ヤングおー!おー!
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| ヤングおー!おー! YOUNG OH! OH! |
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![]() 大阪府吹田市にあったミリカホール。 「ヤングおー!おー!」13年のうちの末期はこのホールで収録されていた。 |
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| ジャンル | バラエティ |
| 放送時間 | 番組の入れ替わり参照 |
| 放送期間 | 1969年7月3日〜1982年9月19日 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 毎日放送 |
| プロデューサー | 中邨秀雄、林裕章 |
| 出演者 | 桂三枝 笑福亭仁鶴 斎藤努 川村龍一 横山やすし 西川きよし 月亭八方 オール阪神・巨人 明石家さんま 桂文珍 島田紳助 松本竜介 ほか、こちらも参照。 |
ヤングおー!おー!(YOUNG OH! OH!)は、1969年から1982年まで毎日放送(MBS)テレビが制作して全国ネットで放送された公開バラエティ番組である。
ヤングオーオー、ヤングOH!OH!のタイトル表記もあり。
目次 |
[編集] 歴史・概要
1969年7月3日に番組スタート。桂三枝と斎藤努・MBSアナウンサー(当時)がDJを務めていたラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』のテレビバージョンといえる。
初代司会は、落語家の笑福亭仁鶴と三枝が担当。進行役は斎藤アナが務めた。
番組の収録は初期の大阪市北区の「うめだ花月」を皮切りに、同区・中之島の「SABホール」(現・リサイタルホール)での公開収録を長年に渡って行ってきた。その後末期に吹田市のMBS千里丘放送センター内にあった公開ホール「ミリカホール」からの生放送で行われていた。また、月に1回の割合で関東地方での収録があり、その他ネット局の制作協力で日本各地の地方公開録画もあった。当番組もその模様を茶の間ではなくホール会場で直接見たい場合は、前もってネット局宛に観覧したい旨のハガキを送らねばならなかった。そうすれば厳正なる抽選の上、スタッフから視聴者宛に当選通知票(いわゆる入場整理券)を送ってもらえた。
番組の内容は、公開放送形式で、吉本興業の若手芸人と一般視聴者(観客)によるゲーム企画や、吉本の芸人によるコント、漫才の他、ゲストのアイドル歌手の歌やトークもあった。中には東京キー局制作の番組でも出演しない大物のアーティストが突如登場することもあった。
吉本若手芸人の元祖登龍門的番組で、昭和30~40年代までは松竹芸能独走状態であった上方演芸界の勢力図を現在のような吉本中心へと至らしめる、その骨格を築き上げた。全国区の人気者へと上り詰めた仁鶴・三枝は、3ヵ月遅れで番組レギュラー入りし大ヒット曲「嘆きのボイン」で猛追した月亭可朝を加えて俗に“上方落語若手三羽烏”。また、やはり番組レギュラーだった横山やすし・西川きよしと共に“吉本御三家”と並び称された。ほかにも桂きん枝、林家小染(四代目)、オール阪神・巨人、明石家さんま、桂文珍、月亭八方、島田紳助らは(チンチラチンという名称を番組内で使用)、この番組で人気に火が付き、さらに「出世作」でもあり、全国進出のきっかけを作った。さんまが、当時阪神タイガースの投手だった小林繁のものまねを披露したのも、この番組が最初だった。番組初期は、文珍、八方、きん枝、小染の吉本の若手落語家4人で「ザ・パンダ」を結成。このときに得た、ユニット作りによる若手スター売り出しを伴う番組制作は、後に、ダウンタウン司会で心斎橋筋2丁目劇場より生中継された「4時ですよーだ」(毎日放送/1987~1989年)、さらにはナインティナインを中心とした「吉本印天然素材」などへと発展。吉本独特のスター工法がお家芸として定着していくことになる。
観客席のリポーターは、ラジオパーソナリティの川村龍一(当時の芸名は川村ひさし)が務めた。
1978年〜1981年の毎年5月〜7月頃には、「ミス・アイドルコンテスト」が開催された。毎週5人の出場者が登場しチャンピオンを決め、さらに、グランドチャンピオン大会でグランドチャンピオンに輝くと、賞金$1000と日本航空で行く海外旅行がプレゼントされた。しかし、優勝者が録画のため放送前に「TVガイド」に載ってしまうという欠点もあった。なお、1980年の優勝者・山本博美(現・京本政樹夫人)はのちにタレントデビューし、スポンサーである日清食品のカップラーメンのCMで中尾ミエと共演も果たした。
[編集] 裏番組への波及
放送が始まったころは、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列でネットされたが、NETの放送地域である関東圏では関西のお笑いタレントの知名度がほぼ皆無に等しく、TBSの人気ホームドラマ「肝っ玉かあさん」(京塚昌子主演)と放映時間帯が重なっていたこともあって、NETは「こんなメンツでTBSに勝てるわけがない」といった理由から、たった1クールで一方的にネットを打ち切ってしまった。
しかし、放映時間を日曜18:00へ移行させて環境が変わり、当時経営再建中の東京12チャンネル(現・テレビ東京)をMBSが支援していたことも手伝って関東圏のネット局を12チャンネルに変更すると、12チャンネルの全体的な平均視聴率は相変わらず低空飛行ではあったものの、当番組及び番組に出演していた三枝、仁鶴ら関西のお笑いタレントの人気が上がっていった。
当時の同一時間帯では、フジテレビのアニメ2本立て[1]には視聴率的に及ばなかったが、同枠ともども1960年代を代表するテレビバラエティだったABC(当時はTBS系)の「てなもんやシリーズ」と日本テレビの「シャボン玉ホリデー」を視聴率低迷→打ち切りに追いやっている。また、NHKは1973年4月にそれまで子供向け番組だった同枠に若者向け番組の「ステージ101」(のち「レッツゴーヤング」)を日曜19:20から移行させ、同じ視聴者層向け番組の競合という波及効果ももたらした。
更に、世界初のカップ麺『カップヌードル』の発売を開始したばかりの日清食品がスポンサーとなった頃(1971年10月)から、NET系列外の放送局や他系列とのクロスネット局でも当番組を時差ネットする局が増加した。
その一方で、当番組に絶縁状を叩きつけたNETは日曜18:00枠にどの番組をぶつけても視聴率低迷でことごとく打ち切りの憂き目に会い、米MLBにおけるバンビーノの呪いに引っ掛けて「ヤングおー!おー!の呪いだ」などと揶揄される結果となってしまった[2]。また、NET系列局でも名古屋放送やミヤギテレビ(当時は日本テレビ系列とのクロスネット局だった)はNETの番組では視聴率が見込めないため、当番組をネットしていた。
しかし、12チャンネルでは好セールス番組の部類に入っていたにも関わらず、1975年3月31日付でのMBS-ABC間の腸捻転ネット解消に伴うネットチェンジにより、当番組は3月30日(腸捻転ネット最終日)を最後にTBS系への移行を余儀なくされた。
放送時間はTBS側の編成の都合で30分繰り上がった同日の17:30からの開始となった。この裏番組には今もなお続く日本テレビの「笑点」が犇いており、人気を二分する形となった。番組制作元の関西を始めとする西日本地区では「ヤングおー!おー!」側が「笑点」側に人気面で差をつけていたことから「西の笑点」の異名が付いたことでも後年語り継がれている。
[編集] 番組の終焉
1979年12月の放送をもって、初代司会を10年以上担当した三枝が、若手芸人へと道を譲ることを理由として降板。翌年1月より、さんまが三枝の指名により後継司会となり、後に紳助とのコンビ司会となる[3]。1982年3月までは日曜日の18時台に放送されていたが、同月いっぱいで番組黄金期を支えた文珍と川村が降板し、同時に10年以上スポンサーを務めた日清食品も降板、翌4月から日曜13時に移動となった。これとともに、それまで未ネット地域だった長野県、高知県、沖縄県にもネットが開始された。
しかし、放送枠を13時台に移動してから急速に視聴率は低下し[4]、同年9月19日の放送をもって13年3ヶ月の歴史に幕を下ろした。
最終回は、エンディングで「今回でお別れ!」と言ったあと、ラストで制作スタッフのクレジットタイトルのロールと共に、スタート当時の当番組における若かりし頃の三枝、ザ・パンダ、斎藤努らの姿(ビデオが残っていないため白黒写真)を背景にして別れのメッセージとした。
[編集] 補足
- 放送開始当時ディレクターの竹中文博はプロデューサーも務めた後、「八木治郎ショー・いい朝8時」制作(チーフプロデューサー)を務め、さらに毎日放送の常務取締役も務めた。
- このような公開放送の取り組みは、笑福亭鶴瓶が司会を務めたMBS「突然ガバチョ!」(1982年 - 1985年)やタモリ司会のフジテレビ「笑っていいとも!」(1982年 - 放送中)、さんま司会の「痛快!明石家電視台」(MBS、1990年〜現在放送中)にも生かされた。また、少年期は当番組の視聴者であり、番組末期にゲスト出演歴のあるとんねるずは、フジテレビ「ラスタとんねるず'94」の中で当番組のパロディ的な「フジYOUNG」というコーナーを設けている。
- 首都圏では、前記の詳述の通り1969年7月にNETテレビ(現・テレビ朝日)でネットが開始されたがわずか1クールで東京12チャンネル(現・テレビ東京)に移行、1975年4月にMBSとABCの“腸捻転解消”に伴いTBSに再移行し、最終回までネットされた。TBS系列に移行後、JNN全国ネットで放送され、関東地区での公開録画ではTBSとの共同制作で収録が行われていた。TBS側のプロデューサーは、後に「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」を大ヒット番組に育てあげた桂邦彦が担当した。
- 広島県・福岡県では、MBSがJNNに移行する前から、JNN系列のRCC・RKBにネットされていた(腸捻転時代は1週遅れでの放送だったが、1975年4月から最終回までは同時ネットで放送された。なお、福岡県ではNET系時代はKBCにネットされていた)。
- 番組全盛期の1972年から1974年までの3年間、週刊少年ジャンプに「それいけジャンプでヤングおー!おー!」(作画・宮のぶなお)という漫画が連載された。
- また、1973年には東映で映画化された(「ヤングおー!おー!日本のジョウシキでーす!」)。これに関しては後述。
- 1972年には、同じ毎日放送の大人気番組「仮面ライダー」を招き、実際の番組のスタントチームにより、ステージショーが行われた。
- 「あっち向いてホイ」をテレビに取り入れたのは本番組が初めてとされる。
- 他の1970年代製作の番組と同様、当時はVTRの規格が2インチでテープ自体が高価・編集も煩雑だったことに加え、公開番組が故に著作権や肖像権での制約も多かった事情も重なり、映像は上書き収録されほとんど残っておらず、現存するものは数本のみとされている[5]。このうち1本は明石家さんまがトランポリンで飛び跳ねるシーンが登場するため、TBS系の番組名場面集などで放送されることもある。
[編集] 出演者
[編集] 歴代司会者
- 笑福亭仁鶴(1969年7月〜1974年頃)
- 桂三枝(『サニー』、1969年7月〜1979年12月)
- 明石家さんま(『チャッピー』、1980年1月〜1982年9月)
- 島田紳助(1981年頃〜1982年9月)
[編集] 総合司会
- 斎藤努(当時・毎日放送アナウンサー)
- 川村ひさし(川村龍一)(音楽評論家)
- 緒方憲吾(当時・毎日放送アナウンサー)
- 近藤光史(当時・毎日放送アナウンサー)
- 青木和雄(当時・毎日放送アナウンサー)
[編集] 主なレギュラー
月亭可朝、横山やすし・西川きよし
林家小染、桂きん枝、月亭八方、桂文珍(以上、「ザ・パンダ」・「さんま大阪オールスターズ」) 中田カウス・ボタン、コメディNo.1、Wヤング、オール阪神・巨人、
島田紳助・松本竜介、ザ・ぼんち、西川のりお・上方よしお(以上、「チンチラチン」)、
村上ショージ、岡田祐治、前田一球・写楽、前田犬千代・竹千代、Wパンチ(以上「パッパラパーズ」)、
太平サブロー・太平シロー、桂小つぶ(現・桂枝光) ほか
古谷充とザ・フレッシュメン(テーマ曲演奏、伴奏)
[編集] 主なゲスト
[編集] 歌手
村田英雄、三波春夫、春日八郎、島倉千代子、水原弘、石原裕次郎、美空ひばり、デューク・エイセス、北島三郎、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、ヒデとロザンナ、坂本九、ジェリー藤尾、森山加代子、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、ザ・ワイルドワンズ、水前寺清子、千昌夫、黛ジュン、奥村チヨ、小川知子、由紀さおり、トワ・エ・モワ、北山修、はしだのりひことクライマックス、杉田二郎、和田アキ子、内山田洋とクールファイブ、かまやつひろし、堺正章、井上順、尾崎紀世彦、にしきのあきら、五木ひろし、天地真理、南沙織、欧陽菲菲、八代亜紀、沢田研二、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎、麻丘めぐみ、三善英史、山口百恵、桜田淳子、森昌子、あべ静江、アグネス・チャン、浅田美代子、石川さゆり、チェリッシュ、かぐや姫、フィンガー5、中条きよし、城みちる、あいざき進也、殿さまキングス、海援隊、あのねのね、浅野ゆう子、伊藤咲子、林寛子、麻生よう子、荒川務、シェリー、片平なぎさ、岩崎宏美、岡田奈々、細川たかし、JOHNNY'Sジュニア・スペシャル、ずうとるび、しばたはつみ、真木ひでと、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、研ナオコ、井上純一、キャンディーズ、斎藤こず恵、ピンク・レディー、内藤やす子、新沼謙治、角川博、清水健太郎、狩人、川崎麻世、松崎しげる、榊原郁恵、大場久美子、高田みづえ、石野真子、石川ひとみ、中原理恵、渡辺真知子、原田真二、ツイスト、サザンオールスターズ、能瀬慶子、水越けいこ、浜田省吾、ロブバード、松田聖子、中森明菜、河合奈保子、三原順子、柏原芳恵、田原俊彦、近藤真彦、山本譲二、沖田浩之、クールス、THE ALFEE、ジューシィ・フルーツ、ザ・ヴィーナス、又吉&なめんなよ(M-BAND=当番組がテレビ初出演)、チャゲ&飛鳥、松本伊代、堀ちえみ、チープ・トリック、レスリー・マッコーエン、ノーランズほか
[編集] お笑い(主に関東)
ヒップアップ(島崎俊郎・川上泰生・小林進)、コント赤信号(渡辺正行・小宮孝泰・石井章雄)、ゆーとぴあ(城後光義・帆足新一)、とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)、ビジーフォー(グッチ裕三・モト冬樹・ウガンダ・トラ・島田与作)、ポップコーン(正一・正二)ほか
[編集] スタッフ
- 構成:頭脳集団
- 音楽:小林亜星
[編集] スポンサー
- ※一社提供時代のみ記述(後述の期間以外は複数社提供)。
- 永大産業(1969年10月〜1971年9月)
- 日清食品(1971年10月〜1982年3月) - 同社のCMに出演していたタレントやCMソングを歌っていた歌手もよくゲストに出演していた。代表的な例としてはピンク・レディー、浜田省吾など。
[編集] 腸捻転解消直前のネット局
☆はTBS系番組として引き続きネットした局
- 近畿広域圏 毎日放送(制作局)
- 北海道 ☆北海道放送(TBS系)
- 秋田 ☆秋田テレビ(当時はフジテレビ系・NETテレビ系クロスネット)
- 山形 ☆山形テレビ(当時はフジテレビ系)
- 福島 ☆福島テレビ(当時はTBS系・フジテレビ系(FNSのみ加盟)クロスネット)
- 宮城 ミヤギテレビ(当時は日本テレビ系・NETテレビ系クロスネット)
- 関東広域圏 東京12チャンネル
- 新潟 新潟総合テレビ(当時はフジテレビ系・NETテレビ系・日本テレビ系クロスネット)
- 静岡 ☆静岡放送(TBS系)
- 中京広域圏 名古屋テレビ
- 石川 石川テレビ(フジテレビ系)
- 福井 福井テレビ(フジテレビ系)
- 鳥取・島根 日本海テレビ
- 岡山 テレビ岡山(当時はフジテレビ系・NETテレビ系クロスネット)
- 広島 ☆中国放送(TBS系)
- 山口 ☆テレビ山口(当時はTBS系・フジテレビ系(FNSのみ加盟)・NETテレビ系(ANNは未加盟)クロスネット)
- 香川 西日本放送(日本テレビ系)
- 愛媛 ☆南海放送(日本テレビ系、当時はTBS系・NET系番組も番販ネット)
- 福岡 ☆RKB毎日放送(TBS系)
- 長崎 ☆長崎放送(TBS系)
- 熊本 ☆熊本放送(TBS系)
- 宮崎 ☆宮崎放送(TBS系)
- 鹿児島 鹿児島テレビ(当時は日本テレビ系・フジテレビ系・NETテレビ系クロスネット)
[編集] 備考
- 全21局ネット
- 1975年3月時点で岡山・香川は放送圏の違いあり。また、この時点でNET系とのクロスネットだった青森テレビでは放送されていなかった。
- 解消後はTBS系列全局(毎日放送のネットチェンジと同時期にTBS系のフルネット局となった青森テレビ含む)が放送している(ネットチェンジ初期は日曜17:30からの放送だったが、TBS系列局内で時間帯が違う、あるいは未放送だった局もあり)。また、系列局がない地域及び腸捻転解消前からTBS系列局が放送していた地域は、そのまま解消前の局が引き続き放送し、さらに北日本放送(富山県、日本テレビ系)がネットを開始した。
[編集] 映画「ヤングおー!おー!日本のジョウシキでーす!」
先述のように1973年に東映が制作した。
「狭い日本にゃ住み飽きた」とばかりに海外脱出を試みようとする7人の男達の悪戦苦闘を描いたものだった。また、番組の収録現場のシーンも撮影されている。2009年3月にファミリー劇場、同年9月に東映チャンネルで放送された。
[編集] 主な出演者
- 笑福亭仁鶴(つぶれかけたくず鉄屋の主人)
- 桂三枝(アイビールックを着たけったいな若者)
- 岡八郎(トラック運転手、事実上の主人公)
- 横山やすし(住之江ボートレースの予想屋)
- 西川きよし(自動車整備士)
- 前田五郎(倉庫の管理人)
- 坂田利夫(ガス会社の集金係)
[編集] 脚注
- ^ 前半がタツノコプロ製作アニメ、後半が今なお続く「サザエさん」。
- ^ NETが同枠で盛り返すのはテレビ朝日に局名変更後の筑紫哲也司会「こちらデスク」以降である。
- ^ 同時にラジオ番組「MBSヤングタウン」もさんまにメインパーソナリティーの座を禅譲する形で降板した。
- ^ 三枝は既に裏番組に当たる『新婚さんいらっしゃい!』の司会に回っており、現在に至る。
- ^ 2003年、桂三枝が「おかしや?さんま!」にゲスト出演した際、「残しておけばよかった」という旨の発言をした。
[編集] 関連項目
いずれもオールナイトニッポン(ニッポン放送)のテレビ版として、フジテレビで放送された番組。
[編集] 番組の入れ替わり
| 毎日放送 木曜20時台(1969年7月〜1969年9月) | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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おやじは大学一年生
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ヤングおー!おー!
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| 毎日放送 日曜18時台(1969年10月〜1975年3月) | ||
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ヤングおー!おー!
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| 毎日放送 日曜17:30〜18:25(1975年4月〜1982年3月) | ||
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毎日新聞テレビ夕刊
※17:30〜17:55 → 18:50〜19:00 天気予報 ※17:55〜 → 18:25へ移動 ヤングおー!おー! ※18:00〜 |
ヤングおー!おー!
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| NET 木曜20時台(1969年7月〜1969年9月) | ||
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おやじは大学一年生
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ヤングおー!おー!
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| 東京12チャンネル 日曜18時台(1969年10月〜1975年3月) | ||
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日米対抗ローラーゲーム
※19:00へ移動 |
ヤングおー!おー!
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これがフットボールだ!
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| TBS系 日曜17:30〜18:25(1975年4月〜1982年3月) | ||
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ワールドゴルフ
※17:30〜 せんみつ・湯原のドット30 ※18:00〜18:30 |
ヤングおー!おー!
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JNNニュースコープ
※18:30から移動 → 17:30〜 スポーツニュース ※17:50〜 天気予報 ※18:55から移動 → 17:55〜 JNN報道特集 ※土曜22:00から移動 → 18:00〜18:55(TBS制作枠) |
| TBS系 日曜13時台(MBS制作枠)(1982年4月〜1982年9月) | ||
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ヤングおー!おー!
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最終更新 2009年10月21日 (水) 10:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ヤングおー!おー!】変更履歴


