マーチ・83G/日産

マーチ・83G/日産の最新ニュースをまとめて検索!

マーチ・83G/日産は、マーチ・エンジニアリング1983年グループC・IMSA-GTP用シャシーに、日産自動車の2.1リッター直列4気筒ターボエンジン・LZ20B型を搭載したグループCカー。全日本耐久選手権(後のJSPC)、および富士ロングディスタンス・シリーズ(富士LD)にホシノレーシングから参戦した。

[編集] 概要

1983年、全日本耐久選手権がスタートし、また前年から始まったWEC-JAPANにも参戦するため、日産はスーパーシルエットに同社の車両で参戦していたホシノレーシング、ハセミモータースポーツ、セントラル20にそれぞれエンジンと資金を提供する形で、グループCレースへ参入を開始する。3チームとも独自の手法で耐久レースへのアプローチを始め、セントラル20は国内コンストラクターのガレージ・ルマン製のシャシー・LM03Cを導入、ハセミモータスポーツは前年キャラミ9時間に参戦したスカイラインのシルエット仕様をグループC規定に改造。そしてホシノレーシングはマーチエンジニアリング社製のプロトタイプレーシングカー 83Gを購入して参戦することになった。しかし、LZ20B型エンジンをミッドシップ・マウントしたのは初めてのことであり、熟成には多くの時間を費やすことになる。

デビュー戦は7月の富士1000km。ドライバーは星野一義/萩原光。2戦目の鈴鹿1000kmではポルシェを抑え星野がポールポジションを獲得。3戦目となるWEC-JAPANではトップのワークスポルシェから28周遅れながら、国産エンジン搭載車最上位の7位で完走を果たす。

1984年は、星野とBS・レインタイヤの力により、しばしば好走を見せるものの、信頼性が極端に低く一度も完走できなかった。

1985年開幕戦鈴鹿500kmからエンジンをFJ20型に換装、2位に入賞する。結果的にこれが最上位で、次の富士1000kmが最後のレースとなった(リタイヤ)。第3戦富士500マイルからは、ホシノレーシングはV型6気筒エンジン搭載のマーチ・85G/日産にマシンをチェンジしている。

尚、まったくの純粋なレーシングマシンながら、「シルビアターボCニチラ」の名称でエントリーをしていた。

最終更新 2008年6月16日 (月) 11:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【マーチ・83G/日産】変更履歴

ご利用上の注意