ライカ
ライカの最新ニュースをまとめて検索!
| ライカ | |
|---|---|
| 種別 | レンジファインダー・カメラ、一眼レフカメラ、双眼鏡 |
| 最初の生産国 | |
| 発売 | 1913年 |
| 公式サイト | ライカ |
ライカ(Leica ) とは、ドイツの光学機器メーカーとそのブランドである。
エルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I、1843年-1929年)によってヴェッツラーに創業されたエルンスト・ライツ光学機器製造会社(Ernst Leitz Optische Werke)が、その販売するカメラに「Leitz Camera(ライツ社のカメラ)」と名付けたことに由来するブランドである。このカメラは後にエルンスト・ライツの主力商品となった。以降コニカ、フジカ(富士フイルム)、ヤシカなど「ライカ」に倣ったカメラブランドが作られた。
エルンスト・ライツは1974年にスイスのウィルド傘下に入った。その後エルメスに一時期買収され、その時期にはその革を使用した特別モデル等も発売されていたが経営状態の改善が進まず2年で売却された。2009年現在は次の3社に分かれている。
- ライカカメラ(Leica Camera AG)- カメラ部門。ドイツに本社。
- ライカマイクロシステムズ(Leica Microsystems GmbH)- 顕微鏡部門。ドイツに本社。
- ライカジオシステムズ(Leica Geosystems AG)- 測量機器部門。スイスに本社があるが、2005年にスウェーデンの技術系企業集団ヘキサゴン (Hexagon (företag))の傘下に入った。
目次 |
[編集] 概略
エルンスト・ライツに勤めていた技術者、オスカー・バルナックは1913年、35mm映画フィルムの2駒分を使用する小型カメラ「ウル・ライカ」を試作した。試作した理由として「無類の写真好きであったが、小柄で体力もさほどなかったバルナックにとって当時主流のガラス乾板を使用する木製大型カメラを持ち歩くことは困難だったため、自分にとって使いやすいカメラを求めて作り上げた」という説、「映画用カメラの開発に従事していたバルナックが、当時感度も低く品質も安定していなかった映画フィルムの適正露出を調べるためにそのフィルムの一部を使い実際に撮影してチェックするために開発した露出テスト用カメラが、スチルカメラとしても流用できることに気づいた」という説など諸説ある。
その後2代目社長に就任したエルンスト・ライツ2世(Ernst Leitz II)がウル・ライカに着目、改良を加えて1925年に市販一号機ライカI(A)を生産、販売することになる。
それまでのカメラは密着焼きにより写真を作るのが主流であったが、ライカはフィルムが小さく引き伸ばしを前提としたため、当時一般的でなかった引き伸ばし機は当初からシステムの一環として販売された。拡大に耐えるネガを作るために高性能のレンズが必要とされ、レンズ開発の技術者マックス・ベレークはライツ・アナスティグマット(Leitz-Anastigmat)をはじめとするさまざまな銘玉を世に出した。
また一般には「広角気味のレンズを常備し必要ならトリミングする」という手法が使われていたが、ライカの場合トリミングするとただでさえ小さいフィルム面積がさらに小さくなるため、画角に合ったレンズ交換の必要性が高かった。このため1930年レンズ交換が可能なライカC型が開発され、1931年に全てのカメラのフランジバックが統一され、エルマー(Elmar)3.5cmF3.5、エルマー5cmF3.5、エルマー9cmF4、エルマー13.5cmF4.5、そしてヘクトール(Hektor)5cmF2.5と基本的なレンズが揃った。
その後連動距離計を搭載したライカII型(1932年)を発売、交換レンズとして1931年にヘクトール7.3cmF1.9、1933年にズマール(Summar)5cmF2が発売され、とりわけ報道写真において卓越した画像を多数提供したため、ライカの名声は不動のものとなった。また極めて優秀な人物撮影用のレンズ、タンバール(Thambar)9cmF2.2が1934年に供給され、現代の写真撮影のライカ判全盛の基礎を確立した。
暗い場所での撮影のための大口径レンズ、広角や望遠での撮影のための交換レンズを揃えても2~3kgに収まり、写真家はかつての重い撮影機材から開放された。このことは僻地に持参する時や、被写体の動きを素早く捉えたい時にも役立った。ただし小さいフィルム面積に重要な画像情報が凝縮されており画質のディテールが損なわれることから、旧来のフォトグラファーからは「撮影機材ではなく『スパイカメラ』にすぎない」等と蔑視されることもあった。
当時の日本のカメラメーカーはライカを目標にして技術開発を行っていたが、1954年に発表されたレンジファインダーカメラのライカM3は当時最高とまで言われるほどの技術を余すところなく投入しており、その性能の高さのあまり日本のカメラメーカーがそろって一眼レフカメラへと開発方針を大転換させるきっかけになった。ライカM3は今でも名機と賛美する人が絶えないが、このことが逆に現在主流の一眼レフカメラへのライカの参入を遅らせてしまうことにもなり、1974年頃エルンスト・ライツ社はスイスのウィルド傘下に入ることとなる。
現在ではライカM3の後継となるレンジファインダーカメラ「Mシリーズ」や一眼レフカメラ「Rシリーズ」、コンパクトカメラ、プロジェクター、フィールドスコープなど、さまざまな製品を開発・販売している。そしてそのレンズ描写性能などクオリティの高さから現在でもプロカメラマンをはじめアマチュアでもコレクターや愛好者が多い。またデジタルカメラの分野においてもパナソニックと提携を行っている他、Rシリーズ用のデジタルカメラモジュールやMシリーズのデジタル版ライカM8の開発・発売、中判クラスのデジタル一眼レフカメラS2の開発発表、デジタル一眼レフカメラ共通規格である「フォーサーズシステム」への賛同などが行われている。
日本代理店は戦前からシュミット商会が行っていたが、ウィルド傘下に入った1974年にウィルドの代理店だった日本シイベルヘグナーに変更、その代理店契約が切れた2005年3月1日に日本法人ライカカメラジャパン株式会社を設立、2006年4月22日にはライカ初の直営店を東京・銀座に開店している[1]。
[編集] カメラ製品一覧
[編集] バルナック型ボディー
ライカLマウントのレンジファインダーカメラ。ただし初期にはレンズ固定であり、レンジファインダーを搭載しなかった。レンジファインダーを装備しない機種も後々まで作られた。レンズに関してはライカマウントレンズの一覧を参照のこと。
- ウル・ライカ(Ur Leica 、1913年製作):試作機。暗室で35mm映画用フィルムを詰め、その2コマを1コマとして使用する。「Ur」とはドイツ語で「最初の」を意味する。フィルム巻上と同時にシャッターがセットされるセルフコッキング方式。巻上時にはキャップをしなければならない。レンズは二段に沈胴するマイクロズマール64mmF4.5固定。当時はまだパトローネ入りフィルムはなかったので、装填取り出しは暗室で行う。3台が製作され、1台はバルナックが自分用に使い、もう1台はエルンスト・ライツ1世が所有した。その内の2台が現存している。1975年にライカ発売50周年を記念したレプリカが製作され代理店などに配られたが、これは外観だけを再現したダミーであったため撮影には使えない。
- ライカ0(Null Leica 、1923年製作) - ウル・ライカの市場調査用としてシリアルナンバー100から130までの31台が製作された。金属剥き出しの黒塗りだったボディーに革が張られた。ファインダーは当初折畳式の枠ファインダーだったが後にガリレオ式に変更されている。レンズは沈胴式ライツ・アナスチグマット(Leitz-Anastigmat )50mmF3.5固定。シャッタ−はスリット幅可変となりスリット幅2mm(1/500秒相当)-50mm(1/20秒相当)。マガジンを採用し日中のフィルム交換が可能になったが、シャッター幕の構造上フィルム巻き上げ時にはレンズキャップを付けなくてはならない。2001年に折り畳み式のファインダーを装備したバージョンの復刻版が販売され、このモデルではパトローネ入り35mmフィルムが使用できるようになっている。
- ライカI(A)(Leica A 、1925年発売)- レンズは沈胴式固定、当初3群5枚ライツ・アナスチグマット50mmF3.5であったが、1925年内容はそのままにエルマックス(Elmax)と改名された。1926年にはゲルツからガラスの供給を受けて製造された沈胴式3群4枚エルマー(Elmar)50mmF3.5[2]を装備したが、ゲルツが1926年にツァイス・イコンになってガラスの供給が止まると1928年にはショットから供給されたガラスでエルマー50mmF3.5[3]が設計された。1930年からは後に交換レンズとしても供給された沈胴式ヘクトール(Hector)50mmF2.5固定となった。
- ライカI(B)(Leica B 、1926年発売) - レンズシャッターであるコンパーを装備した。レンズシャッターが採用されたのは、スローシャッターを備えるからだと思われるが、フォーカルプレーンシャッターもスローシャッターを備えるようになったので以後再びフォーカルプレーンシャッターを装備するようになり、レンズシャッターを装備したライカはこの機種だけである。前期型はダイヤルセットコンパー、後期型はリムセットコンパー。
- ライカI(C)(Leica C 、1930年発売) - 50mmのファインダーのみ装備する。いわゆる「ライカマウント」[4]を装備しレンズ交換を可能とするが、当初はフランジバックが統一されておらずボディーとレンズに記入された3桁の数字が合致する場合しか使えなかった。1931年にフランジバックが28.8mmに統一され、カメラ毎にレンズを調整する必要がなくなった[5]。
- ライカII(Leica II 、1932年発売) - レンズのピントリングと距離計が連動する連動距離計を装備し、いわゆる「バルナックライカ」の典型的な姿になった最初のモデル。日本名はライカDIIだったが最近は日本でも単にライカIIと表記されることが多くなっている。
- ライカスタンダード(Leica Standard 、1932年発売) - ライカIIから距離計が省略され50mmのファインダーのみ装備する。ライカI(C)とほとんど同じ。1950年まで製造された。
- ライカIII(Leica III 、1933年発売) - ライカIIにスローシャッター、視度調整装置、ストラップを装着する金具が装着された(ライカIIの極一部にも装着)。日本名はライカDIIIだったが最近は日本でも単にライカIIIと表記されることが多くなっている。
- ライカ250(Leica 250 、1933年発売) - 長尺用マガジンに長さ10mのフィルムを装填し250枚の撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻しの必要がない。当初はライカIIIベース、後にライカIIIaベースとなった。通称リポーター(Reporter )
- ライカ250モーター(Leica 250 Motor ) - ライカ250にゼンマイ式巻き上げ装置ライカモーター(Leica-Motor )を装備した。
- ライカIIIa(Leica IIIa 、1935年発売) - 1932年に発売されたコンタックスに対抗して1/500秒だった最高速が1/1000秒になった。シャッターブレーキが装着されシャッター幕のバウンドがなくなった。スローシャッターにクリックストップがついた。Montesarの刻印があるものはフランスのMontesar工場で生産されたもので「モンテザールライカ」と呼ばれ珍品とされる。
- ライカIIIb(Leica IIIb 、1938年発売) - 離れていた距離計の窓とファインダーの窓が隣り合わせになり僅かに目を動かすだけで両方を見られるようになった。
- ライカIIIc(Leica IIIc 、1940年発売) - 板金製だったボディーが堅牢で加工しやすく再組み立て時精度を出しやすいアルミ合金ダイキャスト製になり15g軽量化されたが幅が2.8mm、高さが2mm大きくなった。生産時期に第二次世界大戦末期を挟むため材質の問題か仕上げの悪い個体、仕様変更が多い。
- ライカIIc(Leica IIc 、1948年発売) - ライカIIIcからスローシャッターを除いたモデル。シャッター最高速も1/500秒に留まる。
- ライカIc(Leica Ic 、1949年発売) - ライカIIcからさらに距離計とファインダーを除いたモデル。アクセサリーシューが2個つく。
- ライカIIId(Leica IIId 、1949年製造) - ライカIIIcにセルフタイマーを装備した珍品。427台が製造されたが発売はされなかったと言われている。ライカIIIcにライカIIIfのセルフタイマーを組み合わせた偽物が多数ある。
- ライカIIIf(Leica IIIf 、1950年発売) - フラッシュシンクロを装備したモデル。フォーカルプレーン用のシンクロ規格がなかったためフラッシュの種類とシャッタースピードでリストからコンタクトナンバーを選んで設定する煩雑な設計になっている。後期型はセルフタイマーを装備する。
- ライカIIf(Leica IIf 、1951年発売) - ライカIIIfからスローシャッターを除いたモデル。シャッター最高速は1/500秒に留まっている。
- ライカIf(Leica If 、1952年発売) - ライカIIfからさらに距離計とファインダーを除いたモデル。アクセサリーシューが2個つく。
- ライカ72(Leica 72 、1955年発売) - 24×18mm判。ライカIIIaをベースにカナダのミッドランドとドイツのヴェッツラーで製造されたハーフ判カメラ。ごく少数の例外を除きライカIIIfと同じシンクロ装置を備えている。生産台数は約200台。
- ライカIIIg(Leica IIIg 、1957年発売) - ライカM3と同様のパララックス自動補正ブライトフレームファインダーを装備したモデル。枠は50mmと90mmm、ただし自動で切替されない。ファインダーの大型化に伴いライカIIIfとの比較で高さ4mm、奥行1mmほど大きくなっている。
- ライカIIg(Leica IIg 、1957年製造) - ライカIIIgからセルフタイマーを除いたモデル。正式に発売されたかは不明で珍品。
- ライカIg(Leica Ig 、1957年発売) - ライカIIIgから距離計とファインダーを除いたモデル。Iシリーズでは例外的にスローシャッターは装備される。アクセサリーシューが2個つく。
[編集] ライカMシリーズボディー
ライカMマウントのレンジファインダーカメラ。ただしレンジファインダーを搭載しない機種もある。フランジバックは27.8mmとバルナック型と比較してちょうど1mm短く、1mm厚のアダプターを使用しライカLマウントのレンズも使用できる。レンズに関してはライカマウントレンズの一覧を参照のこと。
- ライカM3(Leica M3 、1954年) - 1954年のフォトキナで発表された。新型のMマウントを備えバヨネット式にて迅速なレンズ交換が出来、50mmのファインダー枠が常時表示され、装着したレンズに従って90mm、135mmのファインダー枠が自動で表示される。ファインダー枠はパララックスを自動補正する。ファインダーは等倍とする資料も多いが0.91×である[6]。レチナ式のレバー巻上により迅速に巻上できる。一軸不回転ダイヤルを備えて迅速にシャッター速度が設定できる。裏蓋が一部開き、フィルム装填が迅速簡単になった。スプールを抜くとフィルムカウンターは自動で復帰する。広角レンズを使用する際は焦点距離35mmのレンズにある「眼鏡付き」のレンズを使用するか、外付ファインダーを使用する。当初は「2ストローク」と呼ばれる二回巻き上げ方式、シャッタースピードは国際系列の11スピードであった。1955年シリアルナンバー785801から手動でブライトフレームを選択できるレバー[7]が付き、1957年シリアルナンバー854001から倍数系列の12スピード、1958年シリアルナンバー919251以降「1ストローク」と呼ばれる一回巻き上げが可能になっている[8]。
- ライカMP(Leica MP 、1956年) - ピストルレバー式のラピッドワインダー「ライカビットMP」を備えるライカM3の特殊型。元々アルフレッド・アイゼンシュテット、デビッド・ダグラス・ダンカンら有名報道カメラマンのリクエストに応じて開発され後に市販されたが数が約450台と少なく珍品である。後に単体発売されたライカビットMPはライカM2、ライカM1には装着できるがライカM3には装着できない。セルフタイマーが省略されている。
- ライカM2(Leica M2 、1958年) - 35mm、50mm、90mmのファインダー枠を備える。これに伴いファインダー倍率は0.72×に低下し、それに伴い有効基線長も51.4mmに短くなっている。フィルムカウンタ−が手動。ライカM3の廉価版とも言われたが実際にはあまり価格は変わらず、一般には広角型として扱われた。以降ほとんどのモデルのファインダーはライカM2のファインダーを基本とする。当初セルフタイマーは装備されなかったがシリアルナンバー949101からアメリカ向けには装備されるようになり、1960年シリアルナンバー1004151からは全数が装備した。ライカビットMPが使用できる。
- ライカM2-R(Leica M2-R 、1966年発売) - ライカM2末期にラピッドローディング機構を組み込んだマイナーチェンジ型。軍艦部にある機種名は「M2」のみ刻印された個体と「M2-R」と刻印された個体がある。アメリカ軍KS15-4として製造されたがキャンセルになり市場に流れて話題になり、後にニューヨークライツがドイツ本社に同じ物を発注した。
- ライカMP2(Leica MP2 、1958年発売) - ライカM2にフィルム巻き上げ用モーターを組み込んだモデルで製造台数約27台。連射性能は3コマ/秒セルフタイマーが省略されている。
- ライカM1(Leica M1 、1959年発売) - ライカM2から距離計とファインダーセレクターレバーを除いたもの。ファインダー枠は35mmと50mmで両方が常時表示される。パララックス自動補正。セルフタイマーは装備しない。製造台数9650台。ライカビットMPが使用できる。
- ライカMD(Leica MD 、1963年発売) - ライカM1からさらにファインダーを除いた機種、バルナックライカで言えばI系列であるが、大きさはライカM2と変わらない。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。Dはドキュメンテーションのイニシャルという。
- ライカMDa(Leica MDa 、1966年発売) - ライカMDの後継機種でありベースがライカM4になっている[9]。フィルム巻き上げレバーが万能複写装置IIa型と干渉するという理由ですぐにライカM2と同型にされた。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。
- ライカM4(Leica M4 、1967年6月発売) - ファインダ−は基本的にライカM2を踏襲したが135mmのファインダー枠も装備された。装着されたレンズに従って自動で35/135mm、50mm、90mmの枠を切り替える。巻上レバーにプラスチック製の指当てがつき、巻戻はクランクに改良されたライカメーターMR装着時でも楽に巻き戻せるよう斜めに取り付けられている。。ボディー色は当初はクロームと、少数の焼付ブラック、西ドイツ軍向けに31台のみ生産されたオリーブがあった。ライカM5の不評を受けてカナダライツにて再生産された製品はボディー色がブラッククローム。裏蓋を開くとフィルムカウンターが自動リセットされる。1975年に50周年記念モデルが1750台生産された[10]。
- ライカM4-M(Leica M4-M 1968年発売) - ライカM4をニューヨークライツが発売したモーター装着対応とした型。対応するためラピッドローディング機構は外された。軍艦部の刻印は「M4-M」と「M4-MOT」がある。
- ライカM5(Leica M5 、1971年発売) - TTL露出計を装備する。それまでの端正なデザインを壊した大型のカメラで「弁当箱」と揶揄され発売当初は不人気だったが、製造中止後しばらく経ってから人気が出た。異形に見えるがファインダー系は以前のものを踏襲している。50周年記念モデルが1750台生産された[11]。露出計受光部はレンズ装着を感知してフィルム前面に降りて来て、シャッターレリーズすると上がる。
- ライカCL(Leica CL 、1973年発売) - 提携先であったミノルタからのOEM。機能的にはライカM5を小型軽量化したもの。日本ではライツミノルタCLとして販売された。後継のミノルタCLEはOEM化されなかった。ドイツ国内では999マルクで販売され雑誌などで「1000マルクを切った最初のライカ」として宣伝されていた。露出計受光部はフィルムを巻き上げるとフィルム前面に降りて来て、シャッターレリーズすると上がる。1975年に50周年記念モデルが3500台販売された[12]。
- ライカM4-2(Leica M4-2 、1978年発売) - 1974年ウィルドへの売却に伴う混乱の中、1976年のフォトキナで発表された。ライカM4のマイナーチェンジモデルで、ホットシューが装備されセルフタイマーが省略された。ライカワインダーM4-2が使用できる。
- ライカMD-2(Leica MD-2 、1980年発売) - 1976年発表。ライカMDaの後継機種でありベースがライカM4-2になっている。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。
- ライカMD-22(Leica MD-22 ) - 1976年ライカMD-2と同時に発表された。ライカMD-2のハーフ判仕様。カタログに記載されコードナンバーも与えられていたにも拘らず発売されず、その後試作品さえ確認されていない。
- ライカM4-P(Leica M4-P 、1981年発売) - 1980年のフォトキナで発表された。28ミリと75ミリのファインダー枠が加わり、装着されたレンズに従って自動で50/75mm、28/90mm、35/135mmの枠を切り替える。組み合わされるワインダーは当初ライカワインダーM4-P、後にライカM6と共用のライカワインダーM。
- ライカM6(Leica M6、1984年発売) - 1984年フォトキナで発表。ライカM4時代のデザインのままTTL露出計を組み込んでいる。すなわちライカM5発売時のクレームにようやく応えた形となった。
- ライカM6J(Leica M6J、1994年発売) - 1994年フォトキナで発表。ライカM3発売40周年を記念して1640台が生産された。外観はライカM3に似せてあるが巻き戻しは斜めクランク。露出計もライカM6と同様装備する。ファインダーはライカM3の0.91×でもライカM2からライカM6まで使用されて来た0.72×でもない0.85×。ファインダー枠は35/135mm、50mm、90mm。
- ライカM6 0.85(Leica M6 0.85 、1998年発売) - ライカM6のファインダーを0.85×にした。ファインダー枠は35/135mm、50/75mm、90mm。
- ライカM6TTL(Leica M6TTL 、1998年発売) - TTLフラッシュに対応した。
- ライカM7(Leica M7 、2002年発売) - 絞り優先AEを装備した電子シャッター機。
- ライカ新MP(Leica MP 、2003年発売)
- ライカM8(Leica M8 、2006年発売) - M型初のデジタルカメラ。金属幕・縦走りシャッター機。
詳細は「M8 (カメラ)」を参照
- ライカM8.2(Leica M8.2 、2008年発売) - M8をベースに静粛になった金属幕・縦走りシャッターを搭載(ただし最高シャッタースピードはM8の8000分の1秒から4000分の1秒に低下した)。背面液晶カバーにサファイア硝子を使用。
[編集] ライカRシリーズボディー
一眼レフ。レンズに関してはライカRマウントレンズの一覧を参照のこと。
- ライカフレックスI型(Leicaflex I 、1965年発売) - エルンスト・ライツ社が発売した最初の一眼レフ。シャッター最高速は1/2000秒。測光がTTLでなく外部測光でありレンズがクロームメッキだったので外部測光に誤差が出て問題となったのか間もなくレンズがブラックになった。ライカMシリーズの測距方式を踏襲するためかマット面はなく画面中央のマイクロプリズムにてピントを合わせる方式である。
- ライカフレックスII型(Leicaflex II ) - ライカフレックス後期型とも称される。ライカフレックスI型では露出計に常時通電していたが巻上レバーの予備角を起こした時のみ通電するように改良された。ライカフレックスI型とライカフレックスII型をライカフレックスオリジナルと呼ぶことがある。
- ライカフレックスSL(Leicaflex SL 、1968年発売) - ピント合わせはマイクロプリズム面のみ。スプリット方式は採用されていない。測光方式は外部測光に代わりTTLになった。50周年記念モデルが1750台生産された[13]。
- ライカフレックスSL2(Leicaflex SL2 ) - ライカフレックスSLのマイナーチェンジ型。ピント合わせが周辺部のマット面(正確にはマイクロプリズム面)と中央のスプリット方式併用になった。提携したミノルタ(現コニカミノルタホールディングス)の影響が一部に見られるという。
- ライカR3(Leica R3 、1976年発売) - ミノルタXEをベースとしていることで話題になった。絞り優先AE、マニュアル露光。
- ライカR4(Leica R4 、1980年発売) - ミノルタXDをベースとしている。以降機械式シャッター機を除きライカR7までマイナーチェンジと言っても良い。プログラムAE、シャッター優先AE、絞り優先AE、マニュアル露光、スポット測光を装備する。
- ライカR4S(Leica R4S ) - ライカR4の廉価版。平均測光による絞り優先AE、スポット測光による絞り優先AE、スポット測光によるマニュアル露光。
- ライカR5(Leica R5 ) - 中央重点測光による絞り優先AE、スポット測光による絞り優先AE、中央部重点測光によるシャッター優先AE、中央重点測光によるプログラムAE、スポット測光によるマニュアル露光。シャッタースピードは1/2000秒-1/2秒、X(1/100秒)、B。
- ライカR6(Leica R6 、1988年発売) - 機械式シャッターを装備、シャッタースピードは1/1000秒-1秒、B、X(1/100秒)。中央重点測光とスポット測光。
- ライカR6.2(Leica R6.2 ) - ライカR6のシャッタ−最高速が1/2000秒になった。
- ライカR-E(Leica R-E ) -ライカR5の廉価版。中央重点測光による絞り優先AE、スポット測光による絞り優先AE、スポット測光によるマニュアル露光。
- ライカR7(Leica R7 、1994年発売) - ライカR5のマイナーチェンジ。シャッタースピードはOFF、1/2000秒-4秒、X(1/100秒)、B。
- ライカR8(Leica R8 1996年発売) - 1996年のフォトキナで発表された。完全自社設計。特異なボディーデザインが話題となった。シャッター最高速1/8000秒。デジタルバック「デジタルモジュールR」使用可能。
- ライカR9(Leica R9 、2002年発売) - 2002年のフォトキナで発表されたライカR8の後継機。ボディ背面のみだったフィルムカウンターが上部にも増設された。外装の材質をマグネシウム合金に変え100g軽量化された。デジタルバック「デジタルモジュールR」使用可能。
[編集] フィルムコンパクト機
- C1(リコー製)
- C3(リコー製)
- CM
- minilux(松下電器産業製)
- minilux zoom(松下電器産業製)
- C11(APS)
[編集] デジタルカメラ
- digilux(1998年)- 富士フイルム FinePix 700 ベース
- digilux zoom(1999年)- 富士フイルム FinePix 1700z ベース
- digilux zoom 2000 (2000年)- 富士フイルム FinePix 2700 ベース
- DIGILUX1(2002年)- パナソニック LUMIX DMC-LC5 ベース
- D-LUX(2003年)- パナソニック LUMIX DMC-F1 ベース
- DIGILUX2(2004年)- パナソニック LUMIX DMC-LC1 ベース
- D-LUX2(2005年)- パナソニック LUMIX DMC-LX1 ベース
- C-LUX1(2006年)- パナソニック LUMIX DMC-FX01 ベース
- V-LUX1(2006年)- パナソニック LUMIX DMC-FZ50 ベース
- D-LUX3(2006年)- パナソニック LUMIX DMC-LX2 ベース
- DIGILUX 3(2006年) - パナソニック LUMIX DMC-L1 ベース
- C-LUX2(2007年)- パナソニック LUMIX DMC-FX30 ベース
- D-LUX4(2008年)- パナソニック LUMIX DMC-LX3 ベース
- C-LUX3(2008年)- パナソニック LUMIX DMC-FX37 ベース
[編集] ライカ製のレンズ名称
以前ライカ製のレンズの名称は例えばテッサータイプのレンズはエルマー、プラナー型のレンズはズマロンのようにレンズ構成によって決められていた。しかしその後ほぼF値によって決められるようになっている。例えばF1から1.2はノクチルックス、F1.4はズミルックス、F2はズミクロン、F2.5はズマリット、F2.8はエルマリート、それより暗いレンズはエルマーである。
[編集] 日本企業との提携
- 1972年、ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)と技術交換や生産協力などで提携を行った。ライツ社が外国企業と提携したのは初めてのことで、この提携ニュースは、日本・アメリカ・ドイツで大きく報道された。この協力関係に基づき、1973年にライツミノルタCL/ライカCLを発売し、ミノルタXEの基本構成をライカR3以降に流用した。その後提携は解消されたが、この技術提携によって双方の技術がその後の両社の技術開発に多大な影響を与えた。
- 2000年、松下電器産業(現パナソニック)とデジタルAV機器用レンズに関する技術協力契約を締結、「ディコマー(DICOMAR )」レンズを搭載したデジタルビデオカメラなど3機種を開発・発売している。松下とはそれ以前からフィルム・コンパクト機(製造は松下系列の旧ウエスト電気(現パナソニック フォト・ライティング))のOEM供給を受けている。さらに2001年にはデジタルカメラ分野においても提携を行い、レンズの光学系はライカと共同開発を行いライカのライセンスを受けて生産を行っているほか、松下からのOEM供給によるライカブランドでの販売も行っている。松下がフォーサーズ・システムによるデジタル一眼レフに参入した際にも同規格に賛同し、レンズのライセンス許諾に寄る供給を行う事になっており、ライカブランドでもDMC-L1のOEMモデルDIGILUX 3が発売されている。
[編集] 関連する作品
- 『ちびまる子ちゃん』- 作品中で「穂波真太郎(たまちゃんのお父さん)」がライカを使用している。このカメラは当初写真コンテストの賞品として貰ったという設定のライカM3であったが落下させて故障させ、花輪くんの家に使われずに眠っていたライカM4をもらって使用している[14]。このことから当時代理店だった日本シイベルヘグナーは「老若男女の幅広い層にライカのブランド名を親しみやすく浸透させるのに大きく貢献していただいた」とライカR7うるしをさくらももこに贈呈している。
[編集] 文献
- 佐貫亦男(著)、『ドイツカメラのスタイリング』、グリーンアロー出版社、1996年、ISBN 4-7663-3189-3
[編集] 注釈
- ^ 日本での開店に踏み切った理由として、世界でもっともライカの愛好者が多い国だというのが挙げられている。
- ^ ゲルツから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「旧エルマー」と称する。
- ^ ショットから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「新エルマー」と称する。
- ^ 外径38.9mm、内径37.9mm。
- ^ フランジバックが統一されているモデルはマウント部12時位置に「0」マークが入っていることで区別できる。
- ^ 完全等倍でないため、等倍であるメリットの両目を開いての撮影時、人によっては違和感を覚える原因となる。
- ^ 現在装着されていないレンズの枠を呼び出すことでレンズ交換する前に画角を確認することができる。
- ^ 分割巻き上げも可能。
- ^ 実際にはライカM2がライカM4に交代する前にライカMDはライカMDaに交代している。
- ^ シリアルナンバーL-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350。
- ^ シリアルナンバーL-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350。
- ^ シリアルナンバーL-001からL-700、E-001からE-700、I-001からI-700、C-001からC-700、A-001からA-700。
- ^ シリアルナンバーL-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350。
- ^ ただしそれほど厳密に設定されていない。
[編集] 関連項目
- ライカマウントレンズの一覧 - バルナック型とMシリーズ用のレンズの一覧。
- ライカRマウントレンズの一覧 - Rシリーズ用のレンズの一覧。
- フォコマート - ライツ社の引き伸ばし機。
- ライカ同盟 - 赤瀬川原平、高梨豊、秋山祐徳太子らによって結成された、ライカを中心としたメカニカルカメラを愛する集団。
- ライカ使い
- フェイクライカ
- ライカコピー
- 穂波真太郎
[編集] 外部リンク
- ライカカメラAG - ライカ公式サイト(日本語版)
- トーイツ - ライカのコルポスコープを取り扱う
- ライカマイクロシステムズ株式会社
- ライカジオシステムズ株式会社
- smalldisney // photo design - ライカ V-LUX1とPanasonic Lumix の比較















