ユーリヤ・ティモシェンコ

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ユーリヤ・ティモシェンコ
Юлія Тимошенко
ユーリヤ・ティモシェンコ

任期: 2005年1月24日 – 2005年9月8日
元首: ヴィクトル・ユシチェンコ大統領

ウクライナ
13代首相
任期: 2007年12月18日
元首: ヴィクトル・ユシチェンコ大統領

出生: 1960年11月27日(48歳)
ドニプロペトロウシク
政党: ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック
配偶: オレクサンドル・ティモシェンコ

ユーリヤ・ティモシェンコウクライナ語:Юлія Тимошенко1960年11月27日 - )は、ウクライナ政治家企業家2007年には2度目となる首相に就任する。政党「祖国(バチキウシチュチナ)」と政治ブロック「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」の代表。

政治家になる以前に、実業家として海賊版ビデオの製作と販売を手掛け、後にガソリン販売、そしてガス事業に進出して大富豪となった。2004年のウクライナ大統領選挙やオレンジ革命をめぐる混乱で、ティモシェンコは同じ野党陣営のリーダーだったヴィクトル・ユシチェンコを強力に支持した。ユシチェンコが大統領になった後、ユシチェンコと対立しはじめた。

目次

[編集] 経歴

[編集] 出自

ユーリヤ・ティモシェンコは1960年11月27日に、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ドニプロペトロウシク州ドニプロペトロウシク市に生まれる。旧姓はグリギャン。父はアルメニア人のウラジミル・グリギャン、母はロシア人のリュドミラ・テレギナ[1]。父は、ティモシェンコが3歳の時に家庭を捨てている。母とユーリヤ・ティモシェンコ自身はウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系) の信者である。

[編集] ガスの王女

1979年彼女は、ソ連共産党の中級党官僚の息子だったウクライナ人オレクサンドル・ティモシェンコと結婚し、苗字を改める。1984年ドニプロペトロウシク国立大学を卒業し、経済学博士の学位を取得した。

1989年レンタルビデオのチェーン店を設立し、成功する。ソ連崩壊後、1990年から1998年までいくつかのエネルギー関連企業を経営した。1995年から1997年まで、ティモシェンコは、ウクライナ統一エネルギーシステムの社長。1996年には、ロシアからの天然ガスの主要な輸入・卸売業者になり「ガスの王女」の通称で呼ばれた。その一方で、ガス貿易に関して不正取引も取りざたされた。

[編集] 政治家へ

1996年に政治家に転身し、キロヴォフラード州補選において92.3%の驚異的な得票を獲得し、国会議員に選出された。1998年に再選、2002年に三選された。1998年議会の予算委員長。1999年から2001年まで、ユシチェンコ内閣で副首相(燃料エネルギー部門担当)となる。副首相としては、電力市場取引を近代化させ、電力産業から国庫収入を増加させた。

しかし、2001年2月、統一エネルギーシステム社長時代の文書偽造・ロシア産天然ガスの密輸入の容疑で逮捕された。数週間後に嫌疑不十分で釈放されるが、ティモシェンコは、経済改革によって打撃を受ける石炭産業界と癒着していたレオニード・クチマ大統領によってでっち上げられたものであると主張した。一方でティモシェンコ自身も寡頭資本家の一人であり、財産が不当に獲得されたものであることが示唆されている。

釈放後、野党に転じ、立場を中道・民族主義にシフトして政治ブロック「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」を結成し代表となった。クチマ大統領が関与を指摘されるジャーナリストのヘオルヒー・ホンハーゼの殺害事件では、最も率直にクチマを攻撃した一人となる。2002年のウクライナ議会選挙では、ティモシェンコ・ブロックは投票率7.2%を獲得し、第三党と健闘した。2004年クチマ大統領の任期満了に伴うウクライナ大統領選挙ではユシチェンコを支持した。

詳細は「ウクライナ」、「オレンジ革命」をそれぞれ参照

[編集] オレンジ革命以後

2008年2月、ロシア連邦大統領(当時)のウラジーミル・プーチン(右)と

2005年1月24日、ティモシェンコはユシチェンコ大統領によって首相代行に指名された。ユシチェンコは閣僚名簿を議会に提出し、与野党の交渉の結果、2月4日に373票(承認に必要な投票数226)の圧倒的多数の賛成によって承認され、正式に首相に就任した。首相在任中は、大衆迎合的な言動が目立ち、ティモシェンコ派による工場乗っ取り事件などもあり、国民の反発を買っていた。また、オレンジ革命で共闘したユシチェンコと対立した。そのため、2005年9月8日にユシチェンコ大統領によって首相を解任される。

2006年3月、ウクライナ最高会議の選挙では前回の選挙の三倍近くの票を獲得し、第二党に躍進する。ウクライナ最高会議でのユシチェンコ派の与党「われらのウクライナ」の惨敗を受け、首相への返り咲きを狙っていたが、2006年7月9日ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ率いる地域党と社会党、共産党の3政党が連立与党を組む合意によって阻止され、ヤヌコーヴィチの首相就任を許した。

2007年9月に行われた議会選挙では、ティモシェンコ・ブロックは前回よりも議席数を伸ばし、盟友のユシチェンコ大統領率いる「われらのウクライナ」とあわせて議会の過半数を獲得。同年12月18日、首相に返り咲いた。2008年1月にはソ連時代の貯蓄銀行の個人資産への補填を実施し、支持率を飛躍的に高める。しかし大統領の権限を制限する一連の法案を提出したことで、大統領側と対立を深めることになった。さらに同年8月からの南オセチア紛争以降は、グルジア寄りの姿勢を採らず、外交上でも大統領側との立場の違いが明確化した。そして同年9月16日、ユシチェンコ与党「われらのウクライナ」が連立政権から離脱した。同年10月1日にティモシェンコはユシチェンコがグルジアへ武器を提供していたと告発した。翌10月2日にロシアを訪問、ウラジーミル・プーチン首相と会談し、天然ガス輸入価格の抑制をとりつけることに成功した。その後、大統領との対立は同年12月9日にユシチェンコ、ティモシェンコ、そしてウクライナ最高会議議長のリトビンの三派による連立政権が樹立されたことで一応の決着をつけた。

2009年3月25日に来日。

[編集] 大統領選出馬

2009年6月7日、2010年1月までに行われる予定の大統領選挙への立候補を表明。

[編集] 家族

  • 祖父(父):アブラム・カピテリマン(Абрам Кельманович Капітельман;1914年-1944年)。ユダヤ人。
  • 祖母(父):マリア・グリギャン(Марія Йосипівна Григян;1909年-)。アルメニア人。
  • 父:ウラジミル・グリギャン(Володимир Абрамович Григян;1983年)。
  • 母:ウラジミル・グリギャン(Людмила Миколаївна Телегіна;1937年)。ロシア人。
  • 兄:ウラジミル・グリギャン(Володимир Володимирович Грігян;1969年)。
  • 夫:オレクサンドル・ティモシェンコ(Олександр Геннадійович Тимошенко;????)。ウクライナ人。
  • 娘:イェヴゲニア・カール(Євгенія Олександрівна Карр;1980年)。
~ショーン・カール。イギリス人

[編集] 豆知識

  • ウクライナ人の女性作家レーシャ・ウクライーンカの髪型を真似ている。三つ編みを巻いた金髪をトレードマークとするが、地毛は黒。
  • オレンジ革命を報じた各国のメディアは「オレンジ革命のジャンヌ・ダルク」と比喩した。

[編集] 脚注

  1. ^ ティモシェンコの血筋については議論がなされている。ティモシェンコ自身は父はラトビア人、母はウクライナ人であると主張しているが([1])、ラトビア人には「グリギャン」という苗字と、ウクライナ人には「テレギナ」という苗字は存在しない([2])。また、ティモシェンコの祖父の名前は「アブラハム」であることから、父はアルメニアユダヤ人でないかという意見も出されている([3])。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
先代:
ミコラ・アザロフ
ウクライナの首相
2005年
次代:
ユーリー・エハヌロフ
先代:
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
ウクライナの首相
2007年
次代:
現職

最終更新 2009年11月20日 (金) 04:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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