ヤングパラダイス

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高原兄のヤングパラダイス
ジャンル バラエティ
放送方式 生放送
放送期間 1983年5月2日~1984年2月2日
放送時間 月曜日 - 木曜日22:00~24:00
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 高原兄
出演 原田知世原真祐美松居直美斉藤ゆう子森尾由美桑田靖子ほか
  
三宅裕司のヤングパラダイス
ジャンル バラエティ
放送方式 生放送
放送期間 1984年2月6日~1990年3月29日
放送時間 月曜日 - 木曜日22:00~24:00
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 三宅裕司
出演 小倉久寛寺脇康文岸谷五朗山田幸伸ほかスーパー・エキセントリック・シアターのメンバー
  

ヤングパラダイス(Young Paradise)は、1983年5月2日から1990年3月28日まで月曜~木曜の22:00~24:00にニッポン放送で放送されていたラジオ番組。通称ヤンパラ

目次

[編集] 概要

[編集] 高原兄時代

放送開始当初はヒット曲『完全無欠のロックンローラー』で知られるアラジン高原兄がパーソナリティを務めた(当初は日替わりアシスタントが存在し、月曜:原田知世、火曜:原真祐美、水曜:松居直美、木曜:斉藤ゆう子。1983年10月から月曜が森尾由美、火曜が桑田靖子に交替)。

この時はクイズコーナーが『クイズの王様』、他に『ジャンケンマン』などのコーナーが有り、木曜日は『女子高生でいっぱい!夜のパジャマパーティー』という、女子高生を交えた企画を行っていた。また高原の後任となる三宅裕司スーパー・エキセントリック・シアターが出演するコーナーがこの時から存在していた。そして1983年12月14日には沢田研二横山やすし世良公則藤岡琢也が出演したラジオドラマ『ドラマやでワレ!唐獅子株式会社』という企画も行っている。

なお金曜日はコント赤信号によるヤングパラダイスフライデースペシャル〜マイクストロベリーショーが放送されていた。

[編集] 三宅裕司に交替以後

1984年2月2日で高原は降板し、同年2月6日から劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)座長で俳優三宅裕司に交代。以後番組終了まで三宅がパーソナリティを務めた。番組のオープニングテーマは当初は高原兄が歌うオリジナル曲が使用されたが、後期には安部恭弘松尾清憲BLUEW・JAG-TOY・MASAHARUなどの曲に変更された。

当時文化放送で、吉田照美が担当する『吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』『新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな』と激しい聴取率争いを繰り広げた。後に吉田が『やる気MANMAN』担当のため夜ワイドを降板後、ヤンパラは完全に在京ラジオ局夜ワイド枠を支配していく。以後番組終了まで中高生を中心に絶大な人気を獲得。同時に当時全く無名だった三宅及びSETの知名度も大きく向上することになる。三宅は劇団の公演中も休まず、地方公演の際は地方からでも放送を続けた。1990年4月から三宅がテレビの深夜番組EXテレビ)に生出演することになったため、惜しまれつつも同年3月29日に終了した。(4月以降も三宅はニッポン放送の番組を持ち続け、現在まで20年以上ニッポン放送にレギュラー出演している)

本番組からは「ヒランヤ」「ヤッちゃん」「水戸さま」「おぼっちゃま」「オタク族」「ベロダス」「ナゾダス」など、数多くの流行も生まれた。

三宅以外にも小倉久寛・八木橋修・今村明美などのSET劇団員の他、当時の劇団若手3人組(寺脇康文岸谷五朗山田幸伸)が「SET隊(せったい)」としてコントやコーナーに出演していた。岸谷はヤンパラの終了から半年後、TBSラジオで『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』のパーソナリティに抜擢され、彼もまた三宅同様一気に知名度を獲得していくことになる。

なお、金曜日は三宅交代と同時期に別番組として『TOKYOベストヒット』を放送開始し、ヤンパラ終了と同時期に終了した。

2006年4月10日には、18:00~20:30に『三宅裕司のヤンパラリターンズ 帰ってきた恐怖のヤッちゃん!』として復活した。

[編集] 主なコーナー

[編集] オープニングコント

  • 曜日別に基本三宅一人による(小倉・八木橋等SETメンバーの居る回は複数による)コント。「ゴルゴ三宅」「ランボー三宅」「パウロ三宅」等々。その時期の話題の映画や時事をパロディしたコントが多かった。余談だが木曜のゴルゴ三宅の開始時に三宅による「今夜も44マグナムが・・・」という台詞を、開始前の時報案内のニッポン放送アナウンサーがそれに因んだ時報を行ったのに対して三宅当人がそのアナウンサーのコメントに答えるようなアドリブの効いた台詞に変更して始まる等生放送ならではの開始なども多々見られた。

[編集] ドカンクイズ

  • 夜11時頃に開始されるリスナー参加型のクイズコーナー。問題コースを簡単な「はなたれ」コース(1問2,000円)と難度の高い「インテリ」コース(1問10,000円)から選択。三宅の出題する問題に答えていくのだが、1問だけ問題の代わりに「ドカン」が隠されており、それに当たると爆発音が鳴り失格、賞金没収となる。リスナーは各問題が読まれる前に、問題に答えるなら「行く」とコール、この問題は「ドカン」だと予想して次の問題に行くなら「パス」とコールする。パスは2回のみ使用可。10問回答するか、「ドカン」に当たらずに1分が経過し時間切れになれば賞金獲得となる。
  • 「ドカン」の位置はランダムで、1・2・3問目に置かれることもある。つまりクイズに挑戦出来ずに終了したケースも発生する。
  • 最高記録は40,000円。その中には菊池桃子もいた(1986年8月6日放送。スペシャルウィークにて)。
  • 能勢一幸は、高校生時代出場もしている。30,000円獲得。
  • チェッカーズは、スペシャルウィークにて参加の時には、必ず「インテリコース」を選択していた。最高記録は20,000円。
  • 後に同時間枠で放送されていた『東貴博のヤンピース』と『南海キャンディーズ 山里亮太のヤンピース フライデースペシャル』では「サッカークイズ」として、これをアレンジしたクイズが行われていた。
  • ヤンパラと同時期に、九州のとあるヤング向けラジオ番組でも「ボカンクイズ」というタイトルで、ほとんど同じ内容のクイズが放送された。問題コースは「駆け出しコース」と「いっちょ前コース」の二つで、後者は「ボカン」が2問設定されていた。ヤンパラ側でもこのクイズの存在は知っていたらしく、黙認した形になっている。

[編集] あなたも体験 恐怖のヤッちゃん

  • ヤクザとの遭遇体験を紹介。
  • コーナーのオープニングとエンディングに童謡『さっちゃん』と『手のひらを太陽に』の替え歌(唄・小倉久寛)が使われていた。

[編集] 不気味なチュー太郎

  • 酔っぱらいとの遭遇体験を紹介。

[編集] おぼっちゃま

  • お金持ちの息子のユニークな行動を紹介。

[編集] ヒランヤの謎

  • 正三角形2つを上下に組み合わせた形(六芒星)をデザインした物体を置くと不思議な現象が起こる旨を実験して報告。
  • 東京都内の某所に埋められた「ヒランヤ」を探して賞金を当てる企画では、ヒランヤが埋められているとされる公園の地面が多数のリスナーにより掘り返されて番組プロデューサーが公園側に謝罪するなどの事件がおこった。

[編集] 3つのどん底

[編集] 幸福者不幸者

  • 言葉自体は似ていても内容が全然異なる2つの言葉を並べて笑わすネタを紹介。

[編集] マヌケな動物

  • 動物のおかしな行動を紹介。毎回三宅が変なしゃべり方でタイトルを叫んでいた。

[編集] 新・早口言葉 ベロダス

  • リスナーから募集した難しくて面白い早口言葉をSET隊(岸谷五朗寺脇康文山田幸伸)の3名が挑戦する。そのネタ本は現在もニッポン放送のアナウンス研修で使われているらしい。

[編集] ナゾダス

  • 三宅が謎の言語学者「三宅一京助」に扮して笑えるなぞなぞを出題。後に渋谷公会堂(現・渋谷C.C.Lemonホール)でなぞなぞ日本一を決める大会を開催した。

[編集] アミのお部屋

[編集] マダムガンビー

  • 経験豊富な占い師(?)であり、ゲストに対して運勢を伝える。

[編集] 中森明菜歌合戦

  • リスナーが中森明菜の特徴であるビブラートを利かした歌い方でネタを披露する。

[編集] 新平成コミュニケーション あほだら語

[編集] つぎはぎザ・ベストヒット

  • 色々な曲を継ぎ足して面白い歌詞の曲を作る。

[編集] 中ちゃんの一日

  • 中曽根康弘首相(当時)のその日の動向を伝えるコーナーで、同時に誕生日おめでとうのメッセージも受け付けていた。実際に1984年1985年に2年続けて中曽根首相の誕生日、5月27日にリスナー代表が首相官邸に出向いて番組で集まったバースデーカードを渡し、その当日に本人が電話で生出演していた。本人からお礼の手紙も届いたことがある。

[編集] 我慢の極地!水戸様の怒り

  • 大便(特に突発的な下痢)をもよおした時の状況や心境を面白おかしく紹介。「風車の弥七(屁)」など、水戸黄門のサブキャラに当てはめた多彩な表現がリスナーにより創出された。ちなみに肛門は「菊の御門」。

[編集] サンショウウオの悲劇

  • 「水戸様」が後ろなのに対してこちらは前、つまり前が立ってしまった時の事である。当然のことながらハガキ投稿者はすべて男性である。

[編集] オタク族の実態

  • 特定の趣味(なぜか暗いものばかり)を持つ者の実態を紹介。オタクという言葉は今でこそ知らない人はいないが当時は極めてマイナーであった(「オタク」という言葉が一般的に知られるようになるのは東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件発生以降)。当時の略称は現在の「**ヲタ」ではなく「**タク(鉄タク、アニタク等)」であった。かなり悪意のある内容だったためトラブルが絶えなかった。現在でもヅカファン(宝塚女優ファン)と秋葉系からは目の敵にされている。

[編集] これは知らね~だろ

  • リスナー2人の対決で「これは誰も知らない」という自分だけの秘密を面白おかしく暴露して受けた人が勝ち。後期は親子対決となり「隠し事が無い明るい家庭を作って欲しい」という意味があった。

[編集] ハンドメード宝くじ

  • 正式には「当たれ!僕の!私の!ハンドメード宝くじ」。スペシャルウィーク(聴取率調査期間)のメイン企画として度々登場。ハガキに4桁の数字を書いて送り番組内で抽選。抽選には番組中に番号アナウンスが吹き込まれたオープンリールテープをパーソナリティーの「スタート!」の掛け声で早送りし「ストップ!」の掛け声に合わせ停止再生させる事で行われていた。当選するとAコース「好きな芸能人に会える権利」またはBコース「好きなもの(10万円以内)」を獲得。
    • ただし当選しても、5回コールの末電話に出られなくなり、本人が「入浴中」「就寝中」等で家族の者が出たり(ルール上、当選者本人が必ず受話器を取ることになっている)、、番組内で発表される合言葉を言えなかったり、「失格」となるリスナーがいた。

[編集] 各種出前企画

  • 「ハンドメード~」同様、スペシャルウィーク企画として度々登場。リスナーの家に当時のアイドル歌手などを派遣して生中継する。

[編集] 超人!ダジャレ合戦

  • 月曜日に行われていた人気コーナーの一つ。毎週一つのテーマ(例:コンビニで売っているもの、先の尖ったものなど)を決めて、三宅の「ウシさんチーム」、小倉の「ゴリラさんチーム」、八木橋の「ヤギさんチーム」に分かれてリスナーから募集した五つのダジャレを紹介し合うというもの。どういう訳か三宅があみんの『待つわ』の替え歌ダジャレを紹介するのが定番になっていた。判定はそれぞれの動物の鳴き声で行われ、一週目に勝ち抜けばTシャツ(冬場はトレーナー)が、二週目以降は賞金がもらえた。

[編集] いろんな教え

  • 番組末期の人気コーナー。リスナーから送られた、いわゆる「あるあるネタ」を次々と紹介していく。ネタが紹介されるたびに「ありがたや~ありがたや~」というSEが流れるのが恒例で、ネタは後に「ありがたや教経典」として番組本にまとめられたほか、「ありがたや教」の本尊として三宅を象った「栓抜き地蔵」(三宅が見た「あなたの心の栓を抜く」という夢に由来する。手には栓抜きを持っている)なる像まで作られた。

[編集] 箱番組

2時間の生放送中、4つの箱番組(アイドル等が務める10分の録音番組)が存在した。これらの一部は地方局にもネットされていた。以下はその一部である。箱番組に出演していたメンバーを総称して「ヤンパラファミリー」と呼んでいた。

[編集] 関連商品

番組内の企画から誕生した関連商品を以下に示す。

[編集] 番組本

番組内の企画から誕生した関連書籍を以下に示す。出版元は、すべてニッポン放送出版。

[編集] 映画

『恐怖のヤッちゃん』 - 上記の『あなたも体験!恐怖のヤッちゃん』は、ニッポン放送と東映が提携し、金子修介監督で1987年に映画化された。三宅も出演している。主題歌は『恐怖のヤッちゃん~愛と抗争の日々』(歌:土田由美、作詞:森雪之丞、作曲:都志見隆、編曲:船山基紀)。同時上映はヤンパラファミリーの仲村トオル主演『新宿純愛物語』。

[編集] スタッフ

[編集] オープニングテーマ

すべてタイトルはオリジナルのもの。歌詞の一部を番組タイトルや三宅の名前などに置き換え、2番以降をオフボーカルにした番組オリジナルの素材が使われていた。ちなみに高原兄時代のオープニングテーマは加山雄三の『ブラック・サンド・ビーチ』(映画『エレキの若大将』挿入曲)。

[編集] その他

  • 1987年草野球の全国大会、ニッサングリーンカップに「ヤンパラチーム」として出場したことがある。対戦相手はヤンパラファミリーの仲村トオルが出演した刑事ドラマの「あぶない刑事チーム」だった。(詳細:[1]
  • イメージキャラクターは「マイクストロベリー」。フロリダ生まれらしい。
  • 時々、オープニングでシンガーソングライター・谷山浩子のラジオ番組「谷山浩子のオールナイトニッポン」のコーナー「谷山浩子の愛の星占い」のパロディー「三宅裕司の愛の星占い」を演じて笑いを誘っていた。
  • 番組のイベントとしては、『校内出前放送局』と題して、1985年11月19日東京都立南葛飾高等学校に三宅自ら出向き、同高校の放送室でヤンパラの収録を行った。また、『とんでもない学力テストを受けてヤンパラスキーツアーに行こう』という企画を行い、その中から選ばれたリスナーを連れて1986年3月1日にツアーに行っている。
  • 1年通して(正月も含めた)月曜から木曜まで休みなく常に放送していた為、三宅がまとめて休みを取ることがあり、その時はパーソナリティとして小倉・八木橋等SETのメンバーが代理で「小倉・八木橋のヤングパラダイス」などタイトルコールも替えて放送した。
  • 克・亜樹の漫画作品「はっぴぃ直前」に、ヤンパラがモデルと思われるラジオ番組「ヤングフラダンス」が登場し、主人公が番組コーナー「ドビーンクイズ」に出演する描写がある。
  • 三宅祐司にパーソナリティーが交代した際のオーディションで、とんねるずも候補として挙がっていたと言う。しかしオーディションで落ち、しばらくしてから『とんねるずのオールナイトニッポン』で活躍することとなる。[1]

[編集] 脚注

  1. ^ 2008年10月31日放送『ナインティナインのオールナイトニッポン』にゲスト出演したとんねるず石橋貴明の発言より。しかし相方の木梨憲武はまったく覚えていなかった。

[編集] 関連番組

[編集] 前番組

  1. 1975年4月から1981年9月まで 「大入りダイヤルまだ宵の口
  2. 1983年3月まで 「塚たんくろうくるくるダイヤル ザ・ゴリラ

[編集] 後番組

ニッポン放送 22時台
前番組 番組名 次番組
ヤングパラダイス

最終更新 2009年10月8日 (木) 09:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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