ラサ市

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曖昧さ回避 ラサは、この項目へ転送されています。その他の用法については「ラサ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
中華人民共和国 西蔵自治区 拉薩市
チベット自治区中のラサ市の位置
チベット自治区中のラサ市の位置
中心座標 北緯29度39分29秒 東経91度07分10秒 / 北緯29.65806度 東経91.11944度 / 29.65806; 91.11944
簡体字 拉萨
繁体字 拉薩
Lāsà
カタカナ転記 ラーサー
チベット語 ལྷ་ས་
ワイリー方式 Lhasa
蔵文 lha-sa
国家 中華人民共和国
自治区 西蔵
行政級別 地級市
政府所在地 城関区
市委書記 秦宜智
市長 多吉次珠
面積
- 総面積 31,622 km²
- 市区 523 km²
海抜 3,650 m
人口
- 総人口(2003) 42 万人
経済
- GDP(2005) 87億元
電話番号 0891
郵便番号 850000
ナンバープレート 蔵A
行政区画代碼 540100
市花 格桑花(ケーザン・メトク)
官方ウェブサイト http://www.lasa.gov.cn/

ラサ(拉薩)はチベットの政治的、文化的中枢であり、チベット、モンゴル満州などの諸民族から構成されるチベット仏教文化圏の中枢都市である。

また1965年に発足した中華人民共和国チベット自治区首府でもあり、中国政府が1956年に設置したチベット自治区籌備委員会なども、この市に本拠を置いている。

目次

[編集] 名称

チベット語でラ(ལྷ་ lha)は神もしくは仏、サ(ས sa)は土地を意味し、「聖地」を意味する。標準チベット語での正式名はラサ・ドンキェル(ལྷ་ས་གྲོང་ཁྱེར་ lha sa grong khyer)。地元では「神の地」という意味のレーサ(ལྷའུ་ ས lha'i sa、注:無声音のため、ヘーサと聞こえる)と呼ばれている。吐蕃時代のの文献には邏娑あるい邏些の名で記される。

一年を通じ晴天が多い事から「太陽のラサ (nyi ma lha sa)」とも呼ばれる。

古い日本語資料では「ラッサ」という表記も見られた。

[編集] 由来

7世紀初頭までは「ラサ(ra sa)」(ヤギ(ra)の地)とも書かれ[1]、従って後代に成立したラサの建都伝説では、池を埋め立てる石を運ぶのにヤギを用いた、という物語が付加されている。

[編集] 地理

チベット中央部、ヤルンツァンポ河流域に位置する。海抜 3,700 メートルにある。

古都ラサはトゥルナン寺を中心とした環状道路「パルコル(八角街)」の周辺に広がる旧市街と、旧市街の西方に広がり、中国の支配下で建設された新市街から成る。ラサ市は、古都ラサとその郊外からなる城関区と、その周辺の7ゾン)で構成される。本市の東方に位置する山南地区とともに、中央チベット東部のウー地方を構成する。チベット民族が87パーセントを占める。

[編集] 気候

ラサの平均気温
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 7 (45) 9 (48) 13 (55) 16 (61) 20 (68) 23 (73) 22 (72) 21 (70) 20 (68) 17 (63) 12 (54) 8 (46)
平均最低気温 °C (°F) -8 (18) -5 (23) -2 (28) 2 (36) 6 (43) 10 (50) 11 (52) 10 (50) 8 (46) 2 (36) -4 (25) -8 (18)
降水量 mm (inches) 0.8 (0.03) 1 (0.04) 2.3 (0.09) 5.6 (0.22) 23.1 (0.91) 58.9 (2.32) 96.8 (3.81) 98 (3.86) 55.6 (2.19) 4.8 (0.19) 0.5 (0.02) 0.5 (0.02)
出典: [2] {{{accessdate}}}

[編集] 歴史

7世紀前半にチベットを統一した吐蕃王朝第33代ソンツェン・ガンポによりチベットの都と定められ、641年には中国の公主(王室の皇族女性)がチベットのツェンポ(王)の妃として迎えられた。伝承では、このときネパール王女も同時に妃に迎えられ、二人がもたらした仏像を本尊として納めるため、トゥルナン寺、ラモチェ寺が建立され、市街形成の核となったとされる。

9世紀吐蕃王朝の崩壊以後、チベットの政治的中心は、時期ごとの覇者たちの所在地を転々としたが、宗教的中心地としての地位は不動であった。1414年にはラサ三大寺の筆頭ガンデン寺の建立をかわぎりにゲルク派の本拠地となり、17世紀中期には熱心なダライ・ラマの信者であったオイラトホショト部のグシ・ハンがチベットの大部分を征服したことをきっかけとして、ダライ・ラマの宗派を超えた宗教上の最高権威としての地位が確立され、諸宗派に対するゲルク派の優位、とりわけモンゴルにおけるゲルク派の優勢が決定的となった。この結果、ラサは再びチベット全域の政治的、経済的、文化的中枢の地位を獲得しただけでなく、チベット人、モンゴル人、満州人などから構成されるチベット仏教文化圏の中心ともなった。

1642年に成立したガンデンポタン政権の初期、当時のダライ・ラマ5世によりガンデンカンサル宮、ポタラ宮など行政機構の拠点が建設され、政治的中心としての機能が整備された。

1986年以来対外開放され、次第に観光都市として発展している。

[編集] 行政区画

[編集] 経済

ラサ市人民政府は2005年の経済目標として市の総生産額87億人民元(前年比16%増)、市区住民一人当たり収入10,000元(同8%増)、農民収入2,985元(同14%増)を掲げている。この数字をみると、市区部は観光業を中心に収入増が進んでいるが、農村部にはなかなか及んでいないように見える。2006年7月青蔵鉄道が開通し、観光業の飛躍的な発展が予測されている。

[編集] 交通

[編集] 教育

[編集] 文化

[編集] 観光

ラサは国務院により国家歴史文化名城に指定され、ポタラ宮1994年ユネスコ世界遺産に「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群」として登録、トゥルナン寺2000年に拡大登録、ノルブリンカ2001年拡大登録された。現在、年間40万人から50万人の観光客がある。

[編集] 出典

  1. ^ Kolmaš, Josef. (1967) Tibet and Imperial China: A Survey of Sino-Tibetan Relations up to the end of the Manchu Dynasty in 1912, p. 7. Occassional paper 7. The Australian National University - Centre of Oriental Studies, Canberra.
  2. ^ "Weather AveragesLhasa, CHN". MSN. 2007年2007-12-27 閲覧。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月16日 (月) 09:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ラサ市】変更履歴

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