マーカス・グロンホルム

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マーカス・グロンホルム
ラリージャパン2007会場にて
ラリージャパン2007会場にて
WRCでの経歴
国籍 フィンランド フィンランド
活動時期 1989 - 2007,2009
所属チーム トヨタプジョーフォード
出走回数 150
チャンピオン回数 2 (2000, 2002)
優勝回数 30
表彰台回数 60
ステージ勝利数 540
通算獲得ポイント 615
初戦 1989 1000湖ラリー
初勝利 2000 スウェディッシュラリー
最終勝利 2007 ラリー・ニュージーランド
最終戦 2009 ラリー・ポルトガル
  

マーカス・グロンホルムMarcus Grönholm、現地の発音に忠実なマルク(コ)ス・グレンホルムという表記を取る新聞もある。1968年2月5日 - )は、フィンランド・インクー(グロンホルム公式サイトの記述に基づく。資料によってはカウニアイネンやエスポーと記述されている)出身の元ラリードライバー。スウェーデン系フィンランド人である。2000年2002年には世界ラリー選手権(WRC)王者に輝いており、現在ではフライング・フィンの一人にも数えられる。やや口数の少ない人物だが心中が表情に表れ易く、強烈な毒舌を口にしたり、感情的な一面をみせる事も。現役中は、WRCドライバーで最も身長の高い(193cm)ドライバーであった。既婚、3人の子供がいる。

海外での愛称は「Bosse」。日本では主にマーカスと呼ばれている。苦労を重ねてきた経歴や、プジョー時代の活躍などから日本でのファンも多く、フォードに移籍しても人気は衰えなかった。

コ・ドライバーはティモ・ラウティアイネン(妻はグロンホルムの妹であるため、ラウティアイネンのほうが年上だがグロンホルムの義弟にあたる)。

目次

[編集] 経歴

フィンランド国内では名の知れたラリードライバーであった父ウルフ・グロンホルム(1981年、マーカス13歳のときテスト中に事故死)の影響でラリーに興味を持つが、当初はモトクロスの選手だった。しかし足を痛めたことでラリーに転向。1987年にキャリアを始めたマーカスはフィンランド国内選手権やスポット参戦でキャリアを積み、1991年の地元1000湖にはワークス放出のST165セリカで出場。これを機にトヨタとの関係が始まり、1994年の1000湖にはST185セリカでWRC自己最高位の4位を獲得。その後もTTS(トヨタ・チーム・スウェーデン)やグリフォーネといったトヨタ系プライベートチームからWRCに出場するが、プライベートチーム故のテスト不足や経験不足から、思うような結果が出せず、同世代のコリン・マクレーカルロス・サインツトミ・マキネンらとは対照的に不遇の時期を送る。

しかし、その不遇の時期も、1999年に結んだプジョーとの契約で一遍する。フル参戦初年の2000年は第二戦スウェディッシュで待望のWRC初優勝を飾ると、以降、3勝を挙げて念願のWRC年間王者に輝く。その翌年は3勝しつつも リチャード・バーンズに王座を明け渡してしまう。しかし2002年には再び年間王者に返り咲いた。

フォーカスRS WRC 06。ラリー・オーストラリアにて。

近年はマシンの不具合や若手、特にセバスティアン・ローブの台頭もあり、複数回の優勝はするが年間王者までは手が届かずにいる。2006年は苦楽を共にしたプジョーを離れてBPフォードに移籍、シーズン途中の怪我により長期休養を余儀無くされたローブに対して、惜しくも1ポイント差の年間2位でシーズンを終えるが、フォードの27年ぶりのマニファクチャラーズタイトル獲得に貢献した。

2007年は引退を決めて望んだ彼自身最後のシーズンとなったが、終盤の連続リタイアが響き引退年にチャンピオンとなることは出来ず、ドライバータイトル2位でシーズンを終えた。

契約満了後の動向が注目されていたが、前述の通り、2007年9月14日にシーズンいっぱいでの現役引退を発表した。当初はWRCのスケジュール変更を見越してフォードとは2008年半ばまでの契約を結んでいたが、スケジュールが従来どおり年内で完了するとの決定と、まだ勝てるうちに現役を退きたいとのグロンホルムの強い意向により、契約を切り上げての引退となった。なお、長年の相棒であるティモ・ラウティアイネンも同時に引退するとWRC公式サイトwrc.comで報じられている。

2008年からは夫人との共同経営でショッピングセンターを経営する傍ら、後進ラリードライバーの育成に努めている。また、2・3戦とスポットながら、ノルウェーのラリークロス選手権にフォード・フィエスタで出場した。

グロンホルム本人は引退当時から「本当に限定的だが例外もある」という言い回しでWRCへのスポット参戦をほのめかしていたが、2009年スバルからWRCに復帰する予定が報じられる。しかしスバルが2008年をもってワークス活動を終了してしまい、一度はグロンホルムの出場話も消滅した。ところがスバルの実働部隊であったプロドライブが独自にインプレッサの開発を限定的ながらも継続しており、ボーダフォンのスポンサードも受けられる見通しとなったことから、同年4月のラリー・ポルトガルにスポット参戦した。ラウティアイネンも現役に復帰しグロンホルムのナビを務めたが、結果はSS8でリタイアに終わった。

同年にはパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにもフォード・フィエスタで初出場。近年パイクスピークで絶対的な強さを誇っている田嶋伸博に対抗できる一番手と見られていたが、途中でオーバーヒート症状が出た影響もあり、結果は11分28秒963と田嶋に及ばず優勝を逃した。

[編集] 戦績

[編集] WRC戦績

  • 2007 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間2位(BP-フォード)
  • 2006 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間2位(BP-フォード)
  • 2005 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間3位(プジョー)
  • 2004 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間5位(プジョー)
  • 2003 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間6位(プジョー)
  • 2002 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間タイトル獲得(プジョー)
  • 2001 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間4位(プジョー)
  • 2000 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間タイトル獲得(プジョー)
  • 1999 - ワールドラリー・チャンピオンシップ スポット参戦(プジョー、セアト、三菱)

[編集] WRC以前

  • 1998 - フィンランド国内選手権 年間タイトル獲得(トヨタ)
  • 1997 - フィンランド国内選手権 年間タイトル獲得(トヨタ)
  • 1996 - フィンランド国内選手権 年間タイトル獲得(トヨタ)
  • 1994 - フィンランド国内選手権 年間タイトル獲得(トヨタ)
  • 1991 - フィンランド国内選手権 年間タイトル獲得(トヨタ)

[編集] 外部リンク

先代:
トミ・マキネン
WRCドライバーズチャンピオン
2000年
次代:
リチャード・バーンズ
先代:
リチャード・バーンズ
WRCドライバーズチャンピオン
2002年
次代:
ペター・ソルベルグ

最終更新 2009年11月18日 (水) 09:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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