ミヤ蝶美・蝶子
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ミヤ蝶美・蝶子(みやちょうみ・ちょうこ)は、元日向企画、現在は松竹芸能所属の漫才コンビ。共にバツイチであることをネタにする。
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[編集] メンバー
- 『各界美女チーム対抗・水中大合戦』(NTV・日企制作)で、岩城徳栄、西脇美智子らと伝説的バトルを展開。
- 『2時のワイドショー・夫婦110番』コーナーの鬼嫁役で見せた迫真の演技で、全国的に高名。
[編集] 来歴
- 1977年9月に蝶美は高校卒業後、蝶子は四天王寺女子大学在学中に女優志望でミヤコ蝶々主宰の『蝶々新芸スクール』に2期生として入学。芝居の稽古の一環として漫才を組む。藤本義一に認められ『笑の会』に加わる為にコンビ名を「宮蝶美・蝶子」と名乗る。(同期入門に宮川大助・花子、太平サブロー・シロー)1980年3月に新花月で劇場初舞台。その後も新花月などで修行。間もなくコンビ名を「ミヤ蝶美・蝶子」とする。
- 1980年-1981年 春やすこ・けいこ、ミヤ蝶代・花代、Wさくらんぼ、柴洋子(じゃんけんぽん)らとアイドル的お笑いグループ『ギャルズクラブ』で纏めて売り出され、、なんばCITYで定期公演を行う。
- 1981年2月『お笑いスター誕生!!』でテレビ初出演。並居る若手女性コンビの中で頭角を現わす。当時「てい!!」というギャグをネタにする。
- 蝶々新芸スクールの後輩とロックバンド『蝶美・蝶子とビビデバビデブー』を結成。
- 松竹芸能からのスカウトを断わった結果、実力にも関わらず出演機会が減少。
- 1983年7月 蝶美の結婚引退に伴い解散。「芸道と家庭は両立しない」という強固な信念を持つ師匠の蝶々から、蝶美が破門されたのが実情。
- 蝶美は中華料理店経営の夫との間に3児を設けるが、夫が失踪し実家の土建業を手伝う。
- 蝶子はオーストラリア留学の後、蝶々劇団員として舞台に立ち、テレビの鬼嫁で一世一代の当たり役を得たが、鬼嫁の印象が強烈過ぎて(街を歩いていて生卵を投げ付けられた事もあったという)他の仕事が先細りになり、姉の経営する喫茶店で働いていた。
- 1998年 土木施工管理技士の試験会場のトイレで、15年振りに偶然再会。
- 2000年 リハビリと周囲へのアピール目的で、2人に姉弟子のミヤ花代を加えた暫定トリオ『豪華けんらん』名義で、数ヶ月間活動。同年5月、松竹芸能所属になり正式に再結成。但し、鬼嫁ネタは封印している模様。
[編集] 受賞歴
- 1981年 第2回ABCお笑い新人グランプリ漫才部門最優秀新人賞
- 1982年 第12回NHK上方漫才コンテスト最優秀賞
- 1982年 『お笑いスター誕生!!』9週勝ち抜き金賞
- 1983年 第18回上方漫才大賞新人賞
[編集] 備考
- 2人が入学した「蝶々新芸スクール」は入学金が3万円、月謝が1万円で月・水・金の週3回の各2時間。歌、踊り、日本舞踊などと本格的なレッスンであり、1977年4月に1期生、9月に2期生の入学であった。
- 蝶美は素人時代に何度かテレビ、ラジオに出演経験があり、蝶子も素人時代に朝日放送の「たむたむたいむ」においてメディア初出演を果たしている。
- 元々の芸名の由来はまだまだ芸が未熟ということで「ミヤコ蝶々」の「ミヤコ」の「ミヤ」だけをとって「宮蝶美・蝶子」となった。当初はこの芸名がいやであったそうである。
- 当コンビの「てい!!」と強い調子で発するギャグは近所のおっさんが子供をしかるときに実際に言っていたのを参考にしてできたそうである。劇場の舞台中に思わず発したのが思いのほか客にうけ、そのままコンビの看板ギャグとなった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年8月16日 (日) 16:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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