モーニングショー

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モーニングショー
ジャンル ワイドショー番組
放送時間 平日 8:30 - 9:30(60分)
放送期間 1964年4月1日 - 1993年4月2日
放送国 日本
制作局 NETテレビ
テレビ朝日
出演者 木島則夫
長谷川肇
奈良和
竹中陽一
溝口泰男
江森陽弘
美里美寿々
武見敬三
内田忠男
渡辺宜嗣ほか

モーニングショーとは、1964年4月1日から1993年4月2日まで、NETテレビ(1977年4月よりテレビ朝日)系列で放送されていた日本で最初のワイドショー番組。29年に渡って放送された。

目次

[編集] 歴史

1962年日本ヴィックス博報堂を通じてNETと毎日放送に構想を持ちかけた。NETの浅田孝彦が司会者候補のひとりだった高橋圭三に依頼するもスケジュールの都合でNG。浅田の第一候補だった木島則夫が司会者として選ばれる。[1]番組の基本構想はアメリカの朝のニュース番組『トゥデイ』を踏襲したもので、事件・芸能ニュース・「人間蒸発」などの企画やインタビュー、歌手の生演奏などを織り込んだ[1]

放送時刻は開始から終了まで一貫して平日の8:30 - 9:30(JST)。朝の奥さま向けワイドショーの草分け的存在で、テレビ黎明期の民放テレビ局が1〜2局しかない地方でもネットされていた。初回放送はNET、北日本放送、中部日本放送、毎日放送の4局でスタートしている。翌週の月曜日(4月6日)から中国放送もネット開始され、暫くは5局ネットを継続し、徐々に放送地域を拡大していき、次第に足の長い番組へと成長していった。

裏番組のフジテレビ「小川宏ショー」がスタートして暫くすると視聴率が低下、木島は疲労を理由に降板。2代目の長谷川肇の起用もわずか1年で降板し、3代目の奈良和でいくらか巻き返しを図るが、4代目の竹中陽一は「しゃべらない司会者」として短期間で降板するなど、再び迷走。5代目の溝口泰男が再度巻き返しを図る。

70年代後半には青少年の自殺などが社会問題化していたことを受けて、当時教育、心理などの分野で活躍していた坂東義教による「子育て講座」も織り込まれるなど、人気コーナーもあったが、坂東は著書「坂東先生の教育講座」を執筆直後の78年11月に急逝し、コーナーも自然消滅となった。

1980年代終わり頃の7代目美里美寿々に替わると、フジテレビ「おはよう!ナイスデイ」や日本テレビ「ルックルックこんにちは」等の裏番組との視聴率争いで三たび伸び悩む。

1992年まで行われていた正月3ヶ日の放送は1993年のみ実施されず、同年4月2日に番組終了、29年間の歴史に幕を閉じた。放送開始時間を8:00に前倒し、現在も放送している『スーパーモーニング』に受け継がれる。

タレント宮尾すすむがレポーターを務めた『宮尾すすむのああ日本の社長[2]は「スーパーモーニング」になってから暫くの間も続いたが、1999年8月をもって終了した。

[編集] 歴代司会者

  • 初代:木島則夫(メイン)/栗原玲児(料理研究家・栗原はるみの夫)、井上加寿子 1964年4月1日 - 1968年3月29日
  • 2代目:長谷川肇(メイン)/ばばこういち下重暁子 1968年4月1日 - 1969年3月31日
  • 3代目:奈良和(メイン)/溝口泰男、鈴木弘子(妊娠のため途中降板)、菊池敏恵 1969年4月1日 - 1976年10月15日
  • 4代目:竹中陽一 1976年10月18日 - 12月(※一般公募による起用。司会者向きではなかった為わずか3ヶ月で降板)
(1977年1月 - 4月までは複数司会制をとっていた)

[編集] 備考

  • タイトルとしては初代 - 6代目、及び9代目の内田については、司会者の名前を被せた冠番組『○○モーニングショー』としていた(例:木島則夫モーニングショー木島モーニングショー)。
  • 10代目は当初、当時テレビ朝日と専属契約を結び、昼の番組「ホットライン110番」に出演していた小島一慶がメイン司会者に登用される予定だったが、当時小島が不倫騒動を起こしたため、この影響を与えられたテレビ朝日側は、その登用予定を急遽中止し、また小島との契約を解除。渡辺宜嗣アナウンサーがメイン司会に登用される結果となった。また、この10代目の司会者だった渡辺は、現在も放送中のスーパーモーニングでも司会を担当した[3]

[編集] 放映ネット局

系列は放送当時のもの、◎テレビ朝日(NET)系列、▲日本テレビ系列、●TBS系列、■フジテレビ系列

[編集] 備考

  • オープニングでは上記のネット局の紹介テロップ(HTB〜RBC)とスポンサーテロップ[4]が流れていた。
  • エンディングは『モーニングショー 終』という白テロップを表示されたあと、『制作著作 NET』(後に『制作著作 テレビ朝日』)という白テロップが映し出される。
  • 沖縄・宮古島の宮古テレビと石垣島の石垣ケーブルテレビでも、一時期のみであるが時差ネットしたことがあった(琉球放送が当時宮古・八重山地方で放送されていないため。2局ともに、ネット局の紹介テロップには表示せず)。
  • 2006年5月8日、神奈川県平塚市の5遺体が発見された事件で逮捕された容疑者が過去[5]この番組の取材にこたえていた。この映像は『スーパーモーニング』などで放送された。
  • 1975年以降、近畿広域圏では朝日放送が毎年8月に全国高校野球選手権大会中継をするため、大会序盤(おおむね1〜2回戦、6日目くらいまで)は本番組を優先して放送されたものの、開会式(ただし他の地域では入場行進が本番組のなかで放送された)ならびに3回戦から準々決勝の間の4試合日には休止されることが多かった。これは1985年からの近畿広域圏における独立UHF局とのリレー中継開始により休止は開会式と準々決勝だけとなる。なお1975年3月28日までの毎日放送で選抜高等学校野球大会を中継した際は開会式当日のみの休止だった。(まれに4試合日で休止のときもあり)
  • 2009年2月1日にテレビ朝日開局50周年記念特番の一環として放送された「“ニュースの記憶”〜あの頃あの時あなたは…報道50年映像全史〜」で1964年の「木島則夫モーニングショー」時代の番組セット(日付ボードの挿入にも対応)が完全復刻する形で再現された。又、同特番では、歴代の司会者の顔ぶれも放送された。
  • 2009年11月11日にユニバーサルミュージックよりリリースされた「ブロードキャスト・トラックス テレビ朝日編」に「木島則夫モーニングショーのテーマ」とあるが、実際に収録されているのは「奈良和~」から「江森陽弘~」まで使われたテーマ曲である。

[編集] 脚注・出典

  1. ^ 『ニュース・ショーに賭ける』浅田孝彦著
  2. ^ 毎週水曜日のコーナー、宮尾が日本各地の会社の社長会長に密着リポートする長寿コーナー。
  3. ^ 2002年10月から2007年3月まで。
  4. ^ 最終回までコメントは一切なし。後番組の「スーパーモーニング」では8:30頃~9:30頃までのネットセールスの前提供のみ番組開始当初からコメントあり。
  5. ^ 1985年1月10日放送分・当時は「江森陽弘モーニングショー」だった。

[編集] 関連項目

NETテレビ→テレビ朝日 平日午前のワイドショー枠
前番組 番組名 次番組
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最終更新 2009年11月23日 (月) 04:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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