ。
  • 2000年、4thアルバム『Holy Wood (In the Shadow of the Valley of Death)』(ホーリー・ウッド ~イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・バリー・オブ・デス~)リリース。
  • 2002年5月、トゥイーギ・ラミレズが自身の希望により脱退。
  • 2003年、5thアルバム『The Golden Age of Grotesque』(ザ・ゴールデン・エイジ・オブ・グロテスク)を発売。全米初登場1位を記録。
  • 2004年、ジョン5が離脱通告を受け脱退。
  • 2004年4月バーレスク・アーティストであるディタ・フォン・ティースと婚約。
  • 2005年12月、ディタと結婚
  • 2006年12月、ディタと離婚
  • 2007年、6thアルバム『Eat Me, Drink Me』(イート・ミー、ドリンク・ミー)リリース。童話「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルを題材にした映画"Phantasmagoria: The Visions of Lewis Carroll"(ファンタスマゴリア:ザ・ヴィジョンズ・オブ・ルイス・キャロル)の制作を始める。
  • 2007年7月、ザ・プロディジーのサポートベーシストであるロブ・ホリディが、ティム・スコルドのギターへのボジションチェンジのためにサポートベーシストとして参加。
  • 2007年8月、マドンナ・ウェイン・ゲイシーが金銭問題でマンソンを告訴。正式な脱退発表はなし。
  • 2008年1月、トゥイーギ・ラミレズ復帰のため、ティム・スコルドが脱退。ロブ・ホリディがサポートベーシストからサポートギタリストへボジションチェンジ。
  • 2008年8月、リンプ・ビズキットのギターリストであるウェス・ボーランドが加入したことを発表。ロブ・ホリディがプロディジーのサポートベーシストに戻る。
  • 2009年5月、ギターリストのウェス・ボーランドが、リンプ・ビズキットに加入するため脱退。
  • 2009年5月20日、7thアルバム『The High End Of Low』(ザ・ハイ・エンド・オブ・ロウ)を発売。
  • 2009年5月、トゥイーギ・ラミレズがギターリストとしてツアーに出ることを発表。

[編集] 来日・日本での活動

[編集] ディスコグラフィー

詳細は「マリリン・マンソンの作品」を参照

[編集] スタジオ・アルバム

[編集] ベストアルバム

  • Lest We Forget The Best Of(レスト・ウィー・フォーゲット ザ・ベスト・オブ)(2004年11月28日

[編集] ライブアルバム

[編集] DVD

  • Dead to the World(デッド・トゥ・ザ・ワールド)(1998年2月10日
  • God is in the T.V.(ゴッド・イズ・イン・ティービー)(1999年11月2日
  • Guns, God and Government World Tour(ガンズ、ゴッド・アンド・ガバメント・ワールド・ツアー)(2002年10月29日

[編集] 書籍

[編集] 関連人物

[編集] 脚注

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  2. ^ http://www.musicmademe.com/artist/424
  3. ^ http://www.mp3.com/artist/marilyn-manson/summary/
  4. ^ http://mp3.rhapsody.com/marilyn-manson
  5. ^ http://music.aol.com/album/the-golden-age-of-grotesque/583682
  6. ^ Marilyn Manson at Rolling Stone magazine
  7. ^ http://www.musicmademe.com/artist/424
  8. ^ http://mp3.rhapsody.com/marilyn-manson
  9. ^ http://www.rollingstone.com/artists/marilynmanson/biography
  10. ^ http://music.msn.com/music/artist/marilyn-manson/
  11. ^ http://music.aol.com/album/the-golden-age-of-grotesque/583682
  12. ^ Essi Berelian, The Rough Guide to Heavy Metal, 2005, p. 215
  13. ^ Marilyn Manson at Musicmight
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  63. ^ Manson, Marilyn (1998). The Long Hard Road out of Hell. HarperCollins, 85-87. ISBN 0-06-098746-4. 
  64. ^ "Biography for Marilyn Manson". Internet Movie Database. 2008-01-12 閲覧。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
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ウィキクォートMarilyn Mansonに関する引用句集があります。

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