メイセイオペラ
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| メイセイオペラ | |
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1999年12月29日 大井競馬場
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| 英字表記 | MEISEI OPERA |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1994年6月6日 |
| 死没 | (現役種牡馬) |
| 父 | グランドオペラ |
| 母 | テラミス |
| 母の父 | タクラマカン |
| 生国 | |
| 生産 | 高橋啓 |
| 馬主 | (有)明正商事 |
| 調教師 | 佐々木修一(水沢) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 35戦23勝 |
| 獲得賞金 | 4億9498万5000円 |
メイセイオペラは、北海道平取町の高橋啓牧場で生まれた栗毛の牡馬、競走馬である。1999年のNARグランプリ年度代表馬。
目次 |
[編集] 出自
生産牧場の高橋牧場は後にフラワーパークを輩出する等、実績を残すが、テラミスがきた当時は零細牧場のひとつに過ぎず、テラミスを受け入れた理由にしても「少しでも預託料が欲しかったから」との事であった。
事実、テラミスが繁殖牝馬となったのも小野寺氏が「娘みたいなものだから、何とか生き残らせて欲しい」とたっての願いであり、高橋牧場に落ち着くまで色々な牧場に声をかけるが全て断られていた。
また、父にグランドオペラを配合したのも「種付け料が安く、少しでも長く走れたら、馬主的に楽しめる」との事である。
[編集] デビューまで
生まれた当初は体も小さく、競走馬になれるのかすらも危ぶまれていた。そこで夜間放牧を試してみたところ、馬体が格段良くなり中央競馬に入厩する事も視野に入れられる程であった。しかし、この事を聴き付けた佐々木修一氏は「育成なら水沢でもできます」「まずは水沢で走らせて下さい」と、半分懇願する形で、育成が終っていないオペラを強引に入厩させた。
[編集] 戦績
[編集] 3歳
7月27日に盛岡競馬場で新馬戦を勝ち上がる。その後は勝ちきれないレースが続いたが、暮れの頃からレースを覚え始め、最終的には3勝してシーズンを終える。
3歳時の戦績 7戦3勝2着1回着外2回
[編集] 4歳
3歳暮れからの連勝を伸ばし続け、ダイヤモンドカップで特別戦を初制覇。このレースは当時の岩手競馬の有力同世代との初対決となったが、相手にしない圧勝。クラシックを前にして岩手4歳No.1の地位を確立する。
東北3県交流の新潟競馬場で行われた東北ダービーで重賞初制覇。レースレコードを1秒近く縮める。菅原勲騎手はこのレース以後、騎乗し続けることになる(このレース以前は1度だけ騎乗)。その後岩手地区のダービーにあたる不来方賞を2着に1.5秒差で圧勝。この頃から「怪物の再来」と注目され始める。
4歳ダート三冠に挑戦という矢先に、頭蓋骨骨折というアクシデントに見舞われ、ユニコーンステークスは回避、地元のダービーグランプリは出走は出来たものの、万全な態勢ではなく10着に敗れた。続くスーパーダートダービーでも10着に敗れた。その後、地元の桐花賞を古馬相手に勝利。
4歳時の戦績 10戦8勝着外2回
[編集] 5歳
他地区への遠征を積極的に進める。特にアブクマポーロとの戦は「AM対決」と呼ばれ有名である。
川崎記念から始動するもアブクマポーロの前に4着と敗れる。その後、一旦休養に入る。休養から戻ると馬体の本格化が進み、シアンモア記念を勝利の後帝王賞に挑戦。またしてもアブクマポーロの3着に敗れたが着実にその差を詰めていった。地元のマーキュリーカップでダートグレード競走初勝利を収めると、地元の統一GIマイルチャンピオンシップ南部杯で4角先頭で押し切り、アブクマポーロを相手に初のGI勝利を収めた。だが、東京大賞典では再びアブクマポーロの前に2着に敗れた。
5歳時の戦績 8戦5勝2着1回着外0回
[編集] 6歳
ライバルのアブクマポーロが川崎記念に向かう事と、距離実績と勝負付けの済んだ格下の面子が集まっていた事からフェブラリーステークスに出走。
当初は、この出走を無謀と見る向きもあったが、終始危なげないレース運びで圧勝し、地方所属馬として初めてJRAのGI優勝馬となった。地元紙岩手日報は、この快挙を一面で大きく取り上げた。また、この頃はドバイ遠征も視野に入れられていた。夏シーズンの帝王賞も、アブクマポーロが怪我で不在の為、断然の一番人気に推され、見事期待に応える圧勝。
秋シーズンは南部杯からの始動予定であったが、右前球節炎で回避。そこから出走スケジュールが狂いだし、年末の東京大賞典では、早めの大井競馬場入厩が裏目に出て、11着に敗れた。
6歳時の戦績 6戦5勝着外1回
[編集] 7歳
連覇を狙いフェブラリーステークスに出走。前年からの調整不足が祟り4着に敗れる。この影響は夏頃まで続き、帝王賞も14着に敗れる。その後、地元重賞のみちのく大賞典で3連覇を果たし、復調の兆しを見せたが後脚部不安を発症、この競走を最後に現役引退となり、種牡馬生活に入った。
7歳時の戦績 4戦2勝着外1回
競走成績:35戦23勝
- 東北ダービー、不来方賞、桐花賞、シアンモア記念(2回)、マーキュリーカップ、みちのく大賞典(3回)、マイルチャンピオンシップ南部杯、北上川大賞典(2回)、フェブラリーステークス、帝王賞
[編集] 引退後
初年度から、84頭に種付けするなど種牡馬としても人気を集めたが、年々種付け頭数が減少。しかし韓国に輸出された産駒は全頭勝ち上がるという好成績から、韓国の生産者からの熱烈な要望があり、3年間の期間限定(その後、期間を1年延長)を条件に2006年8月に韓国への輸出が決定された。
比較的早い時期から使え、芝ダート問わずに距離も短距離から中距離まで融通の利く産駒が多い。父同様、古馬になってからでも成長する傾向がある。地方ではダートと芝の両方で重賞勝ち馬を輩出している。
[編集] 代表産駒
- ジョイーレ(兵庫県競馬組合所属。2006年摂津盃でメイセイオペラ産駒初の重賞初制覇。兵庫ジュニアグランプリ2着などが評価され、兵庫競馬平成17年優秀競走馬(特別優秀馬)に選ばれる)
- ジュリア(岩手県競馬組合所属。2008年ビューチフル・ドリーマーカップ(牝馬限定重賞・水沢ダート1,900m)1着
- カネショウエリート(岩手県競馬組合所属。2008年桐花賞(重賞・水沢ダート2,000m)1着、2008年きんもくせい賞(重賞・盛岡芝2,400m)1着
- コスモバスティーユ Cosmo Bastille 韓国名 코즈모배스틸 コヂュモベスティル(韓国競馬所属馬。韓国で4勝)
[編集] エピソード
- 母の父タクラマカンは社台グループがアメリカから競走馬として輸入した外国産馬で、ミルリーフの従兄弟にあたる良血馬である。当時は外国産馬が出走できる競走が限られていたため重賞勝ちはなかったが、旧4歳で第1回ジャパンカップに出走、翌年の宝塚記念ではモンテプリンスの3着に入っている。代表産駒は1990年京都大障害(秋)の勝ち馬クリバロン。
- オペラがデビューした時、馬主の小野寺は病魔に侵されており、レース観戦も出来ない状態だった。その為、家庭用ビデオで収録したレースを、病床で何度も見てオペラの将来を楽しみにしていた。小野寺が死去したのは、オペラのデビュー戦の1ヵ月後である。
- 4歳の川崎記念の後、福島県にある民営の天工トレセンが中央競馬並みの施設(坂路、サンシャインパドック、屋内コース等)で休養と調教が出来るという事で、入厩する事になった。すると馬体が格段に良くなり、以後休養する時に利用する事になる。また、この民営の育成施設利用は、調教施設の不備でなかなか中央馬の勝てなかった地方馬にとって大いな福音となり、地方競馬の有力馬はこうした施設を使う様になった。
- フェブラリーステークスを勝った時、レースを観戦していた小野寺の妻は、ゴール直前100mでオペラが先頭に立った時、小野寺の遺影を高々と上げて「あなた見て!先頭走っているわよ!あなたの馬が先頭を走っているわよ!!」思わず叫び、観戦叶わなかった小野寺にせめてもとの思い、オペラの走る勇姿を見せていた。
- レース後、岩手から駆けつけたファンの間からイサオコールが湧き上がり、その一団の中から「夢をありがとう。感動をありがとう。」と書かれた応援幕をウィニングランで戻ってくるオペラと勲騎手に掲げていた。
- フェブラリーステークスは、単に地方所属の競走馬が初めて中央のGIレースを制したという意味以上に、1995年10月10日の悪夢(南部杯でトウケイニセイがライブリマウントに負けた日)以来、岩手競馬が失いかけていたプライドと自信を中央競馬から奪い返したレースでもあった。
- 1998年の川崎記念に遠征した際、現地の水道水を飲まず厩舎スタッフが苦労したという実例から、フェブラリーステークスに出走するために美浦トレーニングセンターに入厩する際や、大井競馬場に遠征する際には、滯在地の水道水を飲まない可能性を懸念して、常に地元から水道水を持参していた。ただし、一定期間滞在する場合には水の輸送コストも決してバカにできない金額になる事などから、その後も遠征先の水道水を飲むかも試してはみたものの、ほとんど飲まなかったという。
[編集] 主な兄弟
- メイセイユウシャ(メイセイオペラの勝てなかった芝重賞(せきれい賞)を勝利)
- メイセイオペレッタ(メイセイオペラの半妹。オパールカップ優勝)
- メイセイプリマ(メイセイオペラの半妹。兄弟初の中央競馬デビュー。新馬勝ち上がり)
- オペラアンドワルツ (メイセイオペラの全妹として期待されている)
- アンドアゲイン(メイセイオペラの半妹。父:ビワシンセイキ)
※母テラミス、母父タクラマカン共に栗毛流星の面相であり、生まれてきた産駒も三男のメイセイユウシャが鹿毛流星の面相である以外は、兄弟ことごとく栗毛流星の面相であり、メイセイオペラそっくりである。
[編集] 血統表
| メイセイオペラの血統 (ニジンスキー系/Northern Dancer3×4=18.75% Almahmoud5×5=6.25%(父内)) | |||
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父
*グランドオペラ Grand Opera 1984 鹿毛 |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | |||
| Flaming Page | Bull Page | ||
| Flaring Top | |||
| Glorious Song 1976 鹿毛 |
Halo | Hail to Reason | |
| Cosmah | |||
| Ballade | Herbager | ||
| Miss Swapsco | |||
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母
テラミス 1988 栗毛 |
*タクラマカン Ishikari 1978 栗毛 |
Damascus | Sword Dancer |
| Kerala | |||
| Virginia Green | Nashua | ||
| Virginia Water | |||
| ヤヘイボシ 1983 青鹿毛 |
*オフィスダンサー Office Dancer |
Northern Dancer | |
| Office Queen | |||
| シナノイブキ | *シーフュリュー | ||
| シナノクイン F-No.6-a | |||
- 父グランドオペラは典型的な一発大物型であり、中央競馬ではこれといった産駒が出ず、活躍した産駒も多くは無いが、地方競馬ではアマゾンオペラ(船橋)、本馬がそれぞれ地方競馬を代表するトップホースとして一時代を担った。
- 母テラミスは岩手競馬で13戦2勝。全体的にマイナー血統だが、近親にヨシノキングやマックスフリートがいるなど、地方競馬ゆかりの血統なのがわかる。
[編集] 参考文献
- 佐藤次郎 『砂の王 メイセイオペラ』 新潮社、2000年 ISBN 978-4-10-439201-8
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月23日 (月) 02:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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