ミミ萩原
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| ミミ萩原 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ミミ萩原 |
| 本名 | 萩原 妙美(旧本名) |
| 身長 | 165 |
| 体重 | 48 |
| 誕生日 | 1956年2月6日(53歳) |
| 出身地 | 東京都 |
| スポーツ歴 | 女子プロレスラー |
| デビュー | 1978年 |
| 引退 | 1984年 |
ミミ萩原(ミミはぎわら、旧本名は萩原 妙美、1956年2月6日- )は、 東京都出身の元歌手、女優、タレント、女子プロレスラー、新興宗教の教祖。歌手・アイドル時代の旧芸名はミミ(ミミーで出演している例もある)。
身長165cm・体重48kg。(当時) 血液型・B型 水瓶座。
目次 |
[編集] 経歴
- 調布アメリカンスクール卒業。幼い頃は獣医を志していた。スイスへの留学経験があり、ドイツ語をはじめ数ヶ国語が堪能。
- 1972年(毎日放送)『仮面ライダー』のライダーガールズのひとりチョコ役(70-92話、93-98話)でデビュー(クレジットはミミー)。
- 1973年日本コロムビアよりミミの名で歌手デビュー。デビュー曲は「おしゃれな土曜日」。他「恋人たちの森」「恋愛志願」「水色の予感」の3枚のシングルと1枚のアルバム『かわいいシャトン』を出し、『8時だョ!全員集合』にも何度か登場した。
- その後、『プレイガールQ』、『あんちゃん』などのテレビ・ドラマに出演。
- ビューティ・ペアの人気が爆発した1978年、アイドル歌手から女子プロレスラーに転身、全日本女子プロレスに入団し、大きな話題を呼んだ。リングネームはミミ萩原。同年2月6日、のちの人気レスラー(そして現在最古参レスラー)となる横田利美(ジャガー横田)戦でプロデビュー。その後1981年まではまったく芽が出ず、前座試合で連戦連敗を続けていた。
- 1980年にアメリカに渡り、ロバート・アルドリッチ監督、ピーター・フォーク主演の『カリフォルニア・ドールズ』に出演。この映画はロードムービーの名作として有名である。
- 1981年2月、横浜文化体育館で悪の実力者、池下ユミの保持するオールパシフィック王座に挑戦。強引なスモールパッケージホールドで王座を奪取する。前年の試合中にアクシデントで欠けた尾骶骨の一部が体内にあり、腰のヘルニアも悪化していたため引退を勧告されていたが、全日本女子プロレスの主要スタッフ松永国松によるハードなボクシング式トレーニングで見事再起。体重を10kg近く増加させて臨んだ最後のチャンスをモノにした。同じ日にジャガー横田がビューティ・ペアのジャッキー佐藤を破り、WWWA世界シングルチャンピオンとなった。この日を境に女子プロレス界の新陳代謝が行われ、敗れたジャッキー、池下は同年中に引退。悪役スターとしては同時期にデビル雅美が台頭し、池下のポジションを受け継ぐ。これによりジャガー、ミミ、デビルのトロイカ体制が誕生。数年後の、クラッシュギャルズによる女子プロレスブームに至る礎を築き上げる。
- 1981年より数年間、看板選手として会社側からの売り出しがかけられるようになる。露出度が高く、サポーターさえ着用できないハイレグ水着で試合を断行するセクシー路線を確立。賛否両論を呼んだ。相手に痛めつけられる苦悶の表情は世代を超え、いまなおネット上などでカルト的な人気を誇っている。この時代の女子プロレスはヒールが八割方責めてベビーフェイスが一発逆転で勝利を収めるというパターンが多く見られたが、これはミミの持ち味を最大限に活かすために、選手全体で練り上げられた、ひとつの様式といえる。
- 1982年、女子プロレスラーとしては史上初のヌード写真集『燃える青春』が愛宕書房より発売される。また講談社よりエッセイ『美しき夢色の日々』も発売される。
- 1984年4月1日、タランチュラ戦を最後に引退。元祖ビジュアル系女子プロレスラーとして大きな役割を果たした。
- ミミ萩原時代にもレコードを出しており、「セクシーパンサー」、「セクシー IN THE NIGHT」、「愛(アイリーン)鈴」、「スタンド・アップ」がある。
- その後、タレント・女優業に復帰しドラマ、舞台出演や、ヌードグラビアのモデルなどをする。この頃に結婚をしたが「夫が長男で跡継ぎをもうけなければいけない。私は女子プロレスで内臓を痛めているので出産が出来ない」と涙の会見を行い、スピード離婚している。
- 1993年、お告げを聞き突如、広島市に転居。リトル・ペブルと関係を持ち、「シャーベル共同体」と名乗る新興宗教の教祖として市内中心部から北へ車で約50分の、広島市安佐北区の山中に信者数十人と集団生活を送る。「シャーベル共同体」は、「MCHJマリアン・オーソドックス・カトリック・チャーチ・オブ・広島・ジャパン」等と名乗り、カトリック教会であると主張するが、カトリック広島教区はこれを否定。
- 1995年3月、同じ会に所属する13歳年下の会社員と結婚。
- 2005年、デビュー戦を同じくした盟友ジャガー横田の呼びかけで、12月4日新宿FACE大会で、約20年ぶりにリング復帰(歌とライブパフォーマンス)した。
- 2005年12月5日のデイリースポーツ紙の報道によれば、広島ではSeiyaの名前で、歌手やダンサーとして活躍中とのことだが、一般的には知られていない。また、21年ぶりのリング復帰も前向きとのこと。
- 現在「聖矢」「mimi」の名前で、広島を中心にライブ活動を行う。歌にダンスに幅広く活動をしている。
[編集] タイトル歴
- オールパシフィック王座(第6代・第9代)
- WWWA世界タッグ王座(パートナーは大森ゆかり)
[編集] 得意技
- ミミ・スペシャル
- ロープワークで相手を反転させ、体の背面でなく正面がロープに当たるようコントロールした後、反動で戻った相手を一気に肩口まで担ぎ上げて後方に叩きつける、高角度バックドロップ。後年井上貴子がオーロラ・スペシャルの名で引き継ぐ。
- フライング・ヘッドシザース
- 回転エビ固め
- 腕力のないミミが相手の肩口に飛び乗るなどさまざまなパターンで多用した、スタンダードな逆転技。テレビ中継の際ミミがこの技を繰り出すと、アナウンサーの志生野温夫が「ミミの十八番!!」と叫びながら実況した。
- ビーナス固め
- 腕力のないミミが大型の選手を担ぎ上げずに仕留めるため考案し、1983年頃から多用し始めたオリジナル・ホールド。サソリ固めと同じ要領で相手の足を取るが、ステップオーバーはせず、相手の足に絡めている足を、相手の首とマットの間に差し入れる。相手は首を動かせない状態で足首を極められる。当初はギブアップ技だったが、かけられた方が身動きをとりにくいこともあり、レフェリーもカウントを採用するようになった。プロレス的な説得力には欠けるが、実は結構な拷問技。
[編集] テレビ番組
- 徹子の部屋(テレビ朝日)
- 笑っていいとも! テレフォンショッキング(フジテレビ)
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月27日 (日) 16:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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