ラット (バンド)
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| ラット RATT |
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バンドロゴ
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | グラムメタル ハードロック LAメタル |
| 活動期間 | 1978年 - 1992年 1997年 - 現在 |
| レーベル | アトランティック |
| 共同作業者 | オジー・オズボーン ドッケン |
| 影響 | KISS エアロスミス |
| 公式サイト | THERATTPACK.COM |
| メンバー | |
| スティーヴン・パーシー(ボーカル) ウォーレン・デ・マルティーニ(ギター) カルロス・カヴァーゾ(ギター) ロビー・クレイン(ベース) ボビー・ブロッツァー(ドラム) |
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| 旧メンバー | |
| ロビン・クロスビー(ギター) フォアン・クルーシェ(ベース) ジョン・コラビ(ギター) |
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ラット(Ratt)はアメリカのグラムメタルのバンド。1980年代に隆盛したLAメタルの代表的存在で、モトリー・クルーと双璧をなす人気を誇り、全米で1600万枚、全世界で3000万枚以上のアルバム総セールスを記録した。
目次 |
[編集] 略歴
1976年にスティーヴン・パーシーを中心にカリフォルニア南部サンディエゴでミッキー・ラットとして結成。 その後ロサンゼルスへ移り、後にオジー・オズボーンに選ばれるギタリストのジェイク・E・リーが参加する。1981年バンド名をラットとして活動を続けるが、ジェイク・E・リーを含む初期のメンバーらがラフ・カットを結成するためグループを脱退。バンドはギタリストのロビン・クロスビーとパーシーを中心にメンバーを再編する。リハーサル、ライヴを重ねた末、ドラマーとしてボビー・ブロッツァーが加わり、また二人の地元サンディエゴから当時18歳のギタリスト、ウォーレン・デ・マルティーニが参加。最後にベーシストのフォアン・クルーシェがドッケンを脱退してバンド加入しラットのデビュー・メンバーとなる。
1983年8月に自主制作盤「RATT」でデビュー。派手なファッションと化粧、明るく開放的な音楽性はラットンロール(RATT N' ROLL)と呼ばれて人気を博し、モトリー・クルーとともにLAメタルのブームを牽引した。
このバンドがLAメタル特有の独特なスタイルを築いた経緯はベーシストのフォアン・クルーシェがドッケンの元メンバーであった事による効果もあるが、それ以上にバンドの作曲面での中心人物であったロビン・クロスビーとモトリー・クルーの中心人物であるニッキー・シックスがそもそものルームメイト同士であった由縁が強いとされる。二人は極貧生活も共に力を合わせて生き延びただけでなく、ヘロインを含めたさまざまな日常生活を共にし相当な時間をセッションに費やした結果、双方のバンドに絶大なシナジー効果をもたらしたものであると観測される。
アトランティック・レコードと契約してプロデューサーボー・ヒルのもと1984年3月にメジャー・デビューアルバム「OUT OF THE CELLAR」(全米チャート7位)をリリースし、シングル「ラウンド・アンド・ラウンド」がMTVを通じて全米でヒットを起こし、日本ではSONY MUSIC TVを通じてラットブレイクのきっかけとなった。
1985年7月に2ndアルバム「INVASION OF YOUR PRIVACY」リリース(全米チャート7位)。特にシングル・ヒット「レイ・イット・ダウン」のヴィデオに当時のプレイボーイ誌のモデルMarianne Gravatteが出演、PMRCによる検閲を受けることでグラム・メタルのグラマラスなイメージを高めていった。オジー・オズボーンやボン・ジョヴィらとともにイギリス、アメリカ、日本などで公演を行い9月にイギリス・ドニントンでのモンスターズ・オブ・ロックに出演する。
1986年8月に3rdアルバム「DANCING UNDERCOVER」リリース。ブルージーな雰囲気をおさえてスラッシュ・メタルの影響をバンドのサウンドに実験的に加えていく作品となった。収録曲「ボディ・トーク」がエディ・マーフィー主演の映画『ゴールデン・チャイルド』に起用された。若手のポイズンをサポートに起用し1987年にかけてアメリカ国内、ヨーロッパでツアーをおこなう。同年2度目の来日公演。
1988年11月に4thアルバム「REACH FOR THE SKY」リリース。「ウェイ・クール・Jr.」が話題になるもファンには不評の的となる。1989年3度目の来日公演。
1990年8月に5thアルバム「DETONATOR」リリース。 メジャーデビュー以降、すべてのアルバムをプロデュースしてきたボー・ヒルが制作を離れ、ヒットメイカーであるデズモント・チャイルドを起用した結果バンド初のプラチナムに届かない作品となった。時代は既にグランジの様なオルタナティブ・ロックの時代に移っており多くのグラム・メタルのグループは大手レーベルの契約を失う様になっていった。別の問題としてロビン・クロスビーは重度のヘロイン中毒に陥っていた。
1991年2月の来日公演後、クロスビーのリハビリに伴いマイケル・シェンカーがグループをサポートすることになる。9月にベストアルバム「RATT & ROLL 8191」リリース後、アトランティック・レコードとの契約を解除される。すでにクロスビーは新しいグループで活動を開始し、相まって1992年にバンドを解散することとなる。
スティーヴン・パーシーはグループを離れアーケイドを結成し、ウォーレン・デ・マルティーニは1994年にホワイト・スネイクに参加、ソロ作品をリリースする。
1994年にクロスビーはHIVの保持者として診断される。(ヘロイン注射の回し打ちで注射針から感染した)
1997年にスティーヴン・パーシー、ウォーレン・デ・マルティーニ、ボビー・ブロッツァー、元クワイエット・ライオットのカルロス・カヴァーゾ、元ヴィンス・ニール・バンドのロビー・クレインのラインナップで再結成。未発表曲集「COLLAGE」をメジャー・レーベル、ソニーからリリース。
1999年には再びバンド名を冠した6thアルバム「RATT」をリリースするもパーシーが脱退。
その後はマルティーニを中心としたメンバーで活動を続けていたが、オリジネイターが完全に抜けている状態のこのバンドをRATTと呼ぶ事に抵抗を持つ日本のファンも多かった。バンドは再び解散することとなる。
2002年6月6日、ロビン・クロスビー、エイズにより死亡(闘病苦からの自殺説あり)。 享年42歳。
2007年、2枚目のベストアルバム「TELL THE WORLD: THE VERY BEST OF RATT」をリリースし、パーシー、マルティーニ、ブロッツァーを中心に再結成ギグを行う。
[編集] バンドメンバー
[編集] 全盛期のメンバー
- スティーヴン・パーシー(Stephen Pearcy) (ボーカル)1959年7月3日カリフォルニア州ロングビーチ出身
- ウォーレン・デ・マルティーニ(Warren DeMartini) (ギター)1963年4月10日イリノイ州シカゴ出身
- ロビン・クロスビー(Robin Crosby (ギター)1959年8月4日カリフォルニア州ラ・ホヤ出身
- フォアン・クルーシェ(Juan Croucier) (ベース)1959年8月22日キューバ、サンティアーゴ・デ・クーバ出身
- ボビー・ブロッツァー(Bobby Blotzer) (ドラム)1958年10月22日ペンシルベニア州ピッツバーグ出身
[編集] 現在のメンバー
- スティーヴン・パーシー (ボーカル)
- ウォーレン・デ・マルティーニ (ギター)
- カルロス・カヴァーゾ(ギター)
- ロビー・クレイン (ベース)
- ボビー・ブロッツァー (ドラム)
[編集] ディスコグラフィー
- 7位 3Xプラチナム(US)
- 1985年 インヴェイジョン・オブ・ユア・プライヴァシー - Invasion Of Your Privacy -
- 7位 2Xプラチナム(US)
- 1986年 ダンシング・アンダーカヴァー - Dancing Undercover -
- 26位 プラチナム(US)
- 1988年 リーチ・フォー・ザ・スカイ - Reach For The Sky -
- 17位 プラチナム(US)
- 23位 ゴールド(US)
- 1997年 コラージュ - Collage -
- 49位(US)
- 1999年 ラット - Ratt -
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月11日 (水) 02:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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