ランボルギーニ・ハラマ

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ランボルギーニ・ハラマ
ハラマ
サイドビュー
コクピット
乗車定員 2+2
ボディタイプ 2ドアクーペ
エンジン V型12気筒ガソリン3929CC 350-365馬力
変速機 5速MT / 3速AT
駆動方式 FR
サスペンション 前後ともダブル・ウイッシュボーン・コイル
全長 4485mm
全幅 1820mm
全高 1190mm
ホイールベース 2380mm
車両重量 1540kg
生産台数 328台
最高速度 260km/h
先代 ランボルギーニ・イスレロ
-このスペック表は試行運用中です-

ランボルギーニ・ハラマ(Lamborghini Jarama) は、イタリアの自動車メーカー、ヌオーヴァ アウトモービリ フェルッチオ ランボルギーニ SpA(Nuova Automobili Ferruccio Lamborghini SpA)社で1970年から1976年まで生産されたグラントゥーリズモである。ハラマの名はスペインマドリード郊外にあるハラマ・サーキットに由来する。

目次

[編集] 概要

ハラマは、最初のランボルギーニ・350GTの改良発展型であったイスレロでは年々厳しくなる主要輸出先、アメリカの安全・公害基準をクリアすることが困難となったために開発され、1970年3月のジュネーヴ・ショーでデビューした。シャシーはランボルギーニ・エスパーダのホイールベースを30cm近く短縮したもので、設計はチーフエンジニアのパオロ・スタンツァーニであった。彼は現在もレーシングカーメーカー・ダラーラを率いるジャンパウロ・ダラーラからその地位を継承したばかりで。ハラマはその後彼が手がけるウラッコ(1970年)・カウンタック(1974年)に先立つ第一作であった。車体のデザインは、ミウラエスパーダ同様、ベルトーネに委ねられ、チーフデザイナーのマルチェロ・ガンディーニが担当した。

ハラマはミッドシップ2座のミウラカウンタックと比較すると地味であり、完全な4シーターのエスパーダほどの実用性も無く、ラインナップ上は中途半端なモデルのように思われたが、実用的な2+2レイアウトを持ちながら、2座席のライバル・フェラーリ・365GTB/4の2400mmよりも更に短いホイールベースを活かした、優れた操縦性と実用性を兼ね備えたスポーツカーであったようで、ランボルギーニ創業者のフェルッチオ・ランボルギーニは、ミウラカウンタックを差し置いて、ハラマこそが理想のランボルギーニ車であったと語っている。実際に、彼自身も一台を長く愛用した。

[編集] 変遷

当初デビューしたのは4000cc350馬力の「350GT」であったが、V12エンジンの熱量に対し冷却系統が不十分であったと言われる。1972年には細部を改良し、365馬力の「350GTS」に発展した。エンジンの冷却問題は改良され、ランボルギーニ社の本業であるエア・コンディショナーや、3速オートマチックも装備可能となった。しかし、1973年末の第一次石油危機以降は需要が低迷、1976年には生産中止となった。生産台数は400GTが176台、400GTSが152台の合計328台と少なかった。

当時の日本へはシーサイドモーターなどの並行輸入業者によって少数が輸入されたが、折からのスーパーカーブームの中でも、地味な存在であった。

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目


ランボルギーニ S.p.A. ロードカータイムライン 1962-
タイプ 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代
4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
MR V12 ミウラ カウンタック ディアブロ ムルシエラゴ
イオタ レヴェントン
V8/V10 シルエット ジャルパ ガヤルド
2+2 ウラッコ
FR GT 350GT
2+2 400GT イスレロ ハラマ
エスパーダ
SUV LM002
オーナー フェルッチオ・ランボルギーニ ロゼッティ, レイマー イタリア政府管理下 ミムラン クライスラー メガテック, Vパワー アウディ
レーシングカー: ランボルギーニ・イオタ(1969)
コンセプトカー: ランボルギーニ・エストーケ(2008)
人物: フェルッチオ・ランボルギーニマルチェロ・ガンディーニ・ルーク・ドンカーヴォルケ
公式WEBサイト: Automobili Lamborghini Holding Spa

最終更新 2009年6月19日 (金) 04:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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