ミス・ユニバース・ジャパン
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ミス・ユニバース・ジャパン(Miss Universe Japan)とは、「ミス・ユニバース(世界大会)」に向けた、日本代表選出大会のことである。
目次 |
[編集] 概要
- 1952年に第1回大会が行われ、同時に世界大会である「ミス・ユニバース」へも参加。
- かつて朝日放送制作・テレビ朝日系列にて、俳優の宝田明の司会で全国放送されていた。
- 1992年、1993年、2007年は、俳優の石田純一が司会を担当。2008年はLiLiCoが司会を務めた。
- 1994年は、スタジオと会場の二元生放送を行い、スタジオ司会を板東英二と島田紳助、進行役を朝日放送アナウンサーの岡元昇が務めた。特に吉本興業の芸人が多く出演しバラエティ色を強め過ぎたためか、視聴者から不評だった。しかしミスコンを批判する女性団体の運動が急速な増加やミスユニバース日本事務局との放送ライセンス契約が切れたため、その年を持って朝日放送制作の中継が終了した。
- 2008年は、フジテレビが本大会までを密着したドキュメント番組を放送した(関東ローカル)。
[編集] 歴代ミス・ユニバース・ジャパンの世界大会成績
- 1953年大会では、伊東絹子(写真の真ん中。1932年6月29日生まれ、身長164cm、体重52kg、スリーサイズは各86、58、97cm)が日本人初となる入賞(第3位)を果たし、「八頭身美人」が当時の流行語となった。伊東の体型は現在の20歳代の日本人女性と比較して決して優れているわけではないが、1953年当時の20歳代の日本人女性の平均身長が153.9cm、平均体重が49.6kg、バストの平均が80.7cmなので、伊東は当時としてはかなりの長身で西洋人女性を彷彿させる抜群の体型であったことがうかがえる。
- 1955年大会では、高橋敬緯子(写真の1番右)が第5位に入賞。
- 1959年大会は児島明子が優勝。(1936年10月29日生まれ、高知県出身、身長168cm、体重55kg、スリーサイズは各93、58、97cm。後に宝田明と結婚するも離婚。娘は歌手の児島未散)
- 1969年大会では、大須賀喜久代(写真の1番右)が第5位に入賞。
- 1970年大会では、島田純(写真の後列右から2人目)が第4位に入賞。
- 1978年・アカプルコ大会では、女優の萬田久子が日本代表を経験。(ただし入賞はできず)
- 1981年・ニューヨーク大会では、写真家の織作峰子が日本代表を経験。(ただし入賞はできず)
- 1988年・台北大会では、坂口美津穂(旧姓。徳島県出身)が第4位に入賞。坂口は同年より島田紳助司会の「クイズ仕事人」のアシスタントや、数社の広告モデルを任されるなど芸能活動が期待されたが、翌1989年、旧来より交際があった元プロ野球選手の星野伸之との結婚(当時、星野は現役選手)のため表舞台から完全に退き、家庭に入った。結婚以降三度の出産、星野の阪神タイガース移籍・現役引退を挟んで長く公式の場に姿を見せなかったが、近年になり朝日放送の番組審議委員を務める。
- 1992年・バンコク大会では、女優の安藤あき子(安藤晃子)が日本代表を経験。(ただし入賞はできず)
- 1993年・メキシコシティ大会では、スポーツキャスターの志岐幸子が日本代表を経験。(ただし入賞はできず)
- 2000年・ニコシア大会では、遠藤真由(1976年生まれ、東京都出身、日本女子大学卒業、米ハーバード大学で建築の修士号を取得、一級建築士)が、TOP15に入賞(第14位)。
- 2003年・パナマシティ大会では、宮崎京(1978年2月25日生まれ、熊本県出身、熊本県立第一高等学校卒、身長170cm、血液型A型、左利き)が、第5位に入賞。
- 2006年・ロサンゼルス大会では、知花くらら(1982年3月27日生まれ、沖縄県出身、身長173cm)が入賞(第2位)。また、ミス・ユニバース伝統の民族衣装部門では着物とは違い、戦国時代の武者をアレンジした衣装で登場し、日本代表として初の最優秀賞(BEST NATIONAL COSTUME)を受賞した。
- 2007年・メキシコシティ大会では、森理世(1986年12月24日生まれ、静岡県出身、身長175cm)が児島明子以来、日本人2人目の優勝者となった。
- 2008年・ニャチャン大会では、美馬寛子が、TOP15に入賞(第14位)。
[編集] ミス・ユニバース・ジャパン出身の芸能人
- 近藤美恵子(女優、1954年の日本代表。大映映画で活躍)
- 飯野矢住代(ジャニーズ事務所の女性第1号タレント。1968年の日本代表。 また、「ミス東京」でもグランプリに輝いた。 後に自宅マンションで焼死。)
- 島田純(ジャニーズ事務所の女性第2号タレントとして「嶋田じゅん」の芸名で活動。 1970年の日本代表。 後にフォーリーブスの青山孝と結婚したが、離婚した。)
- 萬田久子(女優、1978年の日本代表)
- 安藤あき子(女優、1992年の日本代表)
- 小川里美(オペラ歌手、1999年の日本代表)
- 美元(モデル、2000年の準ミス-第2位)
- 滝沢沙織(女優、2000年の準ミス-第3位)
- 宮崎京(モデル、2003年の日本代表)
- 町本絵里(歌手、2004年の日本代表)
- 瀬畑茉有子(モデル、2004年の準ミス-第2位)
- 葛谷由香里(モデル、2005年の日本代表)
- 知花くらら(タレント、2006年の日本代表)
- 栗山絵美(女優・モデル、2006年 - 第5位)
- 八田亜矢子(タレント・モデル、2006年ファイナリスト)
- 中鉢明子(タレント、2007年の準ミス-第3位)
[編集] 歴代ミス・ユニバース・ジャパン
- 小島日女子(1952年)
- 伊東絹子(1953年)
- 近藤美恵子(1954年)
- 高橋敬緯子(1955年)
- 馬場祥江(1956年)
- 大谷享子(1957年)
- 森武知子(1958年)
- 児島明子(1959年)
- 古野弥生(1960年)
- 安藤矩子(1963年)
- 池野温美(1966年)
- 藤川香代子(1967年)
- 飯野矢住代(1968年)
- 大須賀喜久代(1969年)
- 島田純(1970年)
- 前田晴美(1972年)
- 染谷美代子(1973年)
- 岩国美弥子(1976年)
- 萬田久子(1978年)
- 黒田百合香(1979年)
- 檜山久恵(1980年)
- 織作峰子(1981年)
- 奥脇絵里(1982年)
- 山口遊子(1983年)
- 古沢初美(1985年)
- 江崎普子(1986年)
- 難波央江(1987年)
- 坂口美津穂(1988年)
- 田代絵里(1989年)
- 三好浩子(1990年)
- 山本亜津子(1991年)
- 安藤あき子(1992年)
- 志岐幸子(1993年)
- 川人千明(1994年)
- 奥村ナナ(1998年)
- 小川里美(1999年)
- 遠藤真由(2000年)
- 荒内美沙緒(2001年)
- 千葉美苗((2002年)
- 宮崎京(2003年)
- 町本絵里(2004年)
- 葛谷由香里(2005年)
- 知花くらら(2006年)
- 森理世(2007年)
- 美馬寛子(2008年)
- 宮坂絵美里(2009年)
[編集] 関連項目
- 1998年にミス・ユニバース・ジャパンのナショナル・ディレクターに就任したフランス人女性。世界大会での不振が続いていた日本代表を指導し、2008年までの間に日本代表を5度TOP15に残らせ、2006年第2位の知花くらら、2007年優勝の森理世を生み出した。2007年の世界大会で「ベスト・ナショナル・ディレクター」として表彰された。
- エリカ・アンギャル
- 2004年にミス・ユニバース・ジャパンの公式栄養コンサルタントに就任したオーストラリア人女性。日本代表ファイナリストに栄養指導を行っている。15歳の時に大分県に語学留学した経験があり、日本語が堪能。著書に「“世界一美しい”A型美女になる方法」「世界一の美女になるダイエット」などがある。
[編集] 外部サイト
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最終更新 2009年9月4日 (金) 14:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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