ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト
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ヨハネス・レイディウス・カタリヌス・ポンペ・ファン・メールデルフォールト(Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort, 1829年 - 1908年)は、オランダ海軍の軍医。ユトレヒト大学で医学を学び軍医となった。幕末に来日し、オランダ医学を伝えた。
長崎海軍伝習所の第2次指揮官であったカッテンディーケに選任され、医学教授として日本で雇用された。彼の元で、松本良順、司馬凌海、岩佐純、長与専斎などが学んだ。
長崎に、日本で初めての西洋式病院である「小島養生所」を設立し、計15,000人の診療を行ったと言われる。
日本での滞在期間は安政4年(1857年)から文久2年(1862年)までの5年間。
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[編集] 語録
彼の長崎時代に残した言葉が、長崎大学医学部に銘板として残されている。[1]
医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい
[編集] 関連項目
[編集] 日本語文献
- 沼田次郎、荒瀬進共訳 『ポンペ日本滞在見聞記-日本における五年間』 異国叢書:雄松堂出版、1978年
- 宮永孝 『ポンペ 日本近代医学の父』筑摩書房、1985年
- 司馬遼太郎 『胡蝶の夢』新潮文庫全3巻
- 芝哲夫訳 『ポンペ化学書 日本最初の化学講義録』化学同人、2005年
[編集] 参考リンク
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最終更新 2009年8月15日 (土) 19:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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