ミハイル・パレオロゴス (東ローマ皇子)
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ミハイル・パレオロゴス(Μιχαήλ Παλαιολόγος, Michael Palaiologos, 1351年 - 1376年)は東ローマ帝国皇帝ヨアニス5世パレオロゴスの第三子、トラキア・ザゴラ専制公(1371年 - 1376年)。古典式慣例表記ではミカエル・パレオロゴス。
波乱の時代を生きた皇帝の息子であるが、政治的に重要な地位を占める事もなく若死した為、記録が少ない。生年月日も明確ではないが、次兄マヌイル2世が1350年生まれである事は確実なのでその翌年、1351年前後であろうと考えられている。また彼の名前をディミトリオス(デメトリオス)と記す史書もある。
1371年、父ヨアニス5世はミハイルを黒海西岸の帝国領ザゴラ地方(中心都市はメシンヴリア)に行政官として派遣する。この地域は当時帝国とブルガリア帝国、オスマン朝との間で係争地となっており、ミハイルは国防強化の任務を帯びる事になった。1373年に外交使節としてトレビゾンド帝国に派遣されるが、特に成果を上げる事もなく短期間で帰国した。彼は任地でブルガリア人豪族ドブロティツァの娘と結婚したが、間もなく妻の兄弟によって暗殺されてしまった。
(本項目の表記は中世ギリシア語の発音に依拠した。古典式慣例表記については各リンク先の項目を参照)
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最終更新 2007年9月28日 (金) 20:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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