ユニコーン (バンド)

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ユニコーン
基本情報
別名 UNICORN
出身地 日本, 広島県
ジャンル ロック
活動期間 1987年 - 1993年2009年
レーベル CBSソニー
(1987年 - 1991年
ソニー・ミュージックレコーズ
1992年 - 1993年)
Ki/oon Records
(2009年 - )
公式サイト UNICORN.JP
メンバー
川西幸一ドラムス
奥田民生ボーカルギター
手島いさむ (ギター)
堀内一史ベース
阿部義晴キーボード・ボーカル)
旧メンバー
向井美音里 (キーボード)
(1987年 - 1988年
  

ユニコーンUNICORN)は、日本のロックバンド1986年に結成し、1993年に解散。2009年に活動再開した。

目次

[編集] 概要

1986年広島県広島市にて結成。1987年メジャーデビュー。所属事務所はCBSソニー・アーティスツ(現・ソニー・ミュージックアーティスツ)。契約レコード会社はCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)。初期の音楽プロデューサー笹路正徳。「バンドブーム」の中心的グループ[1][2]THE BLUE HEARTSTHE BOOMと共にバンド御三家とも呼ばれた。またルックスの良さからチェッカーズJUN SKY WALKER(S)と並んで、当時の音楽雑誌で最もグラビアページを組まれるバンドであった。特に"ロックバンドのアイドル化"を招いたと言われる『PATi PATi』では、チェッカーズの後、度々表紙や特集を組まれる同誌の看板スターとなった[3]。バンド名は、イギリスのロックバンドT・レックスのアルバム『ユニコーン』に由来(T・レックスのファンだった手島の発案による)している。

初期の楽曲はいわゆる80年代ヴィジュアル・ロックそのものであったが、中期から後期の作品は独特のくだけた歌詞、良い意味で力の抜けたメロディーとリズムが特徴的なコミカルなバンドへと変化していった。音楽性の違うメンバー全員が作曲をしたり、深夜のバラエティ番組に出演する意外性など、他のバンドにはなかなか出せない独自の味がある[4]。代表曲は『大迷惑』『働く男』『すばらしい日々』など。

1993年9月に解散。解散後はソロや新たなバンドでの活動、他のミュージシャンのプロデュース等、各方面で活躍。

解散から15年後の2009年元旦、奥田、阿部、手島、堀内、川西の5人がそろい新年の挨拶ムービーが特設サイトで公開される。5日後、同サイトで新作の発売とライブツアーを行うことを発表。15年ぶりではあったが、再結成や復活などの発言はなく、スタッフなどは「15年ぶりの仕事始め」と表現[5]するなどして、活動を再開した。マネージメントは、解散前にもマネージャーだった原田公一(元Hit&Run代表、現ソニー・ミュージックアーティスツ代表取締役会長)が務める。 活動再開後はメンバーが全員お揃いのコスプレに身を包んでいる。

[編集] メンバー

  • 川西幸一(かわにし こういち)
    元バンドリーダー[6]ドラムス担当。愛称は西川くん。1959年10月20日(50歳)、広島県呉市出身。89年頃から脱退まで、西川幸一の名で活動。
    1993年、アルバム「スプリングマン」レコーディング中に、バンドの方向性の相違により脱退。2009年、ユニコーン再結成発表にてバンドメンバーに復帰。
  • 奥田民生(おくだ たみお)
    ボーカルサイドギター担当。愛称はタミオ。1965年5月12日(44歳)、広島県広島市出身。
  • 手島いさむ(てしま いさむ)
    リードギター、ボーカル担当。愛称はTESSY(てっしー)、3623(さむにいさん)。本名:手島勇(読み同じ)。1963年8月27日(46歳)、愛知県生まれ広島県育ち。
  • 堀内一史(ほりうち かずし)
    ベース、ボーカル担当。愛称はEBI(えび)で、現在は芸名として使用している。1965年10月2日(44歳)、広島県広島市出身。
  • バンド活動中にソロデビュー(ソロ名義でアルバムをリリース)している。
  • 阿部義晴(あべ よしはる)
    現バンドリーダー[7]キーボード、ボーカル担当。愛称は阿部B(あべびー)。1966年7月30日(43歳)、山形県出身。
    2ndアルバム『PANIC ATTACK』のレコーディングに参加し、リリース前のTV出演にて正式加入が発表。「BOOM」ではマニピュレーター、「PANIC ATTACK」ではSpecialThanks。
    バンド解散まで、CX系『ダウンタウンのごっつええ感じ』ではミニコーナー「民生くんとアベくん」で奥田民生とレギュラー出演していた。
旧メンバー
  • 向井美音里(むかい みどり、1965年4月27日(44歳) - 、広島県出身)
    キーボード担当。
    1988年、2度目のツアー終了後、健康上の理由で脱退。1989年、堀内一史と結婚し2児の母となるが、98年に離婚。2002年、音楽業界から離れる。

[編集] 略歴

  • 1986年
    3月 川西が中心となってメンバーを集め、2度の勧誘を経て最後に奥田が加入し「ユニコーン」を結成。
    5月15日 初ライヴ、広島ウッディ・ストリート。
    12月 CBSソニーオーディション決勝にて合格。
  • 1991年
    1月8日 新年早々ツアー中に阿部がステージ上で転倒し脱臼。この日の公演を含め、ツアー4公演が延期に。(阿部は1月15日に復活)
    1月21日 5thシングル「スターな男」リリース。
    6月21日 6thシングル「ブルース」リリース。
    7月1日 ライヴビデオ『MOVIE3 嵐の獣』リリース。
    8月23日 堀内がアルバム「MUSE`E」でソロデビュー(EBI名義)。
    9月30日 5thアルバム『ヒゲとボイン』リリース。
    10月22日 「舞監無き戦い」ツアー開始(~1992年3月19日)。
    全80公演のユニコーンでは最長のツアー。タイトルの舞監とは舞台監督。今までいた舞台監督が急にいなくなったのと、TVで映画「仁義なき戦い」が放送されたことによるもの。
    10月25日 7thシングル「ヒゲとボイン」リリース。
  • 1992年
    3月25日 ライヴビデオ『MOVIE4 舞監なき戦い』リリース。
    8月 - 10月 5人がそれぞれソロシングルリリースを発表(発売順はジャンケンで決定)。
    8月15日 堀内(EBI名義)ソロシングル「アフリカの蝶」リリース。
    8月29日 奥田ソロシングル「休日/健康」リリース。
    9月12日 阿部ソロシングル「+OR-」リリース。
    9月26日 西川ソロシングル「リキッドマン」リリース。
    10月10日 手島ソロシングル「眠れぬ夜」リリース。
    9月13日「S.F.W」ツアースタート (~1992年12月)。
    12月2日 8thシングル「雪が降る町」リリース。

[編集] 解散後

  • 1994年
    4月21日 ベスト・ライヴ2枚組アルバム『THE VERY RUST OF UNICORN』、これまでの活動を辿ったヒストリービデオ『MOVIE6 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.1』を同時リリース。
    5月21日 ヒストリービデオ『MOVIE7 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.2』リリース。
  • 1995年
    12月13日 オリジナルアルバム6枚、『おどる亀ヤプシ+ハヴァナイスデー』、『ユニコーンのゴールデン・ハーフ・スペシャル』を廉価盤(2000円)で再発。
  • 1997年
    2月21日 未収録のライヴ映像を集めた『MOVIE 8 THE ANOTHER SIDE OF LIVE』リリース。同時にクリップ集のMOVIE「2 1/2」「5 1/2」を紙ケースにより再リリース。
  • 2000年
    7月5日 『MOVIE6』、『MOVIE7』DVDで再発。
    12月6日 『MOVIE』、『MOVIE COMPLETE EDITION 9 1/2』(クリップ集)をDVDで再発。
  • 2003年
    3月19日 ライヴビデオ『MOVIE2』から『MOVIE8』DVDで再発。
  • 2005年
    映画『ヒナゴン』の主題歌に「すばらしい日々」が採用される。
  • 2006年
    3月 ソニー デジタルハイビジョンハンディカム HC3のCMソングとして「すばらしい日々」が採用。
    3月24日 DVD-BOX『UNICORN THE BOX Wonderful Days』リリース。
    3月24日すばらしい日々」マキシシングルとして再リリース。
    9月 阿部、誕生40周年記念ツアー「阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭〜」開催。
    川西が在籍しているジェット機、奥田らが参加。アンコールセッションではユニコーン楽曲を披露。このライブの模様はDVD化され、翌年2月14日に発売された。
※デビュー20周年

[編集] 活動再開

  • 2007年
    7月15日 ユニコーン時代のスタッフ(通称:Jメン)の結婚パーティーの余興でメンバー4人数曲演奏(川西は欠席)。久しぶりに4人揃ったショットが、Ebiのブログに更新される。この時に阿部は、各メンバーの成長と皆が現役であることに感化される。
    12月 阿部が、川西に「5人での新曲作り」をもちかける。川西が合意したのをきっかけにユニコーン5人での忘年会を他メンバーに呼びかけるが、スケジュールが合わず翌年に新年会で集まることになる。
  • 2008年
    1月 新年会にて5人が集結。Ebiと手島は、このとき初めて再結成をもちかけられたが快諾。その数ヶ月後にデモテープを持ち寄って鑑賞会が行われた。
    5月 レコーディング開始。メンバー各々のソロ活動をはさみながら極秘裏に進められた。夏頃に翌年のアルバムリリースとツアーが決定。
    12月26日付けの東京スポーツ紙面にて、翌年再結成記事が、初スクープされる。
    12月31日 カウントダウン明けのCOUNTDOWN JAPAN会場外にて再結成を知らせるサンドイッチマンが出現した。フライヤーも配られる。
  • 2009年
    元旦 特設サイトにて挨拶ムービー公開され、メルマガ登録者へ年賀メールが届く。
    1月5日 再始動が正式発表され、シングル、アルバム、全国ツアーの全貌を発表。朝日新聞の号外が配布された。
    1月30日 『ミュージックステーション』に16年ぶりのテレビ出演。新曲「WAO!」と「すばらしい日々」をオリジナルメンバーで初披露。
    2月4日 10thシングル「WAO!」リリース。
    2月18日 7thアルバム『シャンブル』リリース。
    2月27日 神奈川・よこすか芸術劇場にて、完全招待制シークレットプレミアムライブ開催(参加者は事前に場所は知らされなかった)。
    3月5日 山形より、全国ツアー「蘇える勤労」全31公演、追加公演「蘇える勤労の日々」スタート。
    3月18日 初のファンによるリクエストベスト『I LOVE UNICORN 〜FAN BEST〜』リリース。
    6月17日 ライブDVD「MOVIE12 UNICORN TOUR 2009 蘇える勤労」リリース。
    7月22日 初のリミックスアルバム「URMX」、ライヴBlu-ray「MOVIE12 UNICORN TOUR 2009 蘇える勤労」が、同時リリース。
    10月7日 川西の生誕50周年を記念した11thシングル「半世紀少年」リリース。
    10月20日 川西生誕50周年記念イベント「チョットオンチー 栄光の50年」が無事終了。川西がめでたく50歳を迎える。
    12月23日 ツアー「蘇える勤労」から夏フェス、川西50祭でのライブ音源を厳選して網羅したライブアルバム「勤労ロードショー 〜LIVE IN JAPAN〜」リリース予定。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] シングル

[編集] オリジナルアルバム

[編集] 再発版

  • 1995年12月13日 「BOOM」〜「SPRINGMAN」廉価盤再発、「おどる亀ヤプシ+ハヴァナイスデー」、「ユニコーンのゴールデン・ハーフ・スペシャル」発売
  • 2007年12月19日 「BOOM」〜「SPRINGMAN」 紙ジャケット仕様再発(完全生産限定盤・リマスタリング無)

[編集] その他アルバム

代表する7曲とそのカラオケバージョンが収録されている。

[編集] 映像作品

[編集] ライブ・コンサートツアー

タイトルと日程
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
2009年

[編集] エピソード

[編集] 結成の経緯

  • 川西と手島は「ストリッパー」というバンドで一緒に活動していたが、音楽性の違いにより2人そろって脱退した。尚、川西と手島は高校・大学通じて先輩・後輩の間柄である。
  • 手島はライブハウスでバイトしつつ多数のバンドを掛け持ちし、本気でメジャーに出る事を志していた。
  • バンドを止めサラリーマンとなった川西だったが、奥田からレディのサポートドラマーを頼まれ参加。バンド熱が戻った川西は新たなバンドを結成すべく手島に声をかけたが「サラリーマンと組む気は無い」と言われ脱サラし勧誘成功。
  • 手島が目をつけていたベーシスト堀内を勧誘。実は川西の大学の後輩だった。
  • レディを解散した奥田は、友人のベーシストと新たなバンドを作ることを約束していた。そのため、川西からの最初のオファーを断ったのだが、そのベーシストが勝手に別のバンドをやり始めたため、二度目のオファーでユニコーンへの加入を決意した。

[編集] デビュー後

  • メンバーは1987年3月30日に上京した。しかし、当初は1986年10月に上京する予定であったが、会社側の都合で1987年1月に延び、そこからさらに3月まで延びた。この大幅な予定の狂いは、ライブができない、友人に東京へ行くと言ってしまったため早く行きたいが行けないなど、メンバーに影響を及ぼした。[10]
  • 1988年4月17日、名古屋で行われたライブ中に奥田が腰を痛めてしまう(以後完治することなく、持病となっている)。翌日に大阪で行われたライブは痛み止めを使って行われた。[11]
  • アルバム『服部』発売当時、全国の服部さんをライブに招待する企画があり、日本武道館の客席に「服部様ご一行」と垂れ幕がかかった一角を設け服部姓のファンが集結した。[12]
  • 阿部はライブツアー『嵐の獣』の公演中にカンフーのパフォーマンスに失敗し脱臼。すぐさま病院に運ばれ、公演は途中で中止となる。振替公演では中止になった後の曲目から演奏された。[13]
  • バンドブーム期に数あるバンドの中でも独特の雰囲気を持っていた為、氷室京介をして「最近のバンドで唯一いいと思うのはユニコーンだけ」と言わしめた。

[編集] 解散経緯

  • アルバム『スプリングマン』レコーディング中にリーダーの川西が脱退。サポートドラマーに古田たかしを迎えツアーに出るもその後のミーティングで「もうやることがない」、「ネタぎれ」などの理由で解散が決定。解散ライブは「相応しい曲がない」との理由で行わず、オールナイトニッポンで演奏した「すばらしい日々」が最後の演奏となった。

[編集] 解散後

[編集] 再始動

  • 最初にメンバーが集まった新年会の際、手島は他のメンバーよりも遅れてやってきた。手島が来たときにはすでに再始動が決定していたという。[52]なお、再始動については唯一手島のみ「いつかやると思って準備していた」と積極的だったが、川西・堀内は「再始動はないと思っていた」との見解を示し、奥田は「(再始動するかしないか)どちらでもないという」との見解だった。しかし、解散以降「ユニコーンのことを語りたくない」とまで言い切っていた阿部が「今このメンバーで音を出したらどうなるんだろう・・・なら集めてみようか」という考えで自ら音頭を取って動いたというのが再始動の発端である。
  • アルバム「シャンブル」レコーディング中、川西が再始動にあたりバンド名を変えようと提案したところ、即却下された。ちなみに、バンド名候補として「ペガサス」「シリウス」「UNICoooooRN (GReeeeNのもじり)」などがあったという。[53]
  • ツアー終了後の活動については未定だが、Yahoo!インタビューではメンバーはユニコーンを存続させる旨の発言をしている。テレビ朝日ドスペ2・復活記念特番 蘇えるユニコーン」(2月15日放送)では「もはや解散なんてことはないと思う。やったりやらなかったりしていいわけだから(奥田)」との発言があり、また、フジテレビ僕らの音楽2009年2月20日放送分では「誰かが『やってくれ』といったらやる(奥田)」とも発言している。
  • 新たに完成した新広島市民球場に1年間限定で「ユニコーーーーーーン」とかかれた40メートルの巨大看板を設置、それに伴って4月26日(日)の広島対阪神戦にてユニコーンのメンバーが始球式をすることが決定。[54]始球式を堀内が担当したが、堀内の投げたボールが腰痛の阪神・赤星憲広の尻に直撃、堀内・奥田が謝罪するという事態となった。
  • 再始動後のリーダーは「肝心なときに(バンドに)いないからリーダー失格(奥田)」という理由で川西から阿部に正式に交代になったと、J-WAVE「OH! MY RADIO2009年7月29日で各メンバーが発言した。

[編集] 関連項目

  • 広島県出身の人物一覧
  • レピッシュ
  • BUCK-TICK
  • JUN SKY WALKER(S) - メンバー同士が仲が良く音楽誌で度々合同取材を行ったり、プライベートでも良く遊んだ。
  • 井上陽水 - 陽水の長男がユニコーンの大ファンであった。長男が陽水にユニコーンを薦めたことから、奥田と陽水の交流が始まった。
  • 原田公一 - ユニコーンの名物マネージャー。通称ダーハラさん。「ペケペケ」のミュージック・ビデオでは宴会のシーンに参加している。解散後も奥田のマネージャーとして活躍し続け、2006年から株式会社Hit&Runの代表取締役に。
  • ダウンタウン - 『夢で逢えたら』など、ダウンタウンの番組に度々出演。奥田とは現在も交友があり、1997年には浜田雅功に「春はまだか」を提供している。

[編集] 脚注

  1. ^ WHAT's IN? (ワッツ・イン)2008MAY、p62
  2. ^ 音楽誌が書かないJポップ批評56、宝島社、2008年11月、p83
  3. ^ 音楽誌が書かないJポップ批評56、宝島社、2008年11月、p34、63-65
  4. ^ WHAT's IN? (ワッツ・イン)2009FEBRUARY、p51
  5. ^ ユニコーンはブログもお好き!? 2009年1月5日付
  6. ^ 再結成後のレギュラーラジオJ-WAVE「OH! MY RADIO」2009年7月29日の放送にて「肝心な時に居ないからリーダー失格」と奥田民生が発言。メンバーも正式に決まったと同じく発言。
  7. ^ 再結成後のレギュラーラジオJ-WAVE「OH! MY RADIO」2009年7月29日の放送にて奥田民生が発言。
  8. ^ 予定されていた対バン(地元アマチュアバンド)が試験があって来られなくなり観客0。しかし中止にはせず、お店のスタッフを観客にしてライブを演る(イナゲ、CBSソニー出版、1990年4月、p221)。
  9. ^ 早稲田大学15号館3F、302番教室でライブ。同時刻に2Fで今井美樹のライブ、4Fで北方謙三の講演会が行われた(イナゲ、CBSソニー出版、p223)。
  10. ^ 『ULTRA SUPER GOLDEN~』特典DVDより
  11. ^ 『ULTRA SUPER GOLDEN~』特典DVDより
  12. ^ MOVIE2 〜 WORLD TOUR 1989 服部より
  13. ^ THE VERY RUST OF UNICORN VIDEOより
  14. ^ THE M日本テレビ、2008年6月22日SP)
  15. ^ 別冊カドカワ 総力特集 ユニコーン角川書店、2009年6月、199頁
  16. ^ 別冊カドカワ角川書店、2008年1月、50、51頁
  17. ^ コブクロ日記
  18. ^ ASIAN KUNG-FU GENERATION
  19. ^ MUSICA、2009年5月号、FACT、28-31頁
  20. ^ 別冊カドカワ 総力特集 ユニコーン角川書店、2009年6月、153頁
  21. ^ ヒダカトオルは「僕らがまず目指したのはユニコーンみたいな感じ。」と発言している。
  22. ^ ORICON STYLE ジャンヌダルクの軌跡
  23. ^ Bana-Ten/西日本新聞社
  24. ^ Janne Da Arc : ジャンヌダルク、コピー・バンド大会を開催! / BARKS
  25. ^ FM802『MUSIC FREAKS』、2003年10月12日<FM802藤巻亮太ラジオ
  26. ^ 別冊カドカワ角川書店、2008年1月、52、53頁
  27. ^ 別冊カドカワ 総力特集 ユニコーン角川書店、2009年6月、58-61頁
  28. ^ 続けてきただけ -SEAMOの言葉-、SEAMO著、2008年6月、辰巳出版、45、54頁
  29. ^ 特集 ユニコーン、CDジャーナル、掲載日:2009/02/25
  30. ^ トライセラトップス和田唱日記
  31. ^ Musicnet -- CLOSE UP
  32. ^ キンモクセイの枝: ユニコーンについて
  33. ^ Ryo Sasaki WEB
  34. ^ミュージックステーションテレビ朝日系、2009年1月30日
  35. ^ ナタリー - ユニコーン復活記念ゆるふわ特番、テレ朝でオンエア
  36. ^ 別冊カドカワ 総力特集 ユニコーン角川書店、2009年6月、54-57、134-139頁
  37. ^ MONGOL800 - livedoor Blog(ブログ)
  38. ^ さるさる日記 - ナヲちゃんのときめき乙女日記
  39. ^ ROCKIN'ON JAPAN、2008年8月号、60頁
  40. ^ CDでーた、角川マガジンズ、2009年5月号、112頁
  41. ^ SPECIAL OTHERS/BARKS特集
  42. ^ MUSIC FREAKSFM802、2009年1月18日
  43. ^ ナタリー - [Power Push monobright スペシャルコンテンツ]
  44. ^ エースの座を狙う頼もしいバンドたち! - bounce.com
  45. ^ 夢チカ18:ゲスト
  46. ^ 特集:奥田民生-BIGLOBEミュージック
  47. ^ 別冊カドカワ 総力特集 ユニコーン角川書店、2009年6月、204頁
  48. ^ サカナクション Official Site > Blog > 2009年1月
  49. ^ FISH OR DIE、1999年5月、角川書店、89-91頁
  50. ^ 音楽サイト・バークス Mr.Childrenインタビュー
  51. ^ 別冊カドカワ 総力特集 奥田民生角川書店、2004年10月、119頁
  52. ^ NHKMUSIC JAPAN」2009年2月12日放送分より
  53. ^ ミュージックステーション 2009年1月30日放送分、雑誌「ROCKIN'ON」より
  54. ^ 広島東洋カープ公式サイト 2009年4月1日 ユニコーン 看板完成&4.26 始球式決定!

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月16日 (月) 09:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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