メルセデス・ベンツ 300SL
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メルセデス・ベンツ300SL (Mercedes-Benz 300SL) は、ドイツの自動車メーカーダイムラー・ベンツ(現ダイムラー社)が発売した乗用車である。
ガルウィングドアが特徴の2シーター・スポーツクーペ。ダイムラー・ベンツによる社内コードはW198である。また、公道仕様の1954年版は成功した1952年のレース専用車W194(キャブレター仕様のため馬力は低い)をベースにしている。
1957年以降はオープンのロードスターとなっており、オプションで着脱式のハードトップ・ルーフが用意されていた。
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[編集] 概要
1954年のニューヨークオートショーで発表された。300SLはその特有のガルウイング形状のドアと世界初のガソリン直噴エンジン搭載車として最もよく知られている。
ガルウイングドアを採用した理由は、伝えられるところによれば次のようなものである。
軽量化と強度確保を両立させる目的で鋼管スペースフレームを採用したため、通常の車におけるドア下半分に相当する部分にフレームが来てしまい、開口部の「敷居」にあたる部分が異様に高くならざるを得なかった。しかも車高が低かったため、通常の車のようなドアでは開口部が小さくなりすぎて乗り降りできず、乗降性確保のためにやむを得ずこの方式とした、といわれている。
しかしこの方式は(当時の技術では)窓の開閉ができないという欠点があり、室内はエンジンの発する熱が入り込んでかなり暑くなってしまう。リアウインドウに排熱用の機構があるが、あまり機能しなかったとのことである。当時はカーエアコンを自家用車に搭載するという考えもほとんどなかった時代であった。
後のロードスターモデルでは鋼管スペースフレームの設計が変更され、ドアの形状・開閉方向が一般的なものとなり窓も開閉できるようになったが、それでも鋼管スペースフレームゆえの開口部の狭さから、乗り降りには多少の慣れを要した。
このモデルはマックス・ホフマンによって提案された。ディーラーからホフマンの元に寄せられた戦後のアメリカ市場における報告に記された熱狂に驚き、1954年ニューヨーク国際オートショーで発表された。以前のモデルはフランクフルトモーターショーもしくはジュネーヴのサロン・アンテルナショナル・ド・ロトで発表された。
ガルウィングが特徴的なクーペモデルは1955年3月から1957年まで生産され、以後はロードスターモデルに移行した。さらに、1956年からは300SLの廉価版とも言うべき190SLが発売された。 この190SLは300SLよりも商業的な成功を収め、その生産台数は2万5881台に達している。
190SLと300SLの生産は、230SLと入れ替わる形で1963年に終了した。
多くのドライバーが事故で死亡したため、"Widowmaker"というありがたくない名前を与えられた。
[編集] ラインナップ
- 300SL - 3.0Lの直列6気筒SOHCエンジンを搭載し、115psまたは240psを発生する。なお、クーペモデルとロードスターモデルとではフロントまわりのデザインが異なっており、クーペが丸形2灯式ヘッドランプなのに対しロードスターは異形縦型楕円2灯式ヘッドランプである。
- 190SL - 1.9Lの直列4気筒SOHCエンジンを搭載し、110psを発生する。ロードスターのみでの発売となったが後にハードトップモデルが追加された。
300SL, 190SLともにブレーキは前後とも当初はドラムブレーキであったが、1961年以降はディスクブレーキに変更されている。
[編集] 名称の由来
「300」はメルセデス・ベンツ流の排気量の表し方で3Lを意味する。「SL」は「Sport Leicht」(英語のSport Light)の略で軽量スポーツカーを意味した。
[編集] レース歴と今日の300SL
300SLのレースにおける経歴は、Berne, ニュルブルクリンク1000km、1952年のメキシコのカレラパンアメリカ総合優勝がある。1952年の最初に参加したレース、ミッレ・ミリアでは2位と4位を獲得した。エンジン出力がキャブレターにより175psしかなく、フェラーリ、ジャガーおよびそれより遅いクルマよりも低い馬力しかなかったのにも関わらず高速なレースでの成功は驚くべきものだった。しかし、軽量で空気抵抗が低いシャーシにより他車と同じスピードに達した。そして優れた信頼性により勝者となった。そしてこの年のル・マン24時間耐久レースをフェラーリ、ジャガーを抑えて制覇したのである。
1954年にメルセデスは300SLをベースとするのではなく直列8気筒のF1カーであるW196をベースに、排気量を2500ccから3000ccへと拡大し燃料はメタノールを含むものでなく標準的なガソリンとなったメルセデス・ベンツSLRを開発。1955年、スターリング・モスの運転でミッレ・ミリアにおいて1,600 kmを平均速度157.65 km/hで優勝した。ドイツ、スウェーデン、アイルランド、シシリー島のタルガ・フローリオで優勝し300SLRはコンストラクターチャンピオンとなった。しかしこの年のル・マン24時間耐久レースでチームの車の1台が起こした観客・スタッフ含めて80人以上が死亡する悪夢の大事故がきっかけで、以降30年以上メルセデスはモータースポーツから姿を消すことになる。
今日、300SLはその独特なドアと世界初の技術のためにすべての年代を通してもっとも収集すべきメルセデス・ベンツのひとつとなっている。価格は40万ドルまで達している。さらに、スポーツカーインターナショナル誌は300SLを歴史上5位のスポーツカーにランクしている。
[編集] 諸元
- 全長:4,520 mm
- 全幅:1,790 mm
- 全高:1,300 mm
- 重量:1,293 kg
[編集] 初の燃料噴射式
低いボンネットに収めるため、エンジンは左に50度傾けて設置されている。ボッシュ社製の機械式燃料噴射装置により、同種の3リットル直列6気筒エンジンを搭載するキャブレター式が86 kW (115 ps) であったのに対し、約2倍の出力である180 kW (240 ps)/6,100 rpm を発揮した。
ガソリン車において最初であるこの新型の燃料噴射装置は最高時速260 km/hをもたらした。300SLは市販車としては当時、最速の自動車であった。整備は現在の電子式燃料噴射装置に比べて高度な技術が要求された。機械的な燃料ポンプは点火を止めてもエンジンが停止するまでガソリンを噴射しつづけた。もちろん、このガソリンは燃焼せずシリンダの壁面からオイルを洗い流し、悪影響を与えた。対策として大型のオイルクーラーを備えて10Lのオイルを搭載した。レースよりも街乗りで顕著だった。100 kmごとにオイルを交換した。クラッチはとても重く、多くのドライバーが次の日、ふくらはぎが痛んだと推測される。後期のロードスターではペダルを踏む力を軽減するためにバネがつけられた。
[編集] 関連事項
- メルセデス・ベンツ SLクラス
- 力道山
- 石原裕次郎
- 死刑台のエレベーター - フランス映画。途中、300SLの疾走シーンがある。
| メルセデス・ベンツ ロードカータイムライン 1940年代-1970年代
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| クラス | タイプ | 1940年代 | 1950年代 | 1960年代 | 1970年代 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ||
| 直列4気筒 | セダン | W136/W191 | W120/W121 | W110 | W115 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ロードスター | W121 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 直列6気筒 | セダン | W187 (220) | W105/W180/W128 | W111 | W114 | W123 | |||||||||||||||||||||||||||||
| クーペ | W187 (220) | W180/W128 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| フルサイズ | セダン | W186/W189 (300) | W111 | W108/W109 | W116 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ラグジュアリー | W188 (300) | W112 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| リムジン | W186/W189 (300) | W112 | W100 (600) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| スポーツカー | ロードスター | W198 | W113 | R107 | |||||||||||||||||||||||||||||||
最終更新 2009年10月25日 (日) 15:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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