ラザフォード・ヘイズ
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| ラザフォード・B・ヘイズ Rutherford Birchard Hayes |
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アメリカ合衆国
19代大統領 |
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| 任期: | 1877年3月4日 – 1881年3月4日 |
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| 副大統領: | ウィリアム・A・ウィーラー |
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| 出生: | 1822年10月4日 オハイオ州デラウェア |
| 死去: | 1893年1月17日 オハイオ州フリーモント |
| 政党: | 共和党 |
| 配偶: | ルーシー・ウェッブ・ヘイズ |
| サイン: | ![]() |
ラザフォード・バーチャード・ヘイズ(Rutherford Birchard Hayes, 1822年10月4日 - 1893年1月17日)は、第19代アメリカ合衆国大統領。ホワイトハウスで就任の宣誓をした初の大統領。
目次 |
[編集] 生い立ちと政治経歴
ヘイズは1822年10月4日オハイオ州デラウェア郡デラウェアで生まれた。公立小学校、オハイオ州ノーウォークのメソジスト・アカデミー、およびコネチカット州ミドルタウンでウェッブ大学進学予備校に通った。1842年8月にオハイオ州ガンビールのケンヨン大学を卒業し、その後1845年1月にハーバード法律学校を卒業した。
1845年5月10日に法曹界に入り、ロウワー・サンダスキー(現在のフリーモント)で弁護士業を始めた。1849年にシンシナティへ移り住み弁護士業を再開した。1857年から1859年まで市の法務官だった。
1861年6月27日、陸軍に入隊し第23オハイオ志願歩兵連隊の少佐に任官。1861年10月24日には中佐、1862年10月24日に大佐に昇任し、1864年10月9日に准将、1865年3月3日に少将に名誉昇進した。南北戦争で5回瀕死の重傷を負っている。
[編集] 大統領職
ヘイズは1876年の大統領選挙において史上まれに見る僅差で勝利した大統領である。
ヘイズの対抗馬は民主党のサミュエル・ティルデンニューヨーク州知事であった。選挙後の最初の開票結果では、選挙人票でティルデンが184票を獲得しヘイズの165票を上回ったが、まだ集計されていない票が20票あった。南部のサウスカロライナ州(7票)・フロリダ州(4票)・ルイジアナ州(8票)とオレゴン州の一人の選挙人の票の20票が論争となり、議会は15人の委員からなる選挙委員会を作り問題を決着させる法律を通した。委員会は論争のあった選挙人票20票全てをヘイズのものとする裁決を下し、ヘイズは185対184で選挙を制した。
| 大統領候補 | 政党 | 選挙人投票 (EV) | 一般投票 (PV) | |
|---|---|---|---|---|
| ラザフォード・ヘイズ、オハイオ州(当選) | 共和党 | 185 | 4,034,311 | 47.5% |
| サミュエル・ティルデン、ニューヨーク州 | 民主党 | 184 | 4,288,546 | 51.5% |
| ピーター・クーパー、ニューヨーク州 | グリーンバック党 | 0 | 75,973 | 0.9% |
| グリーン・クレイ・スミス、ケンタッキー州 | 禁酒党 | 0 | 9,737 | 0.3% |
| ジェームズ・A・ウォーカー、イリノイ州 | アメリカ国民党 | 0 | 459 | 0.0% |
この選挙結果に不信を抱く人々は、裏で共和・民主両党による裏取引があったと噂した(南部がヘイズの当選を黙認する代わりに、共和党は南部から連邦軍が引き上げることに同意しレコンストラクションを終わらせるという裏取引があったとされる)。結果、ヘイズは“His Fraudulency”(イカサマ閣下)と呼ばれることとなった(ちなみに、近年まれに見る接戦であった2000年アメリカ合衆国大統領選挙でも、一般投票ではジョージ・W・ブッシュ50,456,002(47.87%)に対しアル・ゴア50,999,897(48.38%)と敗者の方が上回っている)。このため、4ヶ月近くも大統領が決定しない異例の事態となった。
ヘイズは南北戦争以降、連邦軍が駐留していた南部から兵を撤収させた。これにより、南北戦争以降黒人解放が進んでいた南部では再び旧白人支配層が実権を握り、黒人への人種差別が再び始まった。ヘイズは「黒人の権利は、南部白人に委ねたほうが安全である」と発言した。また、労働運動に対しても軍隊を動員してストライキを弾圧するなど強硬な手段を取った。
[編集] 内閣
| 職名 | 氏名 | 任期 |
| 大統領 | ラザフォード・ヘイズ | 1877 - 1881 |
| 副大統領 | ウィリアム・A・ウィーラー | 1877 - 1881 |
| 国務長官 | ウィリアム・マクスウェル・エヴァーツ | 1877 - 1881 |
| 財務長官 | ジョン・シャーマン | 1877 - 1881 |
| 陸軍長官 | ジョージ・ワシントン・マクラリー | 1877 - 1879 |
| アレクサンダー・ラムジー | 1879 - 1881 | |
| 司法長官 | チャールズ・デヴェンズ | 1877 - 1881 |
| 郵政長官 | デイヴィッド・マッケンドリー・キー | 1877 - 1880 |
| ホーレス・メイナード | 1880 - 1881 | |
| 海軍長官 | リチャード・トンプソン | 1877 - 1880 |
| ネイサン・ゴフ | 1881 | |
| 内務長官 | カール・シュルツ | 1877 - 1881 |
[編集] 大統領職後
1893年1月17日、オハイオ州サンダスキー郡フリーモントで死去し、オークウッド墓地に埋葬された。オハイオ州のスピーゲル・グローブ州立公園に邸宅が寄贈され、1915年にそこに再埋葬された。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 宇佐美滋『アメリカ大統領を読む事典』講談社+α文庫、2000年
[編集] 外部リンク
- Biographical Directory of the United States Congress - アメリカ合衆国議会の人名辞典サイト[1]内の、ラザフォード・ヘイズの項目(英語)
- Essays on Rutherford Hayes, each member of his cabinet, and the First Lady from the Miller Center of Public Affairs
- Inaugural Address
- The Rutherford B. Hayes Presidential Center, Fremont, Ohio
- White House Biography
- Diary and Letters of Rutherford B. Hayes
- プロジェクト・グーテンベルクにおける Rutherford B. Hayesの作品
- Rutherford B. Hayes at Find A Grave
- Hayes 1893 New York Times obituary
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最終更新 2009年11月30日 (月) 00:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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