ラングドン・ウォーナー
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ラングドン・ウォーナー(Langdon Warner、1881年8月1日 - 1955年6月9日)は、アメリカの美術史家。
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[編集] 略歴
マサチューセッツ州エセックス生まれ。1903年ハーバード大学卒業。卒業後日本を訪れる。帰国後東洋美術史を講義、ハーバード大学付属フォッグ美術館東洋部長を務めるなど、東洋美術の研究をした。1946年、米軍司令部の古美術管理の顧問として来日。中国では、敦煌壁画を剥がして持ち去るなど、文化財の略奪者と見る意見もある。
[編集] ウォーナーリスト
太平洋戦争時、日本の多くの都市・地域に空爆があったが、京都は爆撃されなかった。この事実の理由として、ウォーナーが、空爆すべきでない地名のリスト(ウォーナーリスト)を作成して米政府に進言したから、という説がある。1945年11月の朝日新聞報道で取上げられ、以来広く一般に知ら渡っている。
京都を救ったのはウォーナーであるという話に基づいて、1958年6月、法隆寺西円堂の近くに、供養塔、顕彰碑 ウォーナー塔(Warner Monument)が建立された。また。鎌倉にも同趣旨のプレートがある。
一方、吉田守男の『京都に原爆を投下せよ』(朝日文庫『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』)によれば、その話はGHQ民間情報教育局の情報工作によるものである。吉田によれば、ウォーナーリストは、占領地域での文化財を保護し、(ナチスなどが)略奪した文化財を返還させ、弁償させるために作成したリストの日本版であった。リストに記載された文化財で、名古屋城、岡山城など空襲によって焼失したものは多数存在する。また、実際には、京都でも東山区馬町(1945年1月16日)、右京区太秦(4月16日)、右京区春日(3月19日)、上京区西陣(6月26日)、そして京都御所(5月11日)などと計20回以上の空襲に遭っており、原爆の投下候補地にもなっていた。京都が結果的に大規模な空襲を免れたのは、原爆の投下目標として温存されたためである。
奈良も、大規模な空襲こそなかったが、小規模な空襲や機銃掃射は多々あった。
[編集] ウォーナーリストに記載のある被災文化財
- 仙台城(焼失)
- 大垣城(焼失)
- 名古屋城(焼失)
- 熱田神宮(一部焼失)
- 広島城(焼失)
- 岡山城(焼失)
- 永福寺(焼失)
- 松山城(一部焼失)
- 宇和島城(一部焼失)
- 首里城(焼失)
- 大阪城(一部焼失)
- 四天王寺(焼失)
- 寛永寺(焼失)
- 浅草寺(焼失)
- 皇居(焼失)
- 明治神宮(焼失)
- 増上寺(焼失)
- 帝国ホテル(一部焼失)
- 姫路城(一部焼失)
など
[編集] 著書
- 『万仏峡洞 - 9世紀仏教壁画の研究』(Buddhist Wall Paintings - A Study of a Ninth-Century Grotto at Wan Fo Hsia)1938年
[編集] 関連項目
最終更新 2008年10月9日 (木) 15:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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