ミヘイル・サアカシュヴィリ

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ミヘイル・サアカシュヴィリ
მიხეილ სააკაშვილი
ミヘイル・サアカシュヴィリ

グルジアの旗 グルジア
第4代大統領
任期: 2004年1月25日2007年11月25日

グルジアの旗 グルジア
第6代大統領
任期: 2008年1月20日 – 現職

出生: 1967年12月21日(41歳)
トビリシ
政党: 国民運動
配偶: サンドラ・ルロフス

ミヘイル・サアカシュヴィリმიხეილ სააკაშვილი, Mikheil Saakashvili, 1967年12月21日 - )は、グルジア政治家2003年11月の無血革命では指導的役割を果たし、2004年1月4日に行われた選挙で大統領に選出された。ミハイル・サーカシュヴィリ、あるいはサーカシビリ、サアカシビリ、サーカシュビリとも表記される。

目次

[編集] 経歴

[編集] 出自

1967年ソビエト連邦グルジア共和国トビリシに生まれる。父は温泉療法を手がけた医師、母は歴史学者というインテリゲンツィヤの家庭に育つ。

1992年ウクライナキエフ国立大学国際法学部を卒業後、アメリカ合衆国に渡り、1994年コロンビア大学で法学修士号を取得。

[編集] 政界入り

その後ニューヨークの法律事務所で勤務している間に政界入りの誘いを受け、同年12月、グルジア議会選挙でシェワルナゼ大統領の与党グルジア市民連合から出馬し当選。当選後は新選挙制度、独立した司法制度と警察を設立するための議会委員会の委員長となって、たちまちその名を知られるようになり、1997年の調査ではシェワルナゼ大統領についで2番目に人気のある人物にあげられた。

2000年10月12日、シェワルナゼ政権の法務相に就任。腐敗し、政治の影響力が強い刑事裁判と刑務所制度の改革を断行し、国際的に高い評価を受けたが、彼が腐敗していると告発するシェワルナゼ体制内の要人と対立することとなった。サアカシュヴィリは2001年9月5日に法務相を辞任すると、シェワルナゼ大統領が腐敗をただす意図を持っていないことを非難して反大統領の意思を明らかにした。

サアカシュヴィリは政府の腐敗に反対する人々を糾合するため、翌月新政党「国民運動」を結成し、その党首となった。彼ら野党勢力は、2003年11月2日に行われた議会の総選挙でシェワルナゼ政権が大規模な不正を行ったと宣言し、選挙のやり直しと大統領の辞任を求める大規模な集会を首都トビリシで行った。11月20日に始まり、10万人以上と呼ばれる人々を集めサアカシュヴィリが先頭に立った野党勢力は議会を占拠し、11月23日にシェワルナゼ大統領と交渉。シェワルナゼの提示した大統領選挙前倒しと議会選やり直しの提案を拒否し、大統領を辞任させた。

詳細は「バラ革命」を参照

[編集] 大統領就任

2004年、サアカシュヴィリの大統領就任式

2003年11月26日ニノ・ブルジャナゼ暫定大統領を含む野党勢力はサアカシュヴィリを野党の統一大統領候補とすることを表明するが、最終的にはサアカシュヴィリを含め6人が大統領選に立候補した。2004年1月4日に行われた大統領選挙は当初、アブハジア自治共和国(グルジア自治区)などのボイコット宣言もあって選挙が有効となるか危ぶまれており、大統領選挙成立となる投票率50%を越えないのではないかとの危惧も存在していた。ところが開票されてみると、投票率88.97%、得票率96.27%[1]という、「民主的な選挙」としては驚異的な得票を得てサアカシュヴィリが圧勝する。サアカシュヴィリは同月25日、正式に大統領に就任した[2]

しかしその後、野党デモをきっかけとした非常事態宣言11月7日)や言論統制など強硬政策を行い、国内外からの批判が強まった。バラ革命後も政情不安は改善せず、ロシアが平和維持としてアブハジアに軍を駐留するなど、ロシアとの外交関係は険悪化した。こうしたサアカシュヴィリの強行的な言論弾圧や政敵排除は、後ろ盾であるアメリカ合衆国などを始め、民主化の後退との印象を強めさせた。その後サアカシュヴィリは非常事態宣言を解除(11月16日)し、国民の不満を受けて次期大統領選の前倒しを宣言して立候補し当選した。

[編集] 南オセチアへの侵攻

詳細は「南オセチア紛争 (2008年)」を参照

2008年8月7日南オセチア自治州への派兵を行い、同日の記者会見で同地域の大半の制圧と州都・ツヒンヴァリの包囲を宣言した。これに対し同州の独立を後押しするロシアは強く反発し、同州に増援部隊を派遣するとともにトビリシへの空爆を実施し、南オセチア紛争が勃発した。サアカシュヴィリは8月9日に戦争の継続を15日間延長させる大統領令を発令、議会側の承認を同日得た。また、後述のイラク駐留・グルジア軍2000人を近日中に帰国させ、ロシアとの戦闘に備える旨も述べた。8月12日にロシアが軍事作戦を停止すると、これを受けてトビリシの議会前で数千人の支持者を前に演説し、「ロシアは我々をひざまずかせようとしたが出来なかった」と述べ、CIS脱退の意向を表明し、8月14日にこの提案を議会側が承認した。

紛争後、ロシアとの武力衝突を招いたことで多くの犠牲をもたらしたとして、サアカシュヴィリの責任を問う声が強くなった。サアカシュヴィリは2008年10月27日ラド・グルゲニゼ首相を解任し、代わってグリゴル・ムガロブリシビリを首相に任命したが、これは紛争に対する批判をかわすためだとする観測が出ている。同年11月7日には1万人以上の野党支持者による反政府デモが行われ、サアカシュヴィリの辞任と大統領選の早期実施を求めた。南オセチア紛争に関するサアカシュヴィリ自身の発言も変化し、紛争時に行っていた「先に軍事行動を開始したのはロシア側だ」という主張を翻し、同年11月28日にグルジア側の方が先に軍事行動を開始していたことを認めた。同年12月5日には、国防相、外相、国家安全保障会議書記を更迭し、自らの責任回避に腐心している。

[編集] 政策

新保守主義新自由主義者であり、サアカシュヴィリ政権では外国資本の積極的な導入が試みられた。世界銀行による世界各国の「対事業・好意度」の度合いを測定する世論調査でグルジアは、2005年の112番目から、2008年には15番目へと急上昇した。2007年、経済に対する直接投資は国民総生産のおよそ20パーセントにものぼった。しかし、国際的な金融危機によりそうした投資が枯渇することにより、経済崩壊がひき起こされた。2008年の最終四半期、経済成長は2007年の7パーセント以上から2パーセントへと下落した。

強硬なグルジア民族主義者として知られ(反対派から『グルジアのジリノフスキー』と揶揄されることも)、グルジアの領土統一を目指して大統領就任後、ロシア寄りであったアジャリア自治共和国との国境を軍を使って封鎖し、武力侵攻も辞さないとの立場を示し、アバシーゼ大統領を力づくでロシアに強制亡命させ同地域を平定した。また、同じく親露派のアブハジアと南オセチアの分離独立・北オセチアとの統一問題で、ロシアに対して抵抗する姿勢を示し、アブハジアからのロシア軍即時撤退を求めている。

ロシア覇権主義に対しては就任以来一貫して激しく批判しており、ロシアを牽制するため欧米諸国や日本との関係を強化した。米英主導によるイラク戦争が勃発すると同戦争を支持し、軍を派遣した。イラクには2008年3月の時点で2000人のグルジア兵が派遣されているが、これは同戦争を主導した米英両国を例外とすれば、最も多くの兵士が派遣されていることになる。

またサアカシュヴィリの親米・反露路線でアメリカの一極支配への反抗の新冷戦が顕著になった。

[編集] 日本との関係

2006年9月安倍晋三中華人民共和国やロシアを牽制する価値観外交を掲げ、内閣総理大臣に就任すると関係は急速に深まり、2007年3月7日から3月11日にわたり来日している。首脳会談の中でサアカシュヴィリは、上記の価値観外交に賛意を示すと共に、日本の常任理事国入りへの支持も表明した。

[編集] 人物

南オセチア紛争で視察に訪れた際、何を思ったのかいきなり全速力で走り出したり、テレビカメラの前でネクタイを噛むといった奇行を行っている。これについて、ロシアのウラジーミル・プーチン首相に「夕食を食べるならネクタイを外したほうが良いのでは」と皮肉られている[3]

[編集] ミヘイル・サアカシュヴィリを演じた俳優

[編集] 脚注

  1. ^外務報道官談話・グルジア大統領選挙について外務省、2004年1月16日。
  2. ^ ちなみに、トルクメニスタンでは1990年10月の大統領選挙で、トルクメン共産党第一書記であったサパルムラト・ニヤゾフが98.3%(公式発表)の圧倒的な得票を得て当選。また、同じくベラルーシでは2006年3月の大統領選挙で現職のアレクサンドル・ルカシェンコが82.6%(公式発表)の得票を得て再選されている。
  3. ^ http://sankei.jp.msn.com/world/europe/091120/erp0911201752006-n1.htm
  4. ^ Movie star plays Georgian leader

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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2004年 - 2007年
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最終更新 2009年11月20日 (金) 09:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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