ミャオ族
ミャオ族の最新ニュースをまとめて検索!
| ミャオ族 / モン族 | |||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
|||||||||||||||||||||
| 伝統的衣装を着た花モン族。ベトナム、サパの市場にて。 | |||||||||||||||||||||
| 総人口 | |||||||||||||||||||||
|
400 - 500 万 |
|||||||||||||||||||||
| 居住地域 | |||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
| 言語 | |||||||||||||||||||||
| ミャオ語 | |||||||||||||||||||||
| 宗教 | |||||||||||||||||||||
| シャーマニズム、仏教、キリスト教他 |
ミャオ族(ミャオぞく、苗族)は中国などに住む少数民族である。モン族(ベトナム語: H'Mông)ともいう。中国では貴州省に最も多く、他に湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省などに住むほか、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも住む。歴史上移動・移住を繰り返した民族である。
目次 |
[編集] 名称
「ミャオ族」は自称ではなく漢民族による呼称である。ミャオ族自身はモン族を自称し、中には「ミャオ」の呼称を嫌うものもいる。このため中国などのミャオ族居住諸国以外では、ミャオ(東南アジアでおおむねは「メオ」と呼ぶ)を蔑称として、公式の場では自称であるモン族と言う呼称を使う傾向がある。ただし、ミャオもモンも語源は同じと考えられている。
尚、ハリプンチャイ王国を建てた民族である "Mon" もモン族と呼ばれる。東南アジア研究者の間では蔑称を避け、ミャオ族をモン族と表記することが一般的であるため、著作などでは必ずどちらのモン族について言及されているか断りが入っているのが普通である。以下は各言語における対応表である。
[編集] 各国語対応表
| 日本語 | 中国語 | タイ語(発音)※1 | ベトナム語 |
| ミャオ族 | 苗族(miáozú) | แม้ว(mεεo) | Mẹo(苗) |
| モン族 | 牡、蒙、毛、果雄、带叟など | ม้ง(mong) | Hmông(赫蒙) |
※1:この語における、タイ語とラオス語の文字はほぼ同じである。なお、発音記号には声調記号は付いていない。
[編集] 歴史
[編集] 伝説
中国の伝説によれば紀元前26世紀頃、漢民族の原型である華夏の民族の君主・黄帝が蚩尤の民族の討伐作戦を行い、涿鹿(たくろく、河北省と遼寧省の省境付近)で破ったことがあったという。戦いは黄河の台地で行われた。華夏はその討伐地域の悪条件にも関わらずコンパスを用い正確に蚩尤の民族を破る事ができた。一方で敗れた蚩尤の民族はミャオ族とリー族に分裂した。ミャオ族はこの後、南東方向にむかって移動を続けたという。ミャオ族は漢民族からは「蛮」と見なされ差別されたが、一部は周王朝時代に華夏民族と同化し、一部の部族は春秋の強国である楚や呉の建国に関わった可能性がある。中国の学会では楚は異民族の国とされているが、現代のミャオ族と、先史時代の伝説に記載された三苗や、楚や呉を構成した民族との関連性は現時点では定説はない。現代のミャオ族と繋がるのは、漢代の長沙・武陵蛮以降と見られている。
[編集] 揚子江定住
漢人がこの流浪の民を苗(ミャオ)と呼び始めたのは先秦時代であった。そのころ苗(ミャオ)族は、苗民(ミャオミン)、尤苗(ヨウミャオ)、三苗(サンミャオ)と呼ばれ、揚子江流域に住んでいたが、中国の攻撃を受け南方へ移住を始めた。六朝時代に揚子江南部を支配していた南朝は北方民族の侵入に苦しめられており、あまりミャオ族を歓迎しなかったが、五胡による揚子江北部の破壊により、ミャオ族が大量に南朝の領域に入ってきた。中には漢民族と同化することもあったという。
[編集] 西南中国へ移住
唐王朝時代初頭、六朝時代に同化しなかったミャオ族は貴州・雲南など西南中国へ移動した。その後ミャオ族は雲南に南詔を建国したとする説もある。いずれにせよ、ミャオ族も他の少数民族同様に南詔で暮らしていたものだろう。[1]
[編集] 同化政策と抵抗
ミャオ族が最も多く住む貴州・雲南一帯は13世紀の元王朝によって中国の版図に入った。
一方、中国南方各地で武装蜂起が起こっていた元末の1357年、楊完者(ヤン・オルジョイ)率いるミャオ族の軍団が元朝の公認を受けて、徽州にいる朱元璋の軍を攻撃したが撃退された。その後も各地で暴れまわったため、楊完者は付近の張士誠に滅ぼされた。残ったミャオ族は朱元璋に降り、家臣鄧愈の軍などに組み込まれたが、その後も反逆が相次いだという。
明代になると、貴州・雲南一帯への漢族の移住が多くなり、土着のミャオ族との摩擦が増加、大小100回を越えるミャオ族反乱が起こっている。なかでも、1448年に発生した反乱は大規模なもので、明は20万の大軍を動員して1451年にようやく鎮圧したともいう。この他、1457年 - 1459年、1538年 - 1551年にも大きな反乱が発生している。明の少数民族政策は少数民族首長の世襲支配権を認める土司政策と呼ばれるものだったが、清代にはミャオ族地区への漢族の移住がさらに増加し、地方官を中央が任命する直接支配すなわち改土帰流政策(土司=少数民族首長支配を改め、流官=中央任命の地方官支配に帰すこと)が進められた。そのため同化政策に抵抗する苗族は三次(1735年 - 1738年、1795年 - 1806年、1854年 - 1873年)にわたる大反乱を繰り広げた。特に張秀眉が指導した最後の反乱は最も大規模で、ミャオ族人口の三分の一だけが生き残ったともいわれる。
[編集] インドシナ半島における分布
清軍の残酷な討伐や弾圧のため、19世紀には多くのミャオ族が東南アジアのベトナム・ラオス・タイ・ビルマに移住していった。1936年7月1日に実施された仏印総督府下の国勢調査では、ベトナムで7万8400人、ラオスで4万7000人のミャオ族が数えられた。[2]
[編集] ラオス
ベトナム戦争時アメリカ政府はインドシナの共産化を防ぐためCIAがミャオ族の一部氏族を雇い、パテート・ラーオと戦わせた。ミャオ族の別の氏族はパテート・ラーオと共に戦ったので、同じ民族間でも戦った。ベトナムからアメリカの撤退後ラオスは共産化し、米側についたミャオ族の数万人がタイ領内に流れた。長期滞留でタイ生まれの二世人口の増加や麻薬の問題が深刻化した。2005年現在、ラオスには46万人が在住している。
[編集] タイ
中国南部から南下したミャオ族は18世紀にはベトナム・ラオスに定着したのに続き、19世紀の終わり頃にはタイに南下してきたと考えられている[3]。タイでは大まかに青ミャオ族、白ミャオ族が移住しており、言語、伝統衣装、風俗において違いがある。1960年、タイ政府のミャオ族人口統計では、青ミャオ族26,400人、白ミャオ族19,200人であった。[4]。
1960年代から70年代にかけてタイは北部・北東部の反政府ゲリラに悩まされたがこれはミャオ族を中心とする山岳少数民族が主体であった。1967年にはチェンライ県でミャオ族集落が官憲に焼かれた事件を機に[5]、政府軍と少数民族との間で住民数万人の強制移住を伴う大規模な武力衝突に発展した。政府軍は反乱を鎮圧するため大砲とナパームを用いて北部諸県の山岳部ミャオ族集落に空爆を行った。一連の反乱・掃討作戦により、双方に数千人の死者を出し、大量の難民が発生した。1971年にはタイ国内五箇所(ターク県、ナーン県、チェンライ県、ピッサヌローク県、ペッチャブーン県)に難民キャンプが作られた[6]。こうした反乱では共産主義者が村で武器の使用方法を教え、男子をゲリラとして訓練し、村落組織を協同組合的に変えていた事などから赤色メオ反乱(Red Meo Revolt)と呼ばれている。ペッチャブーン県カオ・コー山頂の旧ゲリラ掃討の前線基地跡は現在では記念公園となり、撃墜された偵察機やヘリ・装甲車の残骸が展示され当時の衝突を物語っている。
[編集] 海外への移住
ベトナム戦争が終わると、アメリカ軍に協力していたミャオ族が難民としてタイに流入した。アメリカ政府などが難民受け入れ発表し、アメリカ合衆国、フランス、フランス領ギアナへ移住が行われた。現在まで、難民キャンプ生まれの者を含めると10万近く移住した。主な内訳は以下のようになっている。
合衆国内ではカリフォルニア州、ミネソタ州、ウィスコンシン州などにコミュニティが存在する。2006年の調査では二世三世含め21万人がアメリカ合衆国に在住している。
[編集] 言語
独自の言語をもち、ミャオ・ヤオ語族(モン・ミエン語族ともいう)に属する。この語族に属するのはミャオ語、ヤオ語以外には中国東南沿海部(福建・浙江方面)に残存しているシェ族の言語だけである。
[編集] 民族分派
以下の4つの派に分かれている (呼称・・・居住地域)
- 白ミャオ、青ミャオ、短裙ミャオ(たんくん-)・・・四川省南部、貴州省西部、雲南省南部など
- 黒ミャオ・・・貴州省南東部
- 赤ミャオ裙・・・湖南省
- 阿蒙(あもう)、長裙ミャオ(ちょうくん-)・・・貴州省北西部、雲南省北東部
[編集] 宗教
ミャオ族の多くは漢民族文化に影響を受けた独自の精霊信仰・祖霊崇拝を信仰しているが、一部の人々はキリスト教、仏教に改宗している。地域により精霊信仰の信仰概念、用語が異なる。
[編集] タイのミャオ族の精霊信仰
以下では特にタイのミャオ族の精霊信仰について述べる。タイのミャオ族は中国文化に影響を受けた精霊崇拝を行っている。[7] さらにシャーマンによる儀礼を持つ。タイのミャオ族は大きく白ミャオ族と青ミャオ族に分けられるが信仰は似通っている。
世界観は陰界(yeeb ceeb)と陽界(yaj ceeb)によって構成されており、さらに天界(ntuj)をつけ加える場合もある。 陰界は精霊と死んだものが行くあの世のことである。ミャオの信仰において、あの世は山の中もしくは地下にあると考えられている。陽界は精霊と人間の住むこの世と考えられている。
精霊は基本的にダー(Dab)と呼ばれるが、さまざまな種類と呼び名がある。
- 陰界の精霊
陰界にはツォー・ニュン(Ntxwj Nyug)と呼ばれるあの世を統括する精霊がおり、死者の魂を審判し、転生の先を決めるとされている。さらにニュー・ヴァー・トゥアム・テーム(Nyuj Vaj Tuam Teem)がその仕事を補佐しており、魂の年齢を管理している。シャーマンの守護精霊(Siv Yis)もここに住むといわれる。
- 陽界の精霊
基本的には善意のある守護霊(Dab quas)と森などに住む悪意のある精霊(Dab qus)に分かれる。守護霊は家の柱、竈などさまざまな場所を守護していると考えられている。また、それぞれの男系の氏族長が祖先霊(Dab xwm kab)の祭壇を持っている。祖先霊の祭壇の隣には薬の精霊(Dab tshuaj)を作ることもある。さらに女性の寝室には結婚生活を守護する精霊(Dab roog)が祀られている。また、外界と家内をつなぐ家の入り口の敷居には敷居の精霊(Dab txhiaj meej)がおり、悪い精霊が家内に入ってくることを防いでいる。森の中には悪い精霊(Dab qus)がすんでいるとされる。特に、ポン・ツォーン(Pog Ntxoog)呼ばれる老女の精霊は恐れられている。
また、病気や驚いた際に人体より抜け出てしまうプリン(plig)と呼ばれる魂の概念があり、タイのピー信仰のクワンに近い。治療の際にはシャーマンによるフー・プリン(Hu plig)と呼ばれる招魂が行われる。
- 天界の精霊
天界には、人間を助けるヨーム・スア(Yawm Saub)という精霊がいるとされている。この精霊はミャオの洪水神話や、初めての結婚などの神話に登場する。 また雨をつかさどる龍(Zaj Laug)や虹(Zaj sawv)もいるとされるが、在所は海の下もしくは湖の下の宮殿であるとされている。その他にも太陽の精霊(Nkauj Hnub)、月の精霊(Nrang Hli)、雷神(Xob)などが知られている。
[編集] 神話
- 洪水神話:太古の洪水の際にミャオ族の一組の男女が天の精霊(ヨーム・スア Yawm Saub(タイ・ミャオ族))の指示に従い、瓢箪(船、太鼓の場合もある)にのって逃れる神話がある。
- 射日神話:ミャオ族の英雄(カー・ユウアム Kaj Yuam(タイ・ミャオ族))が太古に九つあった太陽を八つ射落とした神話がある。中国の射日神話と類似している。
[編集] 食文化
多くの場合、米を主食とし、野菜、肉類、魚などをトウガラシ、塩、酢などで味付けした副食と共に、1日3食食べる。漢族の料理に似た炒め物や蒸し物、魚の唐揚げなどの揚げ物もある。もち米で餠を作る習慣もあり、揚げ餅も作られる。豆類も重要な食品である。蕎麦も作り、トウガラシと醤油の味付けで食べる。漢族の習慣に合わせて春節を祝い、餅や豚料理などの料理が用意される。北京など、中国の大都市にはミャオ族料理を出す専門店ができている。
[編集] 人口
中国国内における全体人口は以下の通りである
全体の人口の内約半数が貴州省に集中している(1990年)。その他以下の省が中国国内のミャオ族の98%が住む地域となっている。
- 貴州省: 3,600,000人
- 湖南省: 1,550,000人
- 雲南省: 890,000人
- 四川省: 530,000人
- 広西チワン族自治区: 420,000人
- 湖北省: 200,000人
- 海南省: 50,000人
ミャオ族の中には数千人単位で北京・広州に移住した者もいる。一方タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどには100万人以上のミャオ族が住んでいる。
[編集] 中国における自治地域
- 黔東南ミャオ族トン族自治州(貴州省)
- 黔南プイ族ミャオ族自治州(貴州省)
- 黔西南プイ族ミャオ族自治州(貴州省)
- 湘西トゥーチア族ミャオ族自治州(湖南省)
- 文山チワン族ミャオ族自治州(雲南省)
- 恩施トゥチャ族ミャオ族自治州(湖北省)
- 湖南省: 麻陽ミャオ族自治県、靖州ミャオ族トン族自治県、城歩ミャオ族自治県
- 貴州省: 松桃ミャオ族自治県、印江トゥチャ族ミャオ族自治県、務川コーラオ族ミャオ族自治県、道真コーラオ族ミャオ族自治県、鎮寧プイ族ミャオ族自治県、紫雲ミャオ族プイ族自治県、関嶺プイ族ミャオ族自治県、威寧イ族回族ミャオ族自治県
- 雲南省: 屏辺ミャオ族自治県、金平ミャオ族ヤオ族タイ族自治県、禄勧イ族ミャオ族自治県
- 重慶市: 秀山トゥチャ族ミャオ族自治県、酉陽トゥチャ族ミャオ族自治県、黔江区、彭水ミャオ族トゥチャ族自治県
- 広西チワン族自治区:融水ミャオ族自治県、竜勝各族自治県、隆林各族自治県
- 海南省: 瓊中リー族ミャオ族自治県、保亭リー族ミャオ族自治県
なお以下にはミャオ族が多く住んでいる
- 湘黔川の付近の武陵山
- 苗嶺
- 月亮山
- 大麻山・小麻山
- 大苗山
- 滇黔川の付近の鳥蒙山
[編集] 関連項目
- 中国の歴史
- 中国の少数民族
- ゴールデン・トライアングル
- グラン・トリノ - ミャオ族の少年が出てくる。
[編集] 出典
- ^ 『西南民族史の研究』藤沢義美 / 昭和44年
- ^ 「印度支那の労働問題」国際労働局
- ^ Geddes, W.R. (1976) Migrants of the Mountains- The Cultural Ecology of the Blue Miao(Hmong Njua) of Thailand Clarendon Press,Oxford:p29
- ^ 同書:p39
- ^ Tapp, Nicholas(1986) The Hmong of Thailand - Opium People of Golden Triangle, Anti-Slavery Society:p38
- ^ Tapp(1986):p39
- ^ Nicholas Tapp (1989) "Hmong Religion" Asian Folklore Studies, Vol. 48, No. 1, pp. 59-94 Nanzan Institute for Religion and Culture
[編集] 外部リンク
- レコードチャイナ:ミャオ族(苗族) (日本語)
- チャイニーズ・オデッセイ (英語)
|
||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
最終更新 2009年10月22日 (木) 10:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ミャオ族】変更履歴


