モンテカルロ市街地コース
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座標:
| 所在地 | モナコ・モンテカルロ | |
|---|---|---|
| タイムゾーン | GMT +1 | |
| 主なイベント | F1, モナコグランプリ, F3ユーロシリーズ, GP2 | |
| コース長 | 3.34 km (2.075 マイル) | |
| コーナー数 | 18 | |
| レコードタイム | 1:13.532 ( |
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モンテカルロ市街地コース(モンテカルロしがいちコース、Circuit de Monaco)は、モナコ公国のモンテカルロにある市街地コースで、F1モナコグランプリが開催される。
目次 |
[編集] 解説
F1モナコGPはインディ500、ル・マン24時間レースと並ぶ世界3大レースの1つであり、コートダジュールの海岸沿いをガードレールをかすめて走り抜けるモンテカルロ市街地コース(3,340m)を舞台に行なわれる。モナコ王室の協力を得て、1929年に開催された国際レースを起源とする伝統の市街地レースである。F1にもチャンピオンシップがスタートした1950年から名を連ねており、いくどかの中断をはさみ、2008年で66度目、F1GPとしては56度目の開催となる。
2003年にはプールサイドシケインの出口からラスカスまでのレイアウトが変更され、路面もかなりの部分で再舗装が行なわれた。
直線はほとんどなく道幅も狭く、ガードレールに視界をさえぎられるテクニカル・コース。コースにはトンネル区間が存在する。
勝者を選ぶドライバーズ・サーキットとして名高く、5連勝を含む通算6勝のF1記録を樹立したアイルトン・セナや、通算5勝のミハエル・シューマッハ、同じく通算5勝のグラハム・ヒルなどは、敬意を込めてモナコ・マイスターと称されることがある。
1920年代、誕生したばかりのモナコ自動車クラブが国際的に認めてもらうために、自動車クラブ会長のAnthony Noghes(アントニー・ノゲ。英語読みの「アントニー・ノウズ」として最終コーナーの名称としてその名を残す)は国際自動車公認クラブ協会(AIACR 現在のFIA=国際自動車連盟の前身)に加盟を申請した。すでに1919年からラリー・モンテカルロを開催しており、問題なく加盟できると考えていた。しかし、ラリーで使用しているコースのほとんどは隣国のフランス国内で行われている。モナコ単独ではイベントを開催できない、と拒否された。
そこでアントニーは、モナコとモナコ自動車クラブの威信のために国内で国際レースを開催することを決めた。ルイ・シロンとルイ2世の協力を得て、国全体をサーキットにし、1929年に第一回モナコGPを開催した。しかしルイ・シロンはインディ500に出場するのを優先したため出場しなかった(後に第三回大会には出場し優勝している)。
イベントは成功に終わり、モナコ自動車クラブは国際クラブとして認められた。 コースは基本的に今ある姿とほとんど変わっていない。(当時はプールが存在しなかったためプールサイドシケインが存在しなかったことと、ラスカスがガスワークスと呼ばれるヘアピンだったことが大きく異なるくらいである。) 1973年に従来のコースを横切る格好でプールが新設されたことにより両コーナーが誕生している。 スタートは1972年まで現在のプールがある場所で行われた。
2007年1月には世界ラリー選手権(WRC)第1戦ラリー・モンテカルロの最終SSであるスーパーSSがモナコ市街地コースの一部を使って開かれた。コースはヨットハーバー内とメインストリートをヘアピンカーブで繋ぐ「モナコサーキット」。1周1.4kmのコースを2周し、2台同時にスタートするがスタート地点を離すことで基本的には単独走行となった。またタイヤはドライターマック(舗装路)用タイヤではなく、グリップ力の低下するスノータイヤを用いなければならないという特例を設けたことで、意図的にスピードレンジを下げ、コーナーでの派手なドリフトが起きやすくするなどの工夫が見られた。
2009年にはツール・ド・フランスのグランデパールへ選ばれ、スタートライン付近からスタートし、一旦コースを外れ戻って来て、トンネルを抜けてプールサイドでゴールという15.5km、標高差200mのコースで開催された。また2日目のスタートにも選ばれ、カジノ広場でセレモニーを行い、トンネル~ロウズ・ヘアピンをオフィシャルカー先導のもと逆走し、郊外の正式スタートポイントまでのパレードランコースとして用いた。
[編集] コーナー名
- Sainte Devote(サント・デボーテ)
- モナコの守り神が祭られた教会に由来する第一コーナー。毎年クラッシュが多発する。
- Beau Rivage(ボー・リバージュ)
- 「美しい海を望む」という名が冠せられた上りのストレート。コースサイドにはブランドショップが並ぶ。
- Massanet(マッサネット)
- グッチ・エルメス・ヴァレンチノとブランド店舗が並んでいる
- Casino Square(カジノ前)
- モナコが誇る王立カジノ前の広場を駆け抜ける高速右コーナー
- Mirabeau(ミラボー・コーナー)
- 隣接のホテル・ミラボーから
- Grand Hotel Hairpin(ロウズ・ヘアピン)
- かつてはステーション・ヘアピンと呼ばれていたが、鉄道の駅の移転に伴い改名された。
- F1全コース中最も半径の小さなカーブであり、マシンによってはステアリングのギアレシオを変更する場合もある。
- Portier(ポルティエ・コーナー)
- ポルティエとは港の意味。コースの下に小さな入江がある。ここを抜けると、目の前には地中海が広がる。ちなみに1988年にアイルトン・セナがクラッシュしリタイアした場所である。
- Tunnel
- F1の開催されるサーキットの中で唯一のトンネル
- Nouvelle Chicane(ヌーベル・シケイン)
- ヌーベルとは新しいの意味。旧シケインは並木の右側から左側に抜けるだけの簡単なものであった。
- Tabac(タバコ・コーナー)
- かつてタバコ屋があったことからその名が付いた。
- このコーナーよりラスカスまでは、埋め立てにより過去に何度も海側へ移動してきた。その度にこのコーナーは手前へ移動したことになる。
- Louis Chiron
- F1黎明期に活躍したモナコ出身のドライバーを称えて命名。
- Piscine(プールサイド・シケイン)
- Rascasse(ラスカス・コーナー)
- グランプリ中屈指の難易度(2003年の改修でやや易化したものの)でドライバーを試すヘアピン。
- Anthony Noghes(アントニー・ノース)
- 前述の自動車クラブ会長の功績を称えて名付けられた。
[編集] 死亡事故
このサーキットでは、過去に2件の死亡事故が起こっている。
- 1952年5月31日、ルイジ・ファジオーリがスポーツカーレースの練習走行中にトンネルでクラッシュし、側壁に激突。左足を負傷し、意識不明から回復するも容態が急変し6月20日に死亡。手術の際の医療ミスが原因だと言われている。
- 1967年5月7日、モナコグランプリでロレンツォ・バンディーニがシケインでコースアウトし、街灯に激突してマシンが炎上。バンディーニは全身に火傷を負い、3日後に死亡した。
[編集] 関連項目
- モータースポーツ
- サーキットの一覧
- F1サーキットの一覧
- ツール・ド・フランス2009 市街地コースの一部を第1ステージで使用する。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月19日 (水) 14:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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