メイコン (飛行船)

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モフェット・フィールド上空のメイコン
艦歴
発注 1928年10月6日
起工
進空 1933年4月21日
就役 1933年6月23日
その後 1935年2月26日、12日の構造的損傷が原因で破壊
性能諸元
重量 108トン
体積 184,000 m³
全長 239 m (785 ft)
直径 40.5 m (132.8 ft)
全高 44.6 m (146.2 ft)
機関: ガソリンエンジン 420 kW (560 hp) 8基
最高速度 140 km/h (75.6 kt)
搭載量 72トン
乗員 91名
搭載機 F9C複葉戦闘機 5機

メイコン (USS Macon) は偵察任務に使用することを目的にアメリカ海軍によって建造され、使用された硬式飛行船である。記号はZRS-5。F9Cスパローホーク複葉戦闘機を搭載して空中航空母艦としても用いられた。1935年カリフォルニア州のビッグ・サー海岸沖で嵐によって損傷し、失われたが、乗員の大半は無事だった。就役期間は2年に満たなかった。

メイコンと姉妹船のアクロンは長さと体積に関して世界で最も大きな飛行物体の一つであった。ヒンデンブルク号よりは20フィート(約7m)短く、長さで及ばなかったものの、ヘリウムで浮揚する飛行船としては世界最大であった。

目次

[編集] 建造と就役

USSメイコンは、オハイオ州アクロンにあるグッドイヤー・ツェッペリン社のグッドイヤー・エアドックで建造された[1]。メイコンという名前は下院の当時の海軍委員会委員長であるカール・ヴィンソン下院議員の選挙区で最も大きな都市、ジョージア州メイコン市の名から付けられた[2]

メイコンは1933年3月11日、アメリカ海軍航空局の長であるウィリアム・A・モフェット少将の夫人、ジャネット・ウィトン・モフェットによって命名された[3]。 初飛行はその1ヶ月後、姉妹船アクロン(ZRS-4)の悲劇的な事故の直後に行われた。そして1933年6月23日、アルジャー・H・ドレゼル中佐の指揮の下で就役した。

メイコンは、ジュラルミンの船体の内部に3本の竜骨を持ち[4]、ヘリウムで満たされた12個のゼラチンラテックス製の気嚢を備えていた。船体内にはドイツ製のマイバッハ12気筒560馬力のガソリンエンジン8基を備え、外部に置かれたプロペラを駆動した[2]。プロペラは、離陸時と着陸時に船を制御するため、下方または後方に向きを変えることができた。5機のF9Cスパローホーク複葉機を搭載できるようになっており、1933年7月6日ニュージャージー州レイクハースト付近の試験飛行中に最初の搭載機を受領した。搭載機は船体内部の収容ベイに納められ、空中ぶらんこ(トラピーズ)式の器具を使って離着艦した。

[編集] 初期の運航歴

メイコンは1933年10月12日に東海岸を出発し、カリフォルニア州サンタクララ郡サニーヴェール海軍航空基地(現モフェット連邦飛行場(モフェット・フィールド))に母港を移した。メイコンは姉妹船アクロンよりはるかに生産的な経歴を残すことができた。メイコンの指揮官は、飛行船が行動中の敵の察知できない距離に留まったまま、搭載した飛行機を使って敵の偵察を行う技術と方法論を編み出した。メイコンは何度か艦隊の演習に参加したが、演習を計画し実行したものたちには「ZRS」の能力と弱点への理解が欠如していた。飛行船に搭載されたF9C-2戦闘機の降着装置を取り外して、代わりに燃料タンクを装備することが標準的に行われるようになり、それによって飛行機の航続距離は30%増大した。

1934年後半、ハーバート・ワイリー少佐はメイコンによって、ハワイから戻ってくる途中のフランクリン・ルーズベルト大統領を乗せた重巡洋艦ヒューストンを捜索し、位置を突き止めることによって大統領(と海軍)を驚かせた。新聞が船上の大統領に投下され、そして次の通信が飛行船に送り返された。

『「ヒューストン」発:大統領は貴官とその飛行船に対し、その優秀な航法術と見事な行動に関して敬意を表する。新聞をありがとう、よくやってくれた。大統領』

艦隊司令長官のジョゼフ・M・リーヴズ提督は、この出来事に狼狽したが、海軍の航空局長官だったアーネスト・キング提督[5]はそうではなかった。ワイリーは直ちに中佐に昇進した。

[編集] 破局への序章

大陸を横断するにあたって、メイコンはアリゾナ州の山地を通過するために最高1,800 mまで上昇しなければならなかった。船の圧力高度は900 m未満だったため、ガス嚢を破裂させることなくこの高度に達するために大量のヘリウムが排出された。そしてそれによって生じる浮力の損失を補うために、4トンのバラストと3トンの燃料を投棄しなければならなかった。メイコンは15,000ポンドの「重量」で飛んでいて、十分な浮力を動的に得るばかりでなく、テキサス州ヴァン・ホーン近くの山地を通過する際のひどい乱気流に耐えるために、フルパワーで飛行した。激しい降下の後、尾翼の前部取り付けポイントを支えていたリング17.5の斜桁を損傷したが、損傷が拡大する前に先任掌帆手のロバート・デイヴィスが応急処置を行い桁を修理した。メイコンは無事に移動を終えたが締め付けリングと全4枚の尾翼は強化の必要があるとされた。左右および下部の尾翼を支える桁は直ちに修理されたが、上部尾翼の両側の桁の修理は、隣接するガス嚢のガスが抜かれる次回のオーバーホール時まで延期された。

[編集] 事故

1935年2月12日、艦隊演習からサニーヴェールに戻る途中のカリフォルニア州サー岬沖でメイコンが嵐に遭遇したとき、その修理作業はまだ行われていなかった。嵐の間、メイコンは乱気流に翻弄され、そのため上部尾翼に取り付けられた強化未了のリング17.5が損傷した。尾翼は横にずれ、引きはがされた。構造の一部が後部ガス嚢に穴をあけ、ガス洩れが発生した。断片的な情報により、直ちにバラストの即時で大量投棄が命じられた。制御が失われ、尾部が下がり、かつエンジンはフルスピードで前進を続けたため、メイコンは圧力高度を超えて上昇してしまい、大量のヘリウムが排出されて浮力が消滅した。

メイコンは4,850フィートから20分かけて降下し、カリフォルニア海岸沖に穏やかに着水すると、そのまま沈没した。暖かい気候と、アクロン号の悲劇の後に導入された救命胴着と膨張式救命いかだのおかげで、76名の乗組員中、死者は2名だけだった。その2名の死も、防げたはずのものであった。一等無線士のアーネスト・エドウィン・デイリーは、飛行船がその高度の大半を失ったが、まだ水面のはるか上にあったときに飛び降りてしまった。一等給仕のフロレンティーノ・エドキーバは私物を取り戻そうと残骸に泳ぎ寄り、沈没に巻き込まれた。遭難の原因は、構造の破壊と尾翼の損失の後の操作ミスであった。圧力高度を超えて上昇し(それによってガス嚢が限界まで膨張しガスが放出されてしまった)さえしなければ、メイコンはモフェットフィールドに引き返すことができたはずであった。

メイコンは就役期間中50回の飛行を行い、1935年2月26日に海軍リストから抹消された。以後、海軍の使用する飛行船は軟式飛行船のみとなった。

[編集] 遭難地点の探索

海中で発見されたスパローホーク機の船内回収用フック部分

モントレー湾水族館調査機関(en:Monterey Bay Aquarium Research Institute、MBARI)は、1991年2月にメイコンの残骸の位置を発見して捜索し、人工物の回収に成功した[6]。この探査では、物品の回収のほかに、ソナー、ビデオ映像および静止映像のデータ収集を行った。

2005年5月、MBARIは、湾の考古学的資源を特定する年間研究計画の一環としてこの区域の調査を再開した。調査にはサイドスキャンソナーが用いられた。

[編集] 2006年の探査

2006年9月にはMBARIおよびNOAA(アメリカ海洋大気圏局、National Oceanic and Atmospheric Administration)国立海洋保護区事務所の調査員による、遠隔操作無人探査機を使用した探査を含むより徹底した調査が行われた[7]。探査のビデオクリップは、NOAAの提供するOceansLive Web Portalによって一般に公開されている。

この2006年の探査は成功で、15年前の前回の探査以降のいくつかの驚くべき発見と変化を明らかにした。高解像度ビデオ映像と10,000件以上の新しい画像が捉えられ、それらにより残骸のモザイク写真が作成される予定である[8]

[編集] 保護

探査チームはまた、国立歴史記録保管所(National Register of Historic Places)に保管されているメイコンの残骸記録に新たな情報を追加することを目指している。遭難現場の位置は秘密とされており、また海洋保護区内であって、さらに深度の点からもダイバーが到達できる場所ではない。そこはまたアメリカ海軍の墓所のひとつでもある[9][10]

[編集] 脚注

[編集] 参考文献

  • Robinson, Douglas H., and Charles L. Keller. "Up Ship!": U.S. Navy Rigid Airships 1919-1935. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press, 1982. ISBN 0-87021-738-0
  • Richard K. Smith, The Airships Akron & Macon (Flying Aircraft Carriers of the United States Navy), United States Naval Institute: Annapolis, Maryland, 1965
  • Miller, Henry M., "Human Error: Road to Disaster", Canyon Books, 1975, ISBN 0-89014-128-2

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年9月26日 (土) 00:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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